【試し読み】型破り令嬢は婚約破棄したい!~冷静沈着な騎士を恋に落とす甘い一撃~

作家:小山内慧夢
イラスト:駒田ハチ
レーベル:夢中文庫プランセ
発売日:2022/5/24
販売価格:600円
あらすじ

わたくしが天誅食らわせてやる!──前世の記憶を持つリースベットは、少々型破りながらも勇ましく正義感に溢れる伯爵令嬢。彼女は親しい令嬢が傷つけられたと聞き、義侠心を燃やす。勢いよく鉄拳制裁を浴びせたその相手は、眉目秀麗で紳士の中の紳士と名高い近衛騎士マリウス。しかしそれは早とちりで!? その経緯を面白がる国王に命じられふたりは婚約するが、マリウスは不本意だろうと後ろめたさを感じるリースベット。一方、貴族女性には珍しく感情を露わにするリースベットに心を奪われていくマリウス。「……君は罪深い」 どんな彼女も自分が独占したいマリウスは、初心なリースベットを溺愛するようになって!?

登場人物
リースベット
前世の記憶を持つ伯爵令嬢。正義感が強く、友人を傷つけた相手を懲らしめようとするが…
マリウス
国王の警護をする近衛騎士。眉目秀麗で誠実な青年だが、リースベットの勘違いにより殴られる。
試し読み

1・間違えました!

 先手必勝だ。
 年の離れた兄はそう言うとわたしの小さな手のひらにメリケンサックを握らせた。ギラギラとしてしっかりとした重量感のあるそれは、持っただけで強くなったような気がして胸がどきどきと高鳴った。
「お前にゃちょっと大きいな。サイズが合うようになるまでは石を握っとけ」
「石?」
 メリケンサックとその辺の石との共通点が見つけられず、わたしは首を傾げた。兄はいわゆるヤンキー座りになると落ちていた小石を拾い上げ、手のひらを握ったり開いたりする。
「殴るときは拳を作るよな? こうやってぎゅっと握って。でも握りこんで殴ると指を痛めるんだ」
 人を拳で殴ったことのないわたしはいまいちピンと来なくて首を反対方向に傾げる。
「難しいことはいいから、まあ、とりあえず殴るときは石とか握っとけってことだ。殺傷能力を上げるなら鍵を握ってこうして指の間から……」
 どんどん物騒になる兄の喧嘩講義を当時のわたしは真面目に聞いていた。クラスの男子から女のくせにでしゃばるな、と目の敵にされていたため反撃方法を会得したかったからだ。
 その日もくだんの男子が同じクラスの女子を泣かせていたので注意したところ、突き飛ばされ膝を擦りむいた。その傷を見咎めた兄が喧嘩の仕方を伝授してくれたというわけだ。
 やんちゃな兄ではあったがわたしを可愛がってくれたことはよく覚えている。
 女のくせに、と言われるのがとても嫌だった。しかし能力とは別のところでどうしても越えられない壁が確かに存在していた。学校でも仕事でも家庭でも。
 結局それを打破することは出来なかったが、恐らくそんな気持ちはわたしの魂にしっかりと刻み込まれたのだろう。泣き寝入りはしたくない。言うべきことはきちんと言わねばならない。言い続けることでいつか世界が変わるかもしれない。
 そう思うことは間違いではないだろうが、しかしわたしは失敗してしまった。

 華やいだ夜会のメインホールはまばゆい照明で煌々と照らされている。参加しているのはデビュタントを終えたばかりの初々しい令嬢から妖艶な雰囲気の妙齢女性まで参加者はさまざまだ。
 婦女子のドレスや宝石類に照明が反射して、まるで夢のような光景が広がっている。しかしまばゆい光があたるところには、濃い影が生まれる。
 明かりの乏しいバルコニーでは一組の男女がもみ合って、なにやら小さな諍いが生まれようとしていた。しかしその気配はメインホールで楽団が奏でる陽気な音楽に紛れてしまい、人気ひとけがないバルコニーは死角になっているようだった。
 男性に手を掴まれた令嬢はそれを振り払おうと試みるがびくともしない。その様子を見て男性は薄く笑った。身なりはいいがその人を小馬鹿にしたような表情が、彼の為人ひととなりを表していた。
「なにも取って食おうと言っているのではない。少し庭を散歩しないかと言っているのだ」
「申し訳ありません、気分が優れないので散歩はご遠慮申し上げます。手を離していただけますか」
 毅然とした態度で断る令嬢には気分が優れない様子も、男性に媚びを売る様子もない。いつもの手が通じず、男性は焦れたように声を荒らげた。
「いいから来いと言っているだろう! 女が男の言うことに楯突くんじゃない!」
 男性が強引に腕を引くと、令嬢の体勢が崩れ、艶やかな黒髪が乱れた。あわれ令嬢はその可憐な唇から小さな悲鳴をあげ……ず、美しくカールしたまつ毛に縁どられた冬の空のような灰青色の瞳で男性を睨みつける。その様子にぎょっとした男性をよそに空いたほうの手でドレスの裾を華麗にさばくと令嬢は大きく一歩踏み出す。そして小鳥の背ほどの高さがあるヒールで男性の磨き抜かれた革靴をおもいっきり踏みつけた。
「ぎゃ……っ!」
 足の甲は急所のひとつだ。尻尾を踏まれた犬のようなくぐもった声がして、男性が令嬢から手を離した。その勢いで尻もちまでついて再び「ぎゃ!」と声があがる。見ると踏まれた足を両手でつかんで痛みに耐えている。
「あら、ごめんあそばせ。でもあなたが急に手を引くから体勢を崩してしまったのよ? これからは淑女のエスコートの仕方を勉強してから夜会に参加されることをお勧めいたしますわ……では、わたくしは失礼します」
 令嬢はお手本のようなカーテシーを披露するときびすを返す。その姿には男性に対して気持ちが残っている様子は一片もなかった。
 ガラスの扉を開けてメインホールに戻る令嬢がもしその時振り向いていたら一部始終を見られていたことに気付いただろう。しかし一切の心残りがない堂々とした歩みの令嬢が振り向く気配は皆無だった。
「なんと、勇ましい令嬢もいたものだ」
 今まさに二人の間に割って入ろうとしていた声の主の表情には呆れと、そして幾ばくかの愉快そうな気配が滲んでいた。

***

 リースベット・アンデルは由緒正しいアンデル伯爵家の中間子として生を受けた。兄と弟に挟まれて生まれたためか、幼いころから活発で、おとなしい性格の弟のほうが女児と思われていた時期もあったほどだ。背筋を伸ばし少し遠くを見るような視線と長く艶やかな黒髪はリースベットをより凛と見せた。そのせいか、リースベットは令嬢たちから慕われ、よく相談を受ける立場だった。
 今日も仲良くしているセーデルマン男爵令嬢のミカエラから夜会の最中に内密に相談があると囁かれ、二人で休憩室に来たところだ。いつも朗らかなミカエラは顔色も悪く、さきほどまで泣いていたのか目元を赤く腫らしていた。
「ミカエラ様、いったいどうしたというの?」
 俯いたまま話を切り出そうとしないミカエラに焦れたリースベットはミカエラの手を取って強く握りしめる。手袋越しにリースベットの心配が通じたのか、ミカエラは細かく瞬きして涙を散らすと小声で話し始めた。
「わ、わたくし実は……」
 つかえながらもミカエラは先日の夜会で見かけた素敵な男性に恋をしたのだと俯いた。もしかしてその男性に会えるのではないかと期待して今日の夜会に参加したのだという。そして正にその男性は今日も参加していた。ミカエラは勇気を振り絞ってその男性に声をかけた。
「まあ、ミカエラ様にしては大胆ですわね。……でも、自ら行動するなんて素敵ですわ」
 いまだ女性の地位が低いこの国において、女性はすべてに対して受け身であれという風潮が根強い。特殊な場合を除いて『選ぶ』のはいつも男性なのだ。しかしリースベットは女性が立ち上がろうとする動きは徐々に力強さを増していると感じている。今まで抑圧されたものが爆発し花開くときは近いと肌で感じているのだ。
「はしたないと思ったのですが、わたくし必死で……せめてお名前を伺おうと」
 そのときの興奮が蘇ったのか、ミカエラが胸を押さえて、ほう、とため息を吐く。リースベットは労いの気持ちを込めて小さなその背に手を添えた。しかしミカエラはすぐにぶるぶると震え出した。
「……本当に、それだけだったのです……! 決してよこしまな意味はなく……っ」
 大きな瞳からぽろぽろと涙を零しながら嗚咽するミカエラにぎょっとするが、すぐにハンカチで涙を拭いてやり、抱きしめる。
「ええ、ええ。そうでしょうとも! ミカエラ様に限ってよこしまなどと……」
「そ、その方はしょ、娼婦に名乗る名はない、と……っ……うぅっ!」
 あまりのことにリースベットは絶句してしまった。年頃の令嬢の中でもおっとりとして優しげな容貌のミカエラは爵位こそ低いが息子の嫁に、と高位貴族からも話があるほどの令嬢である。いや、地位や容姿はこの際関係ない。そのような物言いが人として許されるものではない。リースベットは腹の底がカッと熱くなるのを感じた。
「そいつ、どんな奴だった……?」
「は? リースベット様、いまなんと?」
 いつも朗らかなリースベットから吐き出された声とは到底思えず、ミカエラは濡れたまつ毛を瞬かせた。あたりの気温が一、二度下がったような気がした。
「どんな風体の、どんなアホ面ひっさげた奴だった……?」
 重ねて問う声は鋭く冷たい。有無を言わせない迫力に圧されたミカエラは促されるままに説明をする。
「柔らかそうな金の髪に澄んだ青い瞳が美しい男性で、背が高く……近衛騎士隊の制服を着ている方で……」
「はっ、近衛騎士! 少しばかり育ちと顔がいいからって調子に乗って……絶許! 絶っっっっ許! 圧倒的に絶許ーーーーーーーーーっ!」
 リースベットは仁王立ちになって叫ぶと、ころんとしたフォルムのイヤリングを外し、手のひらに握りこんでからミカエラに暗黒太陽のような笑みを向ける。
「任せて、ミカエラ様。そんな失礼な奴、わたくしが天誅食らわせてくるから!」
「え? リースベット様ちょっとまっ、え!?」
 止めるミカエラの言葉も聞かず、リースベットはドレスの裾を持ち上げると淑女に許されたスレスレアウトの速度で駆けだした。豊かな黒髪がまるで地獄の業火のように揺れた。

***

 近衛騎士マリウス・ノルデンソンは飽いていた。もちろんそれをそのまま顔に出すような愚行は犯さない。隣には暑いからと変装用の金髪のカツラを早々に脱ぎ去った、護衛対象である王太子アレクセイが素顔を晒し、近衛騎士の制服で闊歩している。本日非番だったはずのマリウスは、アレクセイが急に思いついたお忍びでの夜会参加に付き合わされているのだ。先日は別の騎士が巻き込まれたらしい。もともと付き合いで参加する予定だった気の進まない夜会は、おかげで今すぐ帰りたい夜会へと変貌していた。
「殿下、気が済まれたら正体がばれないうちに引き上げましょう」
 国民、それも貴族であれば誰もが知るアレクセイの容姿は、たかが騎士服を着ただけでは誤魔化せない。もしお忍びでの参加がばれて騒ぎにでもなったら、自分一人ではアレクセイの身を守り切ることは難しい。
 それにこの奔放な王太子は護衛の目を盗んで単独行動をしたがる悪癖があるのだ。これ以上酷くなるようであれば国王に進言しなければいけない、とマリウスは考える。
 好んで堅苦しい王家に生まれたわけではないアレクセイに同情的な気持ちがないわけではないが、それでも越えてはならない一線というものは存在する。
「ああ、そうだな。今夜はたいして面白いことはなさそうだ。さっきは一人になった途端好みじゃない女に誘いをかけられてバレそうになるし、退散したほうがいいかもな」
 つまらなそうに欠伸あくびをするアレクセイに呆れつつ、中庭を突っ切って裏に停めてある馬車に誘導する。ようやくお守りから解放されるとマリウスが細く息を吐いたその時、鋭い声に背後から呼び止められた。
「ちょっとそこの近衛騎士!」
 不遜な物言いに警戒して振り向くと、目が覚めるように鮮やかな赤いドレスに身を包んだ令嬢が息を切らせて立っていた。すらりとしたスレンダーラインのドレスは繊細に重ねられたレースで装飾され彼女の白い肌を覆っている。
 鮮烈な登場にマリウスは目を見張った。そしてどこかで見た覚えがある、と記憶を辿りすぐに先日の夜会での出来事に行き当たった。
(あの時の威勢のいい令嬢か)
 そう気付いたが、すぐに気持ちを切り替えてさりげなくアレクセイの前に立つ。丸腰の令嬢のように見えるが、警戒を怠るわけにはいかない。令嬢はマリウスを上から下まで睨みつけると「金髪、青い目、背の高い近衛騎士……」とつぶやいた。
「我らに何か?」
 一応紳士的な対応を取ったマリウスだったが何かあったらすぐに腰にいた剣を抜けるように右手を緊張させた。
「一応お尋ねしますが、今宵この夜会に貴方たち以外の近衛騎士はいらっしゃる?」
 感情を抑えたような声音が空気を震わせる。慇懃いんぎんな口調で精一杯怖そうな声を出そうとしている様子に不穏なものを感じて、マリウスは目の前の令嬢を見つめたが、真意は測りかねた。しかし不意を突かず、大声で呼び止めたからには暗殺者ではないように思えた。
「いや、私が見た限りでは近衛騎士は我らだけのようだが……それが何か?」
 困りごとがあって助けを求めるような雰囲気でもなく、ともすると怒気ともとれる強い感情が渦巻いている令嬢──リースベットは深く息を吐いた。
「ならば……ミカエラ様に暴言を吐き悲しませたのは……お前かぁっ!」
 ぶるぶると拳を震わせて怒りに灰青色の瞳を燃やすリースベットが大股でマリウスに近づく。拳を握ったリースベットの行動についてマリウスは暗器の類は所持していないと判断した。しかしその拳が振り上げられる可能性は、まさか令嬢がそのようなことをしないだろうと高をくくった。そのために次への行動が遅れたのは否めない。
「なんのことだかわからないが、少し落ち着い……」
「女にはなにを言っても許されると思ってるような不届きな輩は、腐ってもげてしまえ!」
 なにが?と一瞬気が逸れたために反応しきれなかったのは遺憾としか言いようがない。繊細なレースをあしらった手袋に包まれたリースベットの右拳が、驚くほどの速さで振り上げられマリウスの左頬を的確に捉え、そして振り抜かれた。

※この続きは製品版でお楽しみください。

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