【試し読み】ご褒美に甘いキスを~こわもて領主はお世話係を独占したい~

作家:小山内慧夢
イラスト:園見亜季
レーベル:夢中文庫プランセ
発売日:2021/3/19
販売価格:700円
あらすじ

貧乏な家の長女・ルシールは、家族を支えるためアラバリエ領主のお世話係として館に出稼ぎへ。領主・サイラスとの出会いは最悪だったけれど、ルシールの持ち前の明るさで暗く沈んでいた館の空気が変わっていく。ある休日、ルシールは家族に会えない寂しさを紛らわそうと街へお菓子を買いに出かけ、店先でサイラスと遭遇。彼はいかめしい面立ちに似合わず甘いもの好きだったのだ。しかしそれを他言するなと高級チョコレートで口止めされ、共犯者に。次第に親密になりサイラスの独占欲も顔を出し始めてきて……。一方でサイラスが不正をしているという噂が……!? さらには突然降ってわいたルシールの結婚話にサイラスも巻き込んで……!?

登場人物
ルシール
家族を支えるために領主・サイラスのお世話係として働く。持ち前の明るさで一生懸命仕事をこなす。
サイラス
アラバリエ領主。強面だが甘いもの好きで、お菓子を購入するところをルシールに目撃される。
試し読み

「サイラス、これを食べていい子にしていなさい」
 パーティの夜、そう言ってサイラスの母親・メイベルはきれいな包み紙の菓子を数個、小さな手のひらに握らせた。幼いサイラスはそれをじっくりと眺めたあと、無くさないように大事に握っていた。
 大好きな母親から貰ったきれいなもの。それは寂しいサイラスの幼ない心を慰めた。座らされた椅子は大人用で、床に足がつかない心もとなさはあったが、気持ちは浮き立っていた。
(おかあさまがぼくにくれた)
 それが嬉しくてずっと大事に持っていようと心に決めたのに、気付くと包み紙はヘニョリとしおれていびつに変形してしまった。それどころか中から茶色いドロリとしたものが滲み出てきてしまった。どうしよう、大事な宝物が!と慌てるサイラスに、戻ってきたメイベルは冷たく言い放った。
「まあ、汚らしい。それにまだ食べていなかったなんて鈍くさい子だこと」
 子供に関心がない母親だったが、それでもメイベルが大好きなサイラスにとってそれは衝撃的な言葉だった。同じ屋敷の中にいても会うことはまれな美しい母が、まさか自分をパーティに連れて来てくれるとは思わなかった。案の定会話は弾まなかったが、隣に母がいるだけでサイラスは嬉しかったのに。
「お恥ずかしいわ、お見苦しいものを……あら、あれはなにかしら?」
 友人たちを引き連れてメイベルはまた行ってしまった。一人で椅子から降りられないサイラスは母親を追って謝罪することも出来ずに俯いた。
 目頭が熱くなり鼻の奥がツンとした。
 泣くまいと反射的に手を握ったサイラスはぬるりとした感触に、自分の手が更に汚れてしまったことに気付いた。汚らしいと言われたが鼻に近付けてみると香ばしく甘い香りがした。恐る恐る舐めてみると舌の上にまろやかな甘みが広がった。それはしおれていたサイラスの心を華やかに満たした。
「おいしい……」
 サイラスがチョコレートの虜になった瞬間だった。

 ***

 先日十八歳になった娘盛りのルシールは、トローヤ村で一番美しいと評判のプラチナブロンドを飾り気なく束ね、腕組みをして考えた。テーブルの上にはわずかな硬貨がのっている。食材の大多数を家庭菜園に頼るような、こののどかな農村地帯でも一週間も暮らせないだろうと思われる額だ。これで家族五人、しばらく暮らさなければならない。
 ルシールの父親は先日、川に橋を架ける工事に駆り出された際に足の骨を折り、しばらく仕事が出来なくなってしまった。母親が家事をしながら面倒を見ているが、生来器用なたちではなく、更に働くことなど出来ない。ルシール一人が頑張っても、働き口に少ないこの辺りではとてもではないが生活は立ち行かない。
「いや、絶対無理だから」
 幼い子供でもわかるほど簡単な問題である。ルシールはすぐにさじを投げた。考えたところで硬貨が増えるわけではない。ああ、子供向けの歌のようにポケットを叩くと増えるならポケットが破れるほど叩いてやるのに。ルシールは大きなため息をつくと立ち上がった。先日小耳に挟んだ働き口を村長に紹介して貰うのだ。村長は年寄りで耳が遠いがルシールは大声には自信があった。
(たしかとなり村の食堂の女給だったわよね。少し遠いけど……)
 幼い頃から母親を手伝ってきたルシールは、家事全般には慣れている。ルシールは賃金交渉について考えながら舗装されていない道を急いだ。しかしその甲斐はなく、腰の曲がった村長がよぼよぼと杖を突きながら「すまんのう」と告げる。
「あれはもう決まってしまったのじゃ」
「えっ」
 ルシールは驚きのあまり自分でもびっくりするような大声を出した。食堂ならばきっと賄いが出るから一食分浮く、とまで思っていたのに。しかし耳が遠い村長にはちょうどよかったようでうんうん、と頷く。
「もうこの辺りで仕事の話はないのう」
 白い髭を扱きながら口をもごもごさせる。村長はよぼよぼでも頭の方はしっかりしている。その村長が無いといったら無いのだ。ルシールはがくりと肩を落として項垂うなだれた。
「そうですか……、ってあれ?」
 ルシールはきびすを返そうとして動きを止めた。村長は『この辺りで』はないと言った。つまり……
「この辺りじゃなければ働き口があるんですか?」
 ダメ元で食い下がる。ルシールは自分の勘に一縷いちるの望みを掛けた。家族の暮らしを守るには村長の言葉に引っかかった自分の野生の勘だけが頼りだった。
「住み込みならアラバリエ領主のせがれの世話係があるがの。給金もいいぞ」
「それ、いただきます!」
 ルシールは村長の手を握りつぶさんばかりに握った。痛みに鈍感になっているのか、村長は「そうかそうか」と頷いてサラサラと紹介状を書いてくれた。
 遠方に働きに出るとなれば部屋を借りなければならない。そんな余裕がないから近場の仕事を探していたのだ。領主の館は遠い。休まず歩いて家から丸一日以上かかる距離だが、住み込みとなれば話は別だ。三食賄いが出るし、きっと食いっぱぐれることはないだろう。紹介状を手に、ほくほくとした表情で村長の屋敷をあとにしたルシールは拳を突き上げた。
「よーし、働くぞー!」
 山々にルシールの気合いがこだました。

 ***

「ほおおお……」
 ルシールは屋敷の門前で感嘆の声を上げた。領主の屋敷というからにはそれなりの大きさがあるのだろうと思っていたが、目の前の屋敷はルシールの想像を超えていた。三階建ての頑健な母屋に離れ、四阿あずまやがある庭、そして噴水。開いた口が塞がらない。
「村長さんの屋敷とは全然違う……」
「村長とは比べものにならないだろうなあ」
 ここまで荷馬車に同乗させてくれた顔見知りの行商人が呵々と笑った。ルシールは乗せて貰った礼を言うと小さなカバンを持って門をくぐった。正面玄関からではなく、使用人が出入りする勝手口に向かう。門をくぐって庭を突っ切ったら早い、と教えられていたのだが、一向に庭が途切れない。どれだけ広いのだと焦りはじめたルシールは芝生を歩きながらキョロキョロと辺りを見回した。そのせいで足下が疎かになったルシールはなにかに引っかかって転んでしまった。
「ぎゃ!」
「なんだ!?」
 急に男の低い声がしてルシールは両手両膝を突いたまま振り向いた。植え込みの陰になって気付かなかったがそこには開いた本を手に寝そべった男がいた。ルシールはこの男の足に躓いてしまったようだ。
 白いシャツにベスト、スラックス。およそ使用人とは思えぬすっきりとした格好にルシールは顔を青くした。
(領主の館の人だ!)
 門の中なのだから誰に会っても『領主の館の人』なのだがルシールは動揺のあまり思考が働いていなかった。正しくは『領主の家族の人だ』と思いたかったらしい。
「誰だ」
 男は端的に問うた。短い黒髪を後ろに撫でつけ、鷹のように鋭い目つきをしている。頬は削げいささか神経質そうに見えた。年の頃は三十代か……もしかしたら領主かそれに近い人物かもしれない。来た早々雇い主の家族の足を蹴ってしまい、更に不審者だと思われていることに動揺した。
 自分は怪しいものではない。今日からここで働くのだと説明しようとしたが、鋭い視線に気圧されていつものように言葉が出てこない。
「あの……っ、あ、わたしは……ここの坊ちゃまの世話係として」
「この館に子供などいない」
 にべもなく切り捨てるような物言いに少々カチンときたルシールだったが我慢した。なにしろここで雇ってもらえないと明日も暮らせないのだ。しかしそんなルシールの心情を知らぬ男はなおも冷たい言葉を重ねる。
「痴女なら間に合っている。警邏けいらを呼ばれたくなければすぐに立ち去れ」
 ルシールを不審者認定した男は顎で門を示す。その尊大な態度にルシールは憤慨した。いくら領主の家族でもあまりにひどい言いようである。ルシールの負けん気に火がついた。
「痴女じゃありません! わたしは今日からここで働く……痴女?」
 なにを以て痴女と言っているのか? ルシールの投げかけた疑問に男は心底嫌そうに答える。
「尻を丸出しにして異性に下着を見せ続ける女の事を痴女と言うのではないか?」
 尻、と言われてルシールが首を巡らせると、転んだまま四つん這いのルシールのワンピースが捲れてドロワーズが丸見えであった。
「わああ!」
 慌てて起き上がり裾を直すが時すでに遅し。おろしたてのドロワーズが他人の目に触れてしまったことにショックを受けているルシールの耳に思いやりの欠片もない声が聞こえた。
「色気のない下着に興奮する性分ではないから安心しろ。さあ、今回だけは見逃してやるからさっさと出て行け」
 その心ない一言がルシールの羞恥心を突き破り、怒りに火をつけた。相手が誰かも確かめないうちに言葉が弾丸のように出てきた。
「失礼な! これは隣のマーサが餞別にくれたものです! 後ろはシンプルでも前と裾にはちゃんとレースとリボンがついているんです! 可愛いんだから!」
 ルシールは仁王立ちになるとスカートの裾を捲った。裁縫の得意な隣家のマーサが今日に間に合うように夜なべをして作ってくれたものだ。それを馬鹿にするとは許しがたい。
「ばかな、自分からスカートを捲るな! 本当の痴女かお前は!」
 男は心なしか焦りの色を見せて怒鳴る。ドスの利いた低音は常ならば女子供を萎縮させるのに十分な迫力がある。しかしルシールは頭に血が上っているため一歩も引かない。引くどころか一歩前に出る。
「可愛いと言いなさい!」
 もはや完全に言いがかりである。スカートを捲り男に迫るルシールは外からどう見えるかなど考える余裕がない。勢いに圧されたのかそれともスカートの中を見せられ続けるのに我慢が出来なくなったのか、男は苦虫を噛みつぶしたような顔で不本意そうに唇を歪めた。
「ああ、わかった。可愛いから早くそれをしまえ!」
 よし、勝った……! ルシールが拳を握って勝利を確信したそのとき、背後から小さな悲鳴が聞こえた。
「な、なにしてるんですか……?」
 怯えたような声が掛けられルシールがそちらを見ると、お仕着せに身を包み、ほうきを持ったメイドが顔を青くして立っていた。

「ああ、よかった。話の通じる人がいて」
 ルシールは簡単に自己紹介すると、ホリーと名乗ったメイドの後について勝手口から母屋に入った。勝手口はルシールが歩いていた方とは逆にあった。ルシールは庭ではなく裏の林に向かう道を歩いていたらしい。
「今日来るって話を聞いていたからすぐにわかったんだけど……一体どんな状況だったの?」
 ホリーの登場で男はルシールを連れて行くようにと指示をしてまた寝転がってしまったのだ。結局あれが誰だったのかはわからずじまいだ。
「田舎者なりのプライドを賭けた戦いだったの」
 そして勝った、と拳を握ったルシールを見て、ホリーはクスクスと笑った。うっすらと浮いたそばかすと笑うと出来るえくぼが可愛らしかった。
「ルシールはトローヤ村から来たのよね?」
「ええ、このお屋敷のお坊ちゃんのお世話役として雇われたのよ。こんな大きなお屋敷のお坊ちゃんなら賢くていらっしゃるのでしょうね」
 どんなお子かしら、とルシールが期待に胸を膨らませると、軽快だったホリーの歩みが止まった。そして油の切れたブリキのおもちゃのようにぎぎぎ、と振り向いた。その顔は可愛らしいホリーからは想像できないほど恐怖に凍っていた。そのあまりの変容ぶりにルシールは思わず一歩下がってしまった。
「え、どうしたの? なにか悪いことを言ってしまったかしら?」
「どうしたもこうしたも……このお屋敷でお坊ちゃんと言ったら……」
 ホリーは忙しなく視線を彷徨わせ、しきりに背後を気にする。後ろになにかあるのかとルシールも同じように振り向きかけて、固まった。
「ま、まさか……」

「本日からお世話になります、ルシールです」
 専用のお仕着せに着替え、教わったとおりのお辞儀をするルシールに白けた視線が突き刺さる。ルシールは折れそうになる気持ちを鼓舞するように口角を上げた。
「先ほどは失礼致しました……お仕事はちゃんと頑張りますので!」
「不採用。着替えて帰っていいぞ」
 椅子にふんぞり返りながら村長が書いてくれた紹介状をルシールの方に押し戻すのは先ほどの冷たい男である。村長からしたら『領主の倅』かもしれないが、その倅は今や立派に跡を継いで紛れもない領主になっていた。
「そんな! お慈悲を、領主様!」
 床に膝を突いて懇願するルシールに領主・サイラスの視線はどこまでも冷たい。領主である自分のことを小さな子供だと思っていたことも面白くない様子だった。先ほどと態度が違いすぎると自分でも思っていたが、ルシールは折角の稼ぎ口がなくなっては一大事、と必死だった。
「まあまあサイラス。こんなに若くて可愛い子をその日のうちに追い返すなんてあり得ないよ。せめて試用期間くらいは与えてあげたら?」
 助け船を出してくれたのはサイラスの隣に控えていたマイルズという青年である。常にニコニコと笑みを浮かべているマイルズはサイラスの右腕として信頼されている人物らしい。ルシールが地獄に仏、とキラキラした目でマイルズを見るとサイラスは更に苦い顔をした。
「マイルズ……お前は女子供に甘すぎる」
 しかしサイラスもマイルズを無碍むげには出来ないようで、ルシールはなんとか首の皮一枚繋がった状態で仮採用された。
「口添えしていただいて助かりました、ええと、マイルズさん!」
 領主の部屋を出てマイルズと並んで歩くルシールはニコニコと上機嫌である。もしも今ここで不採用として家に帰されたら先に貰っている支度金を返さなければならないかもしれない。既に支度金のほとんどの使い道を決めて当て込んでしまったルシールにとって借金を背負うことになるのは避けたかった。
 しかしこれからのことに備えて支度金と同額程度は備えておかなければいけないと思うほどにはルシールは自分の迂闊うかつさを知っていた。
「よし、頑張るぞ!」
「うわ!?」
 勢いをつけて両手を突き上げやる気を示したが、マイルズのことを驚かせてしまった。村とは違って、ここでは少し大人しくしなければいけないと認識を改めたルシールだった。

※この続きは製品版でお楽しみください。

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