【試し読み】小悪魔先生は恋をたくらむ

作家:百瀬実吏
イラスト:乃里やな
レーベル:夢中文庫セレナイト
発売日:2018/1/9
販売価格:400円
あらすじ

幼馴染の「お兄ちゃん」が忘れられず、好きな人を聞かれれば小説のヒーローを挙げてしまう、真面目だけが取り柄の晴花。もちろん(?)恋愛に臆病。文芸誌新人編集として働いているが、ある時出版社に憧れの作家「かわのはると」がやってきて……?上司の意図が汲み取れないままかわのの担当になった晴花は、かわのと食事をした帰りに送りオオカミされたり、二人きりの資料室で突然迫られたり――!嫌だと思うのに拒めない。恋愛じゃないはずなのに心臓が高鳴ってどうしようもない。経験が少なすぎてどうしたらいいかわからない晴花をからかうように、かわのはいつも笑っている。彼の微笑みの意外な理由に辿りついた晴花は驚きを隠せず!?

登場人物
幸田晴花(こうだはるか)
真面目で堅い性格の文芸誌の新人編集。好きな人は小説のヒーローで、現実の恋には奥手。
かわのはると
高校在学中に小説家デビューし文芸賞の大賞をとる。顔も本名も非公開の謎に包まれた作家。
試し読み

一話:

 当時、中学生だった私にとって、この本との出会いは本当に衝撃的だった。
 簡単に言えば、男子高校生が女子小学生を誘拐する話。
 だけど、その描写のひとつひとつが丁寧で、優しくて。何より、その小学生の女の子のエピソードが、私が幼少時代に経験したことにそっくりで。ページをめくる手が止まらなかった。
 私も、この小説の主人公と同じように、小学生のときに弟ができて。
 そして同じ頃に、近所のお兄ちゃんと仲良くなった。
(……まあ、それは高校生じゃなくて二つだけ年上の小学生のお兄ちゃんだったけど)
 弟が生まれてお母さんに構ってもらえなくなった私が、公園で出会ったお兄ちゃん。実の妹みたいについて回って、ゆうにい、って呼ばせてもらって。ゆうにいも、私のことをすごく大事にしてくれた。
 それだけじゃなくて、家の中でお母さんに気を使っていたこととか、その時の会話とか。びっくりするくらいに同じで、この本は私に向けられているんじゃないかって、おめでたい錯覚をしそうになったくらい。
 特に──


『もう、無理してお姉ちゃんにならなくていいんだよ、あきちゃん』

 始めからこうなるって、やっぱりおにいちゃんにはわかってた。
 瑠璃色の空が沈んでいく。
 哀しいくらいに真っ黒に染まっていく。
 平穏だったはずの今日を取り戻すみたいに。

 最後のページには、この五行だけが書かれている。
 このシーンが、私にはどうしようもなく懐かしく感じられた。そんな風景、見たことなんてないはずなのに。
 何度も何度も、この情景を思い浮かべた。瑠璃色、を辞書で引いたのもこの本を読んだときだった。
「どれも好きだけど、やっぱりこれが一番だなぁ」
 ぱたん、と膝の上で本を閉じて、本の表紙に視線を落とした。真っ青な空の装丁に、のびやかな手書き風のフォントで「お兄ちゃんと弟 かわのはると」と書かれている。何度も何度も読み返しているから、角が少しくたびれていた。
 この本を初めて手に取ったのは、中学生の頃。
 たまたま立ち寄った駅前の本屋さんで新刊コーナーに平積みにされていて、普段は本なんてほとんど読まないし、ましてや中学生には高額なハードカバーの本なんて買ったこともなかったのに、私は迷わずそれをレジに持っていった。この日のことは、陳腐な言葉だけど、運命だったなって思ってる。

 他の本も読んでみたいと思ったけど、その一冊でお小遣いを使い切ってしまった私は、本屋さんじゃなくて学校の図書館へ向かった。
「あの……かわのはるとって人の本を探してるんですけど」
「かわのはるとって最近デビューした高校生の? もうすぐ入ってくると思うけど、まだ入荷してないの。予約していく?」
「え、高校生なんですか?」
「ええ、今朝もニュースで取り上げられてたわよ。文芸賞で大賞を取ったって。今、高校一年生らしいから、書いたのは中学生の頃かもしれないわね」
「中学生の頃に……」
「綺麗な男の子らしいって噂だけど、一切顔出ししてないのよね」
 二度目の衝撃だった。
 私と二つしか変わらない年の、しかも、男の子がこれを書いたなんて。だって、女の子の心情の描写が丁寧だったから。はると、なんて名前だけどきっと大人の女の人が書いたんだろうって思っていたのに。
 人生を変える本っていうのがあるとしたら、私にとっては間違いなくこの本だった。だってこの本があったから、私は文芸誌の編集者になろうって思ったんだから。
 最初は、かわのはると先生に会いたいって気持ちから。そこからいろんな本を読んで、勉強するようになって、文芸の面白さに気が付いて。短大を出て、都内の文芸出版社に就職した。
 趣味と実益を兼ねて、今では職場でも家でも、本だらけの生活を送っている。
 就職したのは大きな出版社ではないし、まだ二年目になったばかりの新人で、担当編集者になったことはないけど。
(毎日がこうして充実してるのも、この本のおかげよね)
 それに、この本がなかったら、私はゆうにいのことを思い出さないままだったかもって。それはちょっと、やっぱりさみしい。
 ゆうにいとの思い出は楽しいばっかりじゃなかった。出会ってからしばらくして、ゆうにいは私に何も言わずに、突然引っ越してしまったから。ゆうにいがいなくなって、私は心の中にぽっかりと穴が空いたみたいで。それをどう埋めればいいのかわからなくて。思えばあれが、私の初恋だった。
「……やばっ、もうこんな時間」
 そんなことを考えていたら、時計の針はもう家を出る時間を指していた。慌てて棚に本を戻し、鞄を掴んで玄関へ向かう。
「うわっ! ……あ、いや、おはよう、ございます」
 玄関を開けると、ちょうど隣の部屋の人も家から出てきたところだった。思わず悲鳴みたいな声を上げてしまい、慌てて挨拶をする。
「……ます」
 消え入りそうな声で挨拶をした彼は小さく会釈をして、エレベーターではなく階段の方へ向かった。カコン、カコン、という涼しげな下駄の音を連れて。
(え、下駄……?)
 男の人にしては長めの髪の毛はパーカーのフードで隠されているのに、それでもわかるくらいにぼさぼさで、髭も伸び放題。たぶん年上だと思うけど、何をしている人なのかはよくわからない。
 引っ越しの挨拶をした時もこんな感じだったし、他の部屋の人に聞いてもみんな首をかしげるばかりだった。閉められた扉に貼られた「水野みずの」という手書きの表札は、日に焼けて誰の家の表札よりも色が薄くなっている。
(……本当、何してる人なんだろ)
 不審に思いながら腕時計を見る。午前七時四十二分。
「やばいっ」
 せっかくセットした髪の毛が崩れる、なんて思いながら、私はエレベーターに飛び乗った。

「うーん」
「ど、どうですか?」
 私の提出した企画書を眺めながら、田之倉たのくらさんは顎に手をあて、うんうんと唸っている。
「もうちょっとこう……遊びがほしいんだよなぁ」
「遊び、ですか」
 言われたことを手帳にメモしている私に、田之倉さんはネクタイを少しゆるめながら話を続ける。
幸田こうだの企画には隙がないっていうか、遊びがないっていうか……まあ、つまんないってことだな」
 にっこり、と効果音のつきそうな綺麗な笑顔で言われると、余計、言葉が心にのしかかる。
 椅子から立ち上がった田之倉さんに、ちょっとおいで、と言われてついていく。
 田之倉さんは企画書を持ったままだったから、きっと会議室で叱られるんだろうと思ったのに、向かったのは給湯室。
 私の分までコーヒーを淹れようとしている田之倉さんに「私がやります」と言ったけど、やんわりと断られた。
「幸田って出身どこだっけ」
「A県です」
「学生時代、何して遊んでたの」
「何って……別に普通に、友達と買い物したり」
「男?」
「いえ、女友達です」
「ふうん」
 自分から聞いたくせに興味がなさそうな相槌を打っている田之倉さんに、コーヒーを手渡される。
「あ、ありがとうございます」
「俺はね、高校生の頃、友達とほとんど遊んだ記憶がないんだよ」
「え……そ、そうなんですか」
 コーヒーを飲もうとしたところでそう言われ、何を言えばいいか困ってしまう。曖昧な返事をする私を見て田之倉さんは笑い、私のコーヒーを指さす。
「友達がいなかったわけじゃなくて。コーヒーにハマってさ、ほぼ毎日喫茶店にいた」
「な、なんですかそのお洒落な趣味」
「まあ、本当はそこのアルバイトの女の子を好きになっただけなんだけど」
 コーヒーを飲みながら、田之倉さんが笑う。余裕というか、大人っぽさというか。そういうのが田之倉さんからはいつも漂っている。
(……私に足りないのはこういうものだって、わかっては、いるんだけど)
 わかってはいても、どうやったらそういうものが生まれるのかはわからなかった。いつも必死に仕事をして、真面目に生きることしか、頑張る方法を知らないから。
「飲みなよ、コーヒー。美味しいから」
「あ、はい、いただきます」
 コーヒーの入った紙コップを顔に近づけると、コーヒーのいい香りが鼻をくすぐった。この匂いは好き。でも。
(……苦い……)
 正直、コーヒーは苦手。コーヒーだけじゃなくて、苦い物は全般的に苦手。子どもみたいって思われそうで、最近は隠すようにしているけど。
 隠しきれなかった気持ちが顔に出ていたのか、私を見て田之倉さんが小さく笑った。
「子どもみたいだな」
「す、すみません……」
「砂糖とミルク、そこ」
 もう一度、すみません、と言って砂糖とミルクをコーヒーに足していく。その横で、田之倉さんが私の企画書をパラパラとめくっていた。
「恋愛ものの企画なんだからさ、もっと多様性っていうか。そういうのがほしいんだよな。恋愛ってこうなったら必ずこうなる、ってマニュアルはないだろ」
「多様性、ですか」
「幸田は今まで付き合ってきた彼氏、みんな同じだったか?」
 田之倉さんの言葉に、私は固まってしまう。
 今まで付き合ってきた彼氏、って言われても、短大の頃に一人付き合っただけ。しかも、その人には「俺といても晴花はるかって楽しくなさそう」って言われて、すぐに振られてしまった。
(……え、もしかして、私のつまらなさって恋愛経験の少なさから来てるの?)
 思い至った自分の考えに、頭の奥を殴られたような衝撃が走った。だって、そんなの、自分の努力ではどうしようもないじゃない。
「……幸田?」
「あ、いえ、はい、そう、ですね、恋愛、ですから」
 名前を呼ばれてよくわからない返事をしてしまう。そんな私を見て、田之倉さんはちょっとだけ気まずそうに笑い、
「もしかして、今まで彼氏いないとか」
 と聞いた。
「あ、い、いえ。彼氏は一応いたことあります」
「そうか。うーん……じゃあ、今まで一番好きになった人ってどんな奴だ?」
「今まで一番好きになった人……」
 話を変えようとしてか、私の言葉を信じていないのか、「彼氏」じゃなくて「好きな人」と言われて今までのことを考える。
(好きな人……)
 真っ先に浮かんだのは、小学生の頃に大好きだったゆうにいのことだった。
「あの、小学生の頃の好きな人は」
「カウントしないだろ、この流れで」
「ですよね……」

※この続きは製品版でお楽しみください。

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