【試し読み】切ないほど、貴方しか愛せない~過保護な彼への行き場のない初恋~

作家:橘柚葉
イラスト:蜂不二子
レーベル:夢中文庫セレナイト
発売日:2020/8/25
販売価格:500円
あらすじ

総合病院の受付事務として働く美沙都。両親を亡くしてからは、父の教え子でもあり、同じ職場で医師として働く怜央から妹のような存在として大事に見守られてきた。美沙都にとって怜央は初恋の人。でも気持ちに応えて貰えないのは分かっている。五年前、入院中の母と病室で話す怜央の言葉をこっそり聞いてしまったのだ。「好きになってしまったんです」 彼は母を愛していた。それでも諦めきれず初恋を拗らせてしまった美沙都。なのに過保護にしてくる怜央へ「恋愛の一つや二つしてみたいの」と悔し紛れに反抗してしまうのだが──「お前の心。俺がもらい受けるから。覚悟しろよ?」保護者モードを解除した怜央から甘く囁かれて……!?

登場人物
中条美沙都(なかじょうみさと)
初恋の人・怜央との兄妹のような関係に悩みながら、想いを伝えられずにいる。
新藤怜央(しんどうれお)
両親を亡くした美沙都を支える保護者的立場だが、少々過保護すぎる一面も。
試し読み

 本日の外来が終了し、受付辺りがようやく静まりかえる、夕方。
 救急外来の方は未だに忙しそうだが、こちらは一日を終えてホッとした空気が流れ始めている。
 すでに仕事を終わらせた中条なかじょう美沙都みさとは更衣室で私服に着替えたあと、遅番のスタッフに言付けを忘れていたため受付に戻ってきたところだ。
 そのとき、ちょうど出くわした院長夫人に捕まってしまったのである。
「ねぇ、美沙都ちゃん。うちの息子がつい先日、日本に帰ってきたの。それで、いい歳だから結婚をさせたいと思っていてね」
「は、はぁ……?」
 美沙都は、受付カウンターに身を乗り出して目を輝かせる院長夫人を見ながら曖昧に返事をした。
 なんとなく嫌な予感がするのだが、どう返事をしたらよいものか。
 考えつつも、美沙都は苦笑いを浮かべた。

 風月ふうげつ総合病院。中核都市部のベッドタウンに位置する二次救急医療施設だ。
 とはいえ、重症患者にも対応する救急初療室を完備してあり、常に救急専属医がいるので救急要請も受け入れている。
 この地域にとって、かかせない医療機関になっている総合病院だ。
 そこで働いている美沙都にとって、風月総合病院とは何かと縁が深い。
 美沙都が高校一年生、当時十五歳のときに父親が交通事故に遭い、救急車でこの病院に運ばれて一命を取り留めたものの数日後に急変して亡くなってしまう。
 そして、その五年後。今度は、美沙都の母、美並みなみに病気が発覚して風月総合病院に入院。懸命な治療も空しく、逝去した。
 悲しい記憶も多い風月総合病院だが、両親との最期の別れをした大事な場所でもある。
 そんな経緯もあり、美沙都は大学を卒業後、この病院の受付事務員として就職したのだ。
 実は、誰にも言っていないのだが……風月総合病院を就職先に選んだ理由の一つとして、とある感情が含まれているということは絶対に誰にも言えない。
 色々な思惑もあった美沙都だが、働き出して丸二年が経って来月には二十五歳になる。
 仕事にも慣れてきたし職場の環境も上々、人間関係も良くて美沙都自身楽しみながら仕事に励んでいた。
 で、目の前でニコニコとほほ笑んでいるご婦人は、この風月総合病院の院長夫人だ。
 院長夫人ともなれば高飛車で常にツンと澄ましているイメージがあったのだが、彼女に会ってそんな負のイメージは見事に打ち砕かれた。
 彼女はとにかく気さくで人懐っこく、スタッフに対して分け隔てなく話しかけてくれる人だ。
 そんな院長夫人を、美沙都はこの病院に就職する前から知っていた。
 美沙都の母が長くこの病院に通い、入院していた折、院長夫人とは知らずに顔見知りになっていたのである。
 病に打ち勝つことができそうにない母を嘆き、不安を抱いていたときに励ましてくれたのが院長夫人だ。
 美沙都にとって院長夫人は、雇い主というより恩人に近い存在でもある。
 だからこそ就職したあとに、彼女がこの総合病院の院長夫人だと知って腰を抜かしてしまいそうになった。
 就職してからも彼女は美沙都を気遣ってくれ、とても嬉しく思っている。
 そんな経緯もあり、美沙都は院長夫人に親しみを感じていた。
 いつもなら、にこやかに対応する美沙都なのだが、今は大変困ったことになっているのだ。
 冷や汗が背中を伝うのを感じながら、美沙都はどうしたらいいのかと視線を泳がし続けている。
 そんな美沙都の様子に気がつかないのか。気づいていても素知らぬふりをしているのか。いつもの様子で院長夫人は朗らかにほほ笑んでいる。
「美沙都ちゃん。今、誰ともお付き合いしていないわよね? というか、今までに男性とお付き合いしたことないでしょう?」
「は、はぁ……」
「勿体ないわぁ、美沙都ちゃん。こんなに、かわいらしいのに」
「えっと……」
 院長夫人が、グイッと強引に顔を近づけてきた。その圧の強さに、美沙都は口元をヒクつかせる。
 院長夫人には一人息子がいるらしいのだが、美沙都は会ったことはない。
 その息子は医師になって他病院で修業をした後、アメリカに留学をしていたらしいとは噂で聞いている。
 そんな彼がどうやら日本に戻ってきたらしいのだが、お仕事にかまけすぎていてお嫁さんをもらうつもりがないのだというのだ。
 だが、院長夫人としては、どうしても息子を結婚させたいのだろう。
 そこで現在恋人がいない美沙都に白羽の矢を立てて、探りを入れているといったところだろうか。雰囲気で、それはヒシヒシと伝わってくるのだ。
 美沙都の人柄に好意を持ってくれることはありがたいのだが、なんだか先ほどから風向きが怪しい方向に流れてしまっている。だからこそ、戸惑いが先行してしまうのだろう。
 院長夫人は目をキラキラさせながら懇願してくる。
「ねぇ、美沙都ちゃん。うちの息子と会ってみない?」
「え? ええ!?」
「見合いなんて堅苦しいこと言わないから。ぜひ、息子に会ってほしいのよ!」
「えっと、あの……」
 シュシュで一つに結わえた長いスレートの黒髪を揺らしつつ、黒目がちで大きな目は辺りを見回す。
 百五十四センチと少々小柄な背丈の美沙都は、受付の奥にいるスタッフにも視線を向けた。
 目は合うのに、誰もがニッコリとほほ笑んでいるだけだ。
 誰かに助け船を出してもらいたいのに、受付スタッフの皆は遠巻きでニマニマと笑っている。
 内容が内容なだけに、誰も口出しできないと思ったのか。
 いやいや、恐らく面白がっているだけだ。楽しげにほほ笑んでいるのが証拠である。
 周りに援軍を求められないとわかった以上、自分でなんとかするしか他ない。
 しかし、院長夫人はどこか必死な形相で言い募ってくる。
「仕事しか頭にない息子なんだけど、この前ここに来たときに美沙都ちゃんを見かけたみたいでね。かわいい子だね、なんて言っていたの。これはもう、纏めるしかないでしょう!?」
「なっ……!」
 見合いなんて堅苦しいこと言わないと言っていなかっただろうか。
 しかし、これは明らかに見合いに発展しそうな勢いだ。いや、なんだか仲を取り持とうと必死な様子が窺える。
 次期院長になるのであろう院長夫人の愛息子は、噂を聞く限りなかなかの腕を持つ医者らしい。
 三十五歳で独身。仕事にかまけすぎて恋愛事は二の次だったのだと院長夫人は困ったように眉を下げた。
「一応うちの跡取り息子だし、見た目も悪くはないと思うの。医者としても評判はいいし、どうかしら?」
「ど、どうかしら……と言われましても」
 院長夫人の勢いにタジタジな美沙都は、もう一度だけ受付スタッフの皆に視線を向ける。
 すると、皆が親指を上げてニッと弾けるような笑顔をしていた。
 玉の輿に乗ってしまえ、とばかりに、院長夫人を後押ししている様子だ。
 それは、院長夫人にも伝わっていたらしく「ほら、スタッフの皆も賛成してくれているわよ?」と朗らかに笑う始末。
 ますます困った状況になった。これは承諾しなければ、院長夫人は一歩も引いてくれそうにない。
 端から見れば、確かに玉の輿に座る絶好のチャンスなのだろう。
 しかし、美沙都はどうしても魅力的には感じない。その理由は、きちんと自分でわかっている。
 だからこそ、この局面をなんとか乗り切りたいのだ。
 どう言えば院長夫人は諦めてくれるだろうか。角が立たずにお断りできるのだろうか。
 美沙都が必死に知恵を絞っていると、救いの声がした。
 その声を聞いた美沙都は、心底安堵する。
「スミマセン、院長夫人。そういう話は、お断りしているんですよ」
 やってきたのは、新藤しんどう怜央れお。風月総合病院に勤めている医師だ。
 そして、美沙都にとっては昔からの知人であり、恋心を寄せている男性でもある。
 長身で尚且つ鍛えられた身体の持ち主、その上知的なビジュアルの彼は病院スタッフや、患者さんからも人気が高い相当なイケメンだ。
 黒々として艶のある髪は短く切り揃えられており、切れ長な目は彼のクールな一面を醸し出している。
 白衣を翻しながら颯爽と受付にやってきた怜央は、院長夫人ににこやかな笑みを浮かべていた。だが、声が怖い。怖すぎる。
 相手は院長夫人だ。そこはもっと穏便に事を運ばなければ、勤務医としては今後居心地が悪くなってしまわないだろうか。
 険悪な雰囲気になりそうな様子に、美沙都は一人大慌てしてなんとかフォローをしようと必死だ。
 しかし、美沙都の甲斐も空しく、院長夫人は怜央に対して朗らかにほほ笑んだのだが目が笑っていなかった。
 こちらも怖い。怖すぎる。
 この場の温度が一気に下がったように感じ、美沙都は一人青ざめた。だが、そんな美沙都を余所に二人は表面上だけ笑顔で応戦し始める。
「あら? 新藤先生。美沙都ちゃんだって適齢期なんだし、出会いはいくつあってもいいと思わないかしら?」
「申し訳ありません。美沙都のお母さんにくれぐれもよろしくと頼まれている手前、私が美沙都を守らないといけないので」
「相変わらず、新藤先生は美沙都ちゃんに対して過保護ねぇ」
「褒め言葉としてお受けいたします」
 ニッコリと有無を言わせぬ表情で言い切る怜央に、さすがの院長夫人も諦めたようだ。
「美沙都ちゃんの保護者が現れる前に丸め込もうと思ったのに、失敗したわ。ねぇ、新藤先生。美沙都ちゃんに監視カメラでも付けているのかしら?」
 これは明らかにイヤミだろう。顔を引き攣らせている美沙都に「ねぇ?」と院長夫人は同意を求めてくる。だが、それにどう答えろと言うのだ。
 ますます顔を引き攣らせながら二人の攻防戦を静観していると、怜央は院長夫人に対してイヤミで応酬する。
「とんでもない。ただ、美沙都を守るためには、そういったものも必要かもしれませんね。次から次に美沙都を狙うやっかいな人たちがいますから」
 のみの心臓しか持ち合わせていない美沙都にしてみれば、怜央の言動はまさに尊敬に値する。
 鋼の心を持つ怜央は純粋にすごいとは思うが、決して雇い主の伴侶に言うべきことではない。
 心配になって怜央の白衣を掴み、ツンツンと引っ張って制止させようとする。
 だが、その行動がますます院長夫人の気に障ってしまったようだ。
 彼女は、あからさまに深く息を吐いた。
「あーあ。新藤先生と美沙都ちゃんは親鳥とひな鳥みたいね。ねぇ、新藤先生。貴方も誰かいい人と結ばれた方がいいわ。いつまでも、美沙都ちゃんの保護者をしている訳にもいかないでしょ?」
「……」
「年功序列。まずは、新藤先生から結婚に向けて一歩を踏み出すのはどう? 貴方、とってもモテるんだし、ナースの皆からも声がかかっているんでしょう?」
「院長夫人」
「職場結婚が嫌なら、主人の友人に総合病院の院長がいてね。その方の娘さんとの縁談はどうかしら?」
「院長夫人!」
 まだまだ続きそうな院長夫人の攻撃を、怜央は不機嫌そうに制止させた。そして、彼の後ろにいた美沙都の肩を抱き寄せてくる。
 二人並ぶ形で院長夫人に向き直ると、怜央は真摯な態度で宣言した。
「院長夫人。お気持ちは大変ありがたいのですが、俺は美沙都が幸せになるのを見届けてから自分のことを考えるつもりです。ですので、俺への縁談はお断りいたします」
「じゃあ、ますますうちの息子と美沙都ちゃんの縁談を」
「お断りします」
 院長夫人が言い切る前に、怜央はすっぱりと断ってしまった。
 まだ何か言いたげな夫人だったが、どうやらタイムアップだったようだ。時計を見て、深くため息をついた。
「これから用事があるから、今日のところはここまで。だけど、美沙都ちゃん。私は諦めませんからね」
 じゃあね、と後ろ髪引かれる様子で院長夫人はこの場を去って行く。まさに、嵐が去った。そんな感じだ。
 院長夫人は、さっぱりしているお方である。怜央が失礼な態度を取ったとしても、明日にはケロッとしているだろう。
 だが、それでもやっぱり今回のことはマズイ。美沙都は、一切悪びれもしない怜央に苦言を呈する。
「もう、怜央くん。ダメでしょう!? 院長夫人に楯突いたら!」
「あぁ? あれは向こうが悪い。それに、お前だって困っていただろう?」
「そ、そりゃあ、そうだけど……」
 確かに困ってはいた。誰かに助けを求めたいと思っていたことも事実である。
 だが、あそこまで攻撃的に院長夫人へ楯突く必要はなかったはずだ。
 怜央にそう告げたのだが、素知らぬふりをするつもりらしい。美沙都の話など耳を貸さない姿勢を貫いている。
 盛大にため息をついたあと、美沙都は背の高い怜央を見上げながら注意勧告をした。

※この続きは製品版でお楽しみください。

関連記事一覧

テキストのコピーはできません。