【試し読み】覇王の甘く淫らな躾

作家:吉田行
イラスト:敷城こなつ
レーベル:夢中文庫ペアーレ
発売日:2021/9/10
販売価格:700円
あらすじ

お前の望むものを与えてやる。その代わり、私のものになれ──煌びやかな夜の六本木。ある目的を果たすためラウンジに勤めていた小山内萌々。そこで多くのビルを所有し飲食店も手広く経営する『覇王』と呼ばれる男、藤堂彰と出会う。萌々の望みは彼の絶大な力で叶えられ、その代償として藤堂の住む高級マンションへ──彼の絶対的な自信と強さ、溢れる男の魅力に呑み込まれすべてを委ねてもいいと思う萌々だったが、藤堂は萌々へ強引に手を出そうとはせず気持ちの準備が整うまで待つと言う。そのまま藤堂の部屋に住まい、女として磨かれ溺愛され、萌々の初心な体は淫靡な行為で少しずつひらかれていき……

登場人物
小山内萌々(おさないもも)
六本木の高級ラウンジに勤務。望みを叶えてもらった代償として藤堂に自らを捧げるが…
藤堂彰(とうどうあきら)
『覇王』と呼ばれる若き起業家。萌々を気に入り、自分のものにしようと画策する。
試し読み

1 夜に生きる

 空に突き刺さるような高層ビルが連立する六本木ろっぽんぎ
 ここは夜になるとさらに煌びやかに変身する。
 街のシンボルである赤いテレビ塔にライトが灯り、ビルの看板も輝きだす。その下をくぐればどんな快楽も叶うように思わせてくれる、光の洪水だった。
 そんな派手な街の中で、その店はやや地味に見えるかもしれない。
 大通りから路地に入り、道から少し奥まった場所にそのビルはあった。入り口に続く道程はほの紅くダウンライトが灯り、ささやかに足元を照らしている。
 小さく『CLONEクローン』と金字で描かれた黒い扉を開くと真紅の絨毯が目の前に現れる。ワインを見せるように陳列している棚の横を通って店内に入ると、ヨーロッパから輸入したシャンデリアがほのかに明るい。
 一見地味に見える店内だったが、ソファーや什器などに贅を凝らしていることは見る目のある者なら分かるだろう。
 だが、この店で一番美しく、金がかかっているのは女性たちだ。
 六本木に集まる女性たち、その中でも特にえりすぐられた女しかここでは働けなかった。美しいドレスに煌めく宝石、爪の先まで磨き上げられた女性たちが男たちの隣で談笑している。その中には名の知れた歌手や俳優もいた。
 ここは六本木の会員制高級ラウンジ『クローン』だった。大企業の重役やCEO、表立って遊べない著名人が通う隠れ家だ。
 そこで働く女性もただ若く美しいだけではない。ある程度の学歴と身元を保証されているものばかりだった。店で見聞きしたことを外に流されては店の評判にかかわる。
「おはようございます」
 七時過ぎ、小山内おさない萌々ももはクローンの裏口から店内に入った。ラウンジはキャバクラとは違い、華やかな服装であればいいので着替えずにそのまま店内に入るキャストもいる。だが萌々はいつもジーンズにトレーナーの地味な服装で、メイクもしていなかった。更衣室でミニ丈のワンピースに着替え、化粧をしてアクセサリーをつける。今夜は買ったばかりのスタージュエリーのピアスだ。
「萌々ちゃん、いつも時間通りね、助かるわ」
 クローンのママ、エリカが萌々の肩に手を置く。まだ三十代のはずだがすでに風格を感じさせる落ち着きがあった。
「私はこんなことしか出来ませんから」
 クローンの開店時間は八時だが、その時に出勤するキャストは多くない。客と食事をしてからやってくる女性が多いのだ。
 エリカは萌々の隣のスツールに腰を下ろす。いつもブランドもののドレスを身に着けていていい香りがする。
「萌々ちゃん、真面目なのはいいけれど、もっと本気でやってみない? お店での接客しかしていないけど、同伴して指名をとればもっと稼げるわよ」
 萌々は誤魔化すように笑った。
「ありがとうございます。でも私は長い間勤めるつもりはないんです。学費を稼ぐためなので」
 エリカはそれでも食い下がった。
「目標があるなら、なおさら短期間で稼いだ方がいいじゃない。萌々ちゃんは真面目だしスタイルいいし、それが出来ると思うのよ」
 エリカが自分のことを思って言ってくれるのは分かる。だが萌々の目的は金ではなかった。
「勉強が忙しくて……でも、考えてみます」
 エリカが立ち去った後、萌々は立ち上がった。短いスカートから細い脚が覗く。客からもよく褒められる、美しい脚だった。
(私の目標はお金じゃない)
 店内に持ち込む小さなバッグを開ける。リップやライターの間に一枚の写真が入っている。
 萌々はそれを取り出した。自分と、茶髪の女の子が一緒に写っている。
 写真の中の自分は化粧っけのない眼鏡姿だった。だが一点の曇りもない笑顔で女の子と並んでいる。
寧々ねね
 彼女はたった一人の妹だった。二つしか離れていない、友達のような存在だった。
 そんな彼女はもういない。
 この街に殺されたのだ。
(許さない)
 萌々は妹の復讐のため、この街にやってきた。
 金と欲望が際限なく注がれる沼のような場所に。
「萌々ちゃん!」
 さっきホールに出ていったエリカが慌てて戻ってきた。
「なんでしょう」
「今、藤堂とうどうさんの部下から連絡があったの。あなたが在店しているか確認したいって」
「えっ」
 その名前に聞き覚えがある。確か一週間前、個室を取った彼の席についた。言葉を交わしたはずだが、どんな会話だったのかまで覚えていない。それくらい薄い関わりだったのに。
「あなたを指名するみたい。きっと沢山注文もしてくれるわ。良かったわね、頑張りなさい」
「はい……あの、他に予約は入っていますか?」
「そりゃあいるけど、どうしてそんなことが知りたいの?」
「いえ、なんでもありません」
 それ以上追及できなかった。自分が待ち構えている男のことを。
峰山みねやま典敬のりたか
 それがかたきの名前だった。
(もし藤堂さんを接客している間に彼が来店したら)
 萌々はもう一度バッグを開いた。一番奥にある細長いもの、一見ペンに見えるそれは、鋭いナイフだった。
(早く来い)
 今夜は金曜日、クローンが一番賑わう日だ。

 六本木の高級ラウンジ『クローン』は夜が更けていくほど賑わっていく。仕事や食事を終えた客たちがやってくるのだ。美しいキャストが店内を泳ぎ回り、シャンパンやフルーツの皿が次々と注文される。
「いらっしゃいませ」
 特に決まった客のいない萌々は、他のキャストがついているテーブルにヘルプとしてつくことが多かった。微笑み、彼らの会話に相槌を打つ。時たま軽い話題を提供する。
 ラウンジはキャバクラより接客は淡白なものだった。それでも肩や手に触れようとする客もいる。そんな手はだいたい汗で濡れていて、内に秘めた欲望を露わにする。そんな時萌々は嫌悪感を顔に出さないようにするのに苦労するのだ。時給は四千円以上だが、高いとは思わなかった。
(今夜は来るような気がする)
 萌々は峰山典敬のSNSを全部フォローしていた。彼は先週までシンガポールに行っていた。帰国後、関係者と会合を持つはずだ。
(きっと来る)
 頭の片隅で思考を巡らしている時、ママのエリカに声をかけられた。
「萌々ちゃん、もうすぐ藤堂様がいらっしゃるって。お出迎えの準備をして」
「は、はい」
 こんな時に……だが断るわけにもいかない。藤堂の名を聞いて他のキャストも表情が変わる。
「あの子、藤堂さんの担当なの?」
「知らないわ、初耳よ」
「来たばかりなのに、凄いわね」
 藤堂のせいで自分に注目が集まる。萌々は困惑していた。
(こんなつもりじゃなかった)
 目立たぬようここで待機していて峰山を待てれば良かったのに、これでは本末転倒だ。
 クローンの長い廊下で藤堂を待つ。他のキャストもいるが、萌々が先頭だ。
「いつ藤堂さんに気に入られたの?」
 後ろにいるマリアから声をかけられた。
「分からないの……一度席についただけだもの」
 ドアの外で車の音がして、人が近づく気配がした。モニターで相手を確認した黒服が重いドアを開ける。
「いらっしゃいませ、藤堂様」
 昏い紺色の背広を着た男が赤い絨毯に足を踏み入れる。藤堂あきら──六本木にいくつものビルを持ち、多くの飲食店を経営している、若き起業家だった。
「いらっしゃいませ」
 萌々は深々と頭を下げ、顔を上げる。目の前にいるのは俳優のような美男子だ。
(こんな顔だったかしら)
 久しぶりに見る藤堂は、自分をまっすぐ見つめていた。
 覇王
 この街でそう呼ばれている男の顔だった。

 藤堂彰はVIP用の個室に入った。もちろん萌々も同行する。
(これじゃあ、峰山が来ても分からないわ)
 内心の焦りを内に秘めて萌々は藤堂の隣に座った。彼が連れてきたのは不動産会社とデベロップメント会社の社員らしい。それに部下の男が三人いる。
「さあ、乾杯しましょう」
 最高級のシャンパンの栓が抜かれ、キャストを含め十人が杯を空ける。緑色のフルボトルがあっという間に三本あいた。
(凄い)
 売り上げの半分が萌々の取り分になる。藤堂の指名を取るというのはそういうことだった。
「藤堂さんのおかげで浜松町はままつちょうの案件がまとまりそうです」
 年嵩の男が藤堂に向かって頭を下げる。
「私の方こそお礼を言わなければ。所沢ところざわさんの力があればこそです」
 もう一人の男が大げさに首を横に振る。
「いやあ、やはり藤堂さんの名前があったから話が進んだんですよ」
 どうやら藤堂の会社が新しいビルを購入するらしい。ずっと年上の男たちが上司に接するように腰が低い。
「このお店も素晴らしいですね。美女ぞろいでまるでテレビの中みたいだ」
 不動産の男がキャストたちを見回す。女性たちが華やかに笑うと場が一気に盛り上がった。
「皆さん大きなお仕事をされているんですね」
 萌々が話を振るとデベロップメントの男がぺらぺらと喋りだした。だが藤堂はほとんど話さない。
(どうして)
 自分を指名したのだろう。ろくに顔も見ないのに。
「……次はなんのお酒にしますか?」
「リシャール・ヘネシーを貰おうか」
「承知しました」
 高級ブランデーをオーダーされた。
「つまみはカナッペとキャビアセットを並べてくれ」
「は、はい」
 キャビアセットとは最高級のベルーガを缶のまま出す、店で一番高価なフードだった。皆が歓声を上げる。他のキャストがちらちらと萌々を見る。売り上げがさらに追加されたことを言いたいのだろうか。
(どうして)
 自分を指名し、これほど厚遇してくれるのだろう。
「お前はなにか欲しいものはないか?」
「え?」
「好きなものを注文しろ。カクテルでもつまみでも」
 『クローン』ではボトルの他に本格的なカクテルもある。旬のフルーツを使ったシャンパンカクテルは美味しく、そして高価だ。今は春先なので苺のカクテルが用意されている。
(これ以上頼んでいいのだろうか)
 今まで客の酒を飲むだけだった。自分の指名客などいなかったから、向こうから注文されるまで自分からなにか望むことなどしたことがない。
 今の状態でも充分すぎるほど売り上げはある。シャンパンもまだ残っている。遠慮すべきなのだろうか。
「あの」
 隣に藤堂の顔があった。切れ長の瞳が自分を見つめている。
「欲しいものは素直に言うことだ。そうしなければ手に入らない」
 低い声でそう言われてどきりとする。まるで自分の心の内を見透かされたようだ。
「……じゃあ、フルーツのカクテルを」
 萌々の元に苺とシャンパンのカクテルが運ばれてきた。桃色の酒は口に含むと優しく甘い。
「美味しい」
 思わずそう呟くと藤堂が薄く笑った。
(あ)
 その笑顔が蠱惑こわく的で、思わず自分の目的を忘れそうになる。
(いけない)
 ここにいるのは金のためでも、男性を探すためでもない、自分の欲しいものは──。
「失礼いたします、アンナさん、ちょっとお願いします」
 萌々ははっとした。アンナというキャストは峰山典敬の担当だった。
(来たのか)
 アンナが出てしばらくすると、隣のVIP室がざわめきだした。廊下を通る男の声がする。
「シンガポールも良かったけど女の子は日本の方がいいな」
 間違いない、峰山典敬だ。SNSの動画で何度も聞いた声だった。
(落ち着いて)
 内心の動揺を悟られないよう、静かにカクテルを飲む。峰山のグループはVIP室に入ったのか一旦静かになった。カクテルを飲み終えたところで萌々はさりげなく席を離れる。
「ちょっとお化粧を直してきます」
 それは手洗いにいくという合図だった。皆おかしいとは思うまい。バッグの中に凶器を忍ばせているとは悟られるはずがない。
 トイレの個室に入ると、バッグから細いナイフを取り出した。今峰山の部屋には飲み物やフードを運ぶ黒服が忙しく出入りしている。それに紛れて入れば……。
「客を放っておいてなにをしている?」
 不意に低い声が響いて萌々は個室の中で飛び上がった。
(どうしてここにいるの?)
 その声は確かに彼のものだった。さっきまで聞いていたのだから間違いない。
 だが、何故ここまでやってきたのだろう。
 慌ててナイフをしまい、外に出ると藤堂が立っていた。
「ど、どうしたんですか、ここは女子トイレですよ」
 懸命に笑顔を作り、自分から彼の手を取った。その手は他の男とは違い、乾いていて熱い。
「まだお化粧を直してないんです。先にお部屋で待っていてください」
 先に彼の体を外に出そうとする。その手を掴まれ、壁際に押さえつけられた。
「藤堂さん……?」
 彼も他の男と同じ、女は金で買えると思っている人間なのだろうか。
「放してください、私は」
 どれほど上客でも体を売るつもりはない、そう言いたかった。
 藤堂は自分の手を放すと、両手を顔の両脇につく。大きな体の影が顔に落ちてきた。
「小山内萌々、森本もりもと寧々の姉だな」
 突然本名と、妹の名前を言われ全身が冷たくなった。
「どうしてそんなことを知っているんですか!」
 大声を出した唇を指で塞がれた。
「この程度のこと、その気になればすぐ調べられる。お前の妹が峰山典敬に殺されたことも噂になっている」
 全身の血がかっと熱くなった。
(知っていたんだ)
 いつからばれたのだろう。彼は峰山の友人なのだろうか。
 萌々は震える足を押さえながら彼を睨みつける。
「知っているなら……どうするつもり? 止めるの?」
 彼が目の前でゆっくり微笑む。まるで大輪の薔薇が咲いたような華やかさ。
「別に峰山がどうなろうとかまわない。評判の悪い男だ」
 少しほっとした。やはりあの男は悪人だったのだ。
「なら、邪魔しないで」
「どうするつもりだ」
 萌々はバッグからナイフを取り出す。
「彼を刺すわ。殺せなくても傷害で記事になるでしょう。そうすればあいつの悪事が表ざたになるわ」
 藤堂は細いナイフをじっと見つめている。
「そんなやわなものではたいして傷つかない。峰山の周りには取り巻きが沢山いるんだ。彼らに捕まって終わりだな」
「やってみなければ分からないわ。そこをどいて」
 もう彼の前で取り繕う必要もない。ぶ厚い体を押しのけようと肩に手を置いた。
 だが背の高い藤堂はびくともしない。
「どいてったら、これ以上邪魔をすると人を呼ぶわ」
「なにとなら引き換える?」
 言葉の意味が分からなかった。
「もし峰山に復讐できるとしたら、なにを差し出す? 自分の身を捧げることが出来るか」
「……意味が分からないです」
 彼がうっすらと笑った。背筋が寒くなるほど美しい。
「私なら峰山を存分に痛めつけることが出来る。地面に這いつくばらせてお前に謝罪させることも出来る。もちろん捕まったりしない」
 まったく想像もしていない言葉だった。彼が、この街の覇者が代わりに復讐を?
「どうして、そんなことをしてくれるんですか?」
 藤堂の指が顎にかかった。
「お前を手に入れたい」
 それは、思いもよらぬ言葉だった。
「一目見た時から気に入っていた。だがどうやらお前は金に興味ないようだ。だから調べたんだ、お前がなにに動かされるのかを」
 驚愕した。いつの間にそれほど想われていたのだろう。
「お前が望むものはただ一つ、峰山典敬への復讐だ。それを私が与えてやる。その代わり、私のものになれ」
 目の前がぐらぐらする。これは現実なのか? この男はなにを考えているのだろう。
「ものになるって……」
 どういう状態なのだろう。幽閉され、奴隷になるのだろうか。
 萌々の怯えを悟った藤堂はくすくすと笑った。
「安心しろ。無理な要求をするわけじゃない。ただ私の女になればいい。普通の恋人同士と変わらない」
 それでも戸惑いがあった。彼の財力、権力は自分よりずっと上だ。一対一で敵うだろうか。
(この人を、信じていいの?)

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