【試し読み】異世界で魔女に間違われたら愛されすぎて困ります!?
あらすじ
転移した異世界で魔女と勘違いされてしまった奈々は、アルシャンドレ王国の国境警備隊に保護され、隊長のアンデルをはじめ騎士たちが暮らす砦で共に生活をすることに。騎士たちは皆、奈々を妹のように可愛がってくれ、異世界にいながらのほほんと暮らしていたのだが……そんなとき、敵国の兵が砦内に侵入し奈々は攫われてしまう。アルシャンドレの騎士たちは奈々を取り返そうと奮起するのだが、連れ去られた奈々は敵国の王・カレウスに求婚されてしまう! そしてなにやらカレウスには、奈々を手放せない特別な理由があるようで……。さらに、奈々を魔女と信じて疑わない教会のトップ・教皇ラセラスも、奈々を奪う機会を窺っていて──!?
登場人物
異世界で魔女と勘違いされる。国境警備隊の騎士たちに保護され、共に生活をすることに。
アルシャンドレ王国の国境警備隊隊長。空から戦場に落ちてきた奈々を保護する。
試し読み
第一章 伝説の魔女
カーテンの隙間から射す眩しい日の光に強制的に起こされた奈々は、仕方なく重い身体を起こした。
まだ眠たいと訴えている身体の動きは、果てしなく重く鈍い。
それでも時間は待ってはくれない。今日は一限目から講義が入っているのだ。
仕方なく寝台から立ち上がり、服を着替えた。そして、姿見に映る黒とグレーの服に身を包んだ自分を見て奈々は眉を寄せた。
「はあぁぁ~……」
思わず特大のため息が零れてしまう。
「昨日のこと、まだ引きずってるのかな」
昨夜は遅くまで居酒屋のバイトが入っていた。常連客とも言えるサラリーマンの若い男性を思い出し、またも大きなため息が零れる。
その男性は何故か自分にだけクレームを言いつけてくるのだ。他のバイト仲間に聞いても、その男性は感じのいい人だという。
「何でなんだろう……」
鏡に映る自分の姿。落ち込んでいる自分の気持ちを反映するかのように、全身暗い色の服を着ている。無意識に手に取った服は、自分の気持ちをそのまま表しているようだ。
一瞬着替えるか悩んで時計を見るが、その時間はない。
「まあ、仕方ないか」
今日もバイトのシフトは入っている。気分を盛り上げていかなければやってられない。
急いで朝食を食べて支度をし、家を飛び出した。
地元を離れて大学へ進学し、都会暮らしを開始してもうすぐ二年。大分と都会には慣れてきたが、こんな時はやはり寂しいと感じる。愚痴を聞いてくれる相手がいないというのは、ストレスが溜まる一方なのだ。
すっかり寒くなってきた。冷たい風が足に当たり、下から吹き上げる。思わずコートの襟元をギュッと握り締めた。
「さむっ!」
駅近くにやってくると、通勤と通学の人たちで流れができる。その流れに乗るように奈々も進む。
駅の改札口へと昇る階段へ足をかけた時だった。
少し身体が浮くような感覚に襲われた。続いて襲ってくる横揺れ。
(……っ! じ、地震だっ!)
そう頭で理解した時にはすでに遅かった。
階段の上から人が倒れてくるのが、異様にゆっくりと見えた。階段に足をかけたばかりの自分はもちろん一番下だ。
(巻き込まれるっ!)
そうわかっていても、もの凄く酷い地面の揺れにどうしようもない。
(押し潰されるっ!)
思わず奈々は、頭を庇うようにして瞳を閉じた。
◆
「失礼いたしますっ! 将軍、丘の上に大軍が現れましたっ」
部下の報告に合わせるように、地響きが陣営まで聞こえてくる。
数日前、敵国アルシャンドレ王国の国境警備隊長の首を打ち取ったばかりで、コンヴィッカ王国の兵たちは少々浮かれていたところを攻め込まれた形となってしまった。
敵軍がこの地へやってくるのは、数日後だと過信していた。
「今度は誰がやってきた?」
「そ、それが……」
酒の入った盃を掴もうと手を伸ばしながら、報告する兵の顔を見る。
言い淀む兵の顔を、眉を寄せながら忌々しそうに睨みつけた。
「早く、報告をせぬかっ!」
「そ、それがロギング伯爵が……っ!」
その家名を聞いて、将軍は椅子を倒しながら重そうな腰を上げた。
「ロ、ロギングだとっ!? どっちだっ? 父親の方か? 息子の方かっ?」
ロギング伯爵家──その名を聞いて、陣幕にいた誰もが顔色を一変させた。
「む、息子の方ですっ!」
アルシャンドレ王国のロギングといえば、敵軍の要とも言える存在だった。歴代の将軍たちが、彼らにどれほど煮え湯を飲まされたことかわからない。
ロギング家がやってきたということは、アルシャンドレ王国も本腰を入れてきたということになる。
「む、息子……。アンデル・ロギングかっ!?」
今、アルシャンドレ王国で最も勢いのある男と評される人物だ。
父親の方も息子と同様、軍に籍を置いているのだが、攻め方が二人まったく異なるものだったので、どちらが戦場に来るかでそれぞれの対策を立てなければならない。
「ならば、前線に司令官であるアンデルがいるはず……」
これはいい機会だと思うべきなのか。それとも慎重に探りを入れるべきなのか?
だが近付いてくる大量の馬の蹄の音に、そう時間がないと確信する。
勝利の余韻に浸っている我が軍の今の状況を鑑みるに、一時撤退し態勢を立て直した方がよいと判断した。
「一旦、引く。荷物などどうでもよい。必要最小限でここを離れる」
「は、はい。しかしすでに勇んだ者たちが……」
馬鹿な部下たちが、出世欲のため功を立てようと向かったらしい。
「呼び戻せっ! いうことを聞かぬ者たちは捨ておく!」
「は、はっ!」
慌てて幕間を出る兵を見ながら、将軍は舌打ちした。
「馬鹿者めらがっ! 敵の力量も測れぬ無能者ばかり揃いよるっ」
自分に足りないものは部下の能力だと他人のせいにする将軍もまた無能であると言えるのだが、本人はもちろんそんなことには気付きもしない。
「失礼いたしますっ!」
「今度は何だっ!」
開いた入口の隙間から大量の土煙が見えた。
「丘の上に敵兵が……」
「……もう見えておるわっ!」
この距離では逃げ切れない。迎え撃つしか方法はなかった。
「全軍に指令。敵軍に備えよっ!」
「は、はっ!」
何としてもこの場を切り抜ける必要がある。負け戦だけはならない。
自国の王の顔を思い出し、将軍は身を震わせた。
もし負け戦にでもなれば、自分の首はいとも簡単に飛ばされてしまうだろう。
慌てて幕間を出ると、上空から落ちてくる黒い物体が目に飛び込んできた。
「な、何だ? あれは……」
空間に突如現れ、もの凄い速度で落ちてくる黒い物体。
将軍はしばし戦況も忘れて見入ってしまった。
小高い丘から敵軍を見下ろしていたアンデルは、気を引き締めながら声を発した。
「状況は?」
「こちらに分がある、といったところでしょうか」
国境警備隊隊長アンデルの右腕、ジェナイス副隊長が緊張感のない声音でそう答えた。
「隊長が出張ってきたんすから、もう勝ったも同然ですよ」
「お前はまたっ! 油断は大敵というだろうがっ」
サニックのいつもの考えなしの言葉に、慎重な性格のブラジが諌める。
「ブラジの言うとおりだ。先任が亡くなられてしまったのだからな」
アンデルは目の前の敵軍から視線を離さず、そう声に出した。
そのアンデルの目に、武功を立てようと率先してこちらへ向かってくる一団が見える。
「あ~あ、隊長がいるってわかってるんだかね~」
「確かに。すでに奴らは死んだも同然だ」
部下たちの声に、ようやくアンデルにも笑みが零れる。
「では、迎え撃とうか」
そう声を発した途端、上空に何かの気配を感じたアンデルは馬の足を止め、空を見上げた。何か黒い点のようなものが、自分の真上にある。
すぐ目の前に迫っていた敵兵たちも、その異様な光景に立ち止まった。
「何だ? あれは……? 突然、空中に現れなかったか?」
アンデルの声に皆も視線を上げる。
「……っ! もしや、あれは人か?」
アンデルの疑問の声に答えられる者など、この場に誰一人としていなかった。
この高さで落ちてしまえば、即死だろう。
アンデルは愛馬の首を叩き、合図を送った。
「備えよ」
愛馬は上空を一瞬だけ確認するように見て、位置を微調整する。そして四つ足を踏ん張らせた。
奈々が目を覚ますと、目の前には青空が広がっていた。そして身体に感じる浮遊感。焦って視線を彷徨わせると、ありえない光景が目に飛び込んできた。
「えっ!? えぇ、何っ?」
意識を取り戻した途端、浮いていた身体がもの凄い速度で落下を開始した。
「えっ? えええぇぇぇ~っ!?」
落下しつつ周りの様子を焦りながらも窺うと、目まぐるしく景色が変わっていく。
それは見たこともない世界のものだったり、中世っぽい外国のようなものであったり、様々だった。
そして自分が住む現代の町に戻ったり、同じ日本でも時代劇のセットみたいなものまで……。その奇怪とも言える光景が現れては消えて、もの凄い速さで変化していくのだ。
「……っ!?」
自分がその中を落下していると気付いてはいるが、奈々にはどうしようもない。
「このまま私、死んじゃうのぉぉ~っ!?」
もう一度気絶してしまいたい。でも何故か気を失うことができない。
景色は広大な森へと変化して、固定されたように動かなくなった。どこまでも広がる豊かな森。遥か向こうには要塞のような建造物も見える。
「も、もういやああぁぁぁぁ~っ!!」
どんどん地面が迫ってくる。死を感じた奈々はきつく瞳を閉じた。
その途端、ふわんと身体が何かに包まれる感覚に襲われる。それは優しく暖かい、空気みたいなもので……。
そのすぐ後に、ドンッ! と固い何かにぶち当たった。
浮遊感も落ちていく感覚も、すべてなくなっていた。
しばらくして奈々が恐る恐る瞳を開けると、そこには金髪の超絶イケメンがいた。十人が十人、必ず男前だと答えるであろう美男子だ。
『す、すごいイケメン……』
天使だ。目の前には天使がいた。いや、それとも神様か?
あまりにも神々しくて、奈々は拝みたい気持ちになってしまう。
自分はすでに死んでしまって天国へ行き、倒れているところをこのイケメン神様が助け起こしてくれたのかも……と。
そう思って彼を改めて見直すと、後光さえ射しているように見える。
『もしかして、やっぱり……神様ですか?』
奈々が声を発すると、金髪イケメンは美しい眉を中央へと寄せた。
顰め面さえ美しいとは、神様はやはり何かが違う。
呆然として目の前のイケメン神様に気を取られていた奈々だが、急に聞こえた第三者の悲鳴にビクリと身体を硬直させた。
「うわあぁぁぁぁ~っ! な、何だ、あれはっ」
叫び声が上がった方に奈々が視線を向けると、兵らしき格好をした数人がにわかに騒ぎ始めた。
人が空から降ってきた。そのありえない状況に、その場にいた誰もが呆然と立ち竦んでいた。
「もしかして……、伝説の魔女なのか?」
「……」
そう呟かれた声は、森の中の開かれた空間に異様なほど響いた。
「魔女……? そんな馬鹿な」
「魔女は絶滅したのではないのかっ?」
全身真っ黒の姿の奈々を、兵たちは畏怖の念を込めて見詰める。
何故自分がそんなに注目を浴びているのか。訳がわからない奈々は、ただ黙ってその状況を窺っていた。
コンヴィッカ王国の兵はもしやアルシャンドレ王国には魔女がいるのかと、反対に恐れ戦いた。
「魔女なんかに勝てる訳がない……っ」
「う、うわぁぁ~っ!」
恐怖と不安は、瞬く間にコンヴィッカの兵たちの間に広がった。武器を放り出す者、腰を抜かしながらも逃げ出す者。戦場はそれらで混乱を極めた。
「これは……勝ったと思っても、いいのですかね?」
逃げ惑う敵兵たちを馬上から見下ろし、ジェナイスがそうポツリと呟いた。服についた土埃を手で払うようにしている。
すでに遥か遠くへ行ってしまった敵兵から視線を離し、アンデルは腕の中の奈々を見た。
「名は?」
辺りをきょろきょろと見回していた奈々は、声をかけられて視線を戻した。
薄い緑色の瞳に吸い込まれそうになる。
「名は?」
もう一度同じ言葉を言われて、奈々はハッと我に返った。
(言葉が通じない……?)
奈々だってもうこの状況が異常なことだと理解している。だが頭がそれについてこない。
指先に冷たい感触を覚え、奈々が視線を流すとそこには。
『え……?』
ぬるりとした感触。錆臭く、真っ赤な液体。それは……。
『き、きゃああぁぁぁぁ~っ!!』
彼は神様でも天使でもなかった。
冷たい感触は彼の着ていた鎧。そしてぬめる指先についた真っ赤な液体は……。
(血だ……っ!)
奈々はそこで人生二度目の気絶をするのだった。
「お、おいっ!」
「「「……」」」
他の騎士たちも驚くべき出来事に無言で状況を見守る。
そんな中、場の空気も読まずポツリと呟く者が一人。
「全身真っ黒けですね。彼女、本当に伝説の魔女の生き残り……だったりして」
「おい、やめろよっ! いろいろ想像してしまうだろうがっ」
サニックとブラジの会話に、さらに騎士たちはシンと黙り込む。
「とにかく一度砦へ戻りましょう。彼女も気を失ったことですし」
「……あ、ああ」
珍しく言い淀むアンデルに、彼は彼なりにかなり動揺しているのだとジェナイスは理解した。
砦が近付くにつれ、聞こえてくる歓声は徐々に増していった。お祭り騒ぎのような賑やかで呑気な喧騒に、アンデルは眉を寄せる。
「まだ目覚めませんか?」
機嫌が悪くなったアンデルを和ますように、ジェナイスが声をかけた。
「まだ起きないな」
腕の中の奈々に視線を移し、アンデルが答えた。
突然上空に現れた不思議な少女。身体も小さいし、まだ子供だと思われる。
アンデルとて、この少女が伝説の魔女であるとは思っていない。だが不思議な力が何かしら発生し、この地へ来たのだということだけはわかる。
それでなければ、空中に突如として現れた怪現象に説明がつかない。
「でも可愛らしい子ですよね」
ブラジがそう呟くと、サニックが少し脅えたような声で答えた。
「そ、そうか? 俺には不気味な子に見える」
二人の両極端な言葉に、アンデルも微笑む。
砦の門に近付くと、外まで迎えに来ていた元副隊長が見えた。もみ手でもしそうな勢いで、アンデルの元まで駆けてくる。その速度があまりにも遅かったので、駆けているのか歩いているのかは定かではないが。
「ロギング少将。ご苦労であった」
上から目線でものを言う元副隊長に、アンデル以外の者の不興を買う。
「まさか、一戦交える前に敵が逃げていくとは思いもしませなんだな~」
豪快に笑いながら言う台詞ではない。
アンデルが無言で馬から降りると、ようやく元副隊長は腕の中の奈々に気が付いた。
「……何だ? それは」
「戦場で拾いました」
二人の言葉の交わし合いに、サニックが思わず噴き出す。
「ブフゥッ」
ブラジに窘められるような視線を向けられたので何とか堪えたが、肩が上下しているようなので、まだ笑いの壺はなくなってはいないようだ。
元副隊長は不機嫌さを隠さずに、一瞬だけサニックにその視線を突き刺したが、興味はすぐに他へと移った。
「拾ったと言われてものう……、それにしても奇怪な女だの」
元副隊長も代替えとしてこの地にやってきたアンデルに、どう接していいのか判断しかねているようだった。言葉遣いにその気持ちが現れていた。
一度釘を刺した方がいいと判断したジェナイスが、ため息交じりに声を発した。でないとこういった性格の持ち主は、勘違いしたまま場を制そうとするから厄介なのだ。
「僭越ながら申しますが、ロギング少将は正式に国王陛下から任命され、このレセンデス国境警備隊隊長に就任されたお方です。貴方様より当然身分は上になります。お言葉にお気を付けください」
「な、何をぉっ!」
忠告の言葉を発したジェナイスに掴みかかろうとしたが、アンデルに睨みつけられ上げた腕を下ろす。感情が一切こもっていない冷たい瞳に、元副隊長は身を震わせた。
「わ、わかった」
納得はしていないが、国王陛下からの命令ということであれば逆らう意思はない。
国境警備隊長である上官が戦死し、次は自分がと意気込んでいたので肩透かしを食らった形となってしまった。
「貴方様には王都への帰還命令が出されています。荷物をまとめ、速やかに退去願います」
再度重ねられたジェナイスの言葉に、さらに瞳の色を険しくさせねめつける。
「貴様……、今に見ておれよっ!」
悪態を吐き、元副隊長は砦の中へと戻っていった。
今までのお祭り騒ぎはどこへやら。誰か死んだのか? と問いたくなるほど、場は静まり返っていた。
そもそもあの元副隊長が敵前逃亡したのが前回の敗戦の原因である。自分の身を守らせるために、半数以上の兵を同行させ砦へと戻った。
残った味方の兵は前線に出ていた者ばかりで、身体のどこかに傷を負っていた。気骨があり兵たちに好かれていた隊長を死なせる訳にはいかないと、自ら矢面に立ち多くの者が亡くなったという。
その光景を無事に砦に戻ったあの男は、薄ら笑いを浮かべて見ていたのだというから神経を疑う。
それを聞いた国王は怒り狂い、アンデルを派遣したのだ。
アンデルが着いた時には、すでに隊長は亡くなっていた。
あの男は王都へ帰ると、それ相応の処分が下されるだろう。あの男には、そんなことを思いつきもしないのだろうが。
王都へ戻されるということは、労を労われ出世するのだと思い込んでいる。だからジェナイスに、先程のような捨て台詞を言えたのだろう。
王都で待ち受けている悲惨な未来をも想像すらしない。それこそが無能と言えるのだ。
「それにしても惜しい方を亡くしました」
「もう少し早く出発できればよかったのだが……」
アンデルの言葉に皆が頷いた。
アンデルたちがこの地へ出立するというまさにその瞬間、城内で少々騒ぎがあった。アンデルたちが所属する軍部とは敵対関係にある教会側が城へと抗議に現れたのだ。その後どうなったかまでは、そのまま出立したアンデルたちには確認できなかったが。何か問題があれば、また詳細はこちらへも知らされるだろう。
いまだ目を覚まさない奈々を、アンデルは己の腕に抱いたまま砦内へと入った。
執務室には不機嫌そうな表情で待ち構えていた元副隊長がいた。不遜にも腹を突き出すように椅子に座っている。
アンデルは表情も変えずに、三人は優に座れる長椅子に奈々を横たえた。さりげなく自分の上掛けを奈々の身にかけてやる。
「失礼だが、その女の素性はわかっておられるのか?」
アンデルは無言で元副隊長に視線を向けた。
「部下の話では、その娘は突然現れたらしいではないか。そんな怪しげな女、砦内へ入れて如何にするつもりだ?」
何もかもにケチをつけたいのだろう。新しく来た上官が相当お気に召さないらしい。
「その黒い髪……。何て汚らわしいことかっ! 魔女風情がまだ生きていたとはな……っ」
魔女は特殊能力を持つという言い伝えがある。
国王を神と崇める思想の持ち主には、教会が神の御遣いだと公言している魔女は不要の存在だとされていた。
どうやら彼も国王主義らしい。貴族の多くがそういった思想を持っていた。
だが当の国王の考えは違っていた。神がこの世界を作ったとされる。神を崇め祀ることで国が安定し、国民の幸せが望める。
だからその神を至上と崇める教会が主張する神の御遣いの魔女は、尊く貴重な存在とされていた。
その魔女が絶滅したとされて数百年。この地に新たな神の御遣いが降臨した。本当なら、それは大変喜ばしいことだったのだが……。
「お言葉を慎まれよ。もし彼女が本当に魔女なら我が国にも有益なこと。現に今も姿を現しただけで敵が逃亡した」
アンデルの言葉に唇を噛む。いかにも口惜しいという顔だ。自分の感情を抑えることさえできないとは。
「この女がどこぞの間諜という疑いもあるっ! 身体検査を要求するっ」
確かにその疑いも残されてはいる。
アンデルだって彼女が魔女だとは到底思えなかったからだ。
「何なら私がその役目、請け負ってもいいが……」
椅子から立ち上がり、奈々の顔を覗き込む。その顔はスケベ親父そのもので、今にも舌なめずりをしそうな勢いだった。
眠る無垢な少女のようにも見える奈々の身の危険を案じたアンデルは、欲に塗れた男の視線を遮るように身を割り込ませる。
「いや、私がしよう。皆は席を外してくれないか」
アンデルは自分の部下たちにもそう告げた。
「いやいや、何があるかわからぬ。魔女という疑いも晴れぬ中、新しい隊長様までも傷つけられては……」
その先の言葉を言わせないようにアンデルが剣呑な瞳で睨みつけると、元副隊長は口惜しそうにしながらも口を閉ざした。
「貴公は一刻も早く王都へ出立されよ。国王陛下がお待ちだ」
「……女は武器を隠す部分が多い。念入りに調べるがよかろうっ!」
またも捨て台詞を吐き、元副隊長は足音も荒く執務室を出ていった。
「どんな教育をされたんでしょうね~。親の顔が見てみたいわ」
「親も案外嘆いているのかもな。あんな息子が出てきて……」
「確かに」
ブラジとサニックの話を聞き流しながら、アンデルは奈々の顔を見た。まだ目を覚まさない。
「隊長。あの男の言うことも口惜しいですが一理あります。彼女が敵国の間者でないとは今の段階では言い切れません。身体検査はしておいた方がいいでしょう」
「ああ」
元副隊長は女性器までも調べよと言った。確かに今まで捕まえた女の間者の中に、秘所へ武器を隠し持っていた者がいなかった訳ではない。
女の間者は男を惑わす者も多くいる。油断させて殺すという者さえいるのだ。
そういった危険を避けるためにも、調べは必要だが。
意識を失っている女性を調べるのは、アンデルの矜持に反する行為だった。
「目が覚めるのを待とう」
「はい。わかりました」
奈々はアンデルの命令で、賓客たちも泊まれ、役職がつく騎士たちの宿舎がある別棟の一室に閉じ込められた。扉前には見張りを立てることにした。
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