【試し読み】冷たい政略結婚 でも豹変されて激愛されてます

作家:宮永レン
イラスト:蘭蒼史
レーベル:夢中文庫プランセ
発売日:2021/11/26
販売価格:500円
あらすじ

足を滑らせ川に落ちてしまったアリゼは偶然通りかかった青年に救われる。呆然とするアリゼに青年は問う。クリスタンヴァル伯爵の屋敷を探している、アリゼ嬢に会いたいのだと。それは私……と答えると、青年はひどく驚いた様子で、でもはっきりとした口調で「俺と結婚してほしい」とプロポーズする。彼はロレシオといい、この国の公爵子息だという。そんな人がどうして私と? 初対面なのに? 大混乱のアリゼ。隣国の公爵家の流れを汲むアリゼとこの国の公爵家のロレシオが結婚することで、二国間に漂う不穏な空気を払拭するための王命による政略結婚なのだ。そしてロレシオはこの結婚に愛を注ぐ気はないときっぱりと言い切り……

登場人物
アリゼ
小さな領地に慎ましく暮らす伯爵令嬢。足を滑らせ川に落ちたところをロレシオに救われる。
ロレシオ
隣国との戦争回避のためにアリゼに求婚。王命による結婚であるため愛は不要だと思っている。
試し読み

プロローグ

 セドキス国王ドガ二世との謁見を終えたロレシオは、初夏の強い日差しに目を眇めて回廊の途中で足を止めた。光の当たり方によっては青にも緑にも見える不思議な色合いの瞳に晴天が映る。
 陽光を弾くブラウンの髪は赤みがかった強い色をしていた。絹糸のように艶やかな前髪はそよ風になびいて高い鼻梁にかかり、彼はそれを長い指先にかけて耳の後ろに流す。
 中庭の緑は毎日綺麗に手入れがなされているが、それが色褪せて見えるのはたった今受けたばかりの王命のせいかもしれない。形のいい唇の間から無意識にため息が零れた。
「父上と話してきたのか? 悪いな、お前の望まぬ形になってしまって」
 回廊の入り口からロレシオと同じ年頃に見える男がやってきて、申し訳なさそうに眉根を下げる。黒髪に綺麗な光の輪を描いた彼は、さきほどロレシオが顔を合わせてきたドガ二世と面差しが似ていた。
「セバスティアン殿下が謝ることではありません。結婚は貴族の義務であり、手段です。我が国の行く末のために私情を挟むなどあってはならぬこと」
 ロレシオは恭しく頭を下げて淡々と答える。
「その慇懃な態度。機嫌が悪い証拠だ」
 セバスティアンはロレシオの顔を指さし、微苦笑を浮かべた。
「従兄弟の目はごまかせないぞ。それに、その私情で今まで何件の縁談を断ってきたんだっけ?」
 従兄弟といっても同じ乳母に育てられた二人は、王太子と公爵令息という違う立場にいながらも本当の兄弟のように仲が良く、公的な場以外では堅苦しい空気はなくなる。
「それは……国にとって最良が何かを見極めていたからだ」
 体裁を繕うのを諦め、ばつが悪そうに目を逸らして答える。
「たしかに。今回の話ばかりは、断ればヒートラ国との衝突は避けられなくなる。かつてのように力でねじ伏せ、噛みついてきたことを後悔させてやれなんて、バラティエ侯爵辺りは息巻いていたが、多くの犠牲が出ることは明白だ」
 セバスティアンは肩をすくめた。
「戦力は五分五分といったところ。万が一負ければこの国は終わりだ」
 騎士団長を交えた政策会議でもロレシオは同じ発言をしてきた。
「執政官の補佐であるお前がそう言うんだから間違いないよな」
 悩ましそうに腕組みをして考え込むが、セバスティアンに妙案は浮かばなかった。
「だから、『これ』は避けようのない事態なんだ。セバスティアンが気を揉む必要はない」
 飄々と答えながらも目はどこか遠くを向いている。その鮮やかなグリニッシュブルーの蠱惑的な瞳の奥では誰かの姿を映していた。
「ヒートラ国の血を引くクリスタンヴァル伯爵家……か。公の場に一度も顔を見せたことがない幻の家とは、どんな生活をしているんだろうな。逆に興味が湧く」
 ロレシオを元気づけようとしてか、セバスティアンがおどけたように言う。
「絶世の美女かもしれない。それこそ初恋が吹き飛ぶくらい一目惚れするかも」
「まったく……もとはといえば、何代も前から王家がクリスタンヴァル伯爵家を放置していたのが悪いんだろ?」
 じとりと睨みつけると、セバスティアンはさも自分は悪くないとでもいうように両掌をロレシオに向けて振りながら首も横に振った。
「わずかな領地で、一応毎年の税も納めている。あまりにも夜会に出席しないから、いつの間にか招待リストから漏れていたらしい。変わり者なんだろ」
 そう言ってしまってから、セバスティアンはハッと自分の口を手で押さえた。
「いや……独特? 自分なりのポリシーを持っている、とか?」
「別にフォローしてくれなくていい」
 ロレシオはため息をついた。
「ヒートラ国の機嫌を取るには、あちらのクアドラード公爵の娘の血を引いているクリスタンヴァル伯爵家の娘を、王家の血を引く我がデビュラール家の俺が貰って大切にしている、ということを見せる。今のところ平和的な解決法はこれしかない」
 会議で話し合いを重ねてきた結果、両国に起きた亀裂をなるべく拡げずに穏便に解決するにはそれしかないという結論に至った。他の可能性を考えたが、互いの戦力を削る戦争だけは避けた方がいいというのが大多数の意見だ。ここ数年、周辺では大きな争いは起きていない。だが、国力が削がれて疲弊した状態を狙われたらひとたまりもないだろう。
「だから、変わり者の娘だろうと幻の家だろうと、俺が行くしかないんだ」
「ほんと、お前は王家に忠実ないいやつだよ」
「別に当然のことだろ。そんなことを言うためにここまで?」
「いや。父上に報告することができたんでな」
「そうか。では俺は仕事があるから──」
「いやいや、聞いてくれないのかよっ」
 歩き出したロレシオの袖を掴んで、セバスティアンは彼を引き留める。
「陛下に報告するんじゃなかったのか?」
「まあ、そうなんだけど。お前にも言っておこうと思って。アンが身ごもったみたいなんだ」
「アンジェリーク王太子妃殿下が……それは、おめでとう」
 ロレシオは目を瞠った。
 一昨年結婚した二人の間になかなか子供が授からないことを、アンジェリークが気にしているという話を以前セバスティアンから聞かされていた。王太子妃の体に問題があるのではと密かに臣下たちの間で囁かれていることも知っていた。
 だからこそセバスティアンの喜びもひとしおなのだろう。それならば、なおさらロレシオの私情など挟む余地はない。従兄弟であり、この国の将来を担う男の力になることが自分に課せられた使命なのだから。
「結婚は義務かもしれないが、独りでは想像できなかったような素晴らしい景色を見ることもできるぞ。健闘を祈る」
 そう言ってセバスティアンは、ドガ二世のいる部屋へと軽い足取りで行ってしまった。
「どんな女性にも興味はない。誰と結婚しようとも俺の心はあの子だけのものだ」
 中庭の片隅で揺れる可憐な白いマーガレットの花に向かって呟きながら、ロレシオは日の当たらない回廊の方へ歩み出した。

第一章 青天の霹靂

「今日も雨は降りそうにないわねえ」
 晴れ渡った紺碧の空には雲一つ浮かんでいない。ここ数日ずっとそんな天気が続いていた。初夏の乾いた風は気持ちいいものだが、あまりにも晴天が続くと土が乾いてしまう。
 さほど広くない畑に植えられた農作物を眺めながら、アリゼは小さなため息をついた。
「また水を汲んでこないと」
 使い込まれた手桶を持って、近くの川まで歩いていく。緩い土手を下って石橋のかかった川のそばまで行くと、彼女はしゃがんで流れる水を覗き込んだ。頭の後ろで一つにくくった長い巻き髪が胸元に垂れる。淡い金に桃色の混じった変わった毛色は子供の頃には近所の男の子たちにからかわれることもあって気にしていたが、今はもう慣れた。
 水面に映る透き通った空色の大きな瞳は、幼い頃から変わらないと家族や町の人に褒めはやされてきた。嬉しい反面いつまでも子供扱いされているようで、彼らの顔を頭に思い浮かべて軽く頬を膨らませる。
「私だってもう十九歳よ。結婚だって、いつしてもおかしくないんだから」
 もっとも、相手がいればの話である。
 今はまだ出会いがないだけで、いつかは両親のように仲睦まじく幸せな家庭を築くのがアリゼの夢だ。
「それより、今はお水ね」
 手桶を川に沈めたアリゼは何度も往復しなくてもいいようにと、ぎりぎりまで水を汲もうと身を乗り出した。その時、川べりの石に足を滑らせ、あっと思った瞬間には声を上げる間もなく派手な水音を立てて川の中に落ちていた。
 ここ数日の晴天が幸いして水量が減っていたこともあり、流れはそれほど急ではない。しかし運悪く深みにはまってしまい、足がつかないことに焦ってバタバタともがきながら川べりの草に手を伸ばした。
(服が重くて……っ)
 体に重石のようにまとわりつく服が川の流れに引っ張られるように、アリゼの手も岸辺から離れていく。
 そこに誰かが土手の向こうから駆けてくる姿が見えた。
「助けて……っ!」
 懸命に叫ぶと川の水が口の中に入ってきて、むせかえる。
「落ち着け!」
 川岸にたどり着いた男性が伸ばした手がアリゼの指先と絡み合った。絶対にその手を離してはいけないと彼女が必死に力を入れると、ぐっと彼の方へ体が引き寄せられる感覚があって、反対の手がアリゼのもう一方の手を掴んで一気に水の中から引き揚げてくれる。
「だ……だめかと思った……」
 咳き込みながら肩で息をつき、ふと顔を上げると、目の前には見知らぬ青年の顔があった。引き揚げられた際に無我夢中で彼にしがみついていたらしく、彼に跨るような形で抱き留められていることに気づいたアリゼの顔が林檎のように赤くなっていった。
「あ、ありが……」
 目を伏せて礼を言おうとしたが、自分の体がずぶ濡れになっているだけでなく、彼の服までも汚してしまっていることに気づいて、今度は一転して顔が青くなっていく。
 青年は白を基調にした上下の揃いの服に、襟や袖を折り返した部分は深紅の生地で細やかな金糸の刺繍が入った服を着ていた。素材自体が上等なものだということは、町の服飾工房で母と共に働いているアリゼにはすぐわかった。光沢のあるクラヴァットタイに留められたピンは目の覚めるような大粒のサファイアが使われている。
 この小さな町でこれほどの品物を身に着けられる人間はいないし、そもそも顔を知らないので、よそから来た人間だということはわかる。
 その一級品を泥や草で汚してしまっただけでも深謝せねばならないが、もう一つの可能性を考えて取り返しのつかないことをしてしまったかもしれないと胃が痛む。
 ここセドキス国では、古くから白の衣装は特別な意味を持つ。純白は穢れない心を意味し、相手に一途な想いを伝える時──つまり、求婚や結婚式の時に身に着けるものだとされている。その特別な時をアリゼは台無しにしてしまったかもしれないのだ。
「あ、あの、ごめんなさい! 私……」
 水を含んだ服は重く、なんとか彼の脇によけたアリゼは唇を震わせた。
「怪我をしたのでは?」
 アリゼの謝罪には答えずに彼は問いかけ、彼女は首を縦に振った。水滴が辺りに飛び散る。
「私は大丈夫です。でも、あなたの服が……もしよかったら家で少しでも洗わせてください。母の方が染み抜きも上手だから、きっと──」
「いや、このままでかまわない」
 青年は少しも残念がる様子は見せずに、むしろ口元に笑みを浮かべていた。
「で、でも、それ……誰かに求婚するつもりだったんでしょう?」
 もしこの汚れが原因で青年の一生を棒に振ってしまう事態になってしまったら、どう詫びればいいかわからない。
「こんな服などただの形式的なものに過ぎない。それに少し気が楽になった」
「ら、楽に……?」
 きょとんとしていると、彼はポケットからハンカチを出してアリゼに差し出した。
「求婚は俺の意志ではないからな。真っ白な服では相手をだましているようで気が咎めると思っていたところだ」
「はあ……」
 ありがたくハンカチを受け取って、濡れた顔を拭いた。
(白は一途な心の証。それが汚れてもいいだなんて、この人は好きではない女の人に求婚をしに行くつもりだったということ? なんのために?)
 結婚とは好きな相手とするものではないのだろうか。
 アリゼは首をかしげた。
「それより一つ聞いてもいいだろうか?」
「は、はい」
 青年が辺りを見回しながらアリゼに尋ねたので、慌てて頷く。
「この辺りにクリスタンヴァル伯爵家があると思うのだが、方向はこちらで合っているか? 道が狭くて馬車が入れないので、町からここまで歩いてきたのだが」
 青年は眉をひそめた。
「合っています。うちにご用ですか?」
 アリゼは座り込んだまま、彼を見上げて答えた。
「うち?」
 青年が怪訝そうに眉を寄せる。
「えっと……私の家、という意味です」
 そう答えると、青年は複雑そうな表情を浮かべて少しの間沈黙した。
 どこか遠くから聞こえる野鳥のさえずりがのどかで、なんだか緊張感がなくなる。
「……アリゼ・クリスタンヴァル嬢に面会したいのだが」
 青年の声が機械的な口調になる。
「それは、私……です」
 再び、沈黙。
 風が吹いてきてざわざわと近くの木立を揺らし、アリゼはくしゃみをした。
 一つに結んだ髪の毛先から絶え間なく雫が垂れている。
「あなたはクリスタンヴァル家の使用人ではないのか?」
「違います。使用人を雇うお金があったら、兄の薬代に充てていますよ」
 アリゼには、ルイという生まれつき体の弱い兄が一人いる。働けずに臥せっていることが多いため、一家の収入は父が育てた農作物を町で物々交換してもらうのと、アリゼと母親が工房で針仕事をして得られる収入のみだ。
 アリゼの父は伯爵という肩書きとわずかな領地は持っているものの、痩せた土地では収穫できる量にも限度がある。領民たちと協力してそれをもっと大きな町の業者に卸した収入が王家に払う税となる。それもさらに大きな町の領主へ依頼しているため、クリスタンヴァル家が直接王城へ税を納めに行くことは一度もない。
 それでなんとか毎月暮らしている程度なので、使用人などもってのほかだ。
「病弱の兄か……。調査の通りだな」
 ぼそりと呟いた青年は、ゆっくりとアリゼの前に跪く。
 目線が同じ高さになって、アリゼはどきりとした。
 赤みがかったブラウンの前髪から覗く青い瞳は、太陽を背にすると少しだけ緑色に変化した。陶器のようになめらかな肌は女性から見ても羨ましいほどの美貌だ。それでいて凛々しい表情は目の前のアリゼの視線をくぎ付けにするには十分だった。
「私の名前はロレシオ・アルカン・デビュラール。どうか私と結婚し、生涯を共に歩む伴侶になってくださいませんか?」
 自分の胸に手を当て、アリゼに向かって紡がれた言葉は、あまりにも物腰が丁寧で感情がこもっていないようにすら思えた。用意されたセリフを読み上げただけ、彼女にはそう感じられた。
 じっと見つめる蠱惑的な瞳はアリゼの返答を待っている。
「だ……誰かと勘違いしているのでは?」
 やっとそう答えたが、緊張で声が裏返る。
「アリゼ・クリスタンヴァルは自分だと答えたはずだが?」
「たしかに、私がアリゼですが、あなたのことなんて知りませんし……きゃっ!」
 目線を横に逸らしたアリゼの体が青年の腕に包まれ、ふわりと浮いた。
 もちろん勝手に空中に浮いたわけではなく、ロレシオに抱き上げられたのだ。軽々と横抱きにしたまま、彼は土手を上がっていく。
「屋敷はどちらだ? アリゼ嬢」
「あ、あっちです。あの木立の向こう! ねえ、下ろしてください。一人で歩けますから」
「足から血が出ている、水中で切ったのだろう。悪化しては困る」
 そう言われて慌てて見てみると、足首の辺りから出血している。溺れかけたショックでまったくそちらの怪我には気づいていなかった。
「あなたには今日から俺の屋敷で暮らしてもらう。出発の前に伯爵の許可をいただかなければ」
「今日から……? どうして?」
 アリゼは目を丸くした。しっかりと支えられているとはわかっていても落ちてしまわないか不安になって、彼の服をぎゅっと掴む。

※この続きは製品版でお楽しみください。

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