【試し読み】甘い復讐のしかけ方
あらすじ
悪逆非道な大公に兄を殺されたセレスティア。ナイフ片手に一矢報いようとするが、通りがかりの吟遊詩人ヴァレルに間一髪で止められ、無鉄砲さを叱られる。しかし諦めがつかないセレスティアは、正当な手段での報復を勧めるヴァレルの説得を押し切り、閨で寝首を掻く方法を探り始めた。危なっかしい彼女の姿に折れたヴァレルは、男女のあれこれを教えることに。好色家な大公対策に〝無理矢理・手荒〟を希望するセレスティアだったが……「優位に立ちたいなら、最初に気持ちよさを知って、行為に余裕を持たなきゃだめだろ」ヴァレルに溺れるほどの快感を教え込まれ――?
登場人物
ローダリス領主の妹で、乗馬が得意。栗色の髪とブロンズの瞳の美少女。殺害された兄の復讐を決意するが…
黒く艶やかな髪と美しい顔立ちが印象的な吟遊詩人。セレスティアの復讐のため、とある手ほどきすることに。
試し読み
序章
「いったいどういうことなのか、納得いくご説明をいただけますか、大公閣下!」
深みのある誠実な響きを持った声が、なんとか怒りを呑み込みながら言った。
こんなふうに激高するのは彼の性格とはそぐわないが、あまりの横暴な言われように、抑制ができなかったのだ。
「納得もなにも、ローダリス産の馬の売買を、このフォルナ大公家で代行してやろうと言っているのだ。私に任せておけば、今よりも多くの街や国にローダリスの……いや、このフォルナ公国産の名馬を広めることができる。おぬしの領地ローダリスもさぞ潤うことであろう」
冷たい目で笑う大柄な大公を見上げ、ライクスは臍を噛んだ。
「何をおっしゃっておいでか。提示された金額では、施設の維持さえままならなくなります。このような安値で買いたたかれては今後、良馬を育成することなど叶いません。前大公であられる閣下のお父上は、ローダリスの馬を大変お気に召してくださり、施設や育成者を支援してくださいました。我々は閣下のご恩情に報いるために良い馬を育て、それで得た収入をもって公国へ税をお納めしてきたのです」
「買いたたくとは失礼な物言いではないか? 売買契約には多大な手間暇がかかる。それを公国で代行してやると言っているのだ。手間賃を考えれば、よい案だと思うが」
「手間賃ですと……? 失礼ながら、デュッカさまに馬の売買に関する知識や人脈がおありとは思えません。それに、これでは……」
「やれ、うるさい男だな!」
抗議を一蹴され、ライクスの整った顔もさすがに歪んでいく。
穏やかな気候のフォルナ公国は、畜産や農業が盛んであり、商売に理解のある大公の許、安定した税収を上げ、レヴニール帝国の中でも裕福な属国だった。
しかし、前フォルナ大公が亡くなり、息子のデュッカが三十歳にしてフォルナ公国大公に就いて一年。公国はかつてのような、「人の心も懐も裕福な国」の面影を失っていた。
デュッカはたいへんな浪費家にして漁色家だったのだ。
各地の領主には法外な税を要求し、羽振りのよい家からは貴族も平民も関係なく金を取り立て、その家に見目の良い若い娘がいれば、当然のように歯牙にかける。
しかも、彼の率いる私兵軍は無頼漢の集団で、逆らおうものなら領地に攻め入ったり略奪を働いたりと無法を繰り広げている。
むろん、表立って大公の私兵であるとは公言していなかったが、あの無法者たちがデュッカの手下であることは、暗黙の了解であった。
「わかった、ローダリスよ。そこまで言うのであれば、馬の育成、売買はこれまでどおりおぬしたちで好きにせよ」
「……ありがとうございます」
そうは言われても、いやな予感を覚えてライクスは眉をひそめる。デュッカが何も見返りを求めることなく翻意するとは、とても思えなかったのだ。
「そういえばローダリス、おぬしには妹がいたな。先日、成人したと聞いたが」
「…………」
「名は確か、セレスティアと言ったか? 大層な器量よしと聞いている。成人の祝いをせねばならんな」
大柄な大公は舌なめずりしながら言い、言葉を失ったライクスに畳みかけた。
「フォルナ公国の大公として、おぬしの妹に初夜権を行使しよう。生娘の破瓜の血は穢れである。いずれ嫁いでいく際、穢れを夫の家に持ち込むわけにはいかないからな」
大公の言葉を、頭が理解するのを拒否した。反論しようと口を開きかけたが、咄嗟に言葉が出てこない。
やがて出てきた声は、絞るようなかすれ声だった。だが、堪えきれずに拳を震わせると、彼は仕えるべき大公を糾弾していた。
「なにを……バカなことをおっしゃるか! 初夜権ですと? 何百年もの昔、腐った神官どもが乙女を食い物にするために作ったおぞましい風習です。この際だから言わせていただくが、あなたが大公位に就いて一年、このフォルナ公国は衰退の一途を辿っている。我々は税を納めるため、汗水流して必死に働いているのです! それを法外に巻き上げるばかりか、目についた娘たちを閣下が慰み者にしていると噂を聞きました。まさかとは思っておりましたが……」
「言いたいことはそれだけか、ローダリス」
ふいにデュッカの目が鋭く細められ、声は低くなった。
「大公に立てつくとは、見下げ果てた反逆者よ。罰をくれてやらねばならんな」
言うが早いか、デュッカは帯剣を抜き払うと、一刀のもとにローダリス領主ライクスの首を刎ねていた。
豪奢な赤い絨毯がたちまち血を吸い、黒く変色していく。
「誰かあるか、反逆者ライクス・ローダリスの首を討ち取った! ただちにこやつの首をローダリスの街の門にさらせ! そして、家族を捕らえてここへ引きずってこい!」
第一章
フォルナ公国の湖水地方に位置するローダリスの街は、馬産でその名を国内外に知られた街である。
水も草も豊かな土地で良馬を多く育成しており、公国の属するレヴニール帝国をはじめ、周辺諸国からも多くの人々がローダリスの馬を求めた。
また、馬産施設だけではなく、蹄鉄をはじめ馬具の生産も盛んで、公国の一地方としてはかなり裕福な街だ。
領主のライクスはまだ二十八と若いが、馬の達人という称号を持ち、かつては帝国で馬管理人を務めていたほど、馬に関して造詣が深い。
馬管理人とは、貴人の乗馬の世話や管理、馬具の手入れ、ときには軍事的な相談役を担うこともある、帝国では非常に重要な地位を指す。
だが、父のローダリス子爵が亡くなったため、四年ほど前に帰郷し、領主の地位を継いだ。
誰よりも馬に愛情深く、街の産業にも詳しく、人々から頼られるセレスティアの自慢の兄である。
そんな兄が、公国の支配者であるフォルナ大公デュッカの許へ向かって五日が経過した。昨日には帰宅している予定だったのだが、一向に戻る様子はない。
「話し合いが難航しているのかしらね……」
詳しいことは教えてもらえなかったが、ローダリスの重要な産業である馬産について、新大公から異論が出たというのだ。
朝食を終えると、セレスティアは男性のような乗馬服に身を包み、栗色の豊かな髪をひとまとめにした。
「お嬢さま、お出かけでございますか?」
侍女頭のメネが、急いでセレスティアを追って玄関までやってくる。
「そろそろお兄さまが帰ってくるかもしれないから、迎えにいこうと思って」
「今日は天気がようございますしね。遠乗りにはもってこい……」
「違うわ、メネ。私はお兄さまを迎えにいくのよ」
そう言い訳するが、生まれたときからセレスティアのことを知っているこの老女は、遠乗りが彼女の主目的であることをちゃんとわかっているのだ。
「では、そういうことにしておきましょうね。お気をつけていってらっしゃいまし」
こうして侍女頭に見送られ、セレスティアは厩舎から愛馬を連れ出して遠乗りに──ついでに兄の出迎えに向かった。
ここローダリスは馬産や馬具の生産で栄える街であるため、領主の妹セレスティアも、当然のように乗馬が得意だ。
街道をゆかず、街の周囲に広がる森を横目に草原を駆け抜ければ、広大なワルド湖が視界に広がる。
自然の恵みをもたらす実りの多い森が青々と茂って、セレスティアの目を楽しませてくれるのだ。
あたたかな風を感じながら、湖畔に向かって巧みに馬を走らせた。
やがて湖に到着すると、セレスティアは湖の向こうにブロンズの瞳を向けた。この先に、兄が向かったフォルナの公都リーリズがある。
ワルド湖の湖面が空の濃い青を映し、真っ白な雲との対比がくっきりと美しい。いつもの平和でのどかな風景だ。
「今日も空が高くて気持ちいいわね! お兄さまもたまには仕事ではなく遠乗りを楽しめればいいのに。でも、新しい大公閣下はひどく横暴らしくて、苦慮なさっているみたいね。使者を遣わしたら、その使者の乗っていた馬が大公閣下に召し上げられてしまったんですって! 信じられる? 大公家には毎年、一番の駿馬を上納してるのに」
愛馬である葦毛の馬に話しかけながら、彼女は美しく整えた眉を寄せた。
さすがに大袈裟な噂だろうと思っていたが、出かける前の兄の深刻そうな顔を思い出すと、冗談と一蹴できる事態ではないのかもしれない。
「お兄さま、大丈夫かしら。物腰やわらかく見えても、わりと頑固なところがあるから心配よね、アルバ」
愛馬の鬣を撫でながら湖の周囲をぐるりと回り、兄と行き会わないかと街道へ向かったのだが、異変を感じて足を止めた。
街道脇の雑草が踏み荒らされているのをみつけたのだ。地面が抉れて、蹄の跡がたくさんついている。それも、たった今ついたようにくっきりしている。
兄は数名の供を連れて行ったが、国内ということもあり、随行は十人もいなかったはずだ。こんなに荒々しい足跡が残ることはないだろう。
そしてこの馬蹄の跡は、ローダリスの街に向かっていた。
(まるで進軍……敵襲!?)
ローダリスはレヴニール帝国の中ほどに位置しているため、敵国がここに攻めてくるということは、国境はとっくに突破されたことになる。
もしそうであれば、もっと早くに伝令が回って敵襲の報が届いているはずだ。前触れもなく敵国が街に攻め入れるはずがない。
ローダリスは自治が認められているが、住民が自衛する方式をとっているため、軍隊は常駐していない。ローダリスの人々は誰もが乗馬に長けており、馬上での戦いも、子供の頃から娯楽として嗜んでいるからだ。
つまり、奇襲に対しては弱い。もし何者かが街に攻め入ったら……!
太陽はちょうど中天に到達して世界はまばゆく輝いているのに、セレスティアの胸中には、途端に不穏な空気が漂いはじめた。
「急いで戻らなくては……」
領主である兄が不在の今、街の責任者はセレスティアである。むろん、街には兄の部下や補佐が何人もいて、彼女自身は実質的に街の統治にかかわっていないが、何事かがあれば領主の身内として矢面に立つ必要があるだろう。
先日、セレスティアは成人を迎えたので、もう保護されるばかりの子供ではないのだ。
手綱を引くと、セレスティアは街道沿いの森を突破し、最短の道を通ってローダリスへと舞い戻る。
だが、森を抜けた瞬間、胸騒ぎを感じて馬を止めてしまった。
遠目にはいつもと変わらぬ街の光景が広がっているが、街門前の広場に不自然に大勢の住人が集まっている。そして、それを取り囲むような騎兵の集団。
鎧兜は帝国騎士団のものとは違うが、揃いの防具を身に着けているところから、貴族の私兵を思わせる。
(しまった、遠乗りになんか出かけなければ……!)
正面から戻ろうか迷ったが、見た様子では住民に危害が加えられている様子はない。
いくら領主の身内とはいえ、セレスティアは無力な娘にすぎず、身柄を拘束されてしまったらそれ以上のことは何もできなくなる。
せめて状況や彼らの目的だけでも探るべきだろう。
セレスティアは人目につかないようにそっと街の裏手に馬を走らせた。門があるとはいえ、街が壁で囲まれているわけではないので、街中に戻るのはたやすかった。
しかし、街中に入ると、いつもは賑わっているはずの時間なのに、大通りも小路も人の気配がうかがえない。
彼女が遠乗りに出かける時間には、何の異変もなかったはずなのに、何が起きたというのだろうか。
「お嬢さん!」
そのとき、建物の扉からセレスティアを呼ぶ男の声がした。振り向くと、馬産施設で馬の育成や調教をしているマグスが目配せしている。
彼は馬の扱いに長けた人物で、ライクスとセレスティアの、もうひとりの父親のような存在だ。
そんな彼が、大柄な身体に見合わず肩をすぼめ、青い顔で手招きしている。セレスティアは馬を引いて彼に近づいた。
「マグスさん、いったい何が。門にいる騎兵団は何者なんですか!?」
彼はセレスティアを扉の中に引き入れ、小声になる。
「奴ら、この街を大公領として接収すると言ってきたんです。そのため、お嬢さんを捜している。どこかに身を隠さないと……」
「どういうこと? 彼らは大公閣下の兵なの? お兄さまが交渉に行ったはずでは……」
「それが……」
まったく事情が呑めないのだが、マグスの次の一言で顔色を失った。
「それが、奴らは──ライクスさまを反逆者と言って、門前広場で……」
一瞬、頭が真っ白になった。彼が言っていることを理解したくなくて、ぱっちりしたブロンズの瞳を真ん丸にする。
だが、次の瞬間には愛馬に飛び乗るなり、街門に向かって駆け出していた。
「あっ、お嬢さん、いけません!」
マグスの止める声も耳に入らず、セレスティアはがむしゃらに門を目指していた。
反逆者と言って、兄を処刑しようというのだろうか。彼女のたったひとりの肉親を。大公の無茶な施策に抗議しただけなのに。
(嘘──嘘よね? そんなの……お兄さま!)
やがて門が見えてくると、セレスティアは馬上からそこに集まる人々を注視した。
街の住民たちが鉄門の上部を見上げ、泣いたり憤ったりしている姿がある。そして、その周囲をぐるりと囲んだ騎兵たちが、彼らに剣を向けて尊大に何かを言っていた。
「わかったか、反逆者の末路を。同じ目に遭わされたくなければ、決して逆らわず、フォルナ大公閣下に忠誠を誓え。閣下は寛容なお方だ。素直に軍門に下れば危害は加えぬ。閣下への忠誠の証として、領主の妹の身柄をここに差し出せ!」
騎兵の言葉は、まるで攻め入ってきた敵軍の口上である。あれがフォルナ大公の兵だというのだろうか。
しかし、この街はそもそもフォルナ大公領の一部で、セレスティアの生家であるローダリス子爵家は、大公の信任を得て街の統治を委任されているだけなのだ。
統治権を召し上げるなら、そう命じればすむだけの話である。
平和な街に突然訪れた不穏な光景に歯噛みしながら、広場を見回して兄の姿を探すものの、反逆者として捕らわれたライクスの姿はどこにもない。
だが、なにげなく視界に入れた門の柱に、不思議なものがくくりつけられているのを見つけ、目を瞠った。
馬上にいるのに、足許が覚束なくなる感覚に襲われる。心臓が破裂しそうなほど大きな音を立てていて、息が苦しくなった。
セレスティアは震える唇を噛みしめ、食い入るようにそれをみつめる。
若いローダリス領主の、胴体を失った首を──。
身体の中がドクンと脈打ち、血が逆流するほどの何かが込み上げてくる。
遠目ではあったが、そこにセレスティアの敬愛する兄ライクスの首が吊るされているのが、残酷なほどはっきりと見て取れたのだ。
「お兄さま……」
喉の奥に焼けつく灼熱を感じると、次第に肩がガタガタと震えはじめ、手綱を握りしめる手に力がこもった。
思わず広場に駆け出そうとした瞬間、セレスティアの身体は突然、馬上から引きずり降ろされていた。
抵抗しようと暴れかけたが、彼女の身体を抱きかかえているのはマグスだ。
彼はセレスティアを肩に担ぎ、葦毛のアルバを連れて、彼の自宅へと強引に連れ戻してしまったのだ。
「だめです、お嬢さん。彼らには法も正義もありはしない。大公の言うなりに、力弱い者をいたぶって楽しんでいるだけだ」
「でも、私が出て行かなければ収まりがつかないでしょう!」
叫んだものの、まだ事態が呑み込めていない。さっき見た、門に吊るされた首もまるで作り物めいていて……。
心臓だけは忙しなく鼓動しているのに、頭の中はぼんやりとしてしまい、セレスティアは混乱して頭を振った。
「大丈夫。セレスティアお嬢さんは、ライクスさまと共に公都へ行ったまま戻っていないということにしておきます。であれば、彼らはとんだ無駄足と、急ぎリーリズへ戻るでしょう。何しろ彼らは、あなたを大公閣下の前に連れて行くのが目的ですから」
「なぜ、私を……」
大公とは会ったこともないし、そもそも彼女は領主の身内というだけであって、政治的な表舞台には一切出ていないのだ。
「……新しい大公閣下は、無類の女好きだそうです。それも、若い未婚の女性ばかりを狙う」
新大公のよくない噂は、いろいろと彼女の耳にも入っていた。法外な金銭を要求したり見返りを求めたり、女性を食い物にしたり等々……。
しかし、品行方正な父ときまじめな兄を見て育ったセレスティアには、噂に聞く無法が現実のことだとは思えなかった。伝わるうちに大袈裟な話になったのだと、そう思っていたのだ。
ならず者の集団をあやつり、街の領主を裁判もなく斬首にするなど、このレヴニール帝国の法に背く行為だ。
だが、そんな大公をフォルナ公国の領主として認めたのは、帝国皇帝その人である……。
「こんなことが、許されるはずがないわ……」
「ええ。ですが今は、大公の手から逃れることが先決です。お嬢さんはとにかく身を隠して安全を確保してください。他の街とも協力し、この無法をなんとか皇帝陛下に訴えられるよう方策を練りましょう」
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