【試し読み】花に降る雨 雪の欠片~ためらいの恋~

作家:西條六花
イラスト:森原八鹿
レーベル:夢中文庫クリスタル
発売日:2021/1/19
販売価格:900円
あらすじ

企業のチームに所属する競泳選手の青木昴は肩を痛めてしまい、今後の進退を考え鬱々としていた。そして病院の帰り道、苛立ちまぎれに民家の庭に咲く花を握り潰してしまったところ、その家の住人である依田香織に目撃されてしまう。それをきっかけに顔を合わせるようになり、徐々に距離が近づいていく二人。そんなある日、満足に練習できない現状への弱音をこぼした昴に、香織はつい辛辣な意見を述べてしまう。立ち去ろうとする昴を引き留めた香織は、衝動的に彼にキスをしてしまった。そのまま一線を越えてしまい、熱に浮かされたように互いの身体に溺れていく二人だったが、やがて昴は香織の心に自分ではない誰かがいるのに気づき……。

登場人物
依田香織(いだかおり)
庭先で昴に声を掛けたことがきっかけで徐々に親しくなり、ついには一線を越えてしまうが…
青木昴(あおきすばる)
競泳選手。企業のチームに所属するも肩を痛めたため、水泳を続けるか否か悩んでいる。
試し読み

*プロローグ

 窓の外で、雨が静かに降っている。
 その日、青木あおきすばるは病院の診察室で医師と向かい合っていた。
「先日青木さんが受けられた、MRI検査の結果についてお話します。まずはこちらの画像をご覧ください」
 肩の部分を映した画像を提示しながら、四十代の男性医師が話し出した。
「初めに診察した際は、左肩関節の外旋がいせん自動可動域にわずかな低下が見られ、徒手筋力テストの結果が〝1〟、および患部の強い痛みと、あまりよくない所見でした。その後のMRI検査の結果ですが、左肩の上方関節しんの損傷が見られました」
 ──医師が説明する。
 肩の受け皿の骨、つまり肩甲骨関節の輪郭を土手のように覆っている繊維状の組織を〝関節唇〟というが、これは肩の関節が前後左右にぶれないようにする働きをする。
 通常、関節唇は骨にしっかり付着しているが、スポーツなどで肩を使いすぎたり、過剰に捩ったりすると剥がれてしまうことがあるらしい。上方の関節唇が剥がれると肩の前後左右、そして下方のブレが大きくなり、動かしたときに強い痛みや肩が抜けるような脱臼感、引っかかりなどをおぼえるという。
(……全部、俺が今感じてる症状と同じだ)
 そう考える昴を見つめ、医師が「それと」言葉を続けた。
「MRIの画像を見るとわかるのですが、今回は関節唇の損傷だけでなく、関節液の流出による腫瘤、いわゆる〝ガングリオン〟を形成しているのがわかりました。流出した関節液は約三センチの被膜を形成していて、関節の可動域と握力の著しい低下はこのガングリオンによる圧迫のせいだと思われます。ここの白い部分ですね」
 確かに示されたMRI画像には、関節内に白く丸いものがあるのがはっきり見える。
 その後の説明を、昴は半ば上の空で聞いていた。しかし医師の最後の言葉だけは、しっかりと心に刻まれた。
「しばらくは保存療法で様子を見ますが、いずれ手術をしなければ選手生命にも関わるかもしれません。一度剥がれた関節唇は自然に治癒することはありませんし、例えばトレーニングをやめて肩を休めること、そしてフォームの矯正などは、一時的に改善したように見えても根本的治療にはなりませんから。よく考えて、早急に結論を出すことをお勧めします」

 外に出ると、先ほどより幾分雨足が弱まったようだった。
 にび色の重い雲が空を埋め尽くし、しとしとと静かに雨が降り続く様子は、憂鬱な気持ちを掻き立てる。右手で傘を持った昴は、自宅アパートまでの道をうつむきがちに歩いた。
(左腕に力が入らなくなったり、痛みで物が持てなくなったのは、一時的なものだと思ってた。数年前からの慢性的な故障が原因で、しばらく休めば治るって……でも、まさか手術をしなきゃならないだなんて)
 昴は四歳から水泳を始め、大学を卒業して三年が経つ現在、企業のチームに所属している。小学校のときから全国大会の優勝経験があり、国際大会でも何度か表彰台に上がるなど、水泳選手として結果を残してきた。
 しかしここ最近は左肩の痛みに悩まされ、練習もままならない日々が続いていた。コーチに病院に行くように勧められて検査を受けたものの、その結果は昴にとってひどく重いものだった。
 ──左上方関節唇の損傷、そして腫瘤ガングリオンの形成による肩甲上神経麻痺。「いずれ手術が必要だ」と言われ、思いがけない宣告に頭が真っ白になった。
 内視鏡での手術のために傷は小さくて済むものの、それでも三、四ヵ月のリハビリを必要とし、練習再開は術後三ヵ月、試合復帰は術後六ヵ月が目安だという。
 つまりそのあいだ、選手として何もできないということだ。医師の話を聞いた瞬間、昴の頭に浮かんだのは、「それほどまでに長い期間、会社に貢献できないままチームに所属していていいのだろうか」という思いだった。
(無理だ。……半年なんて、長すぎる)
 夕方五時の往来は、雨のせいか行き交う人の姿がまばらだった。ときおり車が雨水を跳ね上げながら走り過ぎていき、水溜まりに乱れた波紋を広げる。
 ふと道の脇に視線を向けると、雨に濡れた紫陽花あじさいの植え込みがあった。民家の植栽であるそれは、淡い青や紫色の花にたくさんの水滴を付け、葉先から重たげに雨の雫を落としている。
「……っ」
 上手く動かない左腕を伸ばし、今の自分に出せる渾身の力で花弁を握り潰したのは、衝動的な行動だった。
 途端に肩にズキリとした痛みが走り、昴は顔を歪める。手のひらを開くとバラバラになった花びらがベッタリとへばりついていて、ひどく不快だった。自分の振る舞いに後悔の念がこみ上げた瞬間、静かな女性の声が響く。
「──花に罪はないから、そういうことをするのはやめてくれる?」
 昴はギクリとして身体を揺らす。
 急いで視線を巡らせると、植え込みの向こうの民家の敷地内に立つ女性と目が合った。狼狽した昴の顔が、みるみる青ざめていく。
(一体何をやってるんだ……俺は)
 ふいに強い苛立ちがこみ上げ、民家の植栽の花を握り潰してしまった。しかもその家の人間に現場を目撃されたとあっては、何も言い訳できない。
 雨の中、赤い傘を差して庭に佇んでいた女性は、昴と同年代か少し年上に見えた。細身でしなやかな体型の彼女は、目が大きく整った顔立ちをしている。背は平均くらいだが、小さな頭とほっそりした手足のバランスが良く、毛先に遊びのあるショートボブが女らしさを感じさせる。
 昴はぐっと奥歯を噛み、深く頭を下げた。
「大変申し訳ありませんでした。人様のお宅の植栽にとんでもないことをしてしまい、反省しています」
 いきなりガバッと頭を下げた昴を、女性が目を丸くして見つめているのがわかる。
 しばらくこちらを見つめていた彼女は、やがてふっと気配を緩め、笑いがにじんだ口調で言った。
「素直に謝ってくれるのはいいけど、どうしてあんなことしたの?」
「個人的に……むしゃくしゃしていることがあって。気がついたら、目に付いた花を握り潰していました。本当に申し訳ありません」
「何だか体育会系ね」
「……スポーツをやっているので」
 女性に「顔を上げて」と言われ、昴は気後れしつつ姿勢を戻す。
 途端に好奇心をにじませた眼差しと目が合い、ドキリとした。彼女がこちらを見上げ、微笑んで問いかけてくる。
「確かにすごく背が高いものね。何のスポーツをやってるの?」
「水泳です」
 女性が感心した顔で「ふうん」とつぶやく。昴は苦い気持ちで考えた。
(……それも、いつまで続けられるかわからないけどな)
 こうして左腕が思うように動かず、医者に手術まで勧められている今、いつ競技に復帰できるかわからない。彼女がニッコリ笑って言った。
「謝ってくれたんだし、もういいわ。それよりも、手が花びらで汚れたんじゃない? 拭かなくて平気?」
「大丈夫です」
「そう。じゃあ、気をつけて帰ってね」
「はい。……失礼します」

* * *

 黒い傘を差して去っていく背の高い後ろ姿を、依田いだ香織かおりは無言で見送る。
 先ほど通りすがりの青年がいきなり紫陽花の花を握り潰したとき、偶然それを目撃した香織は驚いた。思わず声をかけてしまったが、いきなり逆上するような人間だった可能性もあり、今になって肝が冷える。
 意外にも礼儀正しい人物だった青年は「水泳をやっている」と語り、香織が見上げてしまうくらいの高身長だった。服越しでもわかるしなやかで筋肉質な体型は、いかにもアスリートという雰囲気だ。
 二十代半ばとおぼしき彼は整った顔立ちだったものの、どこか鬱屈したものを感じさせる眼差しが強く印象に残っていた。紫陽花をむしったのも「むしゃくしゃしていることがあったから」と説明していたため、何か深い理由があるのかもしれない。
 空を見上げると、朝に比べて若干弱くなった雨が静かに降り続いていた。庭の植栽は潤沢な水を浴びて緑を濃くしていたが、それを眺める香織の気持ちは複雑だ。
 ──雨は嫌いだ。しかしギラギラと強い日差しの夏も、雪がしんしんと降り積もる冬も、どれも見ていると苦しくなる。なのに毎日庭に出て手入れし、肥料を与えてその植物を眺めることが、香織の日課になっていた。
 どれくらいぼんやりしていたのか、香織は道路を通り過ぎていく車の音でふと我に返る。鈍色の空が少しずつ暗くなってきていて、夕刻になろうとしていた。
(家に入って、ご飯を作らなきゃ。その前に仕事のメールのチェックもしないと)
 玄関で傘を畳み、家の中に入る。
 築四十年のこの家は、典型的な昔の造りだ。一階部分は居間とダイニング、風呂とトイレ、台所などの水周りと客用の和室で占められ、二階には部屋が三つと小さい納戸がある。
 書斎でノートパソコンを開いた香織はメールのチェックをし、返信した。そして台所に向かい、夕食の準備に取りかかる。
 まずは豚こまと椎茸、千切りの人参をごま油で炒め、そこにだし汁を注いで、さいの目に切った絹豆腐を加えて煮た。そしてめんつゆとおろし生姜で味付けし、ざく切りの小松菜を入れてさっと火を通す。最後に水溶き片栗粉でとろみをつければ、あんかけ豆腐の完成だ。
 それから下味を付けた豚ひれ肉に片栗粉をまぶし、油でカラリと揚げて香味だれを掛けたもの、薄切りにしたズッキーニと帆立のカルパッチョ、きゅうりとなすの塩揉みなどを作り、テーブルに並べる。
 明らかに一人分の量ではない料理を毎日作り続けるのは、庭仕事と同じくらいに重要なルーティンだ。もちろん全部は食べきれず、残った分は翌日の昼食に回すことになる。
 席についた香織は、グラスに白ワインを注ぎ入れた。そして向かいの席を見つめ、ここにはいない人物を思い浮かべる。
 ──目に浮かぶのは、快活な笑顔だ。香織の作るものを何でも「美味い」と言って食べ、庭を眺めながら晩酌し、くだらない会話をして笑う。
 かつては当たり前にあったそんな光景を思い浮かべ、香織はしばしぼんやりした。やがてグラスを手にした香織は、中身をグイッとあおる。そして箸を持ちながら考えた。
(台所を片づけてお風呂に入ったら、個展用の企画書を作ろう。余裕があったら、新作のラフも描けるかな)
 忙しくしていれば、余計なことを考えなくて済む。そうした日々のやり過ごし方を、香織はこの二年余りで自然と学んでいた。
 窓の外では、いまだ降り続く雨が窓ガラスに無数の水滴を付けている。四人掛けのダイニングテーブルに一人で座る香織は、黙々と料理を口に運び続けた。

 一般に北海道は梅雨がないといわれているが、ここ数年は六月になると雨が多くなり、すっきりしない天気が続いている。
 三日ほど続いた雨がようやく晴れた今日、朝から気温がぐんと上がった。日中の最高気温は二十八度にまでなったものの、夕方には涼しい風が吹き始め、だいぶ過ごしやすくなっている。
 午後五時に仕事から帰った香織は、「数日ぶりの庭仕事のチャンスだ」と考え、植栽の株元に生えた雑草を抜いた。他にも、長雨で黄色く変色してしまった葉を取り除いたり、咲き終えた花を刈り取ったりと、やることは尽きない。
 集中して作業していたものの、しゃがみ続ける姿勢がつらく、腰の痛みをおぼえて立ち上がった。そのとき往来の向こうから、見覚えのある青年が歩いてくるのが見える。それが数日前に言葉を交わした人物だと気づき、香織は生け垣越しに声をかけた。
「こんにちは」
 香織の姿を見た彼が、驚いたように目をみはる。青年は一瞬ばつの悪そうな表情をしたものの、すぐに挨拶を返してきた。
「……こんにちは」
「このあいだも今くらいの時間にここを通ってたけど、仕事帰りなの?」
「前はもっと遅かったんですけど、今は……故障で、ほとんど練習ができないので」
 彼は香織に向き直り、頭を下げてくる。
「先日は本当に、申し訳ありませんでした。改めてお詫びいたします」
「あ、いいの。あれはもう済んだ話だから」
 もしかしてこちらから話しかけたことで、心理的な負担になってしまったのだろうか。そう考え、香織は「失敗したな」と考える。
(わたし、そんなに根に持つタイプに見えるかな。もう全然気にしてないのに)
 そんな香織をよそに、青年がリュックをゴソゴソと漁り出す。そして中から百貨店の包装紙に包まれた封筒を取り出し、こちらに向かって差し出してきた。
「もし会えたら、お詫びの品を渡そうと思っていたんです。これ、受け取ってください」
「えっ?」
 その形状からすると、どうやら中身は商品券らしい。香織は慌てて言った。
「そんな、気にしないで。また謝ってほしくて声をかけたんじゃないし、こういうものを渡されても困るから」
「でも」
「本当に。気持ちだけ受け取っておく」
 たかが紫陽花を一輪握り潰したくらいで、このお詫びは大袈裟すぎる。そんな香織の言葉を聞いた彼が、断固とした口調で言った。
「お詫びとして買ったものですから、引っ込めるわけにはいきません。本来なら、もっと怒られても仕方のないことをした自覚があるので」
「…………」
 目の前の青年は、ずいぶんと生真面目な性格らしい。
 そんな彼に、香織はふと興味を抱いた。水泳選手という職業も、硬派で真面目な雰囲気も、今まで身近にはなかったものだ。
 そこで香織は、あることを思いついて青年を見た。
「ね、お詫びする気持ちがあるなら、ここを通るときに世間話でもしてくれない?」
「えっ?」
「わたしは仕事のときも家に帰ってきても一人で、話し相手がほしいの。あなたもここの道を通勤に使ってるんだから、お安い御用でしょ」
 香織の提案を聞いた青年が、何ともいえない表情になる。ニコニコしながら返事を待っていると、彼が言いにくそうに口を開いた。
「でも──俺はそんなに話すほうじゃないし」
「わたしがその分、喋ればいいんじゃない? ほんの五分程度話すだけなら、きっとそんなに負担じゃないわ」
 それを聞いた青年がしばらく考え込み、やがて渋々といった体でボソリと答える。
「……まあ、五分くらいなら」
 その表情からは、「自分に落ち度がある以上、断れない」という思いと、「なぜこんなことに」という困惑が透けて見える。
 それをおかしく思いながら、香織は笑って言った。
「決まりね。──じゃあ早速だけど、お互いの自己紹介から始めましょうか」

*第一章

 昴が大学卒業後にアスリート社員として入社したのは、雨宮あめみやコスメティックスという化粧品OEM会社だ。自社の製造工場を持っていないメーカーに代わり、希望する処方やコンセプトで独自の技術を使った製品開発を請け負っている。
 三年前に北海道支社に採用されて以降、昴は毎朝五時半に起床し、一時間かけて十キロのランニングをするのを日課にしてきた。そのあとは八時半に出勤し、マーケティング部の社員として書類の作成や各部署との連絡事項のやり取りなどをこなしている。
 一般社員とアスリート社員の違いは、昼で会社の業務を終了し、午後から練習に専念できる点だ。昼食後にスーツからジャージに着替えた昴は、練習場にしているスポーツクラブに赴き、水中練習やウエイトトレーニングを行う。
 一時間の陸上トレーニングのあとで二時間の水中練習をするというのがいつもの流れだが、泳ぐ距離は日によってまちまちだ。距離が長い日は一四〇〇〇メートル、四時間ほど泳ぎ込むときもあるが、実際に参加するレースは一〇〇メートルで、時間にして一分もかからずに終わってしまう。
 そのため、普段から練習量ではなく〝質〟の向上を心掛け、試合に近い感覚とタイムを意識するようにしていた。要は〝練習のための練習〟ではなく、〝試合に生かせる練習〟をするということだが、頭ではわかっていても実践するのはなかなか難しい。
 現在故障中の昴は、そうした練習メニューをこなせない日々が続いている。元々水泳は怪我や故障が少ないスポーツだといわれているが、十代の頃から一日に何千メートルも泳ぐ練習を続けてきた結果、オーバーユースによる肩や腰、膝の痛みが出るケースが多い。大抵の選手はどこかしらに不調を抱えているものの、昴の場合それが大きく出てしまった形だ。
 水中練習ができない今、昴がやっているのは、〝ドライトレーニング〟といわれる陸上でのトレーニングだった。主に腰や体幹を鍛えたりしているが、肩を動かさないメニューは少なく、不完全燃焼な内容にじわじわと焦りが募っている。
(手術をするかどうか、さっさと結論を出すべきなんだろうな……。一度剥がれた関節唇は自然に治癒することはないっていうし、相変わらず痛みも取れないし)
 差し当たっての治療として、痛みや炎症を取るためのステロイド剤の注射を受けているものの、症状がなかなか改善しない。
 やはり医師の言うとおり、根治を目指すには手術を受けるのが最善なのだろう。しかし「リハビリも含めて半年かかる」と言われた昴は、あれから十日が経つ今も結論を出せずにいた。
 時刻が午後五時になったのを確認した昴は、ため息をついて練習を切り上げる。雨宮コスメティックスの水泳部には他に四人の選手がいるが、彼らは今頃水中練習をしているはずで、それを考えるだけで鬱々とした気持ちになった。
 ジャージ姿のまま外に出たところ、曇り空の今日は気温が低く、若干の肌寒さを感じる。
(家に何か食材あったっけ……。買い物するの、面倒だな)
 普段の昴は身体づくりのため、極力自炊を心掛けている。だが故障して思うように練習ができなくなってからは、そうしたモチベーションが下がってきていた。
 日々のルーティンを乱すのはよくない傾向だという自覚はあっても、気力の低下は如何ともしがたい。地下鉄に乗って二駅で降り、結局買い物はせずに駅から自宅アパートに向かう。通い慣れた道を歩きながら、昴はふと考えた。
(この時間に帰ると、今日も会いそうだな。……彼女に)
 ──十日前、昴はこの道の先である女性に出会った。

※この続きは製品版でお楽しみください。

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