【試し読み】雇ってください、旦那様!~身代わりメイドと黒い白騎士~
あらすじ
求職中のジュリエットは「メイドとして雇いたい」と勧誘され、とある商家の屋敷へ。するといきなり拘束され、その家の娘の代わりに隣国の伯爵邸でメイドを務めてこい!と命じられる。家族を盾に取られ仕方なく商家の令嬢・アイリーンとして伯爵家へ向かうが、当主のコンラードは「見た目は白いが性格が悪い」“黒い白騎士”と呼ばれ、少々性格に難アリの美男子だった。彼から嫌われいびられる日々が続きジュリエットは我慢していたが──「……いい加減にしてください!」 ある日ついに堪忍袋の緒が切れプッツンしてしまう! 激しく後悔するジュリエットだったが、コンラードはこれまでの態度を謝罪し優しく接してくれるようになって……!?
登場人物
商家のメイドとして雇われたはずが、身代わりとして隣国の伯爵家へ行儀見習いに行くことに…
伯爵家の若き当主。白金色の髪をもつ美男子だが、性格に難アリとして“黒い白騎士”と呼ばれる。
試し読み
1章 とんでもない依頼
春の日差しは暖かくて、眠気を誘ってくる。
この時期に就職や転職をする人が多いことから、「春は出会いと別れの季節」と言われているけれど……今の私はまさに、その状況だ。
「本当にいいのか、ジュリエット。君には本当に世話になったのだから、次の就職先を紹介するよ」
念を押すように問われ、トランクを手にした私は振り返った。
立派な屋敷の玄関ポーチに立って私を見下ろすのは、この屋敷の主。田舎から出稼ぎのために都に来た私を採用し、お嬢様の子守女中として五年間雇ってくださった方だ。
「ありがとうございます。でも、奥様にはとても嬉しい紹介状も書いていただきましたし、一旦職業斡旋所に行ってみようと思います」
「そうか……。だが、もし困ることがあったら遠慮なく、相談しなさい」
「はい。本当に、ありがとうございます。……五年間、お世話になりました」
私はお辞儀をして、呼んでいた馬車に乗り込んだ。
私、ジュリエット・ジルベは成人を迎えた十六歳で故郷の地方都市を離れ、都会まで出稼ぎに来た。そうして親切な職業斡旋所の職員さんの紹介を受け、幼いお嬢様の子守を必要としていた下級貴族のお屋敷に雇われることになった。
慣れないことばかりだったけれど、旦那様も奥様も優しくて、仕事仲間も気さくで、お嬢様は私によく懐いてくれた。
そのお嬢様が十二歳を迎えて学校に通う年齢になったことで、私は子守としての役目を終えた。旦那様たちは私のことをとても高く評価してくださり、紹介状──次の就職先を探すのに必要な書類にも、嬉しいことばかり書いてくださった。
本当はこの屋敷でメイドなどとして働きたかったけれど、子守女中といわゆる雑用女中とではやることが全く違う。それに、同じ職場に何年もいるより色々な経験をした方がいいだろうという意見もあったので、一旦このお屋敷を離れることにした。
子守として働いている間に、私は二十一歳になった。一昔前ならともかく、今は平民女性なら二十代でもバリバリ働く時代だ。私も今はしっかり働いてお金を稼いで故郷に仕送りをし、二十代半ばくらいで素敵な縁に恵まれたら……と考えている。
ひとまずは、働いて、お金を稼がないとね。働くのも、結構楽しいし。
私は馬車に乗り、都の中心街までやって来た。そうして訪問したのは、五年前にも緊張しながらドアを叩いた職業斡旋所。
入り口付近のボードには、求人情報の紙がベタベタと貼られている。ざっと見たところやっぱり、下級貴族や商家なら男女問わず使用人を募集しているみたい。
「ジュリエット・ジルベです。就職先を探しに来ました」
受付の女性職員さんは私が差し出した紹介状を見て、頷いた。
「ジルベ様は五年間子守女中として、真摯な態度で勤務されたようですね。次も子守女中を希望されますか?」
「いえ、特にこだわりはありません。掃除や洗濯などは一通りできますし、簡単な調理も教わりました」
家政能力は実家で母から叩き込まれたけれど、学問はそうもいかない。都会に出たときの私は、最低限の読み書き能力しか備わっていなかった。
そんな私に旦那様が、「君もたくさん学べばいい」ということで、お嬢様用の教本を読ませてくださった。
そこから私は礼法や簡単な詩歌、歴史や地理を学び、字も丁寧に書けるようになり、暗算もできるようになった。本当に、旦那様たちには感謝してもしたりないくらいだ……。
旦那様と奥様は私のことを褒めちぎった紹介状を持たせてくださったので、次の就職も有利に動くはず。
予想通り、職員さんは私の紹介状と求人情報の載ったノートを見比べながら、「色々選択肢はありますね」と言ってくれた。
「いくつかこちらで見繕いますので、待合室でご覧になってください。もし気になるものがありましたら、教えてください」
「はい、ありがとうございます」
そうして女性がまとめてくれた資料を手に、私は一旦騒がしい待合室に戻った。テーブルのある席は既に埋まっていたので窓際のソファに座り、資料を捲る。
男爵家の子守、商家の台所女中、中流階級の家の雑用女中……色々ある。これだけ選択肢があるっていうのは、本当に嬉しいことだな。
わくわくしながら資料を広げていた私は──ふと、視線を感じたような気がして、顔を上げた。
私は窓の方に体を向けていたので、顔を上げるとくすんだ窓ガラス越しに表通りの風景を見ることができる。
……どうやら、斡旋所の前を通りがかった紳士が、こっちを見ているようだ。ぼやけているから、確証はないけれど。
身なりからして労働者階級じゃないから、自分の家で雇う使用人を募集するために、斡旋所に来たのかもしれない。そう思ってなんとなくその人の影を追ってみると、やっぱり玄関の方に回って入ってきた。
上質そうな焦げ茶のコートと帽子を被った、四十代くらいの男性だ。明らかに「雇う側」の雰囲気だけど……あ、あれ? あの人、こっちに来てる……?
求職中の人々の間を縫うようにして、その紳士は私の前までやって来た。目を細め、あごひげを指で撫でながら、ソファに座る私をじっと見てくる。
……何だろう? そこに座りたいから退けろってことかな?
「あの、お席でしたら……」
「君、少しいいかな」
譲ります、と言おうとしながら立ち上がった私の声を、紳士が遮る。
彼は帽子を脱ぐと、人のいい笑みを浮かべた。
「君は、求職者だな?」
「え? ええ……」
「年は? それから、出身地は?」
「……今年で二十一歳になりました。出身は、コルレットという町です」
「コルレット……東にある、寂れた町か」
……寂れていて悪かったな。その寂れた故郷を助けたくて、私は出稼ぎに来ているんだから!
とはいえ相手は身なりのいい男性──しかも、もしかしたら私を使用人としてスカウトしてくれる人かもしれないので鉄壁の笑顔で流すと、彼は大きく頷いた。
「……よし、では、ちょっと来てくれ。君を、メイドとして雇いたいのだ」
紳士は大商家コールリッジ家の当主で、若いメイドを雇おうと考えていたそうだ。
コールリッジ家といえば、私でも知っている豪商だ。現在の当主はこの紳士だけれど商会の会長は彼の父親で、様々な国に伝手のあるやり手だ。確か、跡取りである長男は会長の従者として各地を回り、商人として勉強しているんだったか。
コールリッジ商会の悪い噂は、特に聞いたことがない。だとすれば……これはかなり、おいしい話になるかもしれない!
……このとき、私は「かの有名なコールリッジ商会だから、大丈夫だろう」と思って、斡旋所の人から紹介状を返してもらうと、紳士に連れられて立派な馬車に乗ってしまった。
ただ、それだけのことだけれど……そのときの私はまさか、屋敷に到着するなり拘束され、部屋に転がされるなんて、思いもしなかった。
雇用についての話がしたい、ということで、私はコールリッジ家に招かれた。
そして手足を縛られ、床に放置された。
……なんで!?
「ちょっ……何をするんですか!?」
「黙っていろ。……ああ、おまえたち、この娘の顔だけには傷を付けないように」
紳士──おっさんは、私を縛り上げる男たちに命じた。
私がじろっと睨んでもどこ吹く風で、ソファにふんぞり返るように座って紫煙をくゆらせている。煙が臭いから、たばこ、好きじゃないんだけど……。
「娘、黙って聞いていろ。おまえに、おいしい話を持ちかけてやる」
「……」
「おまえはこれからメイドとして、隣国アルムグレーンの伯爵家に行け」
「……はっ?」
使用人の習性で「静かにしていなさい」の命令に従っていた私だけれど、つい声が漏れた。
いや、確かに、「メイドとして雇いたい」とは言われた。それを聞いて、私も乗り気になった。
でも……勤務先が隣国の伯爵家なんて、聞いていない!
おっさんは唇を引き結んで色々な感情を堪える私を見下ろし、早口で続けた。
「父であるコールリッジ会長が私の娘に、行儀見習いのためアルムグレーンのシベリウス伯爵邸のメイドとして働くようにと命じた。……シベリウス伯爵家当主を、知っているか?」
まさか、自国の貴族でさえ知っているものは限られているのに、大国アルムグレーンの貴族なんて知るはずがない。
私が無言で首を横に振ると、おっさんは「ならば都合がいい」と笑った。腹立つ笑顔だ。
「シベリウス伯爵は、現在二十六歳の若造。アルムグレーン騎士団の部隊長を務めており、実力も確かだ。だが性格が非常に悪いらしく、それを聞いた娘はそんな男に仕えるのは嫌だの一点張り。私としても、可愛い娘を性悪男のもとに行かせたくない。繊細なアイリーンはきっと、辛い思いをするだろう」
「……」
まあ確かに、祖父の命令とはいえ性格が悪いことが分かっている人のもとで働きたくはないだろう。
……でも、まさか……?
「だが祖父は既に伯爵と話を付けているらしく、雇用期間はたったの三ヶ月。……偏屈で有名なシベリウス伯爵のメイドとして三ヶ月やっていければ、十分すぎるくらいだ。娘の結婚を考えると、雇用を無事に終えたという証明書だけは私もほしいし、父の命令に背くことは不可能だ。よって──髪と目の色だけなら娘によく似たおまえを、採用することにした」
……話は、分かった。分かりたくないけれど、経緯は分かった。
でもこれは採用じゃなくて、誘拐だ! 脅迫だ!
「おまえは娘のアイリーンとして三ヶ月間、伯爵家のメイドを務めろ。無事に証明書を手にして帰り、これから結婚相手を探す娘に箔を付けるのだ」
「……」
「ああ、もちろん、相応の褒美は与えよう。だが……おまえがアイリーンではないと相手方にばれたり、父に気付かれたり、三ヶ月の雇用契約を果たせなかったりしたら……」
ねっとりと言いながらおっさんが手にしたのは、私がさっき渡した紹介状と、私の個人調査書。
そこには──私の出身地や両親の名前が書かれている。
「コールリッジ商会に刃向かうことは、考えない方がいい。……地方の貧しい家庭を捻り潰すことくらい、容易いものだ」
「……わ、私の家族に手を出す気ですか……!?」
「ああ、おまえの働きが悪ければな」
せせら笑うように言われ、悔しさに、自分の軽率な行いと判断に、涙が出そうになる。
せめて、個人調査書は渡さなければ。実家の場所がばれなければ、両親には迷惑が掛からなかったのに……!
「……本当に、私がちゃんと働けば、家族に手を出したりはしませんか? 故郷を攻撃したり、しませんか?」
「商人は信頼が命だ。約束は、守る」
薄い笑みを浮かべながら言われても説得力がないけれど……ここで「断ります」と言う選択肢はない。
既に私は、コールリッジ家の企みを知ってしまった。これが周りにばれればとんでもないことになるだろうから……このおっさんは、私のことをただでは済まさないだろう。
もちろん、無事に仕事を終えたからといってお金をもらってさようなら、となる保証もない。
でも、まずはここで首を縦に振らないと──逃げることさえ、できない。
私に与えられた選択肢は、
「……かしこまりました」
そう答えることのみだった。
私は外聞的には、コールリッジ家のメイドとして三ヶ月間、お試し雇用されることになったそうだ。書かされた契約書は斡旋所に送られた──ということだけれど、本当に受理されたのかは、分からない。ちゃんとあの職員さんたちのもとに届いたと信じるしかない。
そして私の出発は、半月後と決まった。それまでの間に、私はコールリッジ家のお嬢様であるアイリーンの振る舞いを学ぶことになったのだけれど……。
「嫌だわ、こんな野暮ったい女が私の真似をするというの!?」
顔合わせをしたアイリーンは確かに、髪と目は私に似ていた。
私の髪は麦わら色で腰までの長さがあり、毛先だけがくるんとウェーブしているのが特徴だ。目は淡い紫色で、この髪質と目の色の組み合わせは、珍しいだろう。
アイリーンも私とよく似た髪と目を持っているし、私は労働者にしては肌が白い方なので、深窓のお嬢様に似せられなくもない。
ただ……細かい容姿については、もう我慢してもらうしかない。
アイリーンは同性の私が見てもとても可愛らしいと思うし、十八歳ということで瑞々しさも兼ね備えている。
私は彼女より三つ年上で、顔立ちは……大商家の令嬢と並べられるはずもない。
アイリーンとしては、こんな私が身代わりになるというのは不満でしかないらしく、私の目の前でおっさんに泣きついた。
「私、嫌よ! 身代わりになるならせめて、もうちょっとましな顔の女を連れてきてよ!」
今、人生で初めて、目の前で容姿を貶された……。
地味に堪えてしくしく痛む胸に手を当てる私をよそに、おっさんがアイリーンをよしよしと慰めている。
「だがな、アイリーン。私も半月掛けて何百人もの田舎娘の顔を見てきたが、髪と目の色だけでも一致するのはこの女くらいしかいなかったんだ。それに、基礎的な知恵はあるようだから、もう少し鍛えれば礼法なども整うはずだ」
「そんな……」
アイリーンは目を潤ませて父親にすがりついた後、私を見てぎんっと目尻を吊り上げた。
「……おまえ、よく聞きなさい。恐れ多くもコールリッジ家の娘の名を名乗ることになるのだから、相応の振る舞いをするのよ! ただ髪と目の色が同じだけの不細工を拾ってあげたことに感謝しなさい!」
あんまりな言い草だし、念押しのようにまた顔つきを貶されて、結構ショックだ。
……でも、ここで口答えしても何にもならないし──痛い目に遭ったりするのも嫌だ。
目尻が熱くなるのを感じつつ私が無言で頷くと、アイリーンはふんっと鼻を鳴らした。
「……本当に、お祖父様も無茶をおっしゃるわ。しかも私、三ヶ月間ずっと、籠もっていないといけないのでしょう!?」
「仕方ないだろう。おまえはアルムグレーンに行っていることになるのだから。せめて、不自由な生活はさせないから、安心しなさい」
おっさんは甘い声で娘をなだめている。その優しさを百分の──千分の一でもいいから、私に分けてほしい。
「それに、この小娘が仕事を終えれば、おまえはあの堅物伯爵にも認められた淑女と名乗れる。そうなれば、おまえをほしがる男が群がってくるだろう。結婚相手も、選び放題だろう?」
「……それもそうね。まあ、いろんな男と遊んで貢がせるのも楽しいけれど……それも三ヶ月の我慢よね」
……こ、この人、お嬢様だというのに、結構尻が軽い感じ……?
あまりにも自分とは価値観の違う人間を前にして、もうこの時点で気が滅入るし、胃がきりきり痛くなってきた。この人のフリをしなければならないなんて……。
「そういうことだから、おまえ、しっかり私のふりをするのよ? この半月間で、私のように淑やかで品のある所作ができるように、心がけなさい。それからその芋臭い顔も、どうにかするように」
アイリーンはそう言って私を一瞥すると、部屋を出て行った。
コールリッジ家の屋敷で、「アイリーンお嬢様なりきり計画」を行うこと、半月。
私は毎日、おっさんから「アイリーンはそんな笑い方をしない!」「アイリーンはそんな言葉遣いをしない!」「アイリーンはもっと高く甘い声で上手に歌う!」と所作のダメ出しをされ、様子を見に来たアイリーンからも「なんてみすぼらしい」「なんて鈍くさい」「なんて貧相な」と見た目のダメ出しをされた。
ちなみに私は全体的にアイリーンより大柄で、身長や体重、ウエストやヒップはもちろんのこと、胸囲も大きかった。それについては、アイリーンもすごく悔しそうにしていた。まあ、確かに……アイリーンの胸元は、結構慎ましかったけれど、だからといって「おまえが太っているってことね」はやめてほしかった。
半月間の計画を終える頃には、「なんとかなるだろう」とおっさんのお墨付きももらった。
そうして私は「絶対に素性を口にしないこと」「三ヶ月未満で追い出されることなく働き、期間を終えたら速やかに帰国すること」「毎日記録を付け、帰国したらアイリーンに渡すこと」などかなりの量の約束事を命じられた上で、隣国アルムグレーンに送り込まれたのだった。
2章 歓迎されない新人メイド
私は旧フォーサイス連合王国と呼ばれる地域で生まれ、十六年間は故郷のコルレットで過ごした。それから五年間は都会で暮らしていたので、他国に行ったことはない。
でも、書物で見るだけだった他国にいつか行き、様々な文化に触れたりその国のおいしいものを食べたりしたいと、夢見ていた。その他国の一つが、広大な領土を持つアルムグレーン王国だ。
アルムグレーンは長い歴史を誇る軍事国家で、この大陸の諸国の中でもかなり発言力が強く、戦においても何百年もの間負け知らずの戦績を立てている。
かといって積極的に隣国に攻め入ったりはせず、領土拡大を狙っているわけでもない。それにアルムグレーンの領土は広いけれど、大半は未開拓の荒れ地だ。人々が住んでいるのは国の東側に集中していて、都会では様々な文化の花が開いている。
私が送り込まれたシベリウス伯爵邸は、アルムグレーン王都・アストリッドにあった。
アストリッドは円盤形の城塞都市で、円盤の中央に王城があり、それを囲むような形で城下町や商店街、貴族の邸宅が並んでいる。
伯爵邸の道中までは、おっさんの腹心らしい執事が同行してくれた。でもそもそも私はメイドとして採用されるので、実家から使用人を連れてくるわけにいかず、執事もシベリウス伯爵家の使用人の偉い人と話を付けると、「では、私はここで」とさっさと去ってしまった。
広々とした応接間に取り残されて、心細さで手が震えてくる。
私の正面には、気難しそうな顔をした初老の男性が。彼はさっき、シベリウス伯爵邸の執事であるスタッファンと名乗った。屋敷で働く男性使用人は彼が、そして女性使用人は家政婦のイーダという女性が管轄するという。
「では……アイリーン・コールリッジ嬢。これからあなたは三ヶ月間とはいえ、我々の監督下に入っていただくため、これからはアイリーンと呼ばせてもらいますが、よろしいですね」
よろしいですか、ではなくて、よろしいですね、だ。
……私の本当の名前はジュリエットだけれどそれを名乗ることは許されないし、その名で呼んでくれる人はこの国にはいない。
私は従順に頷き、お辞儀をした。
「はい。ご迷惑をお掛けすることも多いでしょうが、どうぞよろしくお願いします、スタッファン様」
「……よろしい。では、まずはこの屋敷について簡単に説明しましょう」
そうしてスタッファン様が教えてくれたことによると。
この伯爵邸の主は伯爵であるコンラード・シベリウス様だけれど、彼の家族は甥にあたるアレクサンデル・シベリウス様しかいらっしゃらない。彼らの家族構成については、余計なことは絶対に言ってはならないという。
……多分、かなり複雑な家庭環境なんだろう。同居家族がいないのはともかく、身内らしき人が甥だけというのは──つまり、コンラード様のきょうだいにあたるアレクサンデル様の両親はいない、ということになる。色々あったんだろうな。
そして、シベリウス家はアルムグレーン王国の中でも歴史ある名家だけれど、コンラード様のご希望で使用人の数はかなり減らしている。
住み込みの者では、男性使用人は執事であるスタッファン様と小姓が二人、そして庭師くらいで、女性使用人は家政婦のイーダ様と、料理人と台所女中。あとは洗濯女中が二人で、家女中が一人だけ。
……確かに、いくら女主人や子どもがいないとはいえ、王都にある伯爵邸の住み込み使用人が十人というのは小規模だ。
おっさんやアイリーンは伯爵様のことを性格が悪いと言っていたけれど、ただ単に騒がしいのが苦手だったり、人間関係が億劫だったりするのかもしれない。むしろ、そうである方が私としては嬉しい。
私は三ヶ月限定の住み込み家女中の扱いなので、先輩メイドの指示を仰ぎながら活動することになる。掃除、ベッドメイク、給仕など、幅広い仕事を任されるので、体力も求められる。
これまでやってきたのは子守女中だけれど、元々体力はある方だし、力仕事もできる。その辺は深窓のお嬢様であるアイリーンとは似ても似つかないけれど、おっさんにも「三ヶ月未満で追い出されるよりはマシだ」と言われているので、しっかり働くことにしていた。
「仕事の内容については、家女中のエドラに聞いてください。彼女は十七歳であなたとも年が近いので、仲よくやってください」
「分かりました。エドラさんにしっかり教えを請わせていただきます」
私がアイリーンらしい淑やかさと従順さ(本人談)で応じると、スタッファン様はなぜか少し目を見開いたようだ。
でもすぐに険しい顔になった。
「……先に申し上げておきますが。旦那様は、あなたの祖父であるコールリッジ会長にどうしてもと請われ、渋々ながら──誠に渋々ながら、あなたを受け入れました。旦那様があなたを歓迎するつもりは、微塵もございません。あなたの働きぶりがよくないと判断されれば即刻、故郷にお帰りいただきます」
「……」
「これらに関してはコールリッジ会長も承諾したことです。その点、重々承知しておいてください」
「……はい、もちろんです。これから三ヶ月間、どうぞよろしくお願いします」
何も言い返さず、私は頷いた。
予想は、していたことだ。
私は、歓迎されていない。
この屋敷で、私に優しくしてくれる人が誰もいなくても──私は、三ヶ月間耐えなければならないのだ。
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