【試し読み】おじさま辺境伯の甘やかな困惑~若奥様は濃密ロマンスがお好き!~
あらすじ
「今夜からよろしくお願い致します、御主人様」──とある事情から男装で過ごし、おてんばに育った公爵令嬢ブランカ。ある日、父親から縁談をもちかけられるが、その相手は初恋の人・辺境伯クリストフだった。このブランカの結婚話を喜ぶ親友から贈られたのは、魅惑的なランジェリーと……濃密なロマンス小説! ブランカはめくるめく愛欲の世界に浸り妄想を膨らませ、初夜を迎え……。若き花嫁の積極性に、おじさまのクリストフは戸惑って……!? そんな折、ブランカお手製の白粉に興味を持つ人物が現れ、クリストフは心を乱される――。妄想暴走系若奥様とあくまで大人な旦那様による、エロティックな年の差新婚物語。
登場人物
男装の令嬢としておてんばに育つ。結婚が決まり、お祝いとしてもらったロマンス小説で大人の世界に触れる。
偏屈で変わり者と噂されるが、知的な雰囲気の紳士。ブランカの積極的で大胆な言動に戸惑う。
試し読み
プロローグ
その少女が生まれたとき、周囲の者はみな、驚きのあまり目を見開いた。
──ああ、恐ろしい。
──それに、女の子だなんて。
小さく愛らしい赤子だ。透きとおるような白い肌に、柔らかい赤毛。まだくしゃくしゃな顔を歪めて、一生懸命に泣いている。上質な産着から覗くその胸には、青黒い痣があった。ハートマークを歪めたような、まがまがしいその形。
──ああ、これではまるで、黒山羊の頭のようだ。こんなに愛らしいのに……。
──悪魔は無垢な少女を狙うと言われている。こんなに可愛い子なら、きっと、狙われてしまうだろう。
周りを囲む家族が、溜め息を吐きながらそう言った。
──そうだ、それなら名案がある。
少女の父親が、一つの案を閃いた。
悲嘆に暮れる家族の前で、こう宣言をする。
──この子は、男の子として育てよう。
第一章 おてんば男装令嬢の婚約
1
馬に跨がり、ブランカは屋敷の裏手に広がる草地を走っていた。
ウェーブのかかったショートカットの赤毛に、緑色の瞳。きめ細かな肌には、ほんの少しそばかすがある。平均より小柄な背丈に、棒のような華奢な手足。男の子用の上下の乗馬着にブーツ。遠くから見れば、誰もがブランカを少年だと思うだろう。
(うん、今日も風が心地良いわ)
ブランカは公爵家の末娘として生まれた。二人の兄と一人の姉がいる。貴族の子息らしい兄や姉たちと比べると、周囲でもおてんばと評判である。そう言われるのには理由があった。
ブランカは、常に男の子の格好をして過ごしているのだ。それは胸にある生まれつきの痣が、悪魔が好むと伝えられる黒山羊の頭部の形をしているからである。
──あなたがさらわれたら、家族はとても悲しむわ。
母親はそう言って、ブランカに男装をさせ、馬術や剣術など、男の子のたしなみを学ばせた。
(でも、私にはそれがぴったりだったわね。体を動かすのは大好きだもの)
手綱を引き締めて、ブランカはふふん、と鼻歌を口ずさむのだった。
新緑の萌える季節。よく晴れた空の青と、芝生の緑のコントラストが目に鮮やかだ。
(このままもっと、加速していけるかしら)
ブランカは野原を駆け回るのが好きで、乗馬も得意としていた。といっても、小柄なので乗るときは注意をしなければならない。
いつもは兄と同い年の従者が一緒だった。けれど今日は彼が寝込んでしまい、初めて一人で乗馬することになったのだ。ちなみに、正直に話すとしこたま怒られるので、従者には絶対の秘密だ。
(ああ、私はなんて自由なのかしら)
貴族の子息の日常には、なにかと制約も多い。
家庭教師が毎日屋敷にやってきて、口うるさく言われたりもする。
誰の目からも自由な瞬間を噛みしめて、ブランカは一人、上機嫌なのだった。
(よし、もっともっと行くわ!)
手綱を引いて、ブランカは方向転換をしようとした。
そのときだった。
──グラッ。
視界が急に、ぐるんと回る。
──ドサッ。
ブランカは姿勢を崩し、そのまま長く伸びた草の上に体を放り出されたのだった。
(な、なにっ……)
状況が理解できず、辺りを見渡す。
主を失った馬が、キョロキョロと辺りを見渡している。
(い、いたたっ)
ブランカはどうやら右足首を挫いたようだ。
掌で摩ると、じんわりと肌に痛みが広がる。
(ああ、どうしよう)
屋敷までは、徒歩で十分以上はかかるだろう。
この状態では、そんなに歩けるわけもない。
しかも、馬に乗ることを従者に黙って出てきたのだ。
(屋敷に戻ったら怒られてしまうわ……きちんと戻れたら、の話だけれど……)
急に不安に襲われて、ブランカは泣きそうになる。
こんなつもりではなかった。自分はただ、のびのびと馬に乗りたかっただけなのに。
(どうしよう……)
落ち込んだブランカの耳に、聞き慣れない音が届いた。
──ザッ……ザッ……。
馬が草地を走る音だ。先ほどまでのブランカと同じように、誰かがこの側を走っているのだ。
「あれ、こんなところに馬がいる……おい、誰かいるのか?」
低く落ち着いた声が、ブランカの方向へ向けて投げかけられた。
「はいっ、ここに。ここにいます! 助けてください!」
ブランカはなるべく大きな声で、姿の見えない相手へ向け返事をした。
「今すぐに行く。怪我はないか?」
バサッ、と音がした。どうやら声の主が馬を下りたようだ。
草をかき分け、ようやくその姿が見える。
(まぁ、素敵!)
目の前にいたのは、背の高い青年だった。流れるようなプラチナブロンドの髪に、深い青色の瞳。がっしりとした体躯には、しっかりと筋肉が付いている。
「怪我はしていないか……あれ? 君は、女の子なのか?」
ブランカは少年用の馬具と乗馬着を身に着けていた。それなのにどうみても少女のような華奢な体型をしているものだから、相手の青年は面食らったようである。
「はい、申し訳ありません。女の子らしくないと、よく言われます」
「別に責めているわけではない。馬に乗るのに男も女も関係ないからな。ただ、足を挫いているようだね……君の体力では、自力で屋敷に戻るのは辛いだろう。私が通りがかったのが、不幸中の幸いだったよ」
「……あなたの仰る通りですわ。私も途方に暮れていたところです」
声の主がブランカを抱き上げた。
されるがまま、ブランカは彼に体を預ける。
「馬はその先の木につないでおこう。君は僕にしっかりと掴まって。このまま屋敷まで送っていくから」
「ありがとうございます」
「ところで、君、名前は? 僕はクリストフというんだ。国境の領地に住んでいるのだが、仕事で公爵を訪ねてきたんだ」
クリストフと名乗った青年は、ブランカを抱き締めながら、そう問うた。
逞しい腕がブランカを包むと、温かな体温がブランカにまで伝わってくる。
「ブランカです。公爵家の末娘です」
「そうか、君のお父様には良くしてもらっているよ。よろしく、ブランカ」
ニコリと笑うと、唇から白い歯が覗く。
ブランカの胸が、ドキリと高鳴った。
(ああ、なんて素敵な方なの……!)
ブランカ十二歳。思えばこれが、初恋なのであった。
2
家族に大切に育てられて、ブランカは十八歳になった。
その日、ブランカは幼馴染みの親友・カテリーナの屋敷で、ドレスの仕立てに立ち会っていた。カテリーナは黒髪に薄茶色の瞳を持つ、すらりとした体型の美人だ。同い年なのにしっかり者で頼れる、ブランカのお姉さん的な存在である。
「ブランカ。今日はありがとう。ぜひあなたの忌憚のない意見を聞かせてほしいわ」
「もちろんよ。カテリーナは背が高いから、大人っぽいデザインも似合いそうね」
カテリーナは男爵家の長男と婚約し、数ヶ月後に結婚式を控えている。彼女は結婚式で身に着けるドレスの色やデザインを、ブランカにも相談したいと頼んできたのだ。
本来の彼女の好みである青や紫などの濃い色のマーメイドラインにするか、可愛らしい印象の裾が広がったドレスにするか、決めかねているようである。
目の前に広げられた色とりどりのドレスに、ブランカはうっとりと目を細める。
「わぁ、素敵ね。カテリーナにはどれも似合うと思うわ。きっと美しくて幸せな花嫁になるのでしょうね」
「ありがとう、ブランカ。彼は私に尽くしてくれるの。一昨日だって、大きな花束を抱えて私に会いに来てくれたのよ。きっと幸せになれるわ」
婚約者はカテリーナのことが大好きで、暇があれば彼女に会いに来るのだそうだ。
のろけ話を聞かされるのは、一度や二度ではない。
「良かった。……でも、ねぇ、カテリーナ。あなたは不安じゃないの?」
すると、心配そうな表情のブランカの肩に手を置き、そっと語りかけた。
「もちろん、不安もあるわ。親元を離れるのは初めてだもの。けれどそれ以上に、私は新しい生活への期待で胸がいっぱいなの。きっとあなたも結婚することになったら、私の気持ちが分かるはずよ」
「……そうかしら?」
ブランカは十八歳になったというのに、まだ結婚が決まっていなかった。貴族の令嬢は十六歳頃から結婚相手を探し始めるのが常だ。周りの友人たちはすでに家庭を持ち、残るはカテリーナとブランカのみである。そして結婚に興味のなかったカテリーナまで、ついに婚約の運びとなった。
初恋の相手であるクリストフのような男性との出会いを夢見ることもあったが、現実はそんなに上手くはいかない。
「ええ、間違いないわ。約束する」
自信を持て、と言い聞かせるように、カテリーナはブランカの手を取った。
「でも、私、あなたのように魅力的ではないのよ」
ブランカは不安のあまり、しゅん、と下を向く。
数年前に、ブランカは社交界デビューした。父親が一流の仕立屋に作らせたドレスに、煌びやかなアクセサリーで着飾って、喜び勇んで舞踏会へ行った。
けれど……。
そのときのことを思い出すと、気落ちするばかりである。
「胸の痣のこと? 気に病むのは理解できるわ。けれど、実際のところ、殿方はそんなには気にしないと思うわ。大切なのは、あなたのその性格よ。それは私のお墨付き。自信を持って」
ブランカは胸の痣を、舞踏会で他の令嬢に見られてしまったのだ。
なるべく露出の少ないドレスを着て行ったものの、昨今の流行は胸元の大きく開いたドレスである。隙間からちらりと覗いた黒山羊のような痣に、令嬢たちは眉をひそめ、陰でコソコソと話をしていた。
(直接何かを言われるようなことはなかったけれど、みんなきっと、驚いていたわよね)
それ以来ブランカは、どうしても人前に出なければならない機会を除いては、もとの気楽な男装や、飾り気のないワンピースなどを着て過ごしている。
「私にも、良いところがあるかしら」
「たくさんあるわよ。おっちょこちょいなところとか、負けん気の強いところとか……」
「もう、カテリーナったら! それ、褒め言葉じゃないわよ!」
饒舌に語るカテリーナをいなすように、ブランカは笑った。
「あらあら、ごめんなさい。でもとにかくね、私はあなたの飾らない素直な性格が素敵だと思うわ。そしてきっと、未来の結婚相手も、あなたのそういうところを気に入るはずよ。自信を持って」
「……ありがとう。カテリーナも案外、良いことを言うのね」
「こう見えて、私はいつもあなたに、冷静かつ的確な助言をしているつもりよ」
ブランカの額をコツンと軽く叩いて、カテリーナは言った。
「あはは。そうでした。ありがとうございます、カテリーナお姉様」
「もう、ブランカったら。いつから私があなたの姉になったの。というか私たち、同い年じゃない! そういう年上扱い、止めてくださらない?」
カテリーナは頬を膨らませてブランカの肩を叩く。
「あはは。ごめんごめん、カテリーナ、愛してる!」
おどけた調子で、ブランカはカテリーナに抱きついた。
「もう、ブランカったら!」
二人は顔を見合わせて笑い合い、そしてまたドレス選びに戻るのだった。
※この続きは製品版でお楽しみください。