【試し読み】亡霊王子の策略は攫われ花嫁を淫らに咲かす

作家:日野さつき
イラスト:うすくち
レーベル:夢中文庫プランセ
発売日:2021/12/17
販売価格:700円
あらすじ

侯爵令嬢ディアナは、政略結婚で8つも年下の第二王子に嫁ぐことに。しかし体が弱いという第二王子は結婚式に姿を見せず、初夜もディアナ一人きりで過ごしていた。「幸せになりたかったな」モヤモヤした気持ちを鎮めようとお酒を嗜んだディアナは酩酊してしまう。いつの間にか現れた逞しく麗しい男に組み敷かれ、激しく抱かれ……すべて酔いが見せる夢──そう思いディアナは快感に溺れ乱れてしまうが、目覚めると事実だと思い知らされる。不義密通してしまったことに頭を抱えるディアナ。しかしその男は行方不明になっていた初恋の相手ヴァルトルで── なぜ彼は身を隠すのか。ディアナも彼のたくらみに協力して姿を消すことになって……!?

登場人物
ディアナ
アレクサ侯爵家の長女。政略結婚により沈鬱していた初めての夜、行方不明になっていた初恋の相手と再会する。
ヴァルトル
隣国との戦争中に行方がわからなくなっていたディアナの初恋相手。ある事情により、身を隠していたが…
試し読み

「結婚おめでとう!」
 ディアナは天井に向かって叫ぶ。
 寝室の丸天井は、青い石で埋め尽くされている。薄い青濃い青、様々な青を使ったモザイクの意匠は美しかった。描かれているのは受胎図で、そこに向かってさらにディアナは口を開く。
「おめでとう、私!」
 仰臥ぎょうがしたベッドは広い。生家に暮らしていたときも、左右に転がってふざけられるほど広かった。こちらのものはそれ以上だ──夫婦のためのものなのだから、当然といえば当然か。
「しあわせに! なってね!」
 続けて言葉は出てこず、代わりにため息が漏れていた。
 ベッドの真ん中に横たわったディアナは、花嫁衣装を身に着けていた。
 つい先ほど、ポルーハ国の第二王子であるレオルト・ブラーハに嫁いだ身である。
 夫になるべきレオルトは、体調不良により不在という式だった。
 そのことに驚いたが、ディアナはほっとしていた──八歳年下の夫と会わないで済む。
 そう思ってしまったのだ。
「しあわせ……なれるかな」
 今夜は初夜だ。ディアナは新郎新婦が過ごすべき寝室で、ひとり時間を送ることになった。
 披露宴もなにもなかった。
 ひとり誓いを立て、誓約書にディアナもペンを走らせ、そしていま脱力している。
 夜には新郎が別室で署名をするという。
 その光景を目にすることもなく、ディアナは夫婦になるのだ。
 早朝生家であるアレクサ侯爵家を発つとき、家族はみな訃報を前にしたような顔をしていた。その気持ちはわかる。名ばかりの結婚に、長女であるディアナを差し出すのだ。
 政略結婚それそのもの自体は珍しいことではないものの、隣国との戦争が続くなか、ディアナは花嫁という立場の人質になった。
 現在は小競り合いばかりだそうだが、前線では両軍がにらみ合いを続けている真っ最中であることに変わりはない。
 アレクサ家は長くなった戦争に対し、異議を唱える立場にあった。相手は王家だ。反乱を疑われる行為だったが、それを打ち消せるほど軍への支援を惜しんでいない。
 支援は終戦のためであり、また戦地にある兵が安全に撤退するための援助である──ディアナの父であるアレクサ侯爵家当主は、そう公言している。
 そんななかディアナが王家に嫁ぐというのは、今度もし戦火が再燃し、苛烈になってしまったとき、ていのいい人質に使われかねないことだった──アレクサ侯爵家をしたがわせるための、王家の手札に使われる可能性だ。
 ディアナを見捨てない限り、アレクサ侯爵家は徴兵や供出要請に応じ続けることになる。
 ──王家がいいようにアレクサ侯爵家を使うための人質。
 考え過ぎかもしれないが、あり得ないことではなかった。
 ディアナを第二王子の妻に、という話が出たとき、理由をつけて辞退する道もあった。だがそれはディアナの将来を潰す行為だ。王家との婚姻を蹴り、その後にどこかに嫁ぐ道はない。
 年下の第二王子に嫁ぐか、辞退し生涯を隠者のように暮らすか。
 選択しなければならなくなったとき、家族は誰も明るい顔をしていなかった。
 婚姻を結びましょう、とディアナはみずから進み出た。
 女の身の上で、家に対してできることは限られている。
 他家との縁を結ぶのは、できることのなかで最大の仕事だ。
 そこにディアナや家族が楽しいかどうかは関係がない──頭でぐるぐるとまわる考えを、ディアナは無理矢理閉め出した。
「好き勝手に生きたぁい……」
 生家では両親がたしなめるのも聞かず、ディアナは文字を覚え書籍を紐解いて暮らしていた。
 書物に向き合うのは楽しかったが、人質同然の花嫁たちの末路が描かれた物語もたくさん読んでいる。
 完全な他人事なら楽しめるが、いまはそのうち我が身に起こってもおかしくない。自分がそんな状況に陥るとは、当時は微塵も考えていなかった。
「しあわせ、かぁ」
 ディアナは身を起こし、すでにしわになってきている花嫁衣装を脱ぎはじめた。
 立ち上がり、乱暴に丸めた花嫁衣装を壁に投げつける。
 花嫁衣装の下に隠すようにしていたシャトレーンが、ディアナの胸元で揺れていた。
 それは曇った硝子の小瓶を、銀のこまかい意匠で包みこんであるものだ。本来なら帯に下げるものだった。しかしディアナは祖母から譲られたそれを鎖につなげ、ペンダントとして使えるようにしている。
 小瓶のなかには、祖母のために祖父が職人につくらせた香水が入れられている。ふたりは貴族に珍しく、相思相愛での結婚だった。自分もそうありたいと話した幼い日のディアナに、祖母はこれを譲ってくれた。いまは祖父母は亡く、孫娘がいま結婚に落胆していると知らせずに済んでよかった。
 新郎とは年齢差があった。
 せめて八歳年上の花婿だったらよかったが、年下の相手だ。
 夫であるレオルトと同い年の従兄弟いとこがいるが、悪童の見本のような少年だ。それが紳士になるまでどれだけかかるだろう、そのころに自分はいくつになっているのか。
 十一歳の夫が二十歳になったころ、ディアナは二十八歳だ。そこに明るいものを見出せるほど、ディアナは楽天家ではなかった。
「楽しいこと……そうよ、まずは楽しいこと」
 シャトレーンだけは無意識のうちでもそっと扱っていた。物音も立たないほど丁寧に棚の上に置き、下着姿のままディアナは部屋を歩きはじめた。
 王城は広大な敷地を有し、その一角に建てられた屋敷のひとつをあてがわれている。
 初夜とあって、従者たちはみな屋敷のなかでも離れた部屋に控えるという。新婚夫婦の邪魔はしないという配慮だろうが、なにかあったらどうするつもりなのか心配になった。
 そう考えながらも、ディアナには起こり得るなにか、というものが思いつかなかった。
 まさか暗殺か、と自分の思いつきに失笑する。ディアナを狙ったところで、なにかいいことがあるだろうか。
 生家では自室のベッドに入ったら最後、ディアナは朝までずっと眠りこんでいたのだ。こんな眠気の起こりそうにない夜ははじめてだった。
 いまは自分ひとりだが、屋敷は新婚夫婦のものであり、すべて自由に使っていいといわれている。
 ディアナが目についたチェストを開くと、そこにはなめらかな絹の下着が詰めこまれている。刺繍が派手で、ディアナの好みではなかった。
 この先これを身に着けるのか、とため息交じりにしながら、ディアナはチェストを閉じる。
「……さっさと済ませたかったのにな……」
 初夜の勤めだけを果たせば、とりあえず自分も夫も体面は保てる──はずだった。
 こんなふうにひとりで放り出され、ディアナにどうしろというのか。
 人生初の、記念すべき結婚式だった。
 頭のなかは高揚し、はっきりしている。横になったからといって眠れると思えない。
「ここが私の家になるんだものね、なにがあるか見ておいたほうが」
 ディアナの足は動きはじめていた。じっとして時間を過ごすなど無理そうだ。
 探検をはじめたディアナは、続きの部屋にある扉を開いた。
 扉の先は衣装室で、先に調べてあったのだろう、無数に置かれた靴はどれを履いても足にぴったりだった。
 そこにある鏡には、緩やかに弧を描く蜜色の髪を背に流したディアナが映っている。
 明るい碧の瞳と見つめ合ったのも束の間、下着にさっき試しに履いた乗馬靴という格好をしている自分の姿に我に返った。
 ディアナはしばらく笑った。笑い、それから惨めになり、靴を脱ぐと元のように揃えて仕舞いこんだ。
 見回した収納にある衣類は、きっとすべてがディアナの身体に合わせられたドレスなどだ。
 用立てられているのに、歓迎されている気分にならない。
「……書斎、ないのかな」
 さすが王族が暮らす場所だ、部屋から部屋へと、次々につながっていく。
 侯爵家出身のディアナの暮らした屋敷も広かったが、こちらは段違いに部屋数が多い。すべての部屋に朝まで耐えられる燭台が灯され、十分な明かりが確保されている。休んだりくつろげることに主眼を置いたのか、やけに長椅子が目についた。
「こんなに長椅子ばっかりあって、どうする気なのかしら」
 広い部屋を大股に通り過ぎ、目当ての書斎に行き当たったディアナは笑顔を浮かべた。
 並ぶ書籍の背表紙をあらため、知らない本があることに嬉しくなる。
 はじめて見る地名の郷土史を手に取り、抱えて隣室の長椅子に寝そべった。
 冒頭をめくっていったディアナは、郷土史は自分にはまだ難しい、と理解する。
 まずはこの本が読めるようになろう、そう心に決めた。
 王族としての公務もあるだろうが、戦争中に子女を前に出していく動きは見られない。
 戦争に参加した第一王子の行方も、四年ほど前からわからなくなっていた。国としては、早々にディアナとレオルトの間に子供をつくってほしいだろう。隣国との戦争中、後継者争いで内戦になったら目も当てられない。
「……しあわせには、気楽さが大切な気がするわね」
 ディアナの声は暗いものになっていた。
 ずっと昔、ディアナは第一王子や有力貴族の子息子女たちと遊んだことがある。
 おとなたちが酒宴を楽しむ間、子供たちは子守に預けられて時間を過ごした。そのときのディアナにとって、七つ年上の第一王子の振る舞いはとても紳士的に映ったものだった。
 彼はディアナの初恋の相手となっていた。
 ──もし彼が行方不明になっていなかったら。
 ──そうしたら、ディアナの夫は彼になっていたかもしれない。
 それを考えても仕方のないことだ。四年も消息のつかめない状態が続いているのだと、ディアナは父から聞かされていた。その声はもう生存を信じていないものだった。
「前を向いてるのが一番よね」
 明日明後日には、さすがに夫と顔合わせをするはずだ。せいぜい身体の具合を心配してやろう。いつか「初夜の晩はよくもひとりにして」、と恨み言をいえる間柄になりたいものだ。
「そういえば、はだかで寝ると、どんな感じがするのかしら」
 いままでに試したことがない。新妻となったはじめての夜に、夫とともに経験するのだと思っていた。相手もいないが、せっかくだしひとりで試してみようか。
 郷土史を抱え、ディアナは歩きはじめた。まだ確認していなかった扉に気がつき、開いてみるとそこには明かりが用意されていない。
「なに、ここ」
 取って返して、郷土史と燭台を交換する。
 明かりを差し向けた室内には、壁一面の棚に酒が収蔵されていた。窓もない部屋で、気のせいかほかの部屋よりすこし寒く感じる。
「お酒かぁ」
 焼き菓子に酒が塗ってあるものを食べ、やけに眠くなったことがあるくらいの飲酒経験しかない。
 酒をそのまま飲んだら、きっとすみやかに眠れるだろう──ディアナは手近な棚の瓶を手に取った。
 まだ開けていないそれに手をかけるが、けっこう力が必要だった。
「父さま、もっとかんたんに開けてた……気が……っ」
 指先が痛くなってきたころようやく開栓することができた。手間取ったせいかとても嬉しい。
「いいにおい、これワインかしら」
 果物を思わせる、甘くやわらかい香りがする。
 グラスがどこにあるかわからず、そのまま口をつけてみた。
「……おいしい!」
 気に入った。
 香りほど味は甘くなく、後味がさっぱりしている。ほかのものがおなじような味かわからないが、適当に手に取ったものがおいしく、大当たりだったことでディアナは上機嫌になっていた。
 やっと軽くなった足取りで寝室に戻り、ベッドのはじに腰を下ろす。
 ディアナはワインをすこしずつ口にし、郷土史をめくっていった。
 そのまま口をつけている行儀の悪さは、全部飲んでしまって瓶ごと隠して消してしまおう──そう思っていたのだが、次第にディアナは郷土史の文字を追えなくなっていく。
「……なにかしら」
 顔がやけに熱く、身体がふわついている。
「もしかして、これって……酔った、ってこと……?」
 ディアナは這うようにして枕元にいき、上掛けにもぐりこんだ。
「ぽかぽかしてる……酔うのって、冬場ならいいかもしれないわね」
 ゆっくりと頭のなかがまわっているような気がした。
「のんびり、気楽にやっていきたいなぁ……」
 つぶやくなり、ディアナは眠りに落ちていたのだった。

 揺れる感覚で、ディアナは目を覚ましていた。
「……なに……?」
「起きた? ごめんね」
 声がするのでとなりを見れば、黒髪の男が微笑んでいる。
「……誰?」
「誰だと思う?」
「……ほんとうに誰……?」
「新婚初夜の花嫁が、一緒に過ごすべき相手だよ」
「ああ、えっと……じゃあ新郎?」
「そうだね」
 レオルトは十一歳だと聞いていたが、目の前の男は三十歳の手前くらいの年齢に見えた。
 ──夢だ。
 となりで服を脱いでいく男を眺め、ディアナは納得していた。
 ──夢のなかくらい、好き勝手な物語に身を浸してもいいはずだ。
 男は美しかった。
 精悍な獣のような身体つきをしていて、背に垂らした短い三つ編みがかわいらしく思える。すこしつり目なところも、くちびるが薄いところも、あまりにもディアナの好みだった。低い声がわずかにかすれているところも素敵だ。
 はだかになった彼の身体が引き締まっていて、寝室の明かりで繊細な陰影が描かれる。
 ──夫が、こんなひとだったらいいのに。
 すべて脱ぎ捨てた彼の下腹部が、かたく強張って身を起こしているのが目に入った。
 男性が欲情するとそうなる──結婚直前に、ディアナは家庭教師にそう教わった。閨房けいぼうでは夫に従順に、と締めくくられ、その授業で身についたものはさほど多くない。
「……どうしてそんなふうになるの? いつもそうなの?」
 素直に男性を指さして尋ねると、彼は短く笑った。
「なんていったらいいかな……ディアナ、きみのことがほしいから、俺の身体がその準備をしたんだよ」
「ほしい?」
「そう、誰にも渡さないで済みそうだ。ほっとした」
 彼の手が下着にかけられても、ディアナはなんら抵抗しなかった。上気したように温まった視界で、肌が寝室の空気にさらされていくのを見守る。
「抵抗しないんだな」
 揶揄する響きがなかったので、かえってディアナは笑ってしまった。
「笑うほどおかしかったか?」
「夢で抵抗なんてしてどうするの?」
「……夢かぁ」
 となりに身体を横たえ、彼はディアナの顔をのぞきこんでくる。
 彼からはいいにおいがしていた。
 ディアナは彼の肩口に顔を埋める。
「あなた、いいにおいがする」
「……ディアナほどじゃないと思うよ」
「ねえ、名前はなんていうの?」
「気になる? 俺に興味を持ってくれて嬉しいよ」
「教えてくれないの?」
「なんて名前がいいと思う?」
 レオルト以外の名ならなんでも、といいかけて、ディアナは首を横に振った。
「……また会うときまでに、考えておくわ」
 会うことはあるだろうか。
 出会ったばかりの彼と、また会いたいと思っていた。好きなように夢の内容を決める方法など知らないが、もし好きなように彼と会えたらきっと楽しいだろう。
 顔を上げたディアナのくちびるを、彼は自分のくちびるでふさいできた。
「……っん……ん」
 差しこまれた彼の舌が、じっくりとディアナの口腔内を探索していく。口蓋を撫でられ、ディアナの身体にふるえが走った。それを知ってか、彼の舌は念入りに口蓋をねぶっていく。
「ぅっ……ふ……ぅうん……っ」
 はじめてのことで、ディアナはシーツをきつくにぎってそれをやり過ごした。一度くちびるは離れていったが、ディアナが荒い息をつくと、ふたたび彼はくちびるを重ねてくる。
 今度はディアナもそっと舌を動かしてみた。
 彼はされるがままになり、シーツをにぎっていたディアナの手指を解いていく。そこに自身の指を絡ませてくる彼に、ディアナは懸命に舌を使っていった。
 ついいましがた感じたものを、彼にも教えたくなっている。
 くちづけがとても気持ちがよかったのだ──にぎり合った指が、ときおり反応していた。

※この続きは製品版でお楽しみください。

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