【試し読み】男装おてんば令嬢の学園潜入計画~お姉様の婚約者を見極めたい!~

作家:青柳朔
イラスト:Shabon
レーベル:夢中文庫セレナイト
発売日:2021/9/10
販売価格:600円
あらすじ

お姉様が……恋!? 大好きな姉が恋に落ちたと知ったイーリスは、その相手が誰なのか気になって仕方ない。でも、これまでも姉の婚約をことごとくダメにしてきた前科があるために、母親の画策によってその相手が誰なのか知ることができずにいた。どうにかして姉の想い人が「名門男子校・カールソン学園に通う金髪の青年」であるらしいと知ったイーリスは弟のフリをして学園に潜入し、その人物が「女好き」と噂されるエドガーだと突き止める。彼が姉の婚約相手に相応しいか見極めるためにひっそりと観察を始めたイーリスはしかし、なぜか彼に興味を持たれてしまって!? 彼の素顔を知るにつれ、イーリスも複雑な想いを抱くようになっていき……?

登場人物
イーリス
大好きな姉の想い人がどんな人物か見極めるために、弟のフリをして男子校に潜入する。
エドガー
「女好き」と噂される金髪の青年。観察対象として自分に近づいてきたイーリスに興味を持つ。
試し読み

プロローグ

 長い赤茶の髪はカツラの中に押し込んでどうにか隠した。
 ささやかな胸のふくらみは、少し厚着をした上に制服の上着を着てしまえば案外わからなくなる。それはそれでちょっとむなしい気もするが、もともと絶壁と言ってもいいほどの胸だ。こういう場合は都合がいいじゃないか、これはまだまだ成長期だから大丈夫だとこっそり言い訳をして納得することにした。
 鏡に映る自分の姿を見て、イーリスは満足げに笑う。
 短い髪に、細く平らな身体。にっこりと笑ってみせても鏡の中には人懐っこそうな少年がいるだけだ。
「どうルーカス! けっこうしっかり男の子に見えると思わない!?」
 イーリスが振り返ると、そこにはベッドに腰掛け、呆れた顔をしている双子の弟のルーカスがいる。
 イーリスが今着ているのは、このヴェランデル王国でも名の知れた名門カールソン学園の制服だった。貴族の子息が通う伝統ある男子校である。
 長い髪を隠し、少女らしい身体のラインを誤魔化して、そしてこの制服を身に纏う。それだけでイーリスは小柄な少年に見えるようになる。誰がどう見ても男の子だ。
「まぁね、僕にはなりきれないだろうけど、男の子には見えるよ」
「そうね、ルーカスには見えないわ。不思議よね、顔は同じだけど」
 明るく活発なイーリスに比べて、ルーカスは冷静沈着で何事もクールだ。そういった内面が顔にも出てくるのか、顔はそっくりでも同一人物には見えない。双子なのに不思議ね、とよく言われる。
「なんにせよ、男の子に見えるなら問題ないでしょう? これで私は堂々とカールソン学園に行けるわ!」
 イーリスはきらきらした目でルーカスを見つめた。
 そんな双子の姉を見て、ルーカスはため息を零す。繰り返すようだが、カールソン学園は男子校である。当然、女性であるイーリスには通うことはできない。
「一応、念のためもう一度聞いておこうかな。本気?」
 これまでルーカスは何度も確認した。いくらイーリスがおてんばでじゃじゃ馬な少女であっても、曲がりなりにもルンダール伯爵家の次女である。貴族の娘として育てられたご令嬢だ。詩歌の朗読や刺繍よりも、外で駆けまわったり乗馬することが好きなイーリスであっても、だ。
 そんなイーリスが男子しかいない学園に行くなんてありえないし、あってはならない。
「本気も本気よ! 当たり前じゃない!」
 しかしイーリスはルーカスの問いに、ぐっと拳を握りしめて真剣な顔をした。決意に満ちたその顔に、ルーカスはこれはきっと何を言っても無駄だろうと、また小さくため息を吐き出す。
「リネーアお姉様の婚約者になる人がどんな男なのか、この目でしっかりと見極めるためにも、私は学園に行くのよ!」
 握りしめた拳を突き上げて、イーリスは高らかに宣言したのだった。

第一章

 そもそもの始まりは、一週間ほど前のことになる。
 ルンダール伯爵家にはイーリスとルーカスの他に、二歳上の美しく聡明な姉がいる。イーリスのおてんばっぷりにも動じず穏やかに微笑んで見守るような、心やさしい姉だ。
 その姉が、その日は外出から帰ってきたとき、ふわふわと夢見心地でいた。
 大好きな姉を出迎えたイーリスはびっくりしてしばらく口が開いたままになった。姉のリネーアはいつも穏やかに微笑を浮かべ、背筋はぴんとしていて、立ち姿はまさに水仙のような美しさがある。その姉が、頬を赤らめ目をうっとりと潤ませて、そわそわと落ち着かない様子だったのだ。
「お、お姉様? いったいどうなさったの? なんだか少し……」
 変だわ、と言うのはなんだか躊躇われてイーリスは言葉を濁した。
 普段とは違う。けれど変という一言で済ませていいものだろうか。嫌な予感にイーリスは表情を曇らせた。
「え? ええ……その、なんでもないのよ。気にしないで」
(なんでもないはずがないわ!?)
 だって今も頬は赤いままだし! いつもならまっすぐイーリスを見つめてきてくれるはずのリネーアはなんだか気まずそうに目を逸らすし、これを異変と言わずして何を異変だと言うのか!
 問い詰めようか、いやしかし……とイーリスは困り顔でリネーアの周りを仔犬のようにぐるぐると付きまとう。リネーアはそんなイーリスが目に入っているのかいないのかわからない様子で、ぼんやりとしていた。
「あらあら、リネーア。まるで恋する乙女みたいな顔をしているわね」
 通りがかった母がリネーアの顔を見てくすくすと笑う。
「こっ……!」
 恋という単語ひとつで、リネーアの顔は真っ赤になった。それはもう、つまりそういうことだった。
(こい……恋!? お姉様が!? 恋!?)
 衝撃だった。
 頭に雷が落ちたんじゃないかと思うくらい、イーリスにとっては衝撃的だった。
「こ、恋なんて……! その、今日たまたま外出先で親切にしてくださった方がいらっしゃって、その……」
 真っ赤になったままリネーアがそんなことを言っているが、母はにこにこと嬉しそうに笑っている。
「リネーアも十八歳ですものね、そろそろ婚約を考えるべきかしら」
(こ、婚約ぅ!?)
 ちょっと待ってほしいそれはいくらなんでも話が飛躍しすぎでは!? とイーリスは口をぱくぱくさせたけれど、母は上機嫌でリネーアからあれこれと聞き出している。小声で恥ずかしそうにリネーアは話しているが、その内容は混乱しているイーリスの耳にはさっぱり届かなかった。
 しかも母はそのまま攫うようにリネーアを連れて行ってしまったではないか。気づいたらイーリスは呆然としたまま廊下に立ち尽くしていた。
(恋。お姉様が、恋……)
「イーリス、大丈夫? 壊れてない?」
「だ、大丈夫じゃない……!」
 一部始終を見ていたらしいのにまったくフォローしてこなかった双子の片割れは、イーリスががっくりと膝をついたところでようやく声をかけてきた。遅すぎる。もっと早く声をかけてほしかった。
 イーリスは姉のリネーアが大好きだった。理想そのものと言ってもいい。いつも明るく朗らかで、他人にはやさしく自分には厳しい。いつだってイーリスの味方をしてくれる、大好きな姉だ。
 そのリネーアが恋。そしてまさかの婚約。
「婚約なんて早すぎるわ! あと十年くらいは私だけのお姉様でいてほしいのに!」
「十年も経ったら立派な行き遅れじゃないか。君、姉さんをそんな不名誉な目に遭わせるつもり?」
 十年後のリネーアは二十八歳だ。貴族の娘としてその年まで未婚というのはありえない。むしろ既に二、三人、もしかしたらそれ以上の人数の子どもを産んでいる年齢だろう。
 わかっている。イーリスのわがままが通るはずがないということも、あんなに素敵な姉を放っておく男がいるはずもないということも。
「ぐっ……せ、せめて五年……!」
「五年でもちょっと厳しいな。そもそも今まで婚約者がいなかったのがおかしいくらいだし」
 ルンダール伯爵家はそれなりに長く続いた、それなりに名のある貴族である。一族揃ってあまり出世欲がないのか重役につくようなこともないが、憂き目に遭うようなこともない。
「それはそうよ! あんなに綺麗であんなにやさしいリネーアお姉様の魅力がわからないなんて世の中の男の人たちの目は節穴なんじゃないの!?」
「それ、君が原因だって自覚はある?」
 ルーカスがばっさりと切り捨ててきたので、イーリスは「うぐ」と口籠もった。
 実のところ、イーリスの前科はひとつやふたつではない。リネーアはイーリスの贔屓目をなしにしても美しく聡明な令嬢で、今までだって何度も婚約の打診はあったのだ。
 リネーアが婚約者となるかもしれない男と会うときは、イーリスは必ず同行した。最初は「かわいい妹さんだね」と微笑ましそうにしていた相手も、まるで動物のように威嚇してくるイーリスに困惑し始め、最終的には「こんなに面倒な妹がいるのならこの話はなかったことにしてくれ」と断ってくるので、リネーアは婚約を結ぶまでには至っていない。
 リネーアは本当にやさしい姉で、そんなイーリスを「仕方ない子ね」とやんわり諭すばかりだった。もともと彼女は相手になんの感情もなかったからだろう。
 しかし今回は違う。
 だってあの様子ではどう見てもリネーアは恋に落ちている。
「ルーカスどうしよう! お姉様の心がどこかのろくでなしに奪われてしまったかもしれないわ!」
「ろくでなしかどうか決めるのは早いんじゃないの?」
 ルーカスの指摘はいちいち的確だったが、ますますイーリスを焦らせた。
 ろくでなしはダメだ、絶対に阻止する。しかしろくでなしでなかったら、婚約話はあっという間に進んでしまう。
「気になるならどんな人なのか聞いてくればいいじゃないか」
「それよ!」
 今まさにリネーアと母はその話をしているはずだ! とイーリスは二人がいる居間に駆け込もうとしたのだが、その扉の前で使用人に止められた。
「なんで入っちゃダメなのよ!?」
「申し訳ありません、奥様にお嬢様を入れないようにと申しつけられておりまして」
 長年ルンダール家に仕えている使用人たちは、母がイーリスを警戒する理由をよくわかっていた。それならとイーリスが外から盗み聞きしようとすれば庭師に捕まるし、使用人の隙を狙って部屋に入ろうとしてもまた別の使用人に阻止される。イーリスのおてんばっぷりにはルンダール家の誰もが慣れていた。

 結局、イーリスはリネーアが恋をしたという相手の話をさっぱり聞くことができなかったのだ。
 諦めきれずに夕食のあとリネーアに泣きついてみたが、リネーアは困った顔をするだけで教えてくれない。
「ごめんなさいね、お母様からイーリスにはまだ内緒にしてなさいと言われているの」
「そんなぁ……!」
 リネーアなら教えてくれるはずだと信じていたイーリスは、既にここにも母の妨害があることを知らなかった。
 どうしてもダメ? 絶対ダメ? とおねだりしてみても、よほど母から強く言い聞かせられているのか、リネーアは頷いてはくれなかった。
「なんで!?」
 イーリスはすっかりいじけて、ルーカスの部屋に駆け込んだ。ルンダール家の中はリネーアの恋を応援するムードでいっぱいになっていて、こういう愚痴を言えるのはルーカスくらいしかいなかったのだ。
「そりゃそうだよ。君にどこの誰かを教えたら、相手の家に殴り込みに行くだろう?」
「殴り込みになんて行かないわよ! 穏便に話をしに行くだけよ!」
「君に限って言えば同じだよ」
 きっぱりとルーカスに言い切られて、イーリスは唇を尖らせた。
 違う、ちゃんと話をするつもりはある。結果的には殴り込みのようになっているかもしれないだけで。
(お姉様が好きになるような人なら、もしかしたらとても素敵な人かもしれないじゃない!?)
 こんなイーリス相手にもおおらかに接してくれるかもしれないじゃないか。それならイーリスは千歩くらい譲って婚約を認めてあげてもいい。むしろそのくらい懐の深い男でなければリネーアの婚約者だなんて認めない。
 家族や屋敷の人々はリネーアの恋にすっかり浮かれている。こんなときだからこそ、誰かがしっかりしなくては! 婚約ともなればより慎重になるべきだとイーリスはぐっと気合いを入れる。
「お姉様の相手がどんな人なのか、私がきっちり見極めなくちゃダメよね!」
「……やっぱりこうなるのかぁ……」
 はぁ、とため息を吐き出すルーカスの呟きはイーリスにはさっぱり聞こえていなかった。

 翌日、イーリスは懸命に相手の情報を集めた。リネーアや母に直接聞いてもはぐらかされてしまうので、使用人たちの噂話に耳を傾けたり行儀が悪いけど母とリネーアの会話をこっそりと立ち聞きしたり、本当にいろいろやった。
 ──結果、わかったのはたったふたつだけだ。
 相手はどうやら金髪の青年らしいということ。
 そしてどうやら、カールソン学園に通っているらしいということ。
「だったら学園の金髪の生徒で近頃令嬢と知り合ったとか、令嬢を助けたとか言っている人を探せばいいじゃない!」
 なんていってもリネーアは美人だ。美人とお近づきになったなんて絶対に自慢になるに違いない。それなら周囲に話しているだろう。
「完璧だわ!」
「どこが?」
 ルーカスの冷め切った声にもイーリスはめげない。
「どこからどう見ても! これでかなり絞れるはずでしょ!?」
「百歩譲ってその条件で探したとして、どうやって君が学園に入るのさ。あそこは男子校だし、普段は生徒や関係者以外の出入りはできないよ」
「うぐぐ……」
 ルーカスの言葉は意地悪だし容赦はないが、真実でもある。
 貴族の子息が通う学園というだけあって、警備は厳重だ。門には必ず守衛がいる。部外者がひょっこり顔を出したところで追い出されるだけだろう。
(どうにかして私が学園に行く方法はないかしら……)
「ルーカスの忘れ物を届けに行くとか……?」
「僕が学園に行っていないの知ってるくせに」
 イーリスがどうにか案をひねり出しても、ルーカスがばっさりと切り捨てる。ルーカスはカールソン学園の生徒であるものの、授業がつまらないと言って試験のときくらいしか学園に行かないのだ。それなのにしれっと首席をとってくるのだからルーカスの頭の出来はイーリスとは全然違う。
「ちょっとくらい協力してくれてもいいじゃない!」
「協力してるだろ。こうしてイーリスの話を聞いてあげてる。忘れ物を届けるくらいじゃ人探しなんて無理だし、そもそも守衛に預ければ済む話だよ」
「う、うう……!」
 正論をぶつけられてまたもやイーリスは反論できなくなる。せめて気持ちだけは負けるものかと自分と同じ顔を睨みつける。
 イーリスとルーカスは双子だ。赤茶の髪も、青い瞳もまったく同じ。リネーアほど美しくはないが、それなりに整った愛嬌のある顔立ちをしている。
 ただ活発なイーリスはそれが顕著に顔に出ていてころころとよく表情が変わるけれど、物静かなルーカスは表情の変化が乏しい。並んでいても似ているようで似ていないとよく言われるが、パーツそのものは同じだ。
(──そうだわ!)
「私が生徒の格好をして学園に入ればいいんじゃない!」
「はぁ?」
 名案だと言わんばかりの笑顔のイーリスに、ルーカスは眉を顰めた。
「だって私とルーカスは背格好も近いし、顔は同じだし、着ているものを変えたら私も男の子に見えるってことじゃない?」
 女の子だからカールソン学園には入れない。それなら、男の子になればいい。忘れ物を届けに行くなんてことよりもずっと簡単なことだった。
「制服ならルーカスのがあるでしょう? どうせ学園に行かないんだもの、私が着たっていいじゃない!」
 これなら門前払いされることもなければ、じっくり堂々と人探しもできる。
「はぁ……間違っても授業には出ないでね」
「出ないわ! 出てもたぶん全然わからないもの!」
 学年首席のルーカスがさっぱり授業についていけないなんて姿を晒したら、すぐに偽物だとバレてしまう。それくらいはイーリスだって予想できる。
 かくしてイーリスは、男装してカールソン学園に行くことにしたのである。
 最愛の姉の婚約者になるかもしれない男がどんな人なのかを見極めるために。

※この続きは製品版でお楽しみください。

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