【試し読み】じゃじゃ馬令嬢の婚活は前途多難です~辺境伯の筆頭護衛を攻略できません!~

作家:香月航
イラスト:深山キリ
レーベル:夢中文庫セレナイト
発売日:2021/9/17
販売価格:800円
あらすじ

「あなたが弟のほうを推すのなら、俺たちは敵同士だ」「いや、なんの敵よ」――階段から落ちかけた令嬢を助けてケガを負い、社交界デビューに失敗した伯爵令嬢のカリーナ。その勇気ある行動を聞きつけた辺境伯家との婚約が浮上するが、王都まで話を持ってきた若き辺境伯は『爵位を継ぐ弟の妻になって欲しい』と言い出した。しかも婚約にも後継にも前向きではないらしい弟に直接会うには、まずは筆頭護衛のフェリクスに認められなければいけないと言う。ところがフェリクスは、次期辺境伯の婚約者候補であるカリーナになぜか敵意むき出し! 普通の令嬢が嫌がりそうなことを涼しく受け入れるカリーナに、彼はますます躍起になり…?

登場人物
カリーナ
予期せぬケガにより社交界デビューに失敗するが、辺境伯家との婚約話が舞い込む。
フェリクス
カリーナの護衛兼案内役を務める軍人。敵意むき出しでカリーナに失礼な言動をとるが…
試し読み

1章

 ──ああ、どうしてこんな話になっているのだろう。
 肺に溜め込んだ空気を吐き出すこともできず、カリーナはただ呆然と、眼前の光景を見つめている。
 ここは、すでに住み慣れた王都の別邸の応接室。ふかふかなソファで隣に座っているのは、大好きな父親だ。
 ……だというのに。部屋の中には、まるで見知らぬ場所にいるかのような緊張感が満ちている。
 たまらず唾を飲みこむと、その音が合図だったかのように、向かいに座る男性がまっすぐにカリーナを見つめてきた。
「……っ!」
 その真剣さに、また息を呑む。
 自身の赤茶色の虹彩とは真逆の、深い緑色の瞳。穏やかで紳士的な彼にぴったりの優しげな双眸そうぼうだが、今はカリーナを逃がさないように強い意志を浮かべていた。
「……改めて、お願いいたします。カリーナ・ラムジー伯爵令嬢」
 耳に心地よい彼の声が、カリーナの名を呼びかける。

「あなたには、私の弟と婚約をしていただきたい。そして、弟が爵位を継ぐように手伝っていただきたいのです」

(……ああ、本当に。どうしてこんな話になっているのだろう)
 今日この時間、この席は、将来のための大事な顔合わせだと聞いていたのに。
 予想もしていなかった内容と、とても真剣な表情の男性……メイウッド辺境伯家のご嫡男の美しい顔を眺めながら。
 カリーナの脳裏には、今日に続く思い出が鮮明に流れ始めていた。

   * * *

 カリーナの生家であるラムジー伯爵家は、貴族としてはちょうど真ん中ぐらいの良くも悪くもない一族だ。
 そこそこの歴史があり、領地もそこそこに良いところで、税収もそこそこ。ものすごく困ることもなければ、表彰を受けるようなこともない、平凡を形にしたような家であったが……たった一つだけ、変わった特徴があった。
 それは、〝武人思考〟の者がたいへん多いということだ。
 何故かは知らないが、ラムジー伯爵家に生まれる者は、そういう教育をしていないにもかかわらず、そういう考え方をしやすいらしいのだ。
 体を鍛えることは心を鍛えること、だとか。努力と筋肉は裏切らない、だとか。
 そんな思考回路な上に男が生まれやすい血筋のせいで、ラムジー伯爵家では跡継ぎ以外は皆、騎士から始まり剣術の指南役や自警団員、果ては傭兵まで、とにかく体を使った仕事……中でも戦闘職に就くのが恒例だった。
 かくいうカリーナもそういう思考の兄が三人もおり、彼らに巻き込まれた結果、伯爵令嬢でありながら筋力訓練を幼少期から続けている。
 さすがに剣を本格的に習うことはできなかったが、乗馬や護身術などは同年代の他の令嬢たちよりもはるかに優れていると、家庭教師からのお墨付きだ。
 ……まさかそれが、貴族令嬢にとって義務ともいうべき『婚活』であだになってしまうとも知らずに。

 その日は、貴族令嬢にとって人生で最も大切ともいわれる運命の日、〝社交界デビュー〟だった。
 王城の大ホールにて催される年に一度だけの特別な夜会で、十六歳になった貴族の娘たちが王族に挨拶をする祝いの席だ。
 言葉にすれば『挨拶』と一言で済むが、彼らに一人前と認めてもらうことで、令嬢たちは初めて社交界の仲間入りができるようになる。
 普段は華やかさよりも動きやすさを重視した服選びをしているカリーナも、この日ばかりはきっちりと盛装せいそうして、晴れ舞台へと臨んでいた。
 父伯爵に手を引かれ、会場へと続く白亜の階段を上っていく。
 ──と、ふいにカリーナの前を歩いていた少女の肩が大きく揺れたのが見えた。
(……うん?)
 この夜会に参加するのなら、きっと同じ年頃だろう。初めてのうたげということもあり、彼女も緊張していたのかもしれない。
 カリーナが見ている間にも彼女の体は傾いていき……ついにはバランスを崩して、背中から落ちていくのがはっきりと目に映ってしまった。
「嘘でしょっ!?」
 ……もしカリーナが普通の令嬢だったなら、きっと巻き込まれないように避けただろう。
 あるいは悲鳴をあげて、顔を背けてしまったかもしれない。
「危ない!!」
 しかしカリーナは、日々鍛えていたおかげで動ける体と、反射神経を持っていた。
 ついでに、少女が怪我をすることを『嫌だ』と思う程度の正義感も。
「……ッ!」
 とっさに伸ばした手が、少女の華奢な背中に触れる。
 ……が、勢いと重さにカリーナの腕では耐えきれず、先ほどの少女の動きをなぞるように床へ向かって落ちていく。
「カリーナ!!」
 父の悲鳴のような声の直後に、どん、と激しい衝撃が体中に走る。
 なんとか受け身の体勢をとれたのは、鍛錬の賜物だろう。……残念ながら、全ての衝撃を逃がすことはできなかったが。
(でも、この人は守れた……はず!)
 ぎりぎりで抱え込んだ少女の体を確認すれば、頭はちゃんと腕の中にあり、手足もどこにもぶつかっていない。カリーナ自身をクッションにしたので、きっと無事なはずだ。
(よかった……)
 安心して気が抜けてしまったのか、そこで意識はぷつりと途切れて──次に目覚めたのは、見慣れた自室のベッドの上だった。
「あれ、私……?」
 視界に入るのは華やかな夜会とはほど遠い景色で、衣服もドレスではなく柔らかい素材の寝間着だ。
 当然、王族に会った記憶も、貴族たちに挨拶回りをした記憶もない。
(もしかして私、社交界デビューをすっぽかしちゃった!?)
 事態に気付けば、さあっと血の気が引いていく。
 慌てて見たカーテンから覗く日は明るく、夜会が終わってしまったのは明白だ。
 おまけに、カリーナの右足首はぱんぱんに腫れていて、厳重に包帯が巻かれている。じくじくと響く痛みから察するに、かすり傷ではなさそうだ。
「ああ、お嬢様! 旦那様、お嬢様がお目覚めに……すぐにお医者様を!」
 愕然とするカリーナをよそに、現れた使用人は挨拶をするより先に声をあげて、部屋の外があっという間に騒がしくなる。
 とりあえず待っていると、ほどなくして馴染みの医師が現れたのだが──聞かされた言葉は、カリーナにとって正しくトドメだった。
「たいへん申し上げにくいのですが、お嬢様は右足首を骨折されております。それから、打撲も四か所ほど。しばらくは絶対に安静にしていてください」
「そ、そんなっ!」
 婚活に出遅れることは、貴族令嬢にとっては致命的だ。特に、ラムジー伯爵家のような有名でもなんでもない家の娘などは、一分一秒でも若さを無駄にするべきではない。
 少しでも後れをとれば、お独り様街道まっしぐらである。
(人助けをしたせいでき遅れるなんて、笑い話にもならないわね)
 カリーナと同年代の少女たちは、きっと今頃夜会で築いた縁を辿り、婚姻に向けて動きだしているだろう。
 そうやって良い相手から話がまとまっていき、カリーナの足が治る頃には、果たしてどれほどの男性が残っていることか。
 しかも、兄がいるカリーナが探す相手は〝嫁ぎ先〟、つまり家の跡継ぎの男性だ。
 個人的には継ぐ家がなくても構わないのだが、できれば安定した立場の相手と結婚して、ラムジー伯爵家に貢献したいのが、貴族の娘としての矜持きょうじである。
(だけど、これじゃあ……)
 動かない足に引きずられるように、気分も沈んでいく。
 淑女として価値のある特技や、教養があればまだ勝機はあったものの、そのあたりは最低限度しか習っていない。今更悔やんでも後の祭りだ。
 屋敷の中にも、しんみりとした残念な空気が満ちていく。
 ──だが、カリーナの善行は、ちゃんと意味があることだったらしい。
「縁談? ……えっ!? 私に!?」
 怪我をしてから幾日か経った頃。ラムジー伯爵家に届いたのは、なんと今年は諦めていた縁談だったのだ。
 実は、あの夜会でカリーナが助けた少女は、かなり格上の侯爵家のご令嬢だったというのである。
 カリーナをクッションにしたおかげで彼女には傷一つなく、対応した父伯爵が恐縮してしまうほど真摯に感謝を伝えてくれたそうだ。
 そして同時に、自分のせいでカリーナが社交界デビューできなくなってしまったことに、ひどく責任を感じていたらしい。
『自分にできることをさせて欲しい』という格上の貴族の懇願を断ることもできず、恐る恐るお願いしてみたところ、まさかの縁談を持ってきてくれたというわけだ。
「こんなことってあるのかしら……。もし無理をしてくださったのなら、とても申し訳ないのだけど」
「なんとも言えないけれど、悪い話ではないと思うよ。侯爵閣下もぜひ会ってみて欲しいとおっしゃっていたし、あちらにご迷惑がかかるようなことはなさそうだ。むしろ、お話を断ったほうが失礼になるだろうね」
「でも、本当にこんな条件で……?」
 侯爵家いわく、先方が提示した条件は『健康で体が丈夫な女性』とのことだ。令嬢を救うために動いたカリーナには、確かにぴったりだろう。
(そりゃまあ、人様よりは丈夫だし健康だけど)
 今は怪我のせいでほぼ寝たきりのような生活だが、幼少から鍛えているカリーナは、本来風邪すらひかない健康体だ。
 それに今回の件も、人一人かばって骨折程度で済んだのだから、充分丈夫と言えるだろう。会場にいた華奢な令嬢たちでは、もしかしたら命にかかわったかもしれない。
「カリーナのためにあるような条件だよね。元気な女の子を好きな方なんて、父さんも嬉しいなあ」
「本当にそうかは知らないけどね。ちなみに、どちらの方なの?」
「それがなんと、メイウッド辺境伯家のご長男なんだよ」
「辺境伯!?」
 さらりと父が口にした言葉に、思わず怪我を忘れてベッドから跳び上がってしまった。
 辺境伯とは名のごとく国境付近の領地を治める家のことで、国防のかなめでもある。カリーナたちからすれば、もちろん格上の貴族だ。
(ああでも、辺境伯なら条件はちょっと納得ね)
 ひとたび戦争となれば、そこは最前線だ。そのため、かの地を治める者は貴族というより軍人に近いと聞いたことがある。
「メイウッド辺境伯家といえば、古くから続く名家だ。隣国に近いのももちろんだが、あそこは『魔物』の頻出帯もあるから、必然的に武人の名門でもあるんだよ。そんな家にカリーナがお嫁にいけるなんて、父さんも鼻が高いよ!」
「まだ決まっていないわよ。それに、普通は心配するところじゃない?」
 魔物は世界中のどこにでも出没する、瘴気をまとった凶暴な生き物だ。王都ですらも、街を取り囲む防壁や国道を一歩出れば、いつ襲われてもおかしくはない。
 そんなものの頻出帯に娘が嫁ぐなど、普通の親は心配しそうなものだが、それをしないあたりがこの家の血筋らしいところだ。
(でも、格上のお家と縁を結べるなんて、貴族の娘としては誇るべきことだわ。私がもし夜会に参加できていたとしても、絶対に無理だもの)
 そっと視線を落とすと、肩を滑り落ちるくすんだ灰緑色の髪が見える。
 カリーナは特別美人でもないし、体だって取り立てて褒めるところもない。強いていうなら、平均より少しだけ身長が高いぐらいだ。
 この機会を逃したら、次の良縁に巡り合えるのはいつになることか。
『もちろん、お会いするよね?』と確認してくる父に、カリーナも強く頷く。
 ……国防の要たる家の跡継ぎならば、きっと凛々しく立派な方だろうと、ほのかな期待も抱きながら。

   * * *

 ──そうして迎えたのが、今日のこの席だ。
 わざわざ王都の別邸まで訪れてくれたメイウッド辺境伯家からの客人は、名をエイダンという優しげな風貌の男性だった。
 ゆるく波打つ白茶色の髪に、少し垂れた緑色の瞳の彼は、物腰の柔らかい美丈夫だ。辺境伯の印象とは少々違ったが、魅力的な男性であることは間違いない。
 しかも彼は、ちゃんとカリーナの足の完治を待ってから会いにきてくれたのだ。
 この時点で心証はたいへん良かったし、もし彼と結婚できたら、それは素晴らしい幸運だとも思えた。
 ……なのに、そんな彼から提案されたのは、まさかの『弟の婚約者になってくれ』だったのである。
(これは、どう反応したらいいのかしら)
 予想外すぎる提案に、カリーナの頭は真っ白になっている。相手が格上である以上、下手なことを聞くわけにもいかない。
「……詳しく、お話を伺ってもよろしいでしょうか?」
 カリーナが未だ混乱していると、父伯爵の低い質問の声が響く。
 はっとして父の顔を見れば、そこには隠しきれない怒りが見えた。ただでさえキツめの目付きは、睨んでいるようにも受け取れる。
「これは失礼いたしました。私も少々気が急いていたようです」
 エイダンは父の態度を気にした様子もなく、座ったまま浅く頭を下げて応える。気を悪くしたようでもないので、カリーナは今度こそこっそりと息をついた。
「早速ですが、当家の先代が急逝したことはご存じでしょうか?」
 続けてエイダンが口にした内容に、カリーナの胸がぎゅっと縮こまったように感じた。
 先代辺境伯、つまり彼の父親は、ほんの一年ほど前に馬車の事故で亡くなったばかりだと聞いている。それも、夫婦そろって。
 両親共に健在で家族仲も良いカリーナとしては、考えたくもない悲劇だ。
「……謹んで、お悔やみ申し上げます」
「ありがとうございます。それで、たいへんお恥ずかしい話なのですが……当家は未だ、後継がちゃんと決まっていない状態なのです」
 エイダンが言うには、先代は生前から『後継は兄弟で相談して決めるように』と話しており、万が一のために用意してあった遺言書にも、指名は残っていなかったそうだ。
「葬儀や事後処理で必要だったので、今は長男である自分が取り仕切っておりますが、あくまで臨時の務めです。私は、弟にこそ次代の辺境伯の立場について欲しいと考えております」
「失礼を承知で伺いますが、それは何故でしょうか? 一般的に考えて、爵位を継ぐのは長子であるあなたが適任だと思うのですが……」
 気遣わしげに訊ねる父に、エイダンは少しだけ寂しそうに苦笑を浮かべた。
「皆様ご存じの通り、辺境伯とは国境を守る武人が賜る地位です。残念ながら私は、武芸の才がからっきしでして。軟弱者が主人では、我が領の屈強な民はついてきてくれないでしょう。逆に、弟は領地でも屈指の戦士なのです」
(本当に戦えない方だったんだ……)
 優男風なのは見てくれだけだと思っていた。彼が言っていることが本当なら、確かに居心地は悪いかもしれない。
「で、でも、軍をまとめるために必要なのは、肉体的な強さだけではないはずです。軍師のような頭脳派の方が領主でも、おかしくないと思います」
 思わずカリーナが口を挟んでしまえば、エイダンは一瞬驚いた表情を見せるが、すぐにふわりと微笑んでくれる。
「カリーナ嬢は優しい方ですね。確かに、歴代の領主にはそのような者もおりました。陰から支える役ならば、私でもなれるかもしれません」
「でしたら、どうして弟君に?」
 エイダンが後継でも問題ないなら、わざわざ弟に譲るのは不自然だ。長子が健在の中で後継が別となれば、いらぬ詮索を受けかねない。

「あなたにこの場でお伝えするのは、たいへん心苦しいのですが……実は、私には将来を誓っている女性がいるのです。それも、貴族ではない生まれの」
「……はい?」

 ──その瞬間、カリーナの表情は完全に固まっていただろう。
 今日この席は、縁談として迎えたものだ。
 少なくとも、カリーナも父もそのつもりでいたのだが。
「……つまり、あなた自身は最初から、当家と縁を結ぶつもりはなかった、と。舐められたものですね」
「お、お父様!」
 隣から聞こえた地を這うような低い声に、カリーナは慌てて父の肩を掴んで止める。
 カリーナも『なんだそれ』とは思ったが、相手は貴族として格上の存在だ。上下に厳しいこの世界で生きるのなら、滅多なことは口にするべきではない。
「いえ、お叱りはごもっともです。むしろ、娘さんのことを大切に考えていらっしゃって、安心いたしました」
「お父上は、そのことをご存じだったのですか?」
「はい、全て伝えてありました。私の婚約者が公表されていなかったのも、それが理由です。弟が正式に爵位を継いだ後、貴族籍から外れて彼女と結婚する予定でした。……もっとも、一番の理由は、私が辺境伯に向いていないことですが」
 どこか苦みを含んだ声でそう口にしたエイダンは、膝の上に置いていた両手をギュッと音が鳴るほどに強く握りしめる。
 そして直後、カリーナと父に対して深く深く頭を下げた。
「なっ、エイダン様!?」
「どうか、お願いしますカリーナ嬢。私の弟に会っていただけませんでしょうか。必要な費用は全てこちらが用意いたします。どうか、お願いします……!」
 すぐに止めようとした自分たちを遮るように、エイダンの声が響く。それはもう、懇願と呼べるほど必死なものだ。

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