【試し読み】嫌いな上司と不本意でとろ甘な関係
あらすじ
ネットで知り合った男性と初めて会う夜。ドキドキしながら待つ希美の前に現れたのは、入社以来ずっと苦手に思っている上司の宇野だった! 密かに思いを寄せていた相手が上司だったという事実に希美は大混乱。さらにはなぜか告白までされてしまう。断っても引き下がらない宇野に、希美は過去のトラウマを打ち明け、どうにか諦めてもらおうとするのだが……「そんなの試してみないとわからない」「意気地なし」と上司の口ぶりでダメ出しされてしまう。闘争心を掻き立てられた希美は宇野の挑発に乗り、そのまま一線を越えてしまい……!? 「俺のことがほしい?」――不覚にも気持ちよくされてしまった希美は、拒否することもできなくなって……
登場人物
過去のトラウマのせいで恋愛には臆病。ネットで知り合った男性に恋心を抱いていたが…
希美の入社当時の教育係であり、上司。仕事には厳しいが面倒見は良いイケメン課長。
試し読み
★1
あ、メッセージが届いている!
髪の毛を乾かすのを忘れて、メールを早速クリックした。
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オリーブさん、こんばんは。
今日も一日お疲れ様でした。
先日教えてもらった、炊飯器でできる角煮を試しに作ってみました。
美味しくてハマってしまいそうです。
本当にいつも、レシピを教えてくれて、ありがとうございます。
実家からアスパラが届きました。
オリーブさんにも分けてあげたいです。
きっと、あなたの手にかかれば、この野菜たちも美味しい料理に変身するのでしょうね。
ノース
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よかった。私が教えたレシピを気に入ってくれたようだ。
ノースさんって何歳くらいで、どんな人なんだろう?
もうすぐノースさんとメールのやり取りをして半年が経つが、サラリーマンという情報しかわからない。
オリーブというのは、私、川越希美のインターネット上で使うハンドルネーム。
相手は『ノース』と名乗っている。
私は、料理サイトに自分の考えたレシピをアップするのが趣味だ。
マイページにSNSを公開していたら、ある日、突然こんなメッセージが届いた。
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突然のメッセージで驚かせてしまい、申し訳ありません。
ノースと申します。
実は、姪っ子のために料理を作ることになったのですが、料理経験がほとんどなく、悩んでいたところ、オリーブさんのレシピページにたどり着きました。
彩りも美しく簡単そうなので自分でもできるかな……と。
見ず知らずの人間からのお願いで恐縮なのですが、包丁を使わないおすすめレシピをアップしていただけないでしょうか?
ノース
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突然のメッセージで少し驚いたけれど、私は自分なりに考えてレシピをアップした。
それから二週間後、またメッセージが届いた。
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オリーブさん。
レシピの公開、本当にありがとうございました。
電子レンジで作るミートローフ、すごく喜んでくれました。
姪のあんなに嬉しそうな顔を見たのは久しぶりです。
シチューはベジタブルミックスを使ったのでカットすることなく、簡単で、色とりどりでとても綺麗でした。
お忙しい中、ご親切にリクエストに応えていただき、感謝します。
お礼をさせてほしいのですが……。
自分にできることなら何でも言ってください。
……といっても、普通のサラリーマンですが……。
ノース
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丁寧な人だなと思った。
好き勝手リクエストを送ってくる人は多いけれど、それに応えてサイトにアップしても丁寧に返事をくれる人なんてほとんどいない。
ノースさんは、きっと普段の生活でもとてもいい人なのだろう。
男性には基本的に返事をしないが、彼からはとても真面目な印象を受けたので少しやり取りをしてみたくなった。しかも私はサラリーマンにこそ聞きたい悩みがあったのだ。
実は私は、直属の男性上司が苦手なのである。
大学卒業後、大手調理器具メーカー『フィール』に入社し、営業部に配属された。
男性が多い活気のある部署で、女性が少なかったのもあり、ほとんどの人が優しく接してくれていた。
教育係の宇野星太さんは、九歳年上で営業成績トップのイケメンサラリーマン。
彼の指導はとにかく厳しくて、自分は営業職には向いていないのではないかと落ち込む日が多かった。
あまりにも厳しかったので、私は一度だけ涙を流したことがある。人に涙を見せるなんて経験がなかったので、ものすごい羞恥心に襲われてしまい、さらに気まずくなった。
絶対に負けたくない。自分から諦めて逃げるなんて、後味が悪すぎる。
私は争いごとを避けて丸く収めたいタイプだけど、途中で投げ出すのは嫌いだ。
それに、闘争心を掻き立てられると、ついムキになっちゃうところもある。
日々の業務になんとか食らいついていると、半年後には営業成績二位を獲得した。
『よく頑張ったな。正直、仕事を辞めてしまうと思ったが、大した根性だ』
怖い先輩は、そう褒めてくれた。
宇野さんには感謝しかないが、とにかく厳しかったので……なんというか『私は宇野さんが苦手!』と潜在意識に植えつけられてしまい、業務以外では必要最低限の会話しかしないようにしていた。
そんな宇野さんは、広報に部署異動することになり、安堵していたのだが……。
一年後、後を追うように私も広報に配属になった。宇野さんが課長で私はチームリーダー。
直属の上司という関係になり、運命を呪いたくなった。
悪い人じゃないと頭ではわかっていても、やはり苦手で。
でも、直属の上司なので、心を開いて働きたいと悩んでいたのだ。
そのことをノースさんに打ち明けると、返信が届いた。
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オリーブさんは仕事で苦労されていたのですね。とても頑張りましたね。
その苦労があったからこそ、今のオリーブさんがいるのだと思います。
一度強く思った感情を変えることって難しいですよね。
自分も、教育係になったことがあるのですが、手塩にかけて育てた後輩が可愛くないわけがありません。
上司も嫌われているかもと感じているはず。
気軽に話しかけてみては? 一番の理解者になるかもしれませんよ?
話題は他愛のないことでいいと思います。
偉そうにすみません。
自分も部下に嫌われているようで、あまり説得力はありませんが……。
ノース
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こんないい人なのにノースさんったら、嫌われているの?
その部下も見る目がないわねぇ。
そのアドバイスをもらってから私は宇野課長に「天気がいいですね」と天候の話題は振るようになった。
少しは進歩したのではないかな?
今度、機会があれば好きな食べ物くらい聞いてみよう。
ノースさんとは、今ではフリーのメールアドレスでやり取りする仲だ。
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ノースさん、こんばんは。
角煮、美味しくできたようでよかったです。
アスパラですか? ご実家はもしかして北海道ですか?
みずみずしくて美味しそうですね!
アスパラはバターと塩コショウでさっと炒めるのがおすすめです。
素材の味が活かされると思いますよ!
オリーブ
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返信をして、セミロングのブラウンヘアーを乾かしながら鏡を覗き込む。
大きくてくりっとした瞳、小さめの鼻と口。
中学生時代からあまり顔の変化がないように感じる。
そのため童顔と言われてしまうのだ。身長も、一五二センチと低め。
幼いと言われる容姿をしているけれど、もう年齢は二十六歳だ。
結婚を前提としたお付き合いを考えてもいい年頃なのだが、この容姿のせいで過去に嫌な経験をしたことがあり、恋愛は遠ざけていた。
『お前の顔を見たら、子供を抱いている気分になる』
そう言われたことがあった。
誰かを好きになってお付き合いをして、いずれそういう関係になった時、また同じことを言われてしまうのでは……と怖くなり、積極的な恋愛活動はしてこなかった。
仕事は忙しいし遊んでくれる友達もいる。
休日はレシピを考えて料理をして、サイトにアップする。
充実した日々だし、恋人なんていらないと思っていたのに、私はノースさんとやり取りをしているうちに、彼のことが気になるようになっていた。
文字だけでしかやり取りをしたことがない人に対して、恋心を抱くことなんてあるのだろうか。
愛とか恋とか関係なしに実際に会って目を見ながら、料理の話をしてみたい。でも自分から会いましょうなんてメッセージを送って、変な期待をされても困るので、今のままの関係を長く続けられたらいい。
髪の毛を乾かして明日の準備をしてから、もう一度パソコンを見ると返信があった。
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実家は北海道です。
大学進学のため東京に来て、そのままずっと東京です。
オリーブさん、イタリア料理はお好きですか?
もうすぐメールのやり取りをするようになってから、半年が過ぎますね。
いつも美味しいレシピを教えていただいてとても感謝しております。
お礼に食事に誘いたいのですが、いかがでしょうか?
ご都合もあるでしょうし、無理にとは言いません。ご検討いただけますか?
ノース
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文章を読み終えた私は、内容を理解するために数秒かかった。
これは会いたいと誘ってくれているのだ。
自分だけが気になっているのかと思ったのに、リアルの世界で会ってもいいと思ってくれているんだ……。
頬が熱くなり、心臓の鼓動が早鐘を打つ。
でも……知らない人に会うのは危険なのでは?
このご時世恐ろしい事件がたくさんある。
会わない方向に思考を持っていくけれど、ノースさんは、どうしても悪い人に思えない。
人がたくさんいるようなレストランで会えば、いいのではないか?
メールでやり取りしている限り、変な人ではないと思うけれど、最大限に警戒しながらなら、問題ないと判断した。
会いたい気持ちが勝ってしまい『是非、一緒に食事をしたい』とメールを送信していた。
ドキドキしながら待っていると返事がすぐに来て、今週の金曜日、仕事を終えてから会う約束をしてしまった。
「……ノースさんと食事なんて、ど、どうしようっ」
私は火照る頬を押さえながらジタバタとしていた。
◆
ノースさんと会う約束をした金曜日になった。
朝から落ち着かないけれど、仕事に集中しなければいけないので、気を引き締めてパソコンに向かっていた。
私が働いている大手調理器具メーカー『フィール』は、一万人ほど社員がいて全国に支社がある。私が所属しているのは、東京の本社で広報課だ。メンバーは二十名いて、インターネット専門、雑誌専門、テレビショッピング専門……など、五つのチームに分かれている。そのすべてのチームを統括しているのが、宇野課長だ。
私はテレビショッピングチームのリーダーとして日々奮闘中で、業務内容は、新商品が発売される前にじっくりと勉強し、テレビショッピングで扱ってもらえるように営業に行くこと。その他にもやることは多岐に渡り、忙しく働かせてもらっている。
課長が宣伝を手掛けた商品は大ヒットばかりで、何度も社長賞をもらっている。誰もが認めるエリートなんだけど、どうしても距離を置いてしまう。
「川越、忙しいところ申し訳ないが、来週の水曜日までに企画書を提出してほしい」
背後から聞こえたよく通る声に、私の身体が反射的にビクッと震えた。
振り返ると宇野課長が立っている。
一八〇センチほどある彼に見下ろされると、萎縮してしまう。
肩幅が広くて筋肉質で、サラサラの黒髪。
一重で鋭い切れ長の目に意志の強そうな漆黒の瞳。
高い鼻と形のいい唇をした美しすぎる顔面をしている。
女性から絶大な人気があるが、三十五歳にしてなぜか独身だ。
「わ、わかりました」
「そんなにビクビクすることないだろう? 新入社員の頃は確かにちょっと厳しくしてしまったが、今は頼りになる部下として接しているつもりなんだけどな」
私にしか聞こえないくらい小さな声で言って、困ったように笑顔を浮かべている。
笑顔を最近よく見るようになったので、私も課長へ対する恐怖心はかなり和らいでいるのだが、一気に距離感を詰めるほどではない。
「今回の商品は、社運がかかっている重大な商品のひとつだ。絶対にテレビショッピングで取り扱ってもらえるように考えてくれ。俺も他社に負けないように練っておく」
「了解しました」
今回、私のチームが担当するのは二面ホットプレート。秋の発売に向けて特に力を入れている商品だ。
ホットプレートは定番商品であるため、他社との差別化ポイントをいかにアピールできるかが勝負になってくる。商品はとてもいいのだが、このよさを理解してもらって、取り上げてもらわなければいけない。そのために他社商品を実際に使って学び、説得力のあるプレゼンを考えていく必要がある。
「悩んだところが出てきたら相談してくれ」
「ありがとうございます」
そうだ。今日は早く帰ると言わなきゃ。
残業を強要される会社ではないけれど、定時に上がれるようにちゃんと伝えておいたほうが仕事がスムーズに進むので伝えておこう。
「今日は、予定がありまして定時で上がらせていただきます」
「了解」
話は終わったはずなのに、課長は何か言いたげな顔をして私を見ている。でも、それ以上言葉を続けてこない。しびれを切らした私は自ら口を開いた。
「今日は……あいにくの雨ですね」
話す内容といえば、天候しかない。
せっかくのノースさんとの初デートなのに残念だ。
勝手にデートだと思っているのは私だけかもしれないけれど……。
「そうだな……。夜は落ち着く予報だったが、どうだろうな」
ゴールデンウィークが終わり、少し早めに梅雨のシーズンになったのだろうか。
私に用件を伝えた課長は、自分の席に戻っていった。
※この続きは製品版でお楽しみください。