【試し読み】死を視る未亡人は年下花婿の愛に純潔を散らす

作家:冬島六花
イラスト:上原た壱
レーベル:夢中文庫プランセ
発売日:2021/9/3
販売価格:500円
あらすじ

「僕の指で、もっと乱れて」――人の死を予見する異能を持つ耀子。不遇な青春を経て結婚したものの、男を知らぬまま未亡人となり、神社で静かに奉職の日々を過ごしてきた。そんな耀子の前に再婚相手として現れたのは、同じ異能を持つ三歳年下の玲司。人形のように愛らしく一途な彼は、すぐに耀子を気に入り、淫靡で甘い新婚生活が始まる。今度こそ幸せになりたいと考える耀子。玲司から夜に昼に囁かれ、美しい指先で啼かされるものの、なぜか最後の一線は越えてくれなくて……。「あなたと一つになりたい」 耀子の切なる願いが叶うのはいつ――!?

登場人物
四条耀子(しじょうようこ)
嫁ぎ先の神社を管理している巫女。他人の死期を予見できるという異能を持つ。
門野玲司(かどのれいじ)
未亡人となった耀子の再婚相手。前夫の遠戚で、耀子と同じ異能を持っている。
試し読み

第一章 不吉な処女未亡人の再婚話

 ほうきを持つ手が凍えて、耀子ようこはたまらず息を吹きかけた。吐き出した息は白く、朝の冷えた空気に溶けていく。白衣はくえ緋袴ひばかまという巫女装束の耀子は、思わず身震いした。絹のような黒髪が、かすかに揺れる。
 時は大正後期──冬の終わり、鮮やかに紅く咲く椿の枝に雀が留まってはさえずり、雲一つない空へと飛び立っていく。
 街ではすでに咲き始めた梅の花も、この光蔭こういん神社ではまだ蕾だ。境内の端に毎年咲く福寿草も、根雪の間からようやく小さな芽を出したところである。
 暖かく降り注ぐ陽光が、社殿の屋根から流れ落ちる雪解け水に反射して繊細にきらめく。
 その光と絶え間ない水音が、この山奥に遅い春の到来を告げていた。
(何時かしら)
 たもとから懐中時計を取り出し、時間を確かめる。七時だった。
芳正よしまささん、今日も光蔭神社は美しく保たれています)
 懐中時計の蓋の裏側に、今は亡き夫、芳正の写真が収められている。耀子は宮司姿の彼の白黒写真を小さく切り取って蓋の裏側に入れ、いつも身につけていた。芳正の形見の時計は、彼が他界したあの日と変わらず、規則的に時を刻んでいる。
(もう三年も経つのね、芳正さんがいなくなってから)
 未亡人と呼ばれるようになり三年以上が経過したが、耀子はまだその言葉に慣れない。日常に追われる間に年齢を重ねてしまったが、気持ちはまだ、夫を亡くした日に置いたままである。
(いけないわ。私が芳正さんの分まで、人に尽くすと決めたのだもの)
 年の離れた芳正は優しく穏やかで、村人からの信頼の厚い宮司だった。彼が耀子を見初め、嫁として、そして巫女としてこの神社に迎え入れてくれたのである。だから耀子は、芳正がいなくなり駄目になったと言われないように、日々一人で努力を重ねていた。
(そうよ、頑張らなければ。他でもない芳正さんが、異能を持つ私を認めてくれたのだから)
 胸の内に沈む鉛のような気持ちで、耀子は自分を戒める。
 ──自らに潜む異能を、常に意識しなければならない。
 旧家の長女として生まれた耀子は本来であれば、とうに幸せな家庭を築き子どもを産み育てているはずだった。彼女に与えられた異能が、それを邪魔したのだ。
 異能──それは学術的には存在を立証されていないが、迷信として人々の間に伝わる予知能力、あるいは何かの物体や事象に作用する力を指す。
 何万人か、あるいは何十万人かに一人、そういった不思議な力を持つ者が生まれると、古来より伝えられている。遺伝的な要素も強いと考えられているが、それも確かではない。だから異能を持つ人々は、周囲からの誤解や差別に悩むことも少なくないのである。
 耀子の異能は、他人の死期を予見できるというものであった。その不思議な力が、耀子を不幸にした。
 異能に気づいたのは、物心がついてすぐのことだった。時折、他人の背中に、真っ黒なもやに似た影を見るようになったのだ。驚いて、耀子は親や女中にそれを教えた。言われた者は驚いて、そんなものは見えないと耀子を否定した。
 しかしその後に決まって、不思議なことが起こる。影を背負ったと指摘された人間は、すぐに亡くなるのだ。
 ──呪われた子ども。死を招く子ども。
 いつしか耀子には、そんな不名誉な噂が付きまとうようになってしまった。そして成長しても、縁談話はまとまらなかった。だから耀子は、生け花や裁縫に打ち込んだ。何かしらの特技があれば、一人でも生きていけると思ったからである。
 そんな耀子に四条しじょう家との婚約話が舞い込んだのは、二十歳を過ぎた頃だった。

 箒を道具箱へ片付けると、耀子は社務所へ向かう。神社の朝は早い。ここ光蔭神社は訪れる人が少ないからと、やや手を抜き気味になってしまっているが、本来は夜明け頃から支度を始めるものなのだ。
 耀子を嫁にしたいと申し出たのは、よわい五十を超えた神社の宮司・四条芳正だった。耀子の住む街から一日以上かかる山奥の光蔭神社で、一人静かに奉仕をしているのだという。前妻とその子どもは家を出て、行方知れずになってしまったようだ。
 そんな訳あり男性の後妻に収まることは、さすがに耀子の両親も躊躇した。
 だが、芳正は実業界に名を馳せる四条一族に連なる者だという。耀子の方とて訳ありであるから、彼は条件的にはまたとない相手である。
 だとすれば、耀子と両親に断る理由はなかった。
 嫁ぎ先の光蔭神社は、千年以上昔に没した貴族を奉り、不思議な信仰を集めている。その貴族は夫婦揃って異能を持ち、人々に予言めいた言葉を残したが、それゆえうとまれ、都を追われ、この地へと逃れた。そして多くの厄難を予言し、周囲の人々を救ったため、死後にこの光蔭神社が建てられたのだという。それ以降は代々、男性と女性の神職者が予言めいた言葉を人々に語ることで知られ、それに救いを求める者たちがこの神社を訪れる。
 世間に広く知られれば人が殺到し、また予言で社会に混乱を招くことが懸念される。だからその存在はまことしやかに伝えられるだけ、ということも、耀子は聞かされた。そしてその神社では、予言を語れる者、つまりは耀子のような異能を持つ者を常に求めているのだという。
 不思議な巡り合わせで、吸い寄せられるようにこの神社へ来て暮らし始めたのは、耀子が二十一歳のときであった。
 がたついた社務所の引き戸を開けると、耀子は中へと入り、視線を上げる。
(──私を救ってくださったのは、他でもないあなた)
 社務所の控え室、その窓の上には、逝去した芳正の写真が飾られている。──宮司の装束を身につけ、長く濃い眉毛が特徴的な威厳のある顔立ち。
 耀子はいつも、この部屋に来ると心の中で彼に挨拶をする。
(おはようございます、芳正さん。今日も、あなたは気難しそうね)
 その怖そうな表情とは裏腹に、芳正は穏やかで人徳のある人間だった。
(芳正さんは、まるで私の先生のようだったわね)
 二人は夫婦というよりは、年の離れた師弟関係のような間柄であった。
 芳正は大柄で恰幅の良い男性であったが、持病があり健康面で不安を抱えていた。長く生きられないから、が口癖で、耀子に神社の仕事をせっせと教えた。
 夫婦らしいこと──つまり肉体関係──は持たなかった。
 これは耀子にとって意外であった。前妻とその子どもは行方知れずである。早く子どもを、と望まれると思っていたのだ。
 だが、芳正は頑なに手を出そうとはしなかった。
 結局、耀子は結婚しても、男を知らないままの生娘きむすめだったのだ。
 死の影を視る機会は──結婚後も何回もあった。しかしそれは村人たちに感謝された。起伏の激しい村は農耕で成り立っており、近くには鉱山もある。突然死の理由はそうした野外作業での事故によるものが多く、耀子の忠告で回避できることも多かったのだ。死の影はあくまでその時点での死の危険を知らせるものだから、注意すれば命が助かる場合は多い。
 燿子は初めて、周りからの冷たい視線に晒されることなく、穏やかな暮らしを送ることができたのだった。
(あの頃が、これまでの人生で一番充実していたわね)
 花を生けながら、耀子は考える。いくつもの蕾を付けた椿の花は美しく、黄色い儚げな蝋梅ろうばいの花も、芳しい香りをあたりにふりまいていた。もう少し季節が進めば、花桃はなももや菜の花もこの地で咲くだろう。冬の花の凜とした美しさにも惹かれるが、春の花々の明るさと可愛らしさにはやはり心が躍る。
(芳正さんにも、また春を見せたかった)
 耀子の結婚生活は、わずか半年で突然に終わった。芳正が亡くなったのである。
 結婚して初めての秋に、大きな台風が来た。家が飛んでしまうのではないかと不安になるほどの、強い雨風が村を襲った。大雨による土砂崩れが起きたとの報せを受けた前夫は、村人につられるまま、家を出て行ったのだ。
(死の影らしきものが視えていたのに、私は止められなかった)
 胸が詰まったような息苦しさを覚え、耀子は一人、顔をしかめる。あの夜を思い出すと、いつも心に鉛が沈んだような気持ちになるのだ。
 神社の周りの土地について詳しいのは、宮司である前夫である。耀子は危ないから出て行かぬよう忠告したが、すでに土砂崩れが起こっているから、避難について助言してほしいと言われれば、口をつぐみ見送るしかなかったのだ。
 ──気をつけてくださいね。
 耀子はそう念を押した。
 しかしそれが結局、今生の別れになったのである。

* *

「あなたの後ろに立っている、お若い方。あなたには死の影が付きまとっています。お気を付けください」
 薄桃色の唐衣からぎぬ浅葱あさぎ色の袴という女性神職の正装をまとった耀子が静かに口にすると、社殿には静かなどよめきが起こる。
 今日は週に一度の祈祷の日である。死の危険と隣り合わせの人々の間では、光蔭神社での祈祷が知られていた。ここで安全を願い、また耀子の口から、危険を避ける術を授かるためである。
 いつもは静かな神社だが、この日だけは様々な人が出入りする。以前はもっと頻繁に行われていたのだが、宮司の芳正が亡くなってからは、耀子のできる範囲に縮小した。祈祷は週に一度と日を決め、村内に住む宮司や巫女たちの手を借りて実施しているのだ。何も知らずに神社へ嫁いだ耀子であったが、今では立派に神職の務めを果たしている。
 今日は、これから長く海へ出る漁師たちの集団が、祈祷を申し込んだのだった。
「私ではなく、あの者がですか? あの者は、家族が病に倒れたから船を下りて、これから違う仕事をするのです」
 年老いた漁師のかしらは、上ずった声で答えた。けた肌に刻まれた深い皺が、厳しい海での生活を想像させる。
 死の影が視えると名指しされた坊主頭の若い男も、動揺を隠せない様子だ。
(困ったわ。私が死の危険を報せても、それを回避できるかは、本人次第だもの)
 少し視線を下げ、耀子は溜め息を吐く。いつもこうである。死の影を視たことを報せても、結局その後、耀子の見立て通りに亡くなってしまう者も少なくはなかった。
「おそらく、その新しい仕事場にも危険があるのでしょう。よく気をつけて、できれば違う仕事をなさるのが良いかと」
 耀子は淡々と告げた。下げた両掌で、袴をぎゅっと握る。こうしていれば緊張も収まる。恐ろしい未来をそれ以上考えなくて済む。耀子の秘密のまじないである。小さい頃から、そして大人になった今も、何度となく繰り返されてきた光景である。
「……ありがとうございます。気をつけるよう、よく言い聞かせますんで。おい、お前も、きちんとお礼を言うんだ」
 漁師のかしらは、日に灼け深い皺が刻まれた顔をくしゃくしゃにして笑い、そして死の影を纏った若い男の頭を掴み、礼をさせた。耀子の予言を信じ、受け入れてくれたようである。
「ありがとうございます。自分、夢があるんです。まだ死にたくないので、お報せいただいて助かりました。危険に注意して過ごします」

※この続きは製品版でお楽しみください。

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