【試し読み】ハワード夫婦の蜜月事情~きまじめ夫は年下妻の誘惑に我慢の限界です!~
あらすじ
「私を縛ってください!」「縛っ……!?」騎士クリス・ハワードの妻シルフィは、新婚初夜の直前、寝室でえっちな小説を見つけ、まじめな夫の隠れた性癖――緊縛好きであることに気づいてしまった! それなのに、シルフィを押し倒したクリスは、あくまで丁寧に触れてきて縄を持ち出すそぶりもない。それを見たシルフィはピンとくる。――クリスさまは、私を縛る気がないんだわ……! 年下の妻に遠慮していると理解したシルフィは、我慢させたくない一心で『縛ってほしい』と願い出て――「君を、酷く乱暴に抱いてしまいそうになる」勘違いから始まるちょっぴり過激で初々しい夫婦の新婚ラブコメ!
登場人物
国内有数の資産家令嬢。新婚初夜、寝室で見つけた本により夫・クリスの隠れた性癖を知ってしまう。
辺境伯家三男。容姿端麗で優秀な近衛騎士。妻の〝お願い〟を叶えるべく奮闘するが…
試し読み
1章
その日、シルフィは間違いなく、世界で一番幸せな花嫁だった。
教会の高い位置から差しこむステンドグラスの明かりが、荘厳たる堂内に降り注いでいる。
祭壇の前に立ち、その煌めく光の粒を浴びながら、シルフィはそっと視線だけを隣に向けた。
そこでは白を基調とした騎士の儀礼服に身を包んだ青年が、凜とした佇まいで正面を見つめている。シルフィは彼の端正な横顔を見上げながら、心の中でそっと名前を呼んだ。
──クリスさま。
すると、それまで微動だにせず司祭の言葉を聞いていたクリスが、ふとこちらに目線を向けた。パチッと音を立てるように視線がぶつかる。驚いたシルフィが思わず頬を染めると同時、彼の口元がふっと綻んだ。
『シルフィ』
薄い唇が僅かに動く。声は無かったけれど、それが自分の名前を呼んだものだと、シルフィにははっきりと分かった。
心臓がバクバクと煩い。シルフィは慌てて視線を自分の足元に戻しながら、茶褐色の睫毛を喜びに震わせた。
クリス・ハワード。
それが今日、シルフィの夫になる男性の名前だ。
年は、シルフィより六つ上の二十五歳。この国の辺境地を守るハワード辺境伯の三男で、彼自身は王都に身を置き、近衛騎士団に属している。
この近衛騎士団というのがとても凄い人たちで、彼らは纏う騎士服の色から『白き騎士たち』と呼ばれ、圧倒的な強さと厚い忠誠心は広く国内外に轟き渡っている。
白き騎士に選ばれるのは大変な栄誉であり、貴族らは皆こぞって子供に騎士になるための教育を施すが、目的を達成することができるのはその内の一握りにも満たない者だけだ。
クリスはその近衛騎士団になんと弱冠十八歳にして選ばれ、功績を重ねていまでは団長の右腕とまで呼ばれている。
容姿も非常に整っていて、首筋にかかる長さの黒い髪に、涼しげな青い瞳はいかにも冴え冴えとしているし、背はすらりと高く、姿勢もその実直な性格を映したように美しい。
まさに非の付け所のない男性で、ここ数年の社交界は、どんな女性が彼の隣を射止めるのかという話題で持ちきりだった。
では実際に彼を射止めた自分がどんな女性であるかと考えると──、シルフィは少しばかり肩身の狭い気持ちになるのだった。
シルフィの生まれたルーカス伯爵家は、幾つかの事業で財を成した、国内でも指折りの資産家だ。ハワード辺境伯家は確かに立派だが、ルーカス伯爵家が劣っているということはなく、家格としてはそれなりに釣り合いの取れた婚礼だと言える。
問題はシルフィ自身──、シルフィの容姿が、際だって平々凡々であることだった。
シルフィは色白で、目もパチッとして大きく、唇は小さくてぷっくりとしている。だが鼻がちょこんと低めなので、どうしたって印象が地味に見えてしまうのだ。
何よりシルフィの髪は淡い栗色で、瞳は榛色をしている。金色の巻き毛と青い瞳が美人の条件と言われる今の社交界において、シルフィはまずその段階で落第なのだった。
事実シルフィはこれまで、美しいとか可憐だという言葉より、愛嬌があるとか、元気があるとか、そういう褒め言葉を掛けられた数の方がずっと多かった。
背も同世代の女性と比べて低い方なので、彼の隣に立つとどうしたって見劣りしてしまう。
──でも、クリスさまは私と結婚したいと言ってくださったんだもの。
シルフィはしおしおと小さくなりそうな肩に力を込めて、大きく胸を張った。
この結婚は、親同士が決めたことではない。
ハワード家とルーカス家は元々仲が良く、付き合いも深かったけれど、互いの両親は二人を結びつけようとは全くしなかった。ちょっとぐらいしてくれても、とシルフィが思っても、そんな話題は両親たちの間でこれっぽっちも出なかった。特にルーカス伯爵は、将来有望で、先は公爵家に婿入りかとまで言われていたクリスに、自分の娘を押しつけようとは夢にも思わなかったのだった。
つまりこの結婚は間違いなく二人が望んだことであり、シルフィの気持ちを、クリスが受け入れてくれた結果なのだ。だからシルフィは『こんな自分が』なんて絶対に思わないし、彼を幸せにできるのは自分だけだと信じている。
「誓います」
ふと、隣からクリスの声が聞こえた。低すぎない、耳に心地良い声音だ。
シルフィは、司祭の言葉が終わり自分たちの宣誓する番になったのだと気付いて、慌てて「誓います」と続けた。緊張から少し声が上擦ったけれど、クリスがそっと手を握って励ましてくれたので、シルフィはすぐに落ち着いた気持ちになる事ができた。
そのまま、司祭に促されて互いに向かいあう。彼の澄んだ青い瞳のなかに映るのは、うっとりとした表情を浮かべる自分の姿ただ一つだけ。纏めた栗色の髪にティアラを載せ、華やかな婚礼ドレスに身を包み、嬉しそうに頬を染めた、世界で一番幸福なシルフィの姿だけだ。
「シルフィ」
今度こそしっかりと名前を呼ばれ、シルフィは睫毛を震わせながら目を閉じた。
少しして唇に柔らかな感触があり、教会はそれまでの静けさを打ち払うように大拍手に包まれたのだった。
結婚式を終えた二人が帰ってきたのは、王城にほど近い場所にある新居だった。
二人の住まいについては両家の間で色々と意見があったが、毎日登城するクリスの負担が少なくなるように、ここを購入することになったのだ。
互いの実家に比べれば小さいが、クリスが城勤めであることを考えると立派すぎるほどのお屋敷だし、庭も広くシルフィはとても気に入っている。何より、これからは自分がこの家の女主人になるのだと思うと、誇らしく、また少し浮かれた気持ちになるのだった。
そして夜──。
シルフィは新居の寝室で一人、そわそわと落ち着きなく過ごしていた。
放っておくとだらしなく下がってくる頬を両手で支えながら、ベッドに座ったり、立ち上がったり、時折「きゃっ」と声を上げてベッドでのたうち回ったり。そんなことを、飽きずにもう半刻は繰り返している。
淑女としては少々みっともないが、今日ぐらいは仕方がないと誰もが納得するはずだ。
なぜならシルフィは、これからクリスとの初夜を迎えるのだから。
──クリスさま、まだかしら……。
所用で少し遅くなるとは聞いていたが、まだかかるのだろうか。それなりに楽しく時間をつぶしていたが、さすがにはしゃぎ疲れてきた。
シルフィはごろんとベッドに転がると、期待と、少しの不安をこめて寝室を見渡した。
目に映る全てのものに馴染みがなく、まだどこか他人の家にいるような気がする。
家具もまだ必要最低限のものしか揃っていない。クリスは、これから少しずつ気に入ったものを置いていけば良いと言っていた。そうしていく内に、この寝室にも馴染みを覚えていくのかもしれない。
そこまで考えた所で、シルフィはふと、新しい暇つぶしを思いついてベッドを降りた。
部屋を歩き回り、どんな家具や調度品を置くのがいいか考えてみることにしたのだ。あの壁にはどんな絵を飾ろうか、窓際に何の花を置こうか。クリスは華美なものを好まないから、できるだけ落ち着いたインテリアにしたい。
そうやって部屋を見渡しながら想像を膨らませていると、どんどんと気持ちも盛り上がってきた。きょろきょろと忙しく辺りを見渡し、あれこれ考えては笑みを漏らす。その途中で姿鏡に目を留めると、シルフィは軽く身支度を直した。
軽く波打つ栗色の髪を整え、前開きになっている寝衣のリボンの位置を直す。
それでもまだクリスが来ないので、シルフィはとうとう、部屋にあるクローゼットや棚を片っ端から開けていくことにした。
クローゼットにはどれぐらいの衣装が入るか、棚には何をしまおうか。空想しながら棚を開いていき、最後にベッド脇の小棚の前に立つ。
シルフィが気分良くその小棚を引き出すと、空だと思っていたそこには、一冊の本がしまわれていた。
「……これは?」
革の装丁の分厚い本だ。ここにあるということは、クリスのものだろう。
クリスはそれまでの住まいを引き払う兼ね合いで、シルフィより一足先にここに住み始めていたので、読みかけの本が置かれていてもおかしくはない。
シルフィは何気なくその本を手に取った。自分に見られて困る物を、クリスが二人の寝室に置くことはないだろう。ちょうど部屋の棚を全部開け終えたタイミングだったので、シルフィは新たな暇つぶしにと本をめくり始めた。
意外にも、最初の一項目に描かれていたのは、男女が口づけをしている絵だった。
「まあ……、恋愛小説かしら?」
シルフィはぽっと頬を赤らめた。
自分が知るクリスは仕事一筋のとても真面目な人で、結婚前も、恋愛にはあまり興味がなさそうだった。
そんな彼が、一体どんな恋愛小説を読むというのだろう。
さらに興味を引かれ、パラパラと項をめくってみて──、次の挿絵が目に入った瞬間、シルフィはパタッ! と勢いよく両手で本を閉じた。
──縛っ……!
見えたのは一瞬だったけれど、そこに描かれていたのは間違いなく女性が縛られている絵だった。しかも裸で。とんでもなくあられもない格好で。
いま自分が見たものが信じられず、シルフィは呆然として本の表紙を見下ろした。
──いやいや。……いやいや。
頭のなかに、クリスの涼やかで凜々しい顔が浮かび上がってくる。
自分は子供のころからずっとクリスに付き纏ってきたが、彼はいつだって紳士だったし、実はそんな趣味があっただなんてとても信じられない。
きっと、何かを見間違えたにきまっている。
シルフィは自分にそう言い聞かせると、もう一度、震える手で本をめくり始めた。今度は一項ずつ、丁寧に読み進めていく。そしてその度に、シルフィの顔は青ざめていった。
──嘘……。
その本は、紛れもなく官能小説だった。
それも女性を縛り、あらゆる方法で辱め、虐めぬく方法が書かれた小説だ。
シルフィは貴族の娘だが、家が事業をしていた関係から庶民の友達も多く、それなりに耳年増だった。なので世の中にはそういう趣向を好む男性が少なからずいることは知っている。
まさかクリスがとは思うが、「この人に限って」というのが危険だというのも聞いたことがあった。
「シルフィ」
ちょうどその時、寝室の扉の向こうからクリスの声が聞こえ、シルフィは思わずその場に飛び上がった。両手でわたわたと本を閉じ、慌てて元の場所にしまう。
それから返事をすると、クリスがそっと扉を開けて寝室に入ってきた。
「待たせてしまい、申し訳ありません。どうしても今日中に目を通しておきたい書類があって……、どうかしましたか?」
丁寧に謝罪を述べていたクリスが、ベッド脇で凍り付いたように立ち尽くすシルフィを見て首を傾げた。
「い、いえ……!」
シルフィは声をひっくり返した。
あれほど夫を待ちわびていたが、いまは一旦落ち着く時間が欲しかった。
するとクリスはどう思ったのか、ふっと口元に笑みを浮かべてシルフィに歩み寄った。
「緊張している……?」
訊ねられて、シルフィは大きく頷いた。
「は、……はい!」
それはもう、いろんな意味で。
※この続きは製品版でお楽しみください。