【試し読み】TL作家聖女は王子様の強すぎる執愛から逃げられない~こんな展開ベタすぎるのに!!~

作家:綾瀬ありる
イラスト:KRN
レーベル:夢中文庫プランセ
発売日:2022/5/27
販売価格:900円
あらすじ

大学生兼、駆け出しティーンズラブ作家として活動していた相田莉緒は、ある日突然、聖女として異世界に召喚されてしまう。そんな召喚先で待っていたのは――美しすぎる王子、ローレンス。定番すぎる展開に頭を抱えた莉緒だったが、優しい彼の手厚いサポートのもと、泣く泣く異世界で生活することに。……ってローレンス殿下、ちょっと色々と甘すぎませんか!? 彼のそんな態度は自分が「聖女さま」だから。わかっているはずなのに、莉緒はローレンスの溺愛に身も心も翻弄されてしまう――。そして気分転換も兼ね、莉緒はありあまる妄想の糧をもとに執筆活動を始めるが……「――あなたは、私のものだ」まさかそんなことになるなんて!!

登場人物
相田莉緒(あいだりお)
現役大学生で新人TL作家。突如異世界召喚され、美貌の王子と生活することに…
ローレンス
眉目秀麗な王子。聖女として召喚された莉緒を見初め、甘い言葉と優しい態度で翻弄する。
試し読み

これが噂の異世界召喚

「──おお、本当に……!」
「このお方が、聖女さま……」

 ざわめく白いローブ姿の男たちに囲まれて、莉緒りおは呆然と辺りを見回した。開かれた視界の先には、何本か白い柱が円形に立っている。石造りと思しき床は冷たく、へたりこんだ莉緒の身体から体温を奪っていった。ぶる、と身体を震わせた莉緒は、上着の前を掻き合わせ、腕をさする。
(私、確か……)
 ついさっきまで、莉緒は傘をさして道を歩いていたはずだ。深夜三時、小腹がすいた莉緒は、雨の降る中コンビニへ向かっているところだった。
 徹夜続きでハイになった頭で、水たまりをわざわざ踏んで歩いていたのを思い出す。ひとつ、ふたつ……いくつ目だっただろうか。異変が起きたのは、そう──確か八個目の水たまりを踏んだ時だった。
 足を踏み入れた時、ぐぐっと何かに足を引かれたような気がしたのだ。慌てて引き抜こうとしたが、時すでに遅し。
 ずるりとその水たまりに呑み込まれ──気づいたとき、莉緒は見知らぬ空間で見知らぬ数人の外国人に取り囲まれていた。
(そうだ、私、水たまりに落ちて……水たまりに?)
 ようやく思い出した出来事に、莉緒は再び背筋に寒気が走るのを感じた。水たまりなんて、せいぜい数センチの深さしかない。だというのに、そこに落ちるなんてそもそもおかしい。
 加えて言うなら、水たまりに落ちたはずなのに全く濡れていない自分もおかしいし、さしていたはずの傘さえない。
 そもそも、水たまりに落ちた先にこんな──真っ白い、だだっぴろい空間などあるはずもない。
「こ、ここ……どこなの……」
 震える唇で、ようやくその疑問を紡ぐと、白いローブの男たちの中から、ひときわ年若い青年が前へ進み出てきた。
 そのまま、へたり込んだ莉緒の前にひざまずくと、深く頭を下げる。
「──ようこそおいでくださいました、聖女さま」
「せ、せいじょ……?」
 言葉は理解できるが、相手が何を言っているのかわからない──という体験を、この時莉緒は初めて味わった。
 目の前の青年は、ローレンスと名乗った。プラチナブロンドに琥珀色の瞳をした美しい青年だ。名前も外見も、完全に外国人のもの。それなのにきちんと言葉が通じるというおかしさに、この時の莉緒は全く気付かなかった。
「あ、わ、私は、相田あいだ莉緒といいます」
 名乗られたら名乗り返す。律儀な日本人である莉緒は、ローレンスの自己紹介に反射的にそう返答した。リオ、と噛みしめるように呟いた彼に、こくこくと頷く。
「リオさま、ここは、聖クレモント王国。あなたは、月と星の女神ディアンナの導きでこの世界に遣わされた聖女なのです」
「聖……クレ、モント……聖女……? やだ、あなた何を言ってるの……」
 まさか、という考えが一瞬頭の中を過る。こういう展開、どこかで──というか、さんざん読んだことがある。それでも、そんなことが現実に起きるはずがない。
「異世界……召喚……」
 ぽつん、と口から滑り出た言葉に、ローレンスは美しい微笑みを浮かべて頷いた。
「さすが、聖女さまはご理解が早い」
 ご理解したわけでは断じてない。だが、莉緒はいまだ混乱する頭の中を必死にかきまわして、過去に読んだ数々の小説を思い出していた。
 一種の現実逃避に近い行動だったかもしれない。だが、そのお陰で少しだけ冷静さが戻ってくる。
(そうだ、聖女というからにはなんらかの役割があるはず……!)
 そこにようやく思い至った莉緒は、震える唇をどうにか動かしてローレンスに問いかけた。話を聞いてみないことには何も始まらないと悟ったからだ。
「あの、私……何のためにばれたんですか……?」
「──そのお話は、部屋を移っていたしましょう。ここは少し冷える。聖女さまも震えていらっしゃる」
 そう言うと、ローレンスはまとっていた白いローブを脱ぐと莉緒の肩にかけてくれる。そこで初めて、莉緒は自分が震えていたことに気が付いた。
「あ、ありがとう、ございます」
 小さな声で礼を言うと、ローレンスは一瞬目を見張った。しかし、すぐにふんわりと微笑むと、莉緒に手を貸して立ち上がらせてくれる。
 女子高、女子大育ちの莉緒は、もちろんこんなことを男性に──しかも、こんな美男子に──してもらったことなどない。こんな状況だというのに、どきどき高鳴る胸を押さえて、莉緒は導かれるままにその部屋を後にした。
 ──がちゃん。
 背後で扉の閉まる音が、やけに耳に残った。

 案内された部屋は、事前に温めてあったのか、地下から地上にあがったためなのか、ほっとする暖かさに満ちている。
 差し出されたカップには、琥珀色のお茶がなみなみと注がれ、湯気を立てていた。
「ショウガを入れた紅茶です。我々の世界と、聖女さまの世界では、食べ物や飲み物にそれほど変わりはない、と聞いていますが……別のものがよろしいですか?」
「あ、いえ……いただきます」
 口をつけると、少し熱い。猫舌の莉緒は、ふうふうとカップに息を吹きかけると、おそるおそる一口飲んでみた。すると、胃の中がじんわりと温まったような気がする。
「おいしい……」
「おかわりもありますから、いくらでもどうぞ」
 にこやかにそう言うローレンスの言葉に甘えて、莉緒は二杯目も飲み干した。そもそも、コンビニに出かけたのも喉の渇きを覚えたことが原因のひとつだったのだ。
 ふう、と息をついてからローレンスの視線に気が付き、莉緒は顔を赤くした。
(ちょっと、はしたなかったかな)
 思わず俯く莉緒の耳に、くすりと笑う声が届く。ますます身の置き所をなくした莉緒に、ローレンスは優しく声をかけた。
「失礼しました……聖女さまが、あまりにおかわいらしいもので」
「あ、あの……そう、それ! 聖女って、私何のために喚ばれたんですか……?」
 彼の気遣いが、逆に恥ずかしい。それを誤魔化そうとして、莉緒ははっと思い出して最初の疑問に戻ることにした。
(魔王討伐なんて言い出されたらどうしよう。私、引きこもりに近い生活してたし、旅に出るとか耐えられるかなぁ)
 この時の莉緒は、まだ「用が済めば帰れるだろう」と信じて疑っていなかった。だから、何かを望まれるのならば、ことと次第によっては引き受けてもいい。そんなふうに呑気に構えていたのだ。
 しかし、そんな莉緒の胸の内が届いたのかどうなのか。ローレンスは再びくすりと笑うと、跪いて莉緒の手を取った。
「聖女さまは、いてくださるだけでよいのです」
「……へ?」
 顔を上げた莉緒の目の前に、ローレンスの美しい顔がある。思わず見惚れかけて、それからはっと我に返った莉緒は慌てて握られた手を引っ込めようとした。
 が、それほど強く握られているわけではないと思うのに、彼に掴まれた手が抜けない。戸惑う莉緒とは対照的に、ローレンスはどこか熱っぽい声で続きを口にした。
「聖女さまは、その存在が我々を救ってくださるのだから」
「そ、それって……私、ずっとここにいなきゃいけないって……こと……?」
 半ば呆然とした莉緒が、小さな声でそう呟いた。内容が聞こえたのかどうか、ローレンスはただ、少し困ったように微笑むと首を傾げる。
 だが、自分の考えに気を取られていた莉緒は、そんな彼の反応にはあまり意識が向かなかった。胸の動悸が激しくなって、なんだか息苦しさを感じる。脳が理解を拒んでいるかのように、考えがまとまらない。
「聖女さま……?」
 そんな莉緒の様子に、ローレンスが心配そうな声音で呼びかけた。はっと我に返った莉緒は、つい取り繕うように笑顔を浮かべてしまう。日本人の悲しい習性だ。
 軽く首を振ると、脳裏に浮かんだ最悪の可能性を否定する。そんなこと、あるはずがない。
(まさか、だよね……)
 あは、と乾いた笑い声をもらすと、莉緒はほんの少し力の緩んだ彼の手から自分の手を抜け出させた。それをぱたぱたと振りながら言う。
「あ、あのさ……その、聖女さま、っていうの、ちょっと……莉緒、莉緒でいいよ。なんか、その、ちょっと恥ずかしいし……」
 すると、ローレンスは驚いたように目を見張った。へらりと笑った莉緒の顔をじっと見つめたかと思うと、視線を落とす。
「では、リオさま。今夜はもう遅い。このような手狭なところで申し訳ございませんが、ごゆっくりお休みください。今後の話は、また明日いたしましょう」
 再び顔を上げたローレンスの顔には、微笑みが戻っていた。そのことになんとなくホッとして、莉緒は小さく頷く。
「そちらの部屋が寝室になっております。着替えも用意してありますので……誰か、手伝いを呼びましょうか」
「え、い、いやいや……自分でできます、できますとも」
 こちとら一般庶民である。着替えに手伝いなんぞ必要あるはずもない。さま付けだってやめてほしいくらいなのだが──それはまあ、明日以降話すことにしよう。
(だって、なんだかすごく眠くなってきたし)
 思えば、昨日の夜も遅くまでプロットを練っていた。今夜もほぼ徹夜だったわけだし、眠くなるのも道理だ。それに、なんだか急にいろいろなことが起きて、とても疲れた。
「それでは、おやすみなさい」
「ローレンス……さんも、おやすみなさい」
 ふわぁ、と小さなあくびを噛み殺しながら返答した莉緒は、自分の言葉にローレンスがどんな顔をしていたか、ついぞ気が付くことはなかった。

その展開は定番すぎます

 相田莉緒、二十二歳。職業は大学生兼恋愛小説家。
 ──といっても、恋愛小説家のほうは、駆け出しも駆け出しのひよっこなのだけれども。
 その日、莉緒はいつものようにパソコンにかじりついて小説のプロットを練っていた。小説、と一口に言うが、その種類は多岐にわたる。その中でも、莉緒が執筆しているのはいわゆるティーンズラブと呼ばれる、ちょっとエ○チな小説だ。
 十八歳でそういう小説を掲載する投稿サイトの存在を知った莉緒は、読むだけでは飽き足らず、いつしか投稿する側へと立場を変えていた。それを続けること一年、やがて夢は膨らみ、小説家を目指してあらゆる賞に応募し続け、やっと奨励賞をゲットした時には、飛び上がって喜んだものだ。
 更に地道に投稿を続け、二十一歳の時、とうとう「あなたの小説を書籍化したい」という編集部からの連絡をもらい──そうして、莉緒は夢への一歩を踏み出した。
 まだ大学生の身である莉緒は、忙しい講義の合間を縫って執筆活動に精を出し、これまで三作ほどの小説を出版にこぎつけている。そこそこ筆が早く、ちょっぴり過激な性描写を得意とする莉緒は、駆け出しながらも注目され始めていた。今回は初めて編集部からの依頼、という形で四作目のプロットを製作中──だった。昨日、までは。

「ん、んん……」
 ぴちち、と鳥のさえずる声が聞こえてくる。カーテンの隙間から漏れてくる光がまぶしくて、莉緒は布団を被りなおすと、惰眠をむさぼるべく丸くなった。
(変な夢、見ちゃったなあ……)
 それにしても、ずいぶん寝心地の良いベッドだ。シーツもさらさらとして、高級感あふれる手触りだし、布団も軽くて暖かい。
(こんな良い布団、うちにあったかな。そういえば、いつの間にベッドに入って寝たんだっけ? あ、そうだ、プロット……作らないと、期限がきちゃう……)
 ──ん?
 ぽふぽふと、寝台を叩いてみる。よくスプリングのきいた、いいベッドだ。
(あ、あれ?)
 布団の中で、ぱちぱちと瞬きを繰り返して、一瞬の後がばりと飛び起きる。見渡すと、そこはいつもの自分の部屋ではなかった。
「あ、あれ……夢じゃ、なかったか……」
 がっくりとうなだれてから、莉緒は改めて室内を見回した。
 昨日は眠すぎてあんまりよく見ていなかったが、まるで昔のヨーロッパ風のインテリアの部屋だ。太い木のはりに、白く塗られた壁。壁面には、細かい細工を施した鏡がかけられていて、その下にはやはり同じ細工のチェストが置かれている。
 ベッドは女子なら一度は憧れるであろう、天蓋付き。ピンクでフリルで……
(なんか、女の子向けのお部屋って感じ……)
 用意されていた寝間着も、フリルとレースたっぷりのネグリジェだった。あまりにも可愛すぎるデザインに戸惑いながらも、眠さに勝てずさっさと着替えてベッドにもぐりこんだわけだが、こうして朝の光の中で見ると、恥ずかしさが勝る。
 早く着替えてしまいたいが、クローゼットの中には見たこともないようなドレスが並んでいるだけだ。どう考えても一人で着られる気がしない。
 仕方なく、莉緒は昨日自分が着ていた服をもう一度着ることにした。すこしばかりよれよれになったパーカーとジーパンは、この部屋の雰囲気にはそぐわないが、こればかりはどうしようもない。なにせ、自分の部屋からコンビニに行く途中だったのだ。ワンピースなんて気の利いた服装など望むべくもない。
 顔も洗いたいところだが、この部屋には洗面設備はないようだ。仕方なく、部屋から出ようとしたところで、寝室の扉がノックされた。
「リオさま、起きていらっしゃいますか?」
 扉の向こうからそう問いかけたのは、ローレンスの声だ。朝にふさわしい爽やかな声音に、莉緒は小さく飛び跳ねた。こっちは全然爽やかな感じではない。
 よだれなんか垂れていないだろうか、と慌てて口元を擦る。
「は、はい! 起きてます……!」
 そう返事をしたものの、あの美青年の前に寝こけた後の洗ってもいない顔をさらすのは恥ずかしい。仕方ないとはいえ、着ているものもよれよれなのだ。そんな心境が伝わったのか、はたまたローレンスの気が利くのか、続いた言葉に莉緒は顔を輝かせた。
「昨晩は湯浴みもできませんでしたでしょう? ご用意いたしましたから、どうぞ」
「え、あ、ありがとうございますっ!」
 朝から贅沢な、とは思うものの、若干身体がべとつくような気がしていたところだ。助かるな、と思ったところで重大なことに気が付いた。
「あの、まさかローレンスさんが案内してくださる……なーんてことは」
「ええ、もちろん私が……と言いたいところですが、さすがに女性の入浴のお手伝いをするわけにはいきませんね。残念ですが、きちんと侍女を寄こしますよ」
 少しばかり笑いを含んだ声が、扉の向こうから返ってくる。ほっと息をついて、莉緒はベッドの上に腰を下ろした。
(ん? 残念ってなに?)
 ローレンスの言葉に若干の引っ掛かりを覚えたが、それを深く考える前に、再び部屋の扉がノックされた。
「聖女さま、失礼いたします」
 扉を開けて入ってきたのは、現代でいうところのメイド服のような格好の女性だ。といっても、昨今はやりのメイド喫茶で着用されているような、ミニミニ丈のものではない。くるぶしまである長いお仕着せは、真っ黒で艶のある美しい生地だ。それに、ぱりっと糊の効いていそうな白いエプロンをつけている。
 歳は、莉緒よりもかなり上だろう。にっこりと微笑んだ彼女は、莉緒の姿を見ると目を丸くした。
「まあ……ああ、ご用意させていただいたお召し物は、お一人では難しいですものね。ええ、ええ、もちろんそちらもお手伝いさせていただきましょう。まずは湯浴みから……さ、こちらへ」
 莉緒が口を開く間もなく、さあさあ、と促される。寝室を出ると、向かい側に昨日は気づかなかった扉があった。いったいいくつ続き部屋があるのだろう、まるで高級ホテルのようだ。
 扉を開けると、広い浴室があった。籠が置かれていて、真っ白でふかふかのタオルが準備されている。床はピンクと白を交互に並べたタイル張りで、その奥には白に金の猫足のバスタブが設置されていた。湯が張られているのか、ほわほわと湯気が立っている。
「う、うわぁ……」
 あまりにも可愛すぎる。
 感嘆のため息を漏らしている間に、腕をまくり裾をからげた侍女が、さくさくと入浴の準備を進めている。洋服に手をかけられたところで、莉緒ははっと我に返った。
「わ、で、できます! 自分でできるからぁ!」
「まあ……」
 押し問答の末、どうにかこうにか一人で入浴することに成功する。彼女は莉緒の身体を洗うとか髪を洗うとか主張していたが、それは丁重にお断りした。不満そうだったが、ドレス選びと着付けはお願いしたいと伝えると「お任せくださいませ」と胸を張って出ていってくれる。
 いつの間にか、着ていた洋服は回収されていて、籠の中にはバスローブと思しきものが入っていた。
 あまり待たせてもいけない、とさくさく入浴を済ませた莉緒は、そのことにぎょっとしたものの、仕方なくそれを着て出てゆく。
 すると、先程の侍女が待ち構えていて、素早く莉緒の支度を手伝ってくれた。
 驚くべきことに、侍女が何事かを口の中で短く唱えると、あっという間に髪の毛が乾く。目を丸くした莉緒が「どうやったの?」と尋ねると、彼女はこともなげに「初級の魔法ですよ」と答えた。
「えっ魔法? 魔法があるの?」
 思わず大声で叫ぶと、侍女は小さく笑みを浮かべて頷いてみせた。
 こうして、莉緒は改めて、ここが異世界なのだということを実感したのである。
 さらに──
「そっ……それを着るんですか? まじで?」
「きっとお似合いになりますよ」
 ぎょっとして目を見開く莉緒に向かって、にこにこと微笑んだ侍女が用意していたのは、ピンクにフリル満載のふわっふわのドレスである。見る分には申し分なく素敵で可愛らしいドレスだが、自分が着るのにはちょっと……とためらってしまう。しかし、選んでくれた彼女は自信満々で「似合う」とごり押ししてきた。
「この後、陛下に謁見なさると伺っておりますからね。きちんとお似合いのものをご用意いたしましたよ」
「え、えっけんんんん?」
 思わず声が裏返った。が、侍女はきょとんとした顔でこう続けた。
「殿下からお聞きになっていらっしゃらないのですか?」
「でっ……殿下……?」
 またしても耳慣れない言葉が出てきた。いや、自分で書いた小説の中には何度も出てきた言葉だが、書くと聞くとでは大違いだ。そもそも、殿下とは……誰のことだ。まさか、と思いながら彼女の顔をまじまじと見つめると、にっこりと笑った口元が答えた。
「ローレンス王太子殿下ですわ。昨日から聖女さまのことを大変気にかけていらして……」
「ローレンス、王太子、殿下……」
「ええ、今朝もお見えになりましたでしょう?」
 噛みしめるように一語一語発音して、莉緒は頭を抱えたくなった。あの中で一番若そうで、腰の低かった彼が、まさかの王太子殿下。いやいや、確かに定番中の定番ですが。
 莉緒は頭の中に、ローレンスの秀麗な顔を思い浮かべた。
(ベタベタのベタ展開だなぁ……)
 異世界に召喚された先にいたのは、美貌の王子さまでした。なーんて、まさか本当にそんなことがあるなんて。事実は小説より奇なり。なんてね。
 思わず遠くを見つめた莉緒に、侍女が声をかけてきた。
「さ、聖女さま、お召し替えを」
 もはや抵抗する気力もわかず、されるがままに着付けられながら、莉緒はこの先の展開を考えてうーんとうなり声をあげた。

「あの……知らぬこととはいえ、とんだご無礼を……」
 侍女にドレスを着つけられ、更に髪を素敵に整えてもらった莉緒は、いつの間にか部屋に待機していたローレンスに深々と頭を下げた。
 よく見れば、ローブを纏っていない今日のローレンスは貴公子然とした服装で、なるほど王子さまっぽい。まさに小説の表紙に出てくるような、夜空のような深い藍色の服は、色素の薄いローレンスの美貌を引き立てている。絵に描いたような、とはまさにこのことか。
 ぼけっと口を開いたままその姿を眺めていると、ローレンスがくすぐったそうに笑みを浮かべる。
「どうなさったのですか」
「いえ、あの……ローレンスさん、いや、殿下、あー……王太子殿下でいらしたのですね」
 物書きの端くれとは思えないほどに支離滅裂な言葉だったが、ローレンスは「ああ」と頷くと、莉緒の背後に立っていた侍女に目をやった。その顔には、なんだか悪戯めいた笑みが浮かんでいて、やはりそれも素晴らしく格好いい。
 さすが王子さまだ、と莉緒は内心で感嘆のため息をついた。
「もうバレちゃったんですね」
「殿下、大概になさいませ」
「そうですよお……最初に言ってくれれば……あんな失礼な……」
 澄ました顔の侍女とは対照的に、莉緒の口からは情けない声が出る。なんなら、高貴なご身分の王子さまにあれやこれやと世話をしてもらったのだ。申し訳なさに涙が出る。しかし、ローレンスは優しく微笑むと莉緒の手を取った。

※この続きは製品版でお楽しみください。

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