【試し読み】新妻は寡黙な公爵の稀なる美声に酔いしれる
あらすじ
好きなのは人よりも鳥とそのさえずり、それから美声。伯爵令嬢のカリーナは結婚適齢期を迎えても社交界から遠ざかり、愛鳥たちと戯れる日々を過ごしていた。しかし、わが道を突き進む妹を心配した兄の「それなら声で決めてはどうか」という発案で、とうとうお見合いならぬ『お声合い』をすることに。そして出会った比類なき美声の持ち主、ジラルド公爵と結婚! ところが幸せなスタートを切ったと思ったら、実はジラルドはとんでもなく寡黙だった! 声が聞きたい、でもなかなか聞かせてもらえない。美声を求めて奮闘するカリーナに、ジラルドの態度はどんどん優しく甘くなるけれど……!?
登場人物
無類の鳥好きで華々しい社交界よりも鳥を愛でることを好む。兄の提案により『お声合い』をするが…
強面のため近寄りがたい雰囲気だが、類まれなる美声を持つ。『お声合い』によってカリーナに選ばれる。
試し読み
プロローグ
結婚なんて、しなくていい。結婚しなくても、祖父と兄と八十七羽の家族がいればじゅうぶん。それにもう十九歳、社交界では「変人」で知れ渡った女を貰おうとする相手は、よほどの物好きだ。
それでも、隣室からまもなく聞こえるだろう夫になるかもしれない男性の声を、カリーナは今か今かと待ち構えていた。
結いあげた艶やかな金髪を撫でつけ、内扉のすぐそばに移動させたソファに座り直す。あとひとり、三人めにして最後の求婚者の声を聞けば、結婚相手が決まる。
今日はお見合いならぬ「お声合い」の日。
といっても互いに声を聞くのではなく、カリーナが求婚者の声で、結婚相手を決める。
澄んだアメジスト色の大きな目をまたたかせ、カリーナは花木模様がちりばめられたレモン色のドレスのドレープを弄った。目を伏せれば、長いまつげが目元に濃い影を作る。
(もし私の予想どおりなら……ひとりめのかただけは、あり得ないわ!)
求婚者の情報は名前も含めカリーナにはいっさい知らされていない。
結婚相手は純粋に声だけで決める約束である。カリーナは今のところ、ふたりめの求婚者にしようと決めていた。
カリーナも伯爵令嬢なので、求婚者もおそらく貴族だけれど、当初はひとりだった求婚者が三人に増えたのは奇跡だと思う。
扉の向こう、続き部屋から兄のヴィルフレードが目配せする。三人めの求婚者を続き部屋に入れて良いかという合図だ。
カリーナは了解のしるしに立ちあがり、ドレスの裾をつまんで頭を下げる。
「今日は呼び立てて申し訳ない。どうぞ楽にしてくれ」
扉を開ける音と、兄の挨拶。しかし、続くはずの求婚者の声はしばらく待っても返ってこない。
(ここが王城の一室だから、緊張なさった?)
求婚者には、これがお見合いならぬ「お声合い」だとは知らせていない。ちなみに「お声合い」とは言うが、実際にはカリーナが相手の声を聞くだけである。兄が王室監察官の職権を最大限に濫用──もとい、利用して呼び出したので、表向きの用件は仕事絡み。
「とりあえず、座ろうか……?」
返事が聞こえず、カリーナも腰を下ろしそびれた。求婚者の姿は見えないので、扉の向こうでなにが起きているのかわからず、肝心の会話は始まる気配すらない。カリーナは後れ毛を手持ちぶさたに指に巻きつけた。
(声が聞けないんじゃ論外ね。声を発しない生き物なんて、価値がないのよ!)
三人めは、なしだ。ふたりめが特に美声というわけでもなかったけれど、「お声合い」で決めるのを受け入れたからには、覚悟を決めよう。
それにしても沈黙が長い。あんまり静かだから、カリーナ自身の呼吸音までやけに大きく聞こえる。
ところがカリーナが焦れて、とうとう扉に手をかけたとき。
「……ああ」
カリーナの頭のてっぺんからつま先までを、閃光のように痺れが駆け抜けた。
「ヴィルフレード殿、今日はお招きに預かり感謝する」
低く穏やかながら艶があって、胸のど真ん中を貫いて揺さぶる声。
ひと声耳にしただけで心臓がかつてない早鐘を打ち始める。肌という肌が粟立ち、顔が火照ってくる。
(こんな美声、聞いたことがないわ……!)
カリーナはその場にへなへなとくずおれた。倒れる物音に気づいたのか、内扉が乱暴に開けられる気配がする。
「カリーナ!? なんてザマなんだ……違うんだよジラルド殿! カリーナはたまたま別件で隣にいただけなんだ。それにのぼせて倒れるのも初めてで、頼むから求婚を取り下げないでくれっ……これでも普段は少しはしっかりしているんだ!」
(ジラルド様とおっしゃるのね……)
遠のく意識を繋ぎ止めたい。美声の持ち主を知りたい。しかしままならずに、カリーナはついに意識を手放す。
「……いや、狙ったとおりだ。むしろこうなってくれて良かった」
せっかくの稀なる美声も、ひと言たりとも耳に入らなかった。
一章 嫁にいかなくてはなりません
このたびのお声合いの発端は、カリーナの「好き」にあった。
人付き合いよりも好きなもの。三度の食事よりも好きなもの。睡眠時間を捧げたって気にならず、自分の命より大事なもの。
カリーナは昼食もそこそこに、朝も入り浸っていた温室に舞い戻る。居間から直接行き来できるそれは、王立植物園の温室に勝るとも劣らない全面ガラス張りの立派なものだが、目当てはそこに植えた木々ではなく別のものである。
「昨日は肌寒かったわね、スピカ。ここは外よりはましだと思うけど、ちゃんと眠れた? 本格的な冬がくる前に暖炉に火を入れるからね。そうすれば温室にもあたたかい空気が行き渡るから」
スピカが「チチッ」と鳴いてカリーナの手首に乗る。
スピカはインコだ。温室で飼うインコのなかでも、スピカは一、二を争う甘えん坊である。手を差しだせばちょこんと手のひらに乗り、ほっぺたを掻きかき。「撫でて」というアピールにも余念がない。ミントグリーンの背中を撫でると、まん丸な目をうっとりと細める(ように見える)。
そう、カリーナが血を分けた家族とも思うもの、それは鳥であった。
「ああ、かわいい! 癒やされる……っ」
頭上からも、無数の鳴き声が噴水のように降り注ぐ。日の出とともに活動するインコたちは、今日も元気である。その数、八十七羽。
「スキーッ!」
「私も大好きよ、アクルー! 今日も熱烈な告白をありがとう、愛してる」
「アイシテルーッ!」
アクルーはカリーナが鳥を飼うきっかけになった一羽である。アクルーを含む二羽のインコの番を兄に贈られたのが最初だった。それ以来、祖父や兄の仕事を手伝っては使用人のように給金をもらい、自分で買い求めたり子が生まれたりして、あっというまに大所帯になった。
肩にもインコがとまる。羽がカリーナの瞳の色とおなじ紫水晶の色をしている、フォマローである。フォマローはマイペースでよく仮病を使うが、今日は肩にとまるくらいだから機嫌が良いらしい。
と、鳥たちがいっせいに羽ばたき、カリーナはうしろをふり返った。
「カリーナ! カリーナ! まだここにいたのかい……! 今夜は王城で舞踏会があると言ったよね?」
ヴィルフレードが恐るおそるといった風で温室に足を踏み入れる。
「ヴィル兄様、舞踏会は夜じゃないの? 見て、まだ空は明るいのに」
「身なりをととのえるのに時間がかかるだろう! せめてもう少し気をつかってくれ! まずは湯浴みからだっ! 髪にも、うっ……アレがついているぞ……!」
ヴィルフレードが鼻をつまむ。それもそのはず、新緑の葉を重ねたかと思うフリルのついたドレスにも、当然のごとく鳥の糞がついているのだから。
「舞踏会に鳥がいないのは致命的な欠陥だと思う。着飾る意味も感じられないし、つまらないわ」
「つまらなかろうが、意味がなかろうがどうでもいい! 問題は、ほかの招待客におまえが綺麗に映るかどうかだっ!」
ヴィルフレードが慎重にカリーナの細い腕をたしかめる。カリーナのまばゆい金髪が揺れ、糞がついていない場所をつかまれた。眉がつり上がっている。
あっというまに部屋へと連行される。手から零れ落ちた燕麦を逃すまいと、インコたちが群がるのが目の端に映って、カリーナは心の底から舞踏会になど行きたくないと思った。
王城で開かれたこの日の夜会は、オーザンヌ国の第二王子の生誕祝賀会である。カリーナが兄のエスコートで入場すると、すでに盛装した紳士淑女でひしめいていた会場にどよめきが広がった。
カリーナが舞踏会に顔を出すのは珍事だからである。
「帰りたい……! ド派手な色ばかりで、めまいがしそう。アクルーたちに会いたい……」
「カリーナ! 頼むから誤解を招くような言い方をするなよ……! そしてせめて王子殿下にお祝いを申しあげるまではいてくれ!」
頭の上で跳ねるくせ毛があどけない十二歳の第二王子の前には、主立った貴族たちが列をなして拝謁の順番を待っている。
カリーナはさっさと挨拶を済ませるべくヴィルフレードの腕を引き、最後尾に並ぶ。さっそく金切り声が耳に突き刺さった。
「『鳥狂い』のカリーナ様よ。鼻が曲がりそう。少し離れませんこと?」
「いらっしゃる場所をお間違えなのでは? カリーナ様の社交相手は鳥でしょうに」
この国の貴族の愛玩動物といえば馬か犬、あるいは珍しいところで猫。食用でない鳥を飼うのは、国じゅうを探してもカリーナくらいかもしれない。
前に並んだ貴族がちらちらとふり返るのも、聞こえよがしな中傷も、もはや慣れたものである。慣れたからといって気分の良いものではないが、カリーナはつんと胸を反らした。
「ヴィル兄様も堂々としてね。好きなものを好きと言っているだけで、私はなにも悪いことはしてないわ」
怒りで肩を震わせるヴィルフレードの腕を軽く叩けば、引きつった顔が返ってきた。
「それはそうだが、少しは反論しないのか?」
「売られた喧嘩は買うけど、まだ売られてないわ。それに今日は殿下のお祝いよ。私が食ってかかって騒ぎになったら台無しになるじゃない」
「む……おまえはそういう配慮はできるのになあ。なんでこんなに残念なんだ……」
ヴィルフレードは、カリーナに関して異常なほど心配症で苦労性である。次期伯爵としての責任もあるのかもしれないし、歳が十も離れているからでもあると思う。
線の細い身体と、色素の薄い金髪。これまたカリーナとおなじ色素の薄い紫水晶を思わせる瞳も女性受けしそうなものだが、ヴィルフレードの存在感は薄い。常に物憂げだからだろう。「変人」として目立つカリーナとは正反対だが、物憂い表情をさせる原因はカリーナである。
そうこうするあいだに列は短くなり、カリーナたちは無事に拝謁を終えた。
「王太子殿下は、いいお声をお持ちね……! 早く戴冠なさればいいのに」
拝謁の際には、本日の主役である第二王子のほかに王太子にも言葉を賜った。王太子は王族のなかではいちばんの美声の持ち主だと思う。ヴィルフレードは王太子と話があるというので、カリーナはひとりバルコニーに移動して時間が過ぎるのをじっと待つ。カリーナに近づく者はいない。
一方、バルコニーでは若い女性の一団に取り囲まれている男性もいる。本人は困惑顔のようだが。
見ていると気の毒になってきて、カリーナはその男性を女性の輪から引っ張り出した。さっきカリーナを悪し様に言ったのとおなじ、金切り声の女性が追いかけてくる。その彼女も吹っ切って、カリーナは男性を引っ張って控え室まで走った。
しかし、兄にはバルコニーで待っていろと言われていたのだった。
「やだ! ヴィル兄様を置いてきちゃった。失礼します!」
声にしか興味のないカリーナは、ろくに相手の顔も見ないまま慌ててバルコニーに戻った。家族でもない相手に余計なお世話だったかと反省していると、ほどなくして兄も戻ってくる。
カリーナはほっと息をついた。やっぱり家族がいちばんである。
「帰りましょ、ヴィル兄様。あとはヴィル兄様が陰口に昏倒なさる未来しか見えないわ」
「僕は、カリーナが鳥と美声以外にも興味を向ける日を切望しているよ……」
よろめくヴィルフレードの腕をがっしりと捕まえ、カリーナは退散する。
鳥はかわいい。いろんな子がいるけれど、みんなかわいいし癒やされる。それになんといっても声がいい。
構ってほしいと甘える声。つんと拗ねた声。番への愛情表現。どれもたまらなく愛おしい。カリーナは無類の美声好きであるが、陰口を叩かないだけ人間の声よりも鳥の声のほうが何百倍も魅力的だと思っていた。
オーザンヌでは、貴族の社交界デビューは十六になって最初に迎える春と決まっている。
カリーナは社交になどまったく心が動かされなかったけれど、祖父の「ゲランたちにも見せたかったのう」というひと言に負け、デビューの手筈をととのえていた。ゲランは亡き父の名前だ。
だがデビューの日、鳥たちの一羽の体調が急に悪化したため、カリーナは舞踏会を欠席したのである。
それ以来、欠席の理由が理由だけに、カリーナは社交界で「キワモノ」扱いされるようになった。
「鳥狂い」「人間には興味なし」「金色の頭は鳥の巣」
それが、今やマリヴォー伯爵家の第二子であり長女のカリーナの、社交界における評判である。
強い意志の輝きを放つ目も、愛嬌のある顔立ちも、小柄のわりに豊満な胸も、それらの評判ではかすむ。
両親はカリーナが六歳のときに事故に遭い、揃って他界した。しかし兄がいるおかげで名門が廃れる心配はない。両親の残してくれた財産のおかげで、結婚すれば潤沢な持参金も用意できる。そんな好条件にもかかわらず、カリーナは社交界における婚期の大波にはとうの昔に乗り損ねた。
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