【試し読み】悪魔な編集と曖昧で不純な関係~ハイスペ王子の仮面を剥がしたい~

作家:高杉アリス
イラスト:SHABON
レーベル:夢中文庫クリスタル
発売日:2021/12/17
販売価格:900円
あらすじ

「先生、よく覚えておいてくださいね。ご自分の身体が、快楽に溺れていく感覚を」──書店員・上田花の秘密は有名小説家である兄のゴーストライターをやっていたこと。冷徹な敏腕編集・松岡に秘密を握られ、失踪した兄の代わりに小説を書くことになってしまう。しかし花が書くのは、官能小説!? 引き受けたものの、恋愛経験はゼロ。さっぱり書けない花を相手に松岡は「では、これからしっかり体感してください」──壁ドン、キス、そして……? 曖昧で不純な蜜情を重ねるうちに、松岡のポーカーフェイスに隠された本心と素顔が露わに── ※本作品は過去に配信されていた別タイトルの作品を加筆修正したものです。書下ろし番外編・SS付き。

登場人物
上田花(うえだはな)
本と妄想が好きで、リアルな恋愛経験はゼロ。23歳にしてやっと夢が叶い、大手書店社員として働く。
松岡圭人(まつおかけいと)
大手出版社のやり手編集者。王子様のような容姿とポーカーフェイスで、社内だけでなく書店員にもファンが多い。
試し読み

プロローグ

 ──どうなっているんだろう。この状況を説明してほしい。
 私は壁際に追い詰められていた。
 視界の端には、スーツを纏った腕が見える。ほのかに漂う良い香りが鼻腔をくすぐり、現実と妄想の垣根を越える。これはまぎれもなく現実。だけど、どうしてこんなことに……?
 私を見つめるのは、眼鏡の奥の瞳。感情の読めない美麗な顔に目前まで迫られて、ドクドクと胸が音を立てる。その距離、十センチ、五センチ、三、二、……
「先生、力を抜いて……」
 息を呑んだ次の瞬間、唇が驚くほど柔らかな感触に覆われた。
 これは、なに……? 温かくて、ものすごく気持ちがいい。
 でも待って。私、今キスされてる……? 気付いた途端、甘い音を立てて唇が離れた。
「なっ、なにするんですか!?」
「まだ続きがあります。次は、もっと深いキスを」
「んっ……」
 再び降り注いだ柔らかな唇は、何度も私の唇を優しくついばむ。唇が開かれ、ぬるりとした感触が口腔に潜り込んできた。
「……っ!」
 はっと我に返って、目の前の体を押して制す。けれど、細身の外見からはわからなかった男らしく厚い胸板に触れた瞬間、じんと体の芯が熱を持った。
 とがめるように、綺麗な手が私の手首をいとも簡単に壁に縫い付ける。舌は口腔内を悠々と動き回り、私の舌を優しく絡めとって吸った。
「はぁ……」
「先生、良い顔です。よく覚えておいてくださいね。ご自分の身体が、快楽に溺れていく感覚を」
 耳元で囁かれて、思わず熱い吐息が漏れた。
 私の身体はどうなってしまったんだろう。こんな淫らな行為を、気持ちいいと感じてしまうなんて。制御できないほどに、全身が燃えるように熱い。
 息があがっている私と相反して、目の前の端正な顔は少しも乱れていない。ポーカーフェイスのまま、立っているのがやっとの私の胸元に視線を落とした。
「次は、ここですね」
「ちょっと待ってください……!」
「いいえ、先生。直に触れます。手と、舌で」
 手と、舌……!?
 自分の中に初めて生まれた情欲に翻弄されて、私は息を詰めた。
 どうしてこんなことになってるんだろう。
 私は本物の〝先生〟なんかじゃないのに。だけど……。
「いいですね、先生」
 感情のない瞳で艶やかに囁かれると、抗えなくなってしまう。
 私はじわじわと籠絡され、溺れていく。
 顔色ひとつ変えることなく私を恍惚とさせる、鉄仮面王子との淫らな秘め事に──……。

第一章 作家と編集者の過激なお仕事

 ──二週間前のこと。
 十四時、十五分前。
 店内に列をなした客が、いよいよかとざわつき始めた。それに呼応するように、腕章を付けたスタッフたちもそわそわしだす。
『口から心臓が飛び出そう』という表現は、あながち嘘じゃないと実感している今。店内に充満する、緊張と昂りが混ざり合ったこの空気に耐え切れず、私は踵を返した。
「ごめん。ちょっとトイレ」
「えっ。はな!?」
 五回目だよぉぉという明子あきこの声を背中に聞きながら、一目散に駆け出す。
 深呼吸したい。とりあえず、この制御不能な心臓を止めたい。否、落ち着かせたい。
 売り場を脱出し、事務所へと飛び込む。
 この角を曲がればトイレは目前。安らぎの安全地帯まであと一歩というところで……。
「あっ」
 ドンっ! という鈍い衝撃を受けた。
 一瞬だけ、良い香りがほのかに鼻腔をかすめた気がしたけれど、得意の妄想かもしれない。現実は、角を曲がった途端に誰かにぶつかった模様。
 やってしまった。職場の廊下で人身事故。今日は特別なイベントの日だから、本社から重役が来ているのに。どうしよう。ぶつかった相手はどなただろう。
 恐る恐る顔を上げたけれど、視界がぼやけている。
「メガネメガネ……」
 廊下に手を這わせて探していると、スッと目前に探し物が差し出された。
「メガネメガネと言いながら眼鏡を探す人を、初めて見ました」
「えっ」
 そんなことを口走っていた自覚なんてなくて、恥ずかしさが込み上げる。
 けれど、笑って許してくれそうな穏やかな男性の声に、少しだけ安堵して眼鏡を受け取った。
「ありがとうございま……」
 感謝を口にしながら眼鏡をかけた私は、相手の顔を見た瞬間に絶句した。
 脳内では、にこやかな表情のイメージ映像が再生されていたのに、私を見下ろすその人は、完全に無表情。
 お、怒ってる? さーっと血の気が引いていく。
 しかも、どなたかは存じ上げないけれど、明らかにここ本店の従業員ではない。本社の人か、社外からのお客様か。いずれにしても、大変な粗相だ。
「申し訳ありませんでした!」
「いいえ。怪我はありませんか?」
「はい。大丈夫です。あの、お怪我は……?」
「ありませんので、お気になさらず」
 形の良い唇から出るのは、優しい言葉。だけど、相変わらずの無表情。
 感情がまったく読み取れなくて戸惑っていると、スッと手が伸びてきた。
 これは、まさか。
『未だ尻餅をついたままの無様な格好の私に手を差し伸べてくれている図』だろうか。二次元でしか起こりえないと思っていた展開に、衝撃が走る。
 さらに、無表情なことに気を取られていたけれど、気付いてしまった。この人がとんでもなく綺麗な顔をしているということに。
 きっと、年上。品の良い紺色のスーツに身を包み、眉目秀麗なお顔にはスタイリッシュなシルバーのメタルフレームの眼鏡。
 こんな「見た目ハイスペック」な男性が現実リアルにいるなんて。
 差し出された綺麗な手をとりたいのに、三次元での恋愛経験値が著しく乏しい私にはハードルが高すぎる。
 おどおどしていると、その手がぐっと私の手を握った。
「……っ」
 思わず息を詰めた私を力強く引き寄せ、あっという間に立たせてくれる。
「ありがとうございます」
「お気をつけて」
 消え入りそうな声で告げながら深々と頭を下げると、男性は颯爽と去っていった。
 大事な仕事の前に、こんなアクシデントを起こしてしまうなんて。気を引き締めなくては。しかもあの方、最初から最後まで無表情だった。内心怒ってるに違いない。
 でも、綺麗な人だったな……。
 わずかに高鳴る鼓動を落ち着かせるように、大きく深呼吸をした。

 夢だった「大手書店の本店社員」になって半年。
 私、上田うえだ花は、順風満帆な社会人生活を送っていた。
 間もなくこの書店では、イケメン人気推理小説家……と謳われている獅子王ししおう頼音らいおん先生の、新作推理小説の発売記念サイン会が開催される。
 同期社員の明子と一緒に、このイベントの担当者になれたことが嬉しくて、私は朝からずっとそわそわしていた。
「来た……!」
 隣で明子が囁いたと同時に、店内のあちこちできゃーっ! という黄色い声が響く。
 私の心臓も、ひときわ大きく高鳴った。
「はぁ……。獅子王先生、生で見るとさらにかっこいいね」
「明子、DQNペンネームだってバカにしてなかった?」
「してたけど、全力で撤回する。たった今から、花と同じくらいのファンです」
「二人とも、にやけすぎよ。大ファンなのはわかるけど、仕事だからね」
「はい。すみません」
 明子だけだと思っていたら、無意識に私もにやけていたなんて。不覚。
 だけど、注意を促した先輩もかなり高揚した顔をしている。
 私たちは一様に昂る気持ちをぐっとしまい込み、顔を引き締めて仕事モードに切り替えた。
 通路の奥から歩いてきた店長の後を、長身の二人が続く。黄色い声もさらに大きく響き渡る。
 獅子王先生は、シャツにジャケットを羽織ったラフな服装と帽子。もう一人はビシッと細身のスーツにネクタイ。わりとオシャレで素敵な店長が、二人と一緒だと霞んで見える。
 颯爽と、私たちが控えている特設テーブルに近づいてきた。その姿がはっきりしてきた途端、私は息を呑んだ。
 あの人……!
 スーツ姿の男性は、まぎれもなくさっきぶつかってしまった人だ。
 男性は相変わらずの無表情で、特設テーブルに座った獅子王先生の後ろに立った。
「あのスーツの方って……」
 周囲のざわめきにまぎれてこっそり聞くと、明子は不思議そうに目を瞬かせた。
「あの人は、獅子王先生の担当編集者の松岡まつおかさん。あれ? 花、会うの初めて?」
「うん。お名前はよく聞くけど、お会いするのは初めて」
「あ、そうか。松岡さんとの打ち合わせのとき、花はいつも本社に行ってていなかったもんね」
 明子の言葉通り、このサイン会の打ち合わせのときは、不自然なほどいつも私は不在だった。獅子王先生の担当編集さんのことは噂では聞いていたけれど、まさかあの人だったなんて。
 さっきぶつかってしまった人が出版社の人で、よりによって獅子王先生の担当編集さんだったという事実に、ひやりと背中を冷たい汗がつたう。
 どうしよう。怒ってそうだったし、始末書かな。
 ごくりと生唾を飲み込むと、なにを勘違いしたのか明子が目を光らせた。
「気になるよね。わかる~。松岡さんって、あんなイケメンな上にデキる男で、彼が担当する作家はどんどんヒット作品を生み出してるんだよ」
「上田さん、お目が高い。今日来てる獅子王先生のファンのほとんどは、松岡さんのファンでもあるのよ」
 ふふっと、先輩までもが口元を緩めた。
「あのポーカーフェイスがたまらないですよね」
「店長ですら、笑顔を見たことがないらしいわよ。もはや松岡さんの笑顔は都市伝説レベル」
「そんなに!?」
 うっかり食いついてしまったことを、激しく後悔する。
 案の定、二人はにやりと笑い、さりげなく私のそばに寄ってきた。
「松岡さんは、あのポーカーフェイスで通称『鉄仮面王子』って呼ばれてるんだよ。あの眼鏡の下には、王子様のような甘いマスクが隠されてるって噂なの!」
「あら。私は、小動物のように超絶可愛いお顔だって聞いたわよ」
「それも聞きますよね。とにかく、王子のような超絶可愛いお顔を隠して、いつもあんな感じのクールなポーカーフェイスで淡々としてるのよ!」
「はぁ……」
 確かに、彼はさっきもずっと無表情だった。怒ってたわけではない、ということだろうか。
 二人が鼻息を荒くしている理由もいまいちわからず、リアクションに困る。そんな私の態度が、彼女たちをさらにヒートアップさせてしまったらしい。
「花、わかる? このギャップ萌え!」
「全国の書店員が松岡さんに萌えキュンしてるのよ!」
「全国は言いすぎじゃ……」
「ごめん。ちょっと盛ったわ。でもね、彼の密かなファンは大勢いるのよ」
「はぁ」
 確かにイケメンだけど、だからこそ私なんかには縁遠い。生きている次元が違うもの。こうやって眺めているだけでも恐れ多い。
 けれど、二人は眼福にあずかるだけでは物足りないらしい。
「松岡さんに壁ドンされたいわ……。あの綺麗なお顔に迫られたい。五センチ目前まで」
「わかります~~! 松岡さんって、絶対細マッチョですよね。お尻もキュッて引き締まってるんだろうなぁ。あのスーツを乱したいです~~」
「首から鎖骨にかけてのラインが綺麗そうよね。ネクタイをシュって取ってほしい!」
「腰のラインは、筋肉で引き締まってそうですよね。ああ、抱かれたいです~~」
「どうやって抱くんだろうね。いつもはクールなだけに、夜は激しそう」
「わかります! あ~激しく組み敷かれたい」
「手の指は細くて長いんだろうなぁ。あの手で焦らされたいわ」
「絶対テクニシャンですよね。間違いないです!」
「夜は鉄仮面を外すのかしら」
「それ、やばいです。想像しただけで萌え転がりそう!」
「ポーカーフェイスでいられなくなって、快楽に顔を歪ませる松岡さん……」
「「ああ~~~堪らない!!」」
「ちょっと、二人とも……!」
 二人の妄想の中で、松岡さんは真っ裸にされてしまっている。なんて破廉恥。
 だけど、無駄に想像力が豊かな私の頭の中にも、細マッチョでお尻がキュッと引き締まっていて首から鎖骨にかけてのラインが綺麗で腰のラインが筋肉で引き締まっていて、スーツを乱しながら激しく組み敷く松岡さんの姿が……。ああ、なんて恥ずかしい。
 なんとか頭の中から勝手な妄想の松岡さんを消し去ろうとするけれど、簡単に消えてはくれない。
 それどころか、さっきぶつかったときに差し出された綺麗な手の感触を思い出してしまう。
 さっき、ほんのり良い香りがしたのはきっと妄想なんかじゃない。綺麗だけど男らしい手だったな……。
 また妄想の世界に飲み込まれそうになっていると、暴走している二人が急に声を潜めた。
「それでね、上田さん。あんなにイケメンなのに女性の影がなさすぎるのよ」
「あ、それ私も聞きました! 獅子王先生とのBL説。腐女子にもファンが多いらしいですよ」
「ぐっ……」
 思わず変な声が漏れてしまった。
 獅子王先生と、松岡さんが……? いやいや、ない。ないはず。ないって言って!
 脳裏には、二人のいかがわしい姿が浮かんできて、慌てて打ち消す。
 気を引き締めて、さらさらとサインを書いて握手をしている獅子王先生を見つめた。
 こうやって、獅子王先生と一緒に仕事をするのが長年の夢だった。それがやっと叶ったんだな。
 感慨深く見つめていると、落ち着きを取り戻したらしい明子が、ん? と声を漏らした。
「なんか……獅子王先生、さっきからチラチラこっち見てない!?」
「えっ。私たちの話、聞こえちゃった? ……あれ? 上田さんを見てる?」
「ま、まさか……!」
 慌てて否定したものの、確実に先生は私をチラチラ見て、時折不敵な笑顔まで送っている。
 ちょっとマズイよ。獅子王先生と私の関係がバレたら……!
 仕事に集中しよう。うん。
 そう自分に言い聞かせて、先生から目線をずらした。
 すると、今度は先生の後ろに立っている松岡さんと目が合う。なぜかドキッと胸が高鳴った。
「あれ? 松岡さんも花のこと見てる?」
「そんなことないよ」
「獅子王先生も、松岡さんも、上田さんに気があるんじゃないの~?」
「でも残念。花は二次元にしか興味ないですから」
「乙女ゲームの武将が恋人なんだっけ?」
「そうです。二次元の恋人は裏切りませんから」
 気丈にそう返したけれど、少しだけ心が痛い。
 明子も先輩も、そんなこと本気で思ってはいない。
 凡人には程遠い特設テーブルにいるあの人たちは、別次元の特別な人だ。そんな方々が、私に気があるなんてありえないって、明子も先輩もわかっている。二人はただ、悪意なく私をいじっているだけだ。
 松岡さんのスタイリッシュな眼鏡とは正反対の、ザ・文系な眼鏡。化粧っ気なんてなく、一度も染めたことのない真っ黒な髪の毛はいつもきっちり縛っているだけで、オシャレにも鈍感。そんな私のモテ期なんて、永久に来るはずなんてないんだから。
 ましてや、あの獅子王先生が私に気があるなんてありえない。
 だめだ。今は仕事に集中しなくちゃ。私にとって、これは夢にまでみた大切な仕事だ。
 気落ちしそうになるのを切り替え、視界の端で獅子王先生を見る。
 やっぱり獅子王先生の挙動はおかしい。明らかに私を意識している。
 誰にも気付かれてないよね? 怪しまれてないよね?
 破廉恥な妄想をしたり、落ち込んだりしてる場合じゃなかった。
 誰にも私たちの関係を知られてはいけないんだから。
 でも……。獅子王先生を見ていると、自然と顔がほころぶ。
 相変わらずマイペースで自由人だな、あの人は。
 先生に少し呆れながらも、大盛況なサイン会が自分のことのように嬉しかった。

「お疲れ様~~!」
 無事サイン会が終わり、本日の業務も終了した。
 ここ数日間、気を張っていた私と明子は、晴れ晴れとした顔で退社する。
「今日のサイン会のこと、さっそくネット上で賑わってる」
「なんて書いてあるの?」
「獅子王先生、かっこよかったーとか、優しかったーって」
「へー」
 まずまずの評判に、ほっと胸を撫で下ろす。
「あ、でも肝心の新刊はちょっと残念な評判みたい」
「えっ」
 慌てて自分のスマホで検索してみると、そこには目を背けたくなるような新刊のレビューが続々と書き込まれていた。
『駄作すぎる』『どうした獅子王』『引退か』そんな文字が、ネット上だけではなく週刊誌でも踊っていることを、知らないわけではなかったけれど。
「今回の新作は、正直言って獅子王先生らしくないよね。売り上げも確実に落ちてるし」
「うん……」
「そんな辛そうな顔して……。花は、獅子王先生が本当に好きなんだね」
「え? う、うん」
「大丈夫だよ! 獅子王先生には、松岡さんっていうデキる編集者がついてるんだし! 誰にだってスランプはあるよ。次回作に期待しよう!」
「そうだよね。ありがとう」
 明子の明るい笑顔のおかげで、心の中に渦巻き始めた重い気持ちが消えていく。
 うん、きっと大丈夫。獅子王先生の才能は、私が一番知っている。
 今日は夢が叶った日。素晴らしい一日だった。そう自分に言い聞かせて……。
 月明かりに照らされながら、私は真っ直ぐ前を向いて帰路についた。

* * *

 店長に呼び出されたのは、それから数日後だった。
 やけに上機嫌な店長の姿に、ピンと勘が働く。
 もしかして、獅子王先生が来てる!?
 それはマズいよ……!
 騒ぐ胸を引き連れて、事務所の奥、会議室のドアの前に立った。
 大丈夫かな、私。いざ獅子王先生を前にしたら、店長も同席しているのに挙動不審になってしまいそうで怖い。
 獅子王先生……いや、お兄ちゃん──。
 お願いだから、私たちが兄妹だってことを、店長に知られてしまうような言動はしないで!
 ……あのことが知られてしまったら、大変なことになるんだから。
 祈るように深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
「失礼します」
 恐る恐るドアを開け、中に入ると……。
「こんにちは」
「えっ」
 満悦の笑みを浮かべている店長の向かいに座っていたのは、獅子王先生ではなくて。
『鉄仮面王子』、松岡さんだった──……。

※この続きは製品版でお楽しみください。

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