【試し読み】訳あり令嬢の婚前逃亡~庭師に捧げる最後の恋~

作家:夏目みや
イラスト:白皙
レーベル:夢中文庫プランセ
発売日:2021/11/5
販売価格:400円
あらすじ

伯爵令嬢のディアナは、ある目的をもって舞踏会に参加していた。屋敷にこもりがちな彼女が意を決して参加した舞踏会だったが、自分に向けられる視線や含み笑いに耐え切れず早々と会場を後にする。帰り際、酔っ払いに絡まれ困るディアナを助けてくれたのはダークブルーの瞳が印象的な男性、ジークだった。「決めたわ。あの方にする」──ディアナは書置きを残して家を出ると、ジークが住む屋敷を訪ね、しばらくの間ここにおいてほしいと頼み込む。常識外れの行動に冷たくあしらわれるディアナだったが、めげずに懇願するとやがてジークも耳を傾けてくれた。目的を尋ねられたディアナはにこやかに答える──「あなたと恋がしたいの。一夜だけでも」

登場人物
ディアナ
華やかな見た目とは裏腹に内向的で屋敷にこもりがちな伯爵令嬢。ある決意を胸に舞踏会に参加する。
ジーク
酔っ払いに絡まれていたディアナを助けた人物。自らと恋がしたいと訪ねてきたディアナを冷たくあしらうが…
試し読み

 輝くシャンデリアの下、広間では大勢の着飾った人々が談笑している。
 チラチラとこちらをうかがう視線を感じて、ディアナ・デジールは小さくため息をついた。そして、それと同時に後悔していた。
(やっぱり来たのは間違いだったのかもしれない。いくら仮面舞踏会といえども、皆が私の素性をわかっているのだわ)
 そう思うと悲しくなった。
 ディアナは人前に出ることが好きじゃない。特に男性の前には。
(でもしっかりするのよ。屋敷にこもってばかりいたって、望む出会いなどあるわけないのだから。それに私には時間がないの)
 そう、期限内にどうにかしなければ──。
 ディアナは汗ばむ手をギュッと握りしめた。
 ウェーブがかった茶色の髪に、ややつり目のエメラルドグリーンの大きな瞳。
 スラリと背は高く、腰回りはキュッと細くなっていて、ドレスの上からでもスタイルの良さがわかり、人目を惹く容姿をしている。それがデジール伯爵の一人娘、ディアナだ。
 定期的に開催される仮面舞踏会は若い男女の出会いの場だった。ディアナはあまり好んで出席はしなかったが、出席せねばならない理由ができたのだ。
 今日のために選んだライラック色のドレスは、艶めかしいほどの細いウェストラインを形作っている。肩口は広く開いているデザインで、白く細い鎖骨がのぞいている。ペティコートを幾重にも重ね、ドレスのスカートはふんわりと広がっていた。
 友人たちはその姿を見て「少し痩せたんじゃないの?」と心配して声をかけてくれたが、そんなことはないと、あいまいに笑った。
 だが本当は痩せたというより、やつれたのかもしれない。ある計画が思い浮かんだ時から、幾度となく頭を悩ませていたのだから。
 毎日寝ても覚めても計画のことばかりで、食事が喉を通らなかったぐらいだ。
(でもダメね。そう簡単にはいかないものだわ)
 ディアナは落胆と共に深く息を吐き出した。
 舞踏会の会場となっている広間をグルッと見回した。いくつかのグループができていたが、とある集団が目に入る。
 三人の女性が集まり、なにやら楽しそうにひそひそと話している。そしてこちらの様子をチラチラとうかがっているばかりか、時折含み笑いを向けてくる。
 またか──。
 いつもの光景、だが幾度体験しても慣れるものではない。
 そうなると悪いくせで、この広間にいる皆が自分のことを指さして笑っているのではないかという被害妄想に襲われる。
(ダメね、こんなことじゃ)
 再度ため息をついた時、目の前を横切った人物に気づいた。
「シリル」
 彼女の姿を確認したディアナは安堵した。
「あら、ディアナじゃない!!」
 はしゃいだ声を出し、仮面の下で笑顔を向けてくるのはディアナが気を許せる数少ない友人の一人だった。社交的で天真爛漫なシリルは手を振りながら近づいてくる。
「やっと外に出る気になったのね」
 普段は屋敷に引きこもっているので、そう言われても反論できず苦笑するのみだ。
「今夜は素敵な方とお会いできて?」
 興味津々で顔をのぞき込むシリルに、ディアナは小さく首を振った。
「あら、ダメよ。せっかく来たのだから、楽しまなくちゃもったいないわよ。それに今日は有名な侯爵様がいらっしゃっているとの噂よ」
 シリルの社交的な性格をちょっぴりうらやましいと思いつつ、あまり目立ちたくないディアナは小さくため息をつく。
「久々に来てみたけれど、やっぱり慣れないわ」
「そんなこと言わないで楽しみましょうよ。自由でいられるのも今のうちよ」
 シリルは堂々と意見を述べる。
 そう、いずれ家のため、意にそぐわぬ婚約話が持ち上がる。女性は結婚してしまえば家庭に縛られるのだ。それまでの間、自由恋愛を楽しもうというシリルの考えだった。自由奔放な彼女を時折うらやましく思う。
「ほら、あちらのカーテンの側にいる男性が、熱い視線を送っているわよ」
 シリルの言った方に顔を向けると男性三人が集まっていて、なにやら話をしている。
(また、私のことを言っているのかもしれないわ)
 ダメだ、どうやっても、あの時のことが脳裏をかすめ、この場にいてもちっとも楽しめない。
(やっぱり、来るんじゃなかった──)
 すでにこの場に来たことを後悔していて、無理やり笑みを浮かべようとするも、上手く笑えなかった。
「せっかくなのだけど、今日は帰るわ」
「ええっ、せっかく会えたのに」
 不満気に口を尖らせているシリルをなんとかなだめ、帰路につくことを告げる。
「じゃあ、今度、お屋敷に遊びに行くわ」
「ええ、ぜひ来てちょうだい。その時はパイを焼いて歓迎するから」
「えっ、パイ? やったわ、ディアナのパイは絶品だから楽しみ」
 喜んで瞳を輝かせるシリルは可愛らしく笑った。
 実際、屋敷にこもっていることが多いので暇を持て余しているのだ。いつからかお菓子を作ることが趣味となり、人に振る舞うことも割と好きだった。
「じゃあ、約束ね」
「ええ、待っているわ」
 シリルとの約束を交わし、早々に会場をあとにする。
 廊下に出ると舞踏会の喧騒とはうってかわって静かな空間だった。舞踏会はこれからが盛り上がる場となるだろう。だが、どうしても乗り気でない。むしろ、人のいない薄暗い廊下のほうがずっと落ち着く。
(やっぱり、大勢の人が集まる場は苦手なのよね)
 小さくため息をつき、暗がりの中を進んだ。
 エントランスフロアを目指し、廊下の角を曲がったところで人影を見つけ、驚いて肩を揺らす。
 その人物は窓に手をかけ、どうやら月を眺めているらしかった。
 月明かりに浮かび上がるシルエットは、すっきりと背が高い男性だった。仮面をしているから素顔は見えないが、黒髪にダークブルーの瞳がやけに印象的だ。
「すまない。どうやら驚かせてしまったようだ」
 突如、低いトーンの声が響いたことに驚く。
「いえ、お気遣いありがとうございます」
 当たり障りのない返事をし、静かに男性の前を通り過ぎた。
(あの人も舞踏会に嫌気がさしたのかしら?)
 ふと気になったが、声をかけるのはためらった。初対面の人にいきなり声をかけるのは、普段引きこもりのディアナにしてみれば、幾分勇気のいることだ。
 それにこれが引き金となって変な噂を流されるのは、もうこりごりだった。
(今日は大人しく帰りましょう)
 そう心に決め、エントランスフロアを通り、馬車の停留所に向かって庭を突き進んだ。
 冷たい風に乗って夜の香りがする。
 歩道の小石を踏み進んで行くと、ふと前方に人影が見え、眉をひそめた。そこにいたのは男性で、すでに酔いが回っているのか足取りがふらふらだった。
 大方、酒を飲みすぎ、酔いを醒ましに来たのかもしれない。タイミングが悪いと思いながらも、前方から来る相手を無下にもできない。
 なるべく端に寄り、顔が見えないようにうつむきながら、歩く速度を上げた。
(適当に挨拶だけして、すぐに帰ろう)
 ふらふらとよろめきながら向かってくる男性から視線を感じる。
 すれ違いざまに軽く会釈をし、上手くすり抜けたと思った瞬間、肩を掴まれた感触があった。
「もう帰ってしまうのですか? 夜はこれからですよ」
 知らない男に触れられた嫌悪感と、男の吐く酒臭い息に思わず顔をしかめた。
「ええ、用事がありますので失礼しますわ」
 サッと身をひるがえそうとしたが、男の手は思ったより力強く、さらにギュッと力を入れてくる。
 思わずむきになって声を荒らげた。
「離してください」
「まあ、そう言わずに。どうですか、僕と一緒に舞踏会の場に戻りましょう」
 男は悪びれもなく笑う。そのまま強引に体を近づけてくる男に恐怖を感じ、思わず顔を背けた。
「そんな照れずにお顔を見せてください」
 顎を掴もうとした手から逃れようとした時、男の手が仮面に当たった。その弾みで仮面が外れ、地面に落ちる。
 ディアナがあっけに取られていると、いきなり顎を掴まれ、顔を男の方にグイッと向けられた。酒臭い息を間近に感じ、恐怖で顔が引きつった。
「これは、これはディアナ・デジール嬢じゃないですか」
 男の目がいやらしい色を宿し、好色ばった声にディアナは身震いがしたが、努めて平静を装う。
「お手を離してくださらないかしら。私、強引なのは嫌いでしてよ」
 心臓の鼓動が速く刻み、緊張からか背中に汗をかいてきたが、男は言われた通りに手を離した。まずはホッとしていると、男が言った。
「あなたがここへ来るとは珍しい。これは僕にとってチャンスだ。あなたと親しくなりたいと思っているのですが。どうです? 一夜だけでも共に夢を見ませんか?」
 こうもあけすけに誘ってくるとは、ずいぶん自分も軽く見られたものだと、自虐的に鼻で笑う。だが内心は鋭利なナイフで切り付けられたように深く傷ついた。
(初対面の男にさえ、こんなことを言われるなんて。私の評判は地に落ちているのね)
 だが、今は傷ついている場合ではない。目の前の男からどう逃げるのかが一番の問題だった。
「あいにくですが、今日は帰るので」
 サッと背中を見せ、足早に逃げようとした瞬間、今度は腕を掴まれた。
「まぁそう言わずに。この月明かりが照らす庭園を見て回りませんか?」
 男はディアナの腕を引っ張り、強引に歩き始める。
 庭園はところどころにランタンが飾られ、月明かりにも照らされてはいるが、薄暗いし人気もない。どこかへ連れ込まれたら終わりだと思い、ディアナはその場で踏ん張った。
「やめて、離してください」
 だが男はディアナの声を無視し、強引に連れ去ろうとしている。
 ここで助けを呼ぶために叫んだら──。
 だが、ディアナは思い留まった。
(私が大声を出したら人が集まってくる。だけど、私の言い分なんて聞いてくれないに決まっているわ、また)
 苦い記憶が蘇り、もう二度と同じ思いをしたくないと、唇を噛みしめた。
「おい、なにをしている」
 その時、低い声が響き、ハッとした。声のした方に顔を向けると、一人の男性が両腕を組んで、こちらをじっと見つめている。
 それは、さきほど廊下にいた男性だった。
「いや、彼女と少し話そうと思って……」
 腕を掴みながらやましいことを考えていたであろう男性は、しどろもどろになりながら答える。
「それは合意の上か? なら邪魔はしないが」
 響く声は冷静でいて威圧感があり、聞いた途端、心臓が音を立てた。
「もちろん合意に決まっているさ、なぁ?」
 助けを求めるような視線を男に向けられるが、気づけば走り出していた。そしていきなり現れた男性の背後に、ディアナはサッと隠れる。
 男性はディアナをかばうようにして前に立ったまま、対面した男に言った。
「大事にしたくないなら、このまま戻るほうが得策だと思うが?」
 男は気配に圧倒されたのか、なにかゴニョゴニョとつぶやいていたが、舌打ちを一つすると脇をすり抜けていき、屋敷へと戻った。
 男の姿が見えなくなった途端、ディアナは安堵のあまり足に力が入らなくなり、その場でへたり込んだ。
「大丈夫か?」
「ええ、助かりました」
 恐怖がよみがえってきたディアナはしゃがみこんだまま、肩を震わせた。
 その時、サッとなにかを差し出された。

※この続きは製品版でお楽しみください。

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