【試し読み】王太子殿下と伯爵令嬢の秘めやかな恋愛事情

作家:朝陽ゆりね
イラスト:弓槻みあ
レーベル:夢中文庫プランセ
発売日:2016/5/13
販売価格:600円
あらすじ

「わたくしを殿下の恋人の一人に加えてくださいませ!」優雅で華やかな社交界デビュー…の筈が、およそ淑女にふさわしくない爆弾発言で周囲をかたまらせてしまった伯爵令嬢フリーシア。親孝行で優しい一面よりも奇想天外な言動が目立ってばかりだが、王太子ランティスはそんな彼女を気に入って――いいだろう、君を私の交際相手に加える――その日から王宮で駆け引きのような恋が始まる。二十四時間ランティスの手練手管に振り回されっぱなしのフリーシアだが、その心に芽生えた気持ちは…? 愛と思惑と笑いに満ちたロードレス王国で巻き起こる、スラップスティック・ラブコメディ!!

登場人物
フリーシア
美しい金髪とすみれ色の瞳を持つ可憐な伯爵令嬢。過保護に育てられたため世間の事情に疎い。
ランティス
漆黒の髪に深い緑眼の美丈夫。自らの恋人になりたいと爆弾発言をしたフリーシアを気に入る。
試し読み

第一章 殿下に告白を!

──ティルビオス伯爵家、フリーシア・ティルビオスの部屋にて。

 フリーシア・ティルビオスは光のように輝く金髪と、淡いすみれ色の瞳をした誰が見ても可愛いと称賛される美貌の伯爵令嬢である。外見ほどに華やかな性格であったならば、おそらくこれからデビューする社交界で主役になれるだろう。しかしながら、天は二物を与えなかった。これほどの美少女であるにもかかわらず、本人は祖国に多い外見と異なることに落ちこみ、そして己の出生において気後れしてしまう、とてもおとなしく、内向きな性格だった。併せて、とんでもなく不器用で、どんくさいというエッセンス付き。さらに伯爵夫妻がなんとも呆れるほどに過保護に育ててしまったため、頭は悪くないけれど、世間の事情に疎いという折り紙付きの箱入り娘であった。
 ちなみに、祖国であるこの国、ロードレス王国は、黒髪に緑眼が主流派である。

「本当にお美しいですわねぇ」
 ティルビオス家に仕える使用人たちはフリーシアの髪をお約束のごとくに褒める。特に髪をセットするときは必ずだ。そのたびにフリーシアの心はどんよりする。そればかりか雨まで降ってきそうな勢いだ。もちろんそれは髪の色のことで、自分も黒髪のほうがよかったのに、というものだった。何事も、隣の芝生は青いってなものである。
「褒めなくていいのよ」
 素直な気持ちは言えないので、ちょっぴりひねって変化球で返事をしてみる。
「いいえぇ。まるで天使のような輝きでございますわよ」
 これもいつものことであるが、フリーシアは悪いと思いながらも胸のうちで悪態をついた。
 天使って、見たこともないくせに──と。
 口に出して言えないとわかってはいるが、つぶやかずにはいられない。それでも彼女たちが本気で褒めてくれていることは知っている。だからけっして言わない。せっかく褒めてくれる者を傷つけるようなことをしてはいけないと思っている。
「キラキラと光の結晶みたいで、とても麗しいですわ。それに、すみれ色の瞳も珍しくていらっしゃる。これも、宝石みたいで見入ってしまいますわよ」
「……ありがとう」
 最後はうなだれながら礼を言っておしまいだった。これをほとんど毎日繰り返している。フリーシアは鏡に映る自分自身をどんよりした気持ちで見つめた。
 先にも述べたように、ここロードレス王国は黒髪の人種である。瞳の色においては多くが緑眼。濃淡による差が若干あり、青に近い緑の者もいれば、黄色に近い緑の者もいる。さりとておおむねこの色彩であった。
 それに対し、フリーシアは豪華な金髪にすみれ色の瞳であり、これは近隣国の一つ、サントリア王国の人種の特徴であった。つまりフリーシアは異国人の血を引いているのだ。
(仕方がないわ。外見を嫌がってもどうにもならないもの。そんなことよりも、このどんくさい私を大切に育ててくださったお父さまやお母さまに恩返しをしないと。それに亡くなった両親を思い、感謝しなさいといつも言われているから、容姿のことで落ちこんでいたら私が生みの親に不満があるように取られちゃう。それだけは避けなきゃ)
 毎々まいまいこのような思いで小さな不満を押しとどめるフリーシアであった。

 事は十七年前に起きた。
 フリーシアがまだ一歳にならない頃のこと。フリーシアの実の親であるフォーク男爵家の邸宅から火が出て建物はほぼ全焼した。石造りの建物が多い中、先代のフォーク男爵が木造建築にこだわったことがあだとなった。
 この火災によって多くの者が死亡したのだが、フリーシアは機転を利かせたメイドによってからくも難を逃れた。しかしながら、そのメイドも男爵夫妻が懇意にしていたティルビオス伯爵夫妻にフリーシアを託したのち死亡してしまったという。
 ティルビオス伯爵夫妻がフリーシアを正式に養女とし、以後はフリーシア・ティルビオス伯爵令嬢として育てられることになった。
 みなはこの事実をいつフリーシアに伝えるべきか思案したものの、まったくもって杞憂であった。それは外見があまりに周囲と異なることにフリーシアが早くから気に病み始めたため、早々に事実を示す必要に迫られたからだ。

──フリーシア、亡くなったお前の実の母、リリアン男爵夫人はサントリア王国の出身だったんだ。だからお前は男爵夫人の血を引いて、金髪ですみれ色の瞳をしているんだよ。

 そして火事のこと、伯爵家に引き取られたことを教えられた。
 フリーシアは素直な良い子だったので、この事実を悲しみながらも受けとめ、そして引き取ってくれたティルビオス伯爵夫妻に感謝した。とはいえ、この事実はある弊害をもたらした。それは──。
(ラルフお兄さま、まだお帰りにならないのかしら。間に合う? うぅん、間に合うに決まっているわ。だって、今日、私は十八歳になったのよ。お祝いしてくださると約束したもの!)
 ラルフ・ティルビオスは現在二十八歳になる王太子付きの官吏かんりである。この血のつながらない兄をフリーシアは秘かに想っていたのだ。
 ラルフへのほのかな恋心を自覚したのは十三歳の春のこと。体の異変に驚いたとき、育ての母である伯爵夫人に「女性の体」について教えられた日から、フリーシアはラルフの優しさに兄以上の想いを抱くようになった。大切にしてくれる優しいラルフ・ティルビオスがフリーシアにとって異性に対する最高の理想だった。
 そうは言っても、実の娘として育て、兄妹仲良くするように常々語っている夫妻に対する裏切り行為なので誰にも言えず秘めているし、ラルフが実の妹として見ていることは重々わかっているので報われないことも理解している。理解はしているものの、想うことは自由なはずだ。フリーシアはそんなふうに考えていた。
(お勤めでひと月もお屋敷をあけて……お忙しいのは仕方がないけど、寂しいわ。誕生日のお祝いのときぐらい、ゆっくりお話ししたい。ラルフお兄さま、早く帰ってきて)
「さぁ、できましたよ」
 フリーシアははっと我に返り、鏡に映る自分の姿を見た。サイドとトップをまとめて結い、瞳と同じすみれ色のリボンと白い花で飾っている。
「本当に麗しいですわ。フリーシアさま、お誕生日、おめでとうございます」
「ありがとう」
「フリーシアさまもいよいよ成人でございますね! 社交界にデビューなさったら、それはそれは人気者におなりでしょう。目に浮かびましてよ」
「……そうかしら。そんなことはないと思うわ」
「いぃえぇ! こんなに麗しい貴婦人はそういませんわよ。ふふ、もしかすれば、王太子殿下のお目に留まり、お妃候補に選ばれるかもしれませんわ」
 またとんでもない名前を出してきたものだ。王太子殿下、とは。
 フリーシアは苦笑をかみ殺した。
「殿下のお妃候補? そんなのますますないわよ」
「なにをおっしゃいますか。お嬢さまは伯爵令嬢なのですよ! ご身分に申し分はございません。それに、もしフリーシアさまがお妃さまにおなりになれば、ラルフさまの出世は約束されることになります。伯爵家はまさしく安泰でございます」
 なぬ!?
 フリーシアの愛らしい顔がコミカルに歪んだ。目がぎょろりと見開かれ、口がぱっくり開いている。今の今まで、いい加減なことを言わないで、という気持ちマックスで、針が降り切れそうなほどであったのに、その言葉で一気に情勢が変わった。
 見事なマヌケ顔炸裂。であるが、デキたメイドはにっこり優雅に微笑むだけでなんのツッコミも入れなかった。もちろんアホ面を笑うなんてことはしない。むしろ本気で〝微笑ましい〟と思っている。
「どういうこと? だってお兄さまは殿下のご学友で、大親友なのよ? 今だって殿下のお仕事を手伝っておられるわ。出世は決まっているようなものじゃない」
 確かにそうなのだが──フリーシアの反論に、それまでメイドの顔に浮かんでいた優雅な微笑みが苦笑へと変わった。そしてほんの少し首をかしげる。それは疑問ではなく、曖昧にやり過ごすという思惑が見え隠れしている。
「違うの?」
 メイドの顔には〝苦笑〟という名の笑みが浮かんだまま。口を開こうとはしない。彼女が「それ以上は言わせないでください」と目で訴えているのだが、未熟なフリーシアは気づけないでいた。
「ねぇ」
 と、さらなる催促をした時だった。
「その質問にはわたくしがお答えします」
 いきなり割って入ってきた声に二人は振り返った。そこにはラルフとフリーシアのナニーを務め、今はメイド頭になっているマルタがいた。当然ながら立場上厳しいこともバンバン言う。フリーシアにとってはこわ~い人物だった。
「マルタ……」
 いたのね、とは言えないので、
「お願いできるかしら」
 と、思ってもいないことを述べてみる。するとマルタは、うん、と一度強くうなずいてから話し始めた。
「フリーシアさまがおっしゃるように、確かにラルフさまは素晴らしい成績で王立学校をご卒業なさいました。ランティス殿下からの信頼はとても厚く、殿下の従者としてのお役目を立派に果たされておられます。さらに、いずれは伯爵という位におつきなるわけですから、将来は明るいでしょう。しかしながら、それでも絶対ではありません。言い換えれば、ラルフさまほどの者はほかにもたくさんいるわけで、なんらか失敗があれば、簡単に今のお立場から転落してしまいます」
 転落と聞いてフリーシアの口元が引きつった。
「さらに、誰しも出世したいものですから、前を行く者や自らと並んでいる者を蹴落とそうとするものです。ラルフさまを追い落とそうと、虎視眈々こしたんたん狙っている者がいるのです」
 なんと!
「それは誰!?」
 フリーシアは声を抑えることもできずに叫んだ。
「わかりませんわ」
 えぇ!? わからないの? たった今、言い切ったくせに?
「どうして?」
「当然ではございませんか。わかっていたらとっくにこちらから先手必勝やっつけてしまいますわよ」
 そりゃそうだ。うんうん。
「友人の顔をして近づき、実は罠にはめようとしている者などもいるかもしれません。しかしながら、神でもない限り、先のことはわかりませんし、人の心は読めませんので注意するしかないのです」
 おっしゃる通りだ。
「ですがね、フリーシアさま。もしフリーシアさまが殿下に気に入られ、ご寵愛を得れば、ラルフさまは妃の実家の者として不動の地位を得られるのです」
「不動の地位!」
 フリーシアがこれでもかっ! というほど両眼を大きく見開いた。
「本当にっ!?」
「本当です。それが権力というものです」
 なんと!
 ビバ、権力!
「私が殿下に気に入られたら、お兄さまは安泰なのね!?」
「さようでございます。山のごとく重き存在となるでしょう」
 山のごとく!
 それはすごい!
 フリーシアの背筋がピンと伸びた。
「近日、国王陛下主催の舞踏会が開かれるとのこと。それがフリーシアさまの社交界デビューの場となりましょう。殿下にご挨拶の機会を得られた折は、お気に召していただけるよう、くれぐれも立ち居振る舞いにはご注意を。よろしいですね?」
「はいっ!」
 今度は跳ねあがるように立ちあがって起立した。それを見てマルタが、うんうんと満足げにうなずく。
「もうすぐラルフさまがお戻りのはずです。リビングでご両親さまがお待ちですわ。まいりましょう」
 促され、フリーシアはマルタについて歩き始めた。
(殿下に気に入っていただけたら、ラルフお兄様の将来は安泰)
 安泰、
 安泰、
 安泰……。
 フリーシアの脳内で〝安泰〟の言葉がこだましている。
(いくらお兄様を想っても、結ばれることはないわ。私にできることはお兄様が安泰な立場になられるように協力することぐらい。私が殿下に気に入られるだけで、お兄様が安泰になるのなら、それはそうするべきよ。だって、山のごとし安泰よ!)
 山のごとし、
 山のごとし、
 山のごとし……。
 フリーシアの脳内で今度は〝山のごとし〟の言葉がこだまし始めた。
(やるのよ、フリーシア。お兄様に喜んでいただける絶好のチャンスだわ!)
 うん、と一人勝手にうなずいているフリーシアであったが、そこではたっとあることに気がついた。
(気に入られるって、どうすればいいのかしら? お話し相手になればいい? でも、殿下はお忙しいと聞いているわ。ではお茶飲み友達? これもお忙しいなら難しいわよね。時間がないのだから。ではどういう……)
 そこまで考えて、またしてもはたっとあることに行きあたった。
(え……でも、あれは小説……作り話だわ。現実にはあるわけないわよ。でも……)
 でも、
 でも、
 でも──が、胸の内にて響き渡る。
(小説のようなお話が現実なら、マルタもミリアも、私に殿下の愛人になれって言っているということじゃない? そんなの……ムリ)
 ここで「殿下の正妃になれって言っている」と思わないところがフリーシアの良いところであり悪いところであった。
(えーっと、愛人はイヤよね。せめて……えーっと、頑張ってお願いしたら、恋人の一人くらいには加えていただけるのかしら)
 よく考えてみたら、愛人はあんまりだと思ったフリーシアの結論はここに至ったのであった。
「まったくフリーシアの百面相には笑わされる。お前は本当に空想の達人だねぇ」
「…………」
「あなたの言葉も届かないほどに」
「まったくだ」
 あはははははーーーっと明るい笑い声が広いリビングルームに響いた。そこでようやくフリーシアは我に返った。
「あっ、お父さま、お母さま、おはようございます」
「今頃、朝のあいさつをしているわ、この子は。本当におっとりしていて可愛いわねぇ」
「座っているだけで絵になるからねぇ」
 ここにラルフがいたら、露骨なため息とともに「親ばか」とつぶやいただろうが、当人はまだ馬上の人で、帰宅の途中であるためそんな芸当はできない。それゆえ能天気な伯爵夫妻にツッコミを入れる者はどこにもいなかった。
 しかしながら、このティルビオス伯爵夫妻、見た目はおっとりしていて「親ばか」爆裂であるが、実のところそうとは言いきれなかった。人は見かけで判断してはいけないものである。このとぼけた会話も、夫妻なりに計算してのことだ。
 フリーシアは自らの外見がほかと違っていることを気にしている。そのために親子ではないことを幼少の頃に話さねばならなかった。同時に夫妻は、フリーシアには亡くなった本当の両親へ、子としての愛を忘れないでほしいと強く願っている。そのためには適度な距離が必要だと考えていた。
 夫妻は「血のつながりなど関係なく我が子同然に愛しい、だから本当の親と思って慕ってほしい」という思いと、「不幸にして亡くなってしまった本当の両親への愛を忘れないでほしい」という思いの狭間で悩み、考え尽くした結果、微妙な距離を保つことにしたのだ。その微妙な距離こそが、「お前はフォーク男爵夫妻の可愛い忘れ形見であり、我々が手塩に掛けて育てた子である」という思いを肌で感じるように配慮した結果なのであった。
「フリーシア、聞いている?」
「……はい」
 一方、フリーシア。礼儀正しく返事をするものの、実際には困惑していた。この手のやりとりはいつものことで、なにも今日に限ったことではないのだが、座っているだけで絵になると言われて、「当然です!」とか「ありがとうございます! にこにこ」などと言って、胸を張るのは傲慢だし、「違います」と否定しても結局二人に押し切られてしまう。どう返事をすることがいいのか、いまだ正解には至っていなかった。
 とはいえ、毎々だとさすがにやりとりすること自体が〝面倒〟になってきているのだが。
 そんなフリーシアの耳にあわただしい足音が聞こえてきた。
(あ! お兄さまだわ!)
 と、思うと同時に勢いよく扉が開き、ラルフ・ティルビオスが入ってきた。
「ラルフ、おかえりなさい」
 夫人が立ちあがって出迎える。フリーシアもそれに倣って立ちあがり、軽く腰を落として淑女の挨拶をした。
「遅くなりました。出るときに面倒に捉まってしまって。あぁ、フリーシア、誕生日おめでとう! これでお前も立派な淑女だ。プレゼントを用意したんだ」
「ホント!? うれしいっ」
 ポケットから出された四角い箱を手渡され、フリーシアが慌てて中を確認する。そこにはすみれ色のペンダントトップがついたネックレスが収められていた。
「きれい! お兄さま、ありがとうございます!」
「喜んでもらえてよかった。実は紆余曲折した陛下主催の舞踏会が一週間後に決まったんだ。お前の社交界デビューになる。そこでつけてもらえたらと思ってね」
 準備? と小首をかしげているフリーシアに対し、横にいる夫人は目を丸くして頓狂な声をあげた。
「一週間後だなんて!」
「そうなのです。それで慌てていまして。そういうわけで、フリーシアのドレスを新調する際には、このペンダントを考慮していただきたいのですが」
「えぇえぇ! こうしてはいられないわ。すぐにお針子たちを集めなくては」
 夫人は叫ぶと駆け出し、まるで嵐のような勢いでリビングルームから去っていった。
「それにしても、またずいぶん急だな。なにかあったのか?」
 と、伯爵が問いかける。それに対し、ラルフは肩をすぼめた。
「それがわかったら苦労しませんよ。陛下も殿下ものらりくらりでなかなか調整しないと困っていたら、いきなり月内にするとおっしゃって、それで諸々の行事を加味すれば、一週間後になったという具合なんです。まったくなにを考えておられることやら。みな顔面蒼白ですよ」
 一人、国王陛下主催の舞踏会がそんなに大ごとなの? という顔をしているフリーシアにラルフは苦笑を向けた。
「フリーシアは事の重大さがわかっていないね。一国の元首が催す行事というのは国内外に影響を与える重要なことで、ここに手落ちがあってはいけない。準備や警護を完璧に行わねばならないんだ。体裁はもちろんだが、賑わいに紛れて刺客が紛れこむ場合があるからだ。ということはすべてにおいて時間が必要になる。そのもっとも大切な時間が、たったの一週間だなんて、もう関係者は全員戦々恐々だ」
「……そうなのですか」
「とにかく決まったのだから仕方がない。フリーシアにとっては社交界デビューの場となるわけだから、陛下はじめ対面する方々に無礼のないように気をつけるんだ。併せて、あらゆる社交の場は、結婚相手を見つける機会でもある。しっかり自分を売りこみ、よい相手を見つけ、気に入られること、いいね?」
 それは遠慮するわ、とは言えない。フリーシアは「はい」と可愛らしく返事をし、曖昧に微笑んだ。
(ラルフお兄さまがいいのだけど……)
 やや痩せ形だが、すらりと背が高く、漂う雰囲気から温厚な性格だと感じさせる。物腰は柔らかいし口調も穏やかだ。なによりも勉強が得意で物知り。王立学校を優秀な成績で卒業したという裏付けもあるので胸を張って言えることだ。フリーシアにとっては血のつながりがなくても自慢の兄だった。
 とはいえ、〝自慢の兄〟と言ってしまうと、胸に秘めている気持ちのやり場に困ってしまうのだが。
(好きなのに)
 けっして言えない。言えば我が子として育ててくれているティルビオス伯爵夫妻を裏切ってしまうし、妹として可愛がってくれているラルフ自身にも嫌悪されるかもしれない。
(嫌われては大変だわ。本末転倒)
 ということで、フリーシアにはティルビオス伯爵令嬢として生きるしかなかった。
(でも……)
 そうは決意してみても、ふと、自分に調子のいいことを考えてしまう。
(お兄さまと結婚したら、本当の娘になるわ)
 実ることのない願望を胸の中でつぶやき、フリーシアはそっと視線をそらした。
(お兄さまと結婚できないのなら、せめてお兄さまのためになる結婚を目指そう。それがマルタたちの言うような、殿下であれば最高というなら、殿下に気に入っていただけるように頑張ろう。お兄さまをなんとか安泰にしていただくのよ)
 フリーシアは思念に囚われ、すでにラルフと伯爵の会話から外れていた。そんな彼女の心が現実の世界に戻ってきたのは、伯爵がフリーシアの肩に手を置いたからだ。
「お父さま?」
「そんなに緊張しなくていい。陛下も殿下もお優しい方だ。仮にフリーシアが目の前でこけても笑って終わらせてしまわれる」
 こける?
「父さん、そのたとえはどうかな?」
 フリーシアがラルフに向けて、うんうん、とうなずく。
「どうとは?」
「こけたことを咎める者はいないと思いますよ。それよりもケガをしていないか心配するはずです」
 さすがラルフお兄さま! と叫びたくなるのを我慢する。そのためフリーシアの唇は波波波~~~の形になった。
「……あぁ、それはそうだねぇ」
 たははっと笑う伯爵に向け、ラルフが片側の肩をすぼめる。目は明らかに「いい加減にしろ、おっさん」と語っているものの、親に暴言は吐けないので、品行方正なラルフは微笑んでやり過ごした。
「父さんの能天気さにはいつも呆れさせられます。とにかく、フリーシアにとっては大事な社交界デビューの場です。我々も最善を尽くさねばなりません。僕は殿下のそばから離れられないので、父さん、どうか頼みましたよ」
「任せなさい。フリーシアが陛下の前でこけないようにちゃんと支えるから」
 ラルフの顔に一瞬ギリッと鋭い緊張が走ったが、すぐに微笑みに戻った。
 それに対し、育ての親である伯爵の様子をぼんやりと眺めているフリーシアは、一週間後の舞踏会は頑張らないと、と思っていた。
 ただ、今のフリーシアは、頑張らないといけないとは思っていても、具体的にどう頑張るべきかを教えてくれる者がいないので、それ以上のことはわからなかったのだが。

──ロードレス王国、宮中謁見の間。

 優雅な音楽が流れ、紳士淑女が歓談している舞踏会の会場が、その瞬間ざわめいた。彼らの視線はティルビオス伯爵夫妻とその娘に向けられている。
 フリーシアは思いもしない注目に口元を引きつらせ、青ざめた。
(注目されているわよね? 私を見ているわよね? どうして?)
 本人は気づいていないが、十七年前、フォーク男爵の屋敷が火事になり、悲惨な結果を迎えたことは誰もが知るところであるし、また忘れることのできない惨事であった。その男爵夫妻の忘れ形見が、親友であるティルビオス伯爵夫妻に引き取られたこともまたみなの知るところである。
 その娘が成人を迎え、社交界デビューとなった。注目されないほうがおかしい。さらにみなの視線を奪ったのはその容姿である。亡き男爵夫人の血を色濃く引いているフリーシアは、見事な金髪と、美しいすみれ色の瞳をしていて目立つことこの上ない。
 あちらこちらからボソボソと声が聞こえてくる。
「あの方ですのね。男爵夫人に似ておられるわ。とても麗しい」
「男爵夫人は異国の出ということもあって、とても目立ちましたものね。さっそく紳士諸君は目を奪われておりましてよ」
「本当に。あの中の誰がお心を射止めるのかしら」
 また別のところでは──。
「もう十七年も経つとは。月日の経つのは早いものですなぁ」
「あれは相当なことでしたからねぇ。夜の失火とあってほとんどの者が助からなかった」
「付け火という噂もありましたが、結局、原因がわからずじまいで」
「それにしても、男爵夫妻の忘れ形見である息女がりっぱに成長なされてよかったですな」
「本当に夫人に似られて美しい」
 そしてまたほかの場所にいる若い男女では──。
「外国の血が入っているので容姿がとても麗しいと聞き、今日を楽しみにしていましたが……これは無理でしょうね」
「同感です。一目見てあきらめました」
「あら、アプローチする前にあきらめてしまわれるの?」
「男らしくなくてよ?」
「いやいや、ご覧になればわかるでしょう。きっと殿下の目に留まりますよ」
「そうそう。しかも彼女の兄は、あのラルフ・ティルビオスですよ。親友の妹であの容姿なら、きっと妃候補になさるはずだ。そんな方に声をかけて赤っ恥をかくのはご免です」
「それは確かに」
「アプローチは殿下の様子次第ですね」
 フリーシアの耳には話の内容までは届かない。しかしながら視線は間違いなくこちらに向けられているので、自分のことを話していることはわかる。その会話の内容が猛烈に気になった。
(不細工とか?)
 チラリと右を見る。
(ドレスが似合っていないとか?)
 チラリと左を見る。
(ちっちゃいとか?)
 身長のことである。
 目の前を歩く育ての父は背が高いと思う。そしてその隣に立つ夫人も背が高い。そういう二人なので、息子であるラルフも当然ながら長身だった。それにくらべて自分は、というと、普通であった。しかしながら細いので実際よりも小さく見える。血がつながっていないので似ていなくて当然で、似ているほうが変である。そうなると、フリーシアの生い立ちが有名であることはラッキーと思えた。でなければ、なぜフリーシアだけ外見が違うんだ? と噂になるだろうが、知れ渡っているおかげでなにも勘ぐられることはない。
 とはいえ、伯爵夫妻が頻々ひんぴんと「ちっちゃくて可愛い」と言うものだから、フリーシアは自分が〝ちっちゃい〟と思いこんでいた。
(私は小さくて見栄えが悪いのだわ。だから笑われるのよ)
 しょぼん。
 人知れずうなだれていると、腕をツンツンと突かれた。
「あっ」
「フリーシア、これから陛下にごあいさつするのよ。顔をあげて」
「はい、すみません」
 声を殺して注意する伯爵夫人に謝り、フリーシアはなるべく胸を張るように心がける。小柄が少しでもマシになるように。……本当は小柄ではないのだが。
(でも……)
 ロイヤルファミリーが鎮座する場所まで続く赤い絨毯の上を進み、順番が回ってくるのを待っている間の周囲からの視線がやたらめったら痛かった。
(あぁん、早くここから解放されたいっ)
 ここは耐え忍ぶしかない。待つ以外に手段がないのだから、ただひたすら待つのみ。待つだけなら不器用でどんくさいフリーシアにだって任務遂行可能だ。というわけで、フリーシアはぎゅっと左右それぞれの手を握りしめて順番を待っていた。
 そうこうしているうちにようやく前から人が消えた。国王と王妃、王太子とそのほかの王子や王女を前にして伯爵があいさつを述べる。そして伯爵が成人を迎えたフリーシアの紹介を始めた。
「おぉ、こちらがそうか。めでたいな、フリーシア嬢。おめでとう」
 はい、国王陛下、ありがとうございます。お祝いのお言葉、まことにありがとうございます──と言わねばならないのに、体が動かない。そして口も。そればかりかカタカタと歯がかちあって小さな音を発しているし、動かない体は痙攣けいれんしているかのように小刻みに震えている。喉はカラカラで、嫌な汗がにじんでくる。
「フリーシア」
 隣で伯爵夫人が小さな声で名前を呼んでいる。わかってはいるが体がまったく動かないのだからどうしようもできない。
 どうしよう──という心の声さえ発生せず、フリーシアは完全に真っ白になっていた。
「フリーシア」
 もう一度、伯爵夫人が名前を呼んだ。
(あぁ、もう、だめ……)
 気が遠くなりかけたそこへ──。
「陛下、申し訳ございません。見ての通り、妹は緊張で完全に硬直しております。代わってわたくしがお礼を申しあげさせていただきます。陛下からの祝いの言葉、恐悦至極きようえつしごくに存じます」
 ラルフは王子たちが座っている席の後ろに立っていた。王座からは斜め前の位置になるが、そこから礼を述べたのだ。
 お兄さま!
 と、叫びそうになったが、ぐっとこらえた。そのおかげでフリーシアは緊張の呪縛から解放された。
「国王陛下、王妃さま、みなさま、成人のお祝いのお言葉を頂戴いたしまして、心より感謝申しあげます。フリーシア・ティルビオスでございます。今後は我が国ロードレス王国の繁栄に貢献できますよう、心をこめてお仕え申しあげます」
 言いつつ、ドレスの端を摘み、わずかに腰を落として淑女の礼をした。
「それは心強い。期待しておるぞ」
 フリーシアはもう一度淑女の礼をすると、チラリとラルフをみやった。
(お兄さま!)
 ラルフが、うんうん、とうなずいている。よくできたというジェスチャーにフリーシアはホッと胸を撫でおろした。
(あぁ、よかったわ。無事に終えることができた。お兄さまのおかげだわ)
 よかったよかったと心の中で繰り返す。
 あいさつを終えたらすぐに退く。そこから先はほかの者たちに交じって歓談となる。フリーシアは伯爵夫妻のあとについて歩いた。
 誰かと会話を交わすたびにあいさつをする。何十回と繰り返していくうちにだんだん腰が痛くなってきた。さらにもう誰が誰かさっぱりわからない。
 そうなってくると──。
(帰りたい)
 とたんに弱音を吐いてしまうフリーシアである。

※この続きは製品版でお楽しみください。

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