【試し読み】気高き公爵の寵愛は男装麗嬢を逃がさない

作家:こいなだ陽日
イラスト:白崎小夜
レーベル:夢中文庫プランセ
発売日:2021/11/12
販売価格:700円
あらすじ

圧倒的な美貌を持つ男爵令嬢レイシアは、長身のため男性から避けられていた。社交会から足が遠いてしまったが、男装姿で参加してみると一躍大人気に! 楽しくなったレイシアは、レイという偽名で男装生活を満喫する。そんなある日、臣籍降下して公爵になったばかりの王弟エルヴァンダーが社交界に姿を現した。レイシアに負けず劣らず麗しい彼。身長の低さを気にすることなく王族としての威厳に満ち溢れるエルヴァンダーに、レイシアは好感を抱く。レイとして公爵の国内唯一の「男友達」となったレイシアは、彼と親交を深めていった。しかし、男爵令嬢としての自分にエルヴァンダーとの婚約話が持ち上がり……!?

登場人物
レイシア
類まれなる美貌を持つ男爵令嬢。中性的な顔立ちと長身を生かし「レイ」として男装生活を楽しむ。
エルヴァンダー
公爵となった元王子。社会勉強のために参加した男爵階級の社交会で「レイ」と意気投合する。
試し読み

第一章「趣味、男装」

 楽師たちが奏でる朗々とした旋律が広いダンスホールに流れる。高い天井にはきらびやかなシャンデリアが沢山つるされ、今が夜中であることを忘れそうになるくらい明るい。
 多くの人が曲に合わせて踊りを楽しんでいたが、ダンスホールの中央に陣取っている男女が一番注目を集めていた。しかも、高価な宝石と流行りのドレスで着飾った令嬢より、銀髪の男性のほうが目立っている。
 背の高さは一般的な成人男性くらいだろうか? すらりと伸びた手足は男性にしては華奢すぎるが、どこか中性的で美麗な雰囲気をまとう彼には似合っている。
 ステップを踏むたびさらりと揺れる銀髪が、シャンデリアの灯りを受けてプラチナのように輝いた。雪のように白い肌はなめらかで、しみひとつない。切れ長で緑色の瞳は角度によって鮮やかなエメラルドにも見えたり、黒みがかったビリジアンに見えたりと様子を変え、その不思議な色味は人々を魅了していた。
 一緒に踊っている令嬢は男性の麗しき顔に見惚れてしまい、先ほどから何度もステップを間違っている。至近距離で彼の顔を見たならば、それも仕方ないだろう。ふわりと漂うエキゾチックな匂いさえ、彼女を惑わす一因となる。
「ありがとう。素敵な夜を」
 踊り終えた後、男性は令嬢の手を取って手袋越しにキスをする。それだけで令嬢の顔は真っ赤になった。
 遠巻きに見ていた令嬢たちが次こそは自分と踊ってもらおうと銀髪の男性に声をかけようとする。しかし、それよりも先に別の男性が話しかけた。彼もまた銀髪である。
「今日はそろそろ帰ろうか」
「わかったよ、レイモンド」
 声をかけてきた男──レイモンドに促され、注目を集めていた男性は帰ることを決めた。まだ夜会は続くけれど、夜更かしは肌に悪い。
「じゃあ、また今度踊ろうね」
 令嬢たちに手を振れば、きゃあっと黄色い悲鳴が上がった。
 お揃いの銀の髪をきらめかせながら、二人は肩を並べて歩く。会場を出ると、オデーロ男爵家の馬車に一緒に乗りこんだ。
 二人は髪の色だけではなく、顔立ちもどこか似ている。同じ家の馬車に乗ったので、端からは兄弟に見えるだろう。
 ──だが、実際は違った。血のつながりはあるものの、彼らは「兄と弟」ではなく「兄と妹」なのだ。
 兄の名がレイモンド。そして、ダンスホールで注目を集めていた人物がレイシアという。男性の格好をしているが、性別はれっきとした女性だ。
「今日もレイシアのダンスは一番輝いていたよ」
 レイモンドが褒め称えると、後ろで縛った銀髪を解きながらレイシアは満面の笑みを浮かべる。
「ありがとう、レイモンドお兄様。こんな風に踊れるなんて、本当に夢みたい。……数年前は考えられなかったわ」
 先ほどとは打って変わって女性らしい口調で呟くと、レイシアは宝石のような瞳を細めた。
 ──レイシア・オデーロ。オデーロ男爵家の令嬢である。
 この国の民はそれほど背が高くないが、オデーロ男爵家は先祖に異国の血が混じっており、すくすくと成長したレイシアはかなりの長身になってしまった。ヒールのある靴を履くと、男性よりも背が高くなってしまう。
 レイシアが初めて社交会にデビューした時、背の高さで男性陣を圧倒してしまい、踊ってくれるパートナーが見つからなかった。
 貴族男性は見栄えを気にする者が多い。自分をよく見せるために、小柄な女性と踊りたいのだ。
 とはいえ、レイシアは周囲を圧倒するような美貌の持ち主だった。背が高くても顔が美しければ、簡単にダンスのパートナーが見つかるはずである。美女と踊れば男性も目立てるのだ。
 だが、レイシアはダンスを申しこまれることがなかった。迫力のある美人なので、踊ったところで人目を引くのはレイシアだけなのである。背が高く、逸脱した美貌を持つレイシアと踊ることは男性にとってメリットがない。
 レイシアはダンスが好きだったが、社交の場に顔を出したところで踊ってくれるのは兄のレイモンドだけだった。壁の花になることもしばしばで、男性からは疎ましがられる。
 かといって、同性の友人もできなかった。レイシアの側にいたら容姿を比べられてしまうと、令嬢たちから避けられてしまったのである。
 性格を知ってもらう前に、その見た目で男性からも女性からも避けられ、社交の場ではいつも一人ぼっち。気を遣って話しかけてくれるのは兄だけ。
 そんな状況に嫌気が差し、レイシアは夜会や舞踏会から遠のいた。招待状が届いても行く気にはなれない。すっかり引きこもりになったレイシアには、「オデーロ男爵家の令嬢は醜女だから社交の場に出られない」というひどい噂まで立つ始末だ。
 発端は、レイシアに勝手にコンプレックスを抱いた者が流した噂だ。醜女だなんて、レイシアとは対極的な言葉である。レイシアの顔を見たことがあるなら、それは嘘だとすぐにわかるだろう。
 そのひどい噂を訂正しようと、レイシアが社交会に出ることもなかった。長く顔を出さなければ顔立ちも徐々に忘れられていき、次第に、「厚化粧をしていたから綺麗に見えた。素顔はひどい」という話まで出る始末である。
 不名誉な噂に憤慨した兄のレイモンドが噂を訂正して回ったが、必死な様子がかえって噂に信憑性を持たせてしまった。結局、レイシアは長身の醜女という噂が貴族の間で定着してしまう。
 噂に怒る兄とは対照的に、レイシアは平気だった。どんな噂が流れたとしても、鏡に映る自分の姿がレイシアを肯定してくれたのである。
 整った顔立ちはまさに芸術的だし、女性にしては高い身長だってよく似合っていると思う。だから、他者にどう思われようと傷つくことはなかった。美しく生まれたレイシアを家族が惜しみなく褒めてくれたので、自己肯定感が高く育ったのである。
 ……もっとも、ナルシスト気味なのは欠点かもしれないけれど。
 そんなわけで、自分が大好きなレイシアは自分が悪く言われるよりも、周囲の者が勝手に後ろ向きな感情を抱き、不快感を露わにすることのほうが嫌だった。みっともないし、自尊心のために他者を攻撃する心はまったく美しくない。
 壁の花になるのも飽きたし、劣等感に溺れた人間を見るのもうんざりして、レイシアが夜会や舞踏会に顔を出すことはなくなった。
 それでも、ダンスは好きなので誰かと踊りたい。老いる前にこの美しい姿を大勢に見てもらいたい──レイシアはそう思いつつ、悶々とした日々を過ごしていた。
 そして、社交の場より遠のいてから三年ほど経ったある日のこと、兄のレイモンドがこんな提案をしてきたのである。
「お前の顔立ちは綺麗だが、どこか中性的な雰囲気がある。ダンスホールで踊りたいんだろう? いっそ、男装して参加してみるか?」
 それは名案だと思った。
 男性の服を着たいと思ったことはないけれど、言われてみればタキシードも似合いそうである。長身の自分は男性の装いも様になるだろうし、ぜひ着てみたいと思った。
 レイモンドの提案に両親は協力的で、あっという間に男装用の服が仕立てられる。袖を通してみれば、どこかの国の王子様のように見えた。だが、いくら中性的とはいえ、隠しきれない女性らしさが微かに顔に残っている。
 より完璧な男装を目指したレイシアは、化粧を工夫することにした。男性らしく見えるように桜色の唇は白粉おしろいで色を抑え、薄く見えるように整える。さらに眉墨を使って眉を凜々しく仕上げた。
 胸はもともと小さかったけれど、シャツの下に防刃ベストを着れば女性らしい膨らみが押さえられ、むしろベストのおかげで男らしい胸筋が表現できる。
 こうして、やや中性的な雰囲気を持つ麗しい男性ができあがった。どこからどう見ても、女性には見えない。
 社交の場に出る前にダンスを練習する必要があったが、もともとダンスが好きだったレイシアは、男性のステップもすぐに覚えられた。満を持して、いよいよ三年ぶりの舞踏会へと向かう。
 しかし、男装姿でレイシアと名乗るわけにはいかない。
 そして、レイシアの生まれたオデーロ男爵家は、先祖代々貿易を商っていた。数代前に当時の王妃が欲していた希有な宝石を献上し、その功績を称えられて男爵位が与えられたのだ。
 とはいえ、与えられた領地は小さく、領地収入は微々たるもの。もともとの生業なりわいである貿易商を続け、家督を継いだ父親の兄弟は港町や海外で仕事をしている。
 そんなわけで、男装したレイシアは「レイモンドの従兄弟いとこであり、外国からこの国に遊びに来ている」という設定になった。「レイと呼んで欲しい」と言って、兄と共に社交会に参加する。
 突如、社交の場に現れた麗人に周囲は騒然となった。身体つきがいささか華奢であることを除けば男装は完璧で、令嬢たちはたちまちレイシア……もといレイの虜になったのである。
 もともとレイシアの声は女性にしては低く、男性にしては高めのものだ。男爵令嬢として社交会に出ていた頃はほとんど言葉を話さなかったので、誰もレイシアの声を覚えておらず、言葉遣いさえ気をつければ普通に話しても正体がばれることがない。結局、レイの社交会デビューは大成功に終わった。
 その後も社交会に男装して参加したが、レイの側にいれば女性が寄ってくると、最初は遠巻きにしていた男性陣も話しかけてくるようになった。令嬢たちはひっきりなしにダンスの誘いをしてくる。
 男装したレイシアはたちまち人気者になった。
 酒を飲みながらくだらない会話をして、笑って、踊って──そんなくだらない時間を過ごすのが、とてつもなく楽しい。性別を偽っているものの、それでも現状に満足していた。
 レイシアはレイモンドの従兄弟のレイとして人生を謳歌し、今日も今日とてご機嫌だ。兄と一緒に馬車に揺られながら微笑みを浮かべる。
「そういえば、王弟殿下の話は聞いたか?」
 レイシアが余韻に浸っていると、対面に座ったレイモンドがふと話題を切り出してきた。
「王弟殿下? 最近臣籍に降りたエルヴァンダー様のこと?」
「ああ、そうだ。エルヴァンダー・パストレーア公爵」
 この国の隣には経済大国がある。第四王子・エルヴァンダーは見聞を広めてより深い知識を得るという名目で隣国に留学していた。隣国と交友を深めたい国は多いが、この国は他国を出し抜くためにわざわざ第四王子を留学させたのである。
 隣国に直系の王子を留学させたのは、レイシアの国だけだった。いくら王族といえど、国外では手厚い警護はできないので、長期の滞在はなかなか踏み切れないものである。
 しかしエルヴァンダーは第四王子であり、王位継承権は低い。最悪の場合、死んでも問題ないと判断されたのだろう。それに、死んだら死んだで取り引き材料に使うつもりだったのかもしれない。
 ともあれ、王子でありながらエルヴァンダーは十年以上もの時を隣国で過ごし、その甲斐があってか、この国は隣国の一番の友好国となった。隣国にしても、「他国の王子がわざわざ留学に来ている」というのは、ある種のステータスになったのである。
 ──そんな折、国王が体調を崩した。命に別状はないものの、王としての激務をこなすのは無理であると、第一王子の王位継承が決まる。
 隣国との友好関係は築けたと、エルヴァンダーは留学から戻ることになり、戴冠式の後に彼は臣籍に降りてパストレーア公爵となった。これはつい最近の話で、臣籍降下のことは新聞に載ったばかりだ。
 とはいえ、男爵令嬢にしてみれば公爵なんて雲の上の存在である。ずっと国内にいなかったわけだし、レイシアはエルヴァンダーの名前を知っていても、顔は知らない。
「そのエルヴァンダー様がどうかしたの? もうご結婚なさるのかしら?」
 エルヴァンダーは二十二歳。国に戻ってまだ間もないが、王族ならば政略結婚もありえるだろうと兄に訊ねる。
 すると、レイモンドが興奮したように声を上げた。
「違う、そんなことじゃない。なんと、エルヴァンダー様が男爵家主催の社交会に顔を出したいそうだ」
「ええっ?」
 予想外のことを告げられ、レイシアは驚いて声を上げる。
 今の男爵階級はほとんどが平民出身の成り上がりだ。騎士として功績を挙げたり、文官として優秀に務めたり、レイシアの先祖のように王族に対して功績を挙げたり──そのような経緯で男爵位を授けられた。他国はわからないが、この国ではそれなりの理由があれば、王族の気分一つで男爵位がもらえるのである。
 ただし、与えられる領地は雀の涙ほどだ。上流貴族のように領地収入だけではとても暮らしていけない。だから、男爵位を授かった家は皆仕事を続けていた。レイシアの家も貿易を商っており、領地収入よりも圧倒的に儲かっている。
 男爵位を授けられるには秀でた能力が必要だ。優秀な男爵階級はそれぞれの仕事で稼いでおり、かなり裕福である。爵位こそ低いものの、上流貴族に引けをとらないくらいの財産があった。むしろ、領地経営だけで暮らしている貴族には、男爵階級よりお金がないところも沢山あるくらいだ。
 そんな男爵階級であるが、由緒正しき貴族たちからは嫌われていた。成り上がりの貴族ゆえに王族主催の舞踏会に呼ばれることはもちろんないが、他の貴族主催の社交会にも招待されないのである。
 とはいえ、男爵階級にしてみれば、そんなことは大した問題ではなかった。なにせ、お金なら潤沢にある。
 だから男爵階級は自分たちだけで集まり、頻繁に社交会を開催するようになった。
 会場となる場所も、どこかの男爵家が持っている建物だ。社交会にふさわしい厳かな建物を作り、貸し出している者が沢山いる。それだけではなく、豪華な給仕や料理人、さらに楽師まで男爵位の息がかかった者たちで、社交会をするだけでも男爵階級の間でかなりの金が回るのだ。
 由緒正しき貴族たちから「成り上がりの男爵階級は、貴族らしくなく、みっともない」だの陰口をたたかれるけれど、男爵階級たちは現状を楽しんでいる。
 そんな男爵階級主催の社交会に、上流貴族が来たことは今までに一度もなかった。
 それなのに、元王子である公爵が来るというのだ。驚かずにはいられない。
「元王子様が男爵階級の社交会に? 嘘でしょう?」
 レイシアは耳を疑う。
「それが本当なんだ。エルヴァンダー様は留学されていたから、考えかたが外国的というか、少し違っていてね。男爵階級主催の社交会に興味を持ったらしく、ぜひ一度参加してみたいらしい。来週いらっしゃるようで、主催は大騒ぎで、今日の社交会にも顔を出していなかったよ」
「まあ……」
 毎週、どこかの男爵家が主催で社交会を行っている。持ち回りというわけではないが、己の財力を誇示するように順を追って開催していた。つい先月、レイシアの家も社交会の主催をしたばかりである。
「公爵と繋がりを持てたら僥倖ぎょうこうだとばかりに、目をぎらつかせている者も多いよ」
「そうね。見初められようと、令嬢たちもいつも以上に着飾りそうだわ」
 金があるので、ただでさえ男爵令嬢の衣装は華やかだ。来週はもっとすごいことになるのかと思うと、浮き足立ってしまう。
 レイシアは劣等感を抱く者を見るのは嫌だったが、自信を持って立ち振る舞う者を見るのは好きだった。来週はいい光景が楽しめそうである。
「レイシア。お前はどうする?」
「どうするって?」
「せっかくエルヴァンダー様がいらっしゃるんだ。男性としてではなく、女性として出会いたいとは思わないのか?」
 兄が真剣な眼差しで聞いてきた。レイシアは思わず吹き出してしまう。
「ふふっ、もちろん男装するわよ。ドレスを着たところで、長身の女性が公爵様に見初められるはずなんてないわ。いつもより豪華な社交会になりそうだし、男性として普通に楽しむつもりよ」
「そうか……。……まあ、お前が楽しければそれでいいさ」
 レイモンドが微笑む。
 男爵階級の者が王族の顔を近くで見られる機会などそうそうない。遠くからご尊顔を拝めるだけでも十分だとその時のレイシアは思った。

第二章「王弟公爵との初対面」

 王弟公爵が来るという社交会の日がやってきた。
 男爵階級主催の社交会に王族が本当に来るのだろうか……と疑う気持ちもあったが、会場についた途端にレイシアは考えを改める。
 会場の入り口には物々しいほどの警備兵がいた。王族を護衛するためなのだろうか、かなりの数だ。警備兵のつけている腕章には王族警備専用の紋章が記されており、ここに王族が来ることは間違いない。
 会場内に入れば、いつもの倍以上は豪華だった。
 もともと、男爵階級主催の社交会は己の財力を見せつけようとどの家も躍起になるのだから、かなり華美である。王族主催の舞踏会と比べても引けはとらないだろう。
 しかし今日ばかりは、飾られている生花の量からして倍だ。どうやって入手したのか、季節外れの花もふんだんにあしらわれている。国内では珍しい青い薔薇もあった。
 男爵階級の社交会は基本的に立食形式であり、長机に様々な料理が並べられていた。最高級の食材で作られたものばかりだが、それが盛られている皿には珍しい文様が刻まれている。実は、今回のためにレイシアの家が特別に提供したもので輸入品だ。海の向こうにある工芸が有名な国の品で、独特の深い藍色と繊細で麗しい模様が特徴である。
 これは貴重な食器であり、国内ではあまり出回っていない。それを大皿だけでなく、小皿やグラスに至るまで一式揃えた。料理もさることながら、その珍しい食器にも注目が集まっている。
 オデーロ男爵家が提供したと聞きつけ、レイモンドに「あの食器が欲しい」と声をかける者も少なくはなかった。
 もちろん、会場だけでなく参加者もとびきり高価な服を着ている。令嬢たちは入手困難な最先端のドレスを身に纏い、男性たちは華美ではないものの、品がいいとわかる最高級の布で作らせたタキシードを着ていた。財力を誇示するように希少な宝石で作らせたカフスをつけ、時間を確認するふりをして純金製の懐中時計をちらちらと見せつけている。あからさまな成金たちの集まりだ。
 しかし、レイシアはこの空間を大変好ましく思っていた。
 領地収入だけで暮らしている高位貴族は、これほどまでの金遣いはできないだろう。血税を無駄遣いしたと、民草から反感を買うのを恐れ、社交会も品位を落とさない程度の慎ましいものだと聞いている。
 しかし、領地収入の少ない男爵階級は己の実力で金を稼ぎ、こうして使っているのだ。誰に文句を言われる筋合いもないし経済を回している。高額品を扱う店など、侯爵や伯爵より男爵階級が来たほうが喜ぶところもあるくらいだ。
「今日は一段と人が多いな」
 会場を見渡し、レイモンドが感心したように呟く。王族が来るとあって、どの家もこの日のために都合をつけたのか、なかなか社交会に顔を出さない人物まで勢揃いしていた。
 こんなに人が多くては、肝心の公爵を見つけるのも大変かと思われたが、そんなことはない。
 レイシアは人波の中にひときわ輝く男性を見つけた。
「……! あれがエルヴァンダー様……!」
 多くの人に囲まれて、彼は立っていた。
 髪はきらきらと美しい光彩を放つ金。シャンデリアの灯りで輝く様も綺麗だが、燦々と降り注ぐ太陽の下で見たらさぞかし映えるだろう。
 冬の空のようなセレストブルーの瞳は宝石のようで、それをふちどるまつげも人形のように長い。鼻筋はすっと通り、唇の形もよく、顔にはしみや黒子などなかった。化粧をしていなくても肌が綺麗なのだと、美容にうるさいレイシアは一目でわかる。
 背筋もぴんと伸び、佇まいも美しい。指先の角度まで計算されているのではないかと思えるほどだ。
 まさに完璧。神が作りし芸術品……と言いたいところだが、かの公爵にもひとつだけ欠点がありそうだ。
 エルヴァンダーは身長が低い。おそらく、レイシアと比べてリンゴ一つぶんは低いのではないだろうか? 平均的な男性の身長には届いていないだろう。
 それでも、彼にはオーラがあった。背が低くても小さくは見えない。さすがは王族である。その威光は輝かんばかりで、彼の周囲にいる長身の男爵のほうが小さく見えた。
 王族を目にしたレイシアは感嘆の声を上げる。
「なるほど、あれが王族……。さすがだ」
 会場に入ればレイシアは「レイ」となり、男のような口調になる。
「レイもあの輪に加わって話してくるかい?」
 兄の誘いに首を横に振った。
「いや、わたしは遠慮しておく。どうせわたしは国外の者で、公爵様と繋がりを持っても意味がないからね。レイモンドが行くといいさ」
 運よく王族に名前を覚えてもらったところで、レイは外国人という設定である。どうせなら、兄のレイモンドがエルヴァンダーに接触したほうがオデーロ男爵家への恩恵があるだろう。
 利益のことはさておき、あそこまで美しいエルヴァンダーと話してみたいという思いはあれど、レイシアは彼の輪に近づかないことにする。
「じゃあ、行ってくるよ」
 レイモンドが人好きのする笑顔を浮かべながら公爵を囲む輪に加わったのを見届けると、おずおずとした声が耳に届いた。
「あの、レイ様。私と踊って頂けませんか?」
 振り向けば、いつも自分に声をかけてくれる男爵令嬢がいた。美しい格好をしているけれど、今日は髪も丁寧に編みこまれていて、おしゃれしてきたのだとわかる。
「いいけれど、せっかく公爵様がいらっしゃるんだ。わたしではなく、彼に申しこまなくていいのかい?」
「あの輪に入ってダンスを誘うなんて無理ですわ。……それに、わたくしは自分の身分はわきまえております。手の届かない公爵様よりも、レイ様と踊りたいですわ」
 ほのかに頬を赤らめながら呟かれた言葉に、レイシアの胸が微かに痛む。
(むしろ、可能性があるのは公爵様のほうなのだけれど……)
 エルヴァンダーはれっきとした男性だ。身分の差があっても、大人の男女がお互いに本気になれば奇跡が起きる可能性だってある。
 しかし、レイの正体は女性だ。男装は趣味だけれど、レイシアは男性になりたいと思ったことは一度もない。初恋もまだであるが、女性に恋情を抱いた経験もなかった。
 つまり、物理的にも精神的にも、レイと彼女は絶対に結ばれることはない。
 微かな罪悪感はあれど、レイシアは「それでは踊ろうか」と彼女の手を取ってエスコートし、ホールの中央に進み出た。みんな公爵に夢中なのか、音楽が流れているというのに踊っている者は一人もいない。
(でもまあ、わたしと踊れば公爵の目に入るかもしれない)
 男爵階級の社交会は堅苦しいルールなどなく、ダンスはいつでも誰でも好きに踊っていいことになっていた。踊るためのスペースも確保されている。
 一番目立つ場所に陣取ると、レイたちは楽師の奏でる音色に合わせて踊り始めた。誰も踊っていなかったのだから、当然注目が集まる。
(わたしの容姿は人目を引くし、こうして一緒に踊っていれば、公爵も彼女のことを見るでしょう。これで少しは彼女の役に立てるわ)
 ふと公爵のいたほうに視線だけ向けると、公爵と目が合った。案の定、突然踊り始めた男女に興味を持ったようだ。この場にいる沢山の令嬢の中で、一番公爵の視線を奪っているのは間違いなく彼女である。
 機会は与えた。後は公爵に見初められるかどうか、彼女次第である。
(なるべく、彼女が目立つように……)
 いつもは好きに踊るけれど今日ばかりは遠慮して、いかに彼女が綺麗に見えるかを考えながら手足を動かす。
 レイシアたちが踊り始めても誰も続こうとはせず、場所を広く使えたので大胆なステップも踏めた。彼女がくるくる回れば、スカートがふわりと開いて美しい。
「ふふっ、楽しいですわ」
 人にぶつかることを気にせずのびのびと踊れることが嬉しいのか、彼女は微笑みを浮かべた。とてもかわいらしく思える。公爵に見初められたいと目にぎらぎらと野心が宿る令嬢よりも、彼女の楽しそうな微笑みのほうが好ましいのは明らかだ。
「わたしも楽しいよ」
 注目を集めるのが好きなので、レイシアも笑顔を浮かべる。
 結局、レイシアたちのダンスが終わるまで誰も踊ろうとはしなかった。容姿端麗でダンスも上手いレイの側で踊れば比べられると思ったのか、男性陣は踊る勇気を持てなかったようだ。
 ダンスが終わり、一礼をする。すると──
「ありがとう、レイ様。楽しかったですわ……、っ!」
 ふと、彼女の身体が傾ぐ。
「危ない!」

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