【試し読み】俺様主人の理不尽な要求~毒舌メイドは素直になれない~
あらすじ
メイドのフローレンスが仕えるアルベインは、自信過剰で自己中心的、他人を思いやれない困ったご主人様。彼は自分に相応しい結婚相手を見つけるためデートを重ねているのだが、その俺様な性格と理想の高さゆえ振られてばかり。見かねたフローレンスは姉の助言を受け、疑似デートをしてみることに。的確なアドバイスをするためのデートだったはずが、なぜかアルベインは次のデートの約束とキスを迫ってきて──!? 「地位も学も金も俺が持っている。別に今さら必要ない。俺が欲しいのは、お前が持っていて、俺が持ちえないものだ」──アルベインは猛烈なアプローチを仕掛けるが、フローレンスにはその申し出を受けられない理由があって……?
登場人物
メイド。なかなか結婚相手が見つからないアルベインのために疑似デートを提案するが…
容姿端麗で財力もあるが、俺様な性格で相手に求める理想も高いためフラれてばかりいる。
試し読み
第一章
「理解不能だ。何故だ」
目の前の色男は真剣に悩んでいた。ひじ掛けに頬杖をついて真面目な顔をして。不機嫌そうに眉根を寄せ、悩ましい溜息を吐く。
綺麗に整えられ、前髪を後ろに撫でつけたダークブラウンの髪の毛に、鋭い切れ長の目。翡翠を填め込んだような瞳は、いつまでも眺めていられるほどに美しい。スッと通った鼻梁と厚めの唇は、美丈夫の条件だ。女性ならずとも男性でさえも彼の麗しさに魅入られる。
そんな彼が悩んでいる姿を見れば、誰しもが手を差し伸べたくなるだろう。
けれども、残念ながらこの心はまったくもって動かない。むしろうんざりしていた。
「またですか、アルベイン様。いい加減学習しましょう?」
思わず顔を顰めて苦言を呈すると、アルベインは苦々しい顔をして机を爪で弾き苛立ちを表した。失敗続きでそろそろ我慢も限界なのだろう。
だが、致し方ないと、フローレンスは気分を鎮める紅茶を淹れながら思う。
何せこの人は自信過剰のナルシストで、他人を慮って優しい言葉や紳士な態度を取ることがない。だから、毎度デートのたびに相手の女性に振られてしまうのだ。
「俺が悪いのか? ただ、俺は彼女が待ち合わせ時間に遅れてきたから注意しただけだ。もしもこれが仕事だったらどうする? 相手を待たせて『ごめんなさい』の一言で済むか? 俺だったら時間も守れない相手と仕事などできない」
「第一に仕事ではありません。そこは切り離して考えましょう? 一生を共にする伴侶を探すために会っているんでしょう? 第二に、ちゃんとお相手に遅れた理由を聞きましたか? もしかすると、納得のいく理由があったかもしれません」
「聞いたさ! 前回もお前に同じことを言われたから、責め立てたいところを我慢してっ」
どうやら彼も毎度同じ失敗を繰り返しているわけではなく、学習して気遣いというものを出してきているようだ。
フローレンスは感心しながら、少し気持ちを落ち着かせてほしいという意味を込めて紅茶を目の前に差し出す。アルベインはそれに目を落として、ムッとした顔をカップの中の水面に映した。
「そうしたら、どうしても帽子が決まらなかったようだ。帽子だ、帽子! フローレンス、帽子! たかが帽子ひとつで俺の貴重な時間が無駄にされたんだ!」
それがどうにも我慢できなかったようだ。彼はデート相手に『そんな似合いもしない派手な帽子を選ぶのであれば、日傘ひとつで済ませればよかっただろう』と言い放ち、ものの見事に振られたと話す。
「女性にとってデートの装いは大事なのです。たとえ帽子ひとつであっても、何時間も頭を悩ませるほどに重要なことです。理解ができなくともその努力を褒めるなどしてあげてもいいのでは?」
「成果が出せなければ意味のないことだ」
「だからアルベイン様は女性にモテないんですよ」
呆れたように言い返すと、結局アルベインはむっつりとした顔をして黙り込んでしまった。
毎度、『女性というものは』とか『相手への思いやり』を説いてはいるが、そもそもが自分を中心に世界が回っていると考えている人だ。論理的な思考から逸脱した途端に『不可解だ』と眉をひそめる。
容姿こそ文句のつけどころがないのだ。背が高いところもすらりと伸びた脚も、その低く色気のある声も、ついでに言ってしまえばお金をもっているところも。どれも女性を魅了するというのに、口を開いた途端にそれが半減する。半減どころか失礼すぎて減点になってしまうのだ。
「そもそも、アルベイン様は女性の好みがうるさいから。誰もそれについてこられないんですよ」
「当然だ。俺の優秀な血を受け継ぐ子は、唯一無二の極上な女性に産んでもらうと決めている」
彼にとっての結婚は、その一言に尽きる。だから女性の理想が高くあり、妥協を許せないのだ。そこに愛はない。結婚もまたビジネスの一環なのだという考えだから、デートをしても振られるしアルベインの方から断ってしまう場合も多い。
それでも彼が腐らずに結婚相手を探しているのは、二十七歳というまさに結婚適齢期からそろそろ外れそうな年に差し掛かってきているからかもしれない。
「とにかく、次に進みましょう。何度振られても、幸いなことに引く手数多ですからね、アルベイン様は。まだ見ぬ理想の女性がきっと待っておられますよ」
そう慰める顔は実に冷静だが、フローレンスは切実に願っていた。早くアルベインの理想の女性が見つかって上手くまとまるようにと、不機嫌な主を見て思わずにはいられない。
面倒ではあるが、根は悪い人ではないのだ。きっとじっくりと付き合うと絆される部分も多いだろう。その実、フローレンスもアルベインのことは嫌いではない。
ただ、そろそろこちらも限界を迎えつつある。
同じ女性としてその気持ちを語ることはできるが、男女の関係となるととんと分からない。何せフローレンス自身、結婚願望もなければ男性とお付き合いしたことも、恋すらしたことがないのだ。助言をしようにも上っ面なことしか言えなくなっていた。
早く、アルベインに運命の人が見つかればいいのに。
彼が女性とデートに行くたびに願う。
そして幸せな家庭を築いてほしい。フローレンスの家のような、破綻したものではなく、幸せに満ち溢れた家庭を。
きっと自分にはつくれないだろうから。
「理想の女性、ね。願わくば、前日までに着ていく服を完璧に決めて、当日に遅刻しないような人であってほしいものだな」
(……まぁ、道のりは遠そうだけど)
鼻で笑い紅茶を飲む彼を見て頭を抱える。
天は二物を与えずというのはまさにこのことだろう。フローレンスはまた失敗の予感しかしない彼のデートを思いながら、溜息を噛み殺した。
フローレンス・ウッデンはメイドだ。アルベイン・ジャイルズを主人とするこの屋敷で、もう三年も働いている。
何でもいいから安定したお給金がほしいと探し求めた職で、新聞の求人広告を見て申し込んだ。最初こそとんでもなく気難しい主人に当たったものだと辟易していたのだが、案外性に合っていたらしい。元々面倒な人間を相手するのは慣れている。
仕事は主にアルベインの世話だ。彼専属のメイドとして身の回りのことの一切を担っている。給仕に衣服の世話、部屋の掃除に仕事の手助けまで。何かと人を選ぶ人なので、必然的にフローレンスがすべてを担うことになった。彼の側に一番いる人間と言っても過言ではない。
そんなフローレンスの目から見ても、アルベインの肩書は立派で、一見すれば優良物件だということは分かっている。祖父の僅かな財産を元手に投資をし、大きな財産を作り上げてきた。人生の成功者と言ってもいい。
だが、それと同時に傲慢さや傍若無人な一面も見てきた。とにかく、人を思いやることができないのだ。一事が万事、有用かそうではないか。それで判断する。
それは女性に対しても同じで、これから自分と生活するにあたって同等の感性を持っているか、妻として相応しいかを見極め、少しでもそこから逸脱すると厳しいことを言ってしまうのだ。優しく接してみてほしいといくら言っても、本人はそのつもりなのだから仕方がない。
さてさて、いい加減このやり取りも数か月も続けば終わりを見たくなる。正直飽きている部分もあるし、それ以上に彼が合格を出す女性がどんな人か早く見たかった。
「口で言ってもダメなら、実地で教えてあげたらどうかしら?」
そうフローレンスに提案したのは、姉のアマーリエだ。半年前に出産をして子育てに忙しい姉の様子を見に帰省したとき、彼女がナイスアイディアとばかりに言ってきた。
「ちゃんとこんな感じで言ってくださいって、一緒に練習してるんだけど……」
「でも全然成果は出ずに、相手が見つからないんでしょう?」
「そうだけど……」
「なら、実際に一緒にデートに行って、どんな感じなのか見てきたら? その上で助言してみたらどうかしら」
これは悩ましい提案だ。たしかに成果を見出せないのであれば、もっと具体的な指摘が必要になるだろう。実際にアルベインがどんな感じで女性をエスコートしているのか知らないし、彼の話だけでは分からない部分も多い。
けれども、まず彼がこの話に乗るかが問題だ。いちメイドであるフローレンスと試しであれデートをすることに、有用性があると判断できるのか。必要ないと冷酷に切り捨てられるのが目に見えた。それどころか、不興を買ってクビになってしまうこともあり得る。
「でも、私、デートとかしたことないし」
「じゃあ、フローレンスの予行練習にもなるわね」
「これからもするつもりないわよ。知ってるでしょ?」
顔を顰めて苦々しく言うと、アマーリエは苦笑する。もう何度も言ってきた。男はいらない、自立できるだけの金を稼いで男に頼らない人生を歩むと。
「知っているわ。貴女が結婚するつもりもないこと。でも、これからどうなるか誰にも分からないじゃない?」
そうは言ってはくれるが、フローレンスに染み付いた不信感は根深い。幼少期から父親に散々な目に遭わされたのはアマーリエも同じはずなのに、何故そんなにも前向きになれるか分からなかった。
二人の父親はいわゆる飲んだくれで、稼いだ金は酒につぎ込むような人だった。足りなくなればギャンブルで金を稼ぎ、儲かったらそれもまた酒につぎ込まれていた。
それだけならまだしも、ギャンブルの元手の金を毎度母に要求してきて、出さなければ暴力に訴えてきていたのだ。母はフローレンスと姉を連れて家を出たが、それでも父は居場所を突き止めては金を要求してきた。
その光景をフローレンスはずっと見てきていた。父が死ぬまで何年も三人で肩を寄せ合いながら怯え、嵐が過ぎるのを待っていた。大きくなってからは戦う術と気力を持てるようになり、フローレンスは木の棒を振り回して追い払うことができるようになった。その頃には、父は酒で身体を悪くして以前ほど勢いがなかったからだ。
そして父が亡くなり、家族に残ったのは安寧と穏やかな日々。ただ、フローレンスの胸には男性への不信感が残ってしまった。
それから二年後に母が亡くなったとき、ますますそれが募る。母はずっと父に虐げられた人生だったのに、たった二年しか安寧な人生が許されなかったなんてあまりにも哀しすぎる。不運としか言いようがないのだが、そのままならないことが多いのもまた人生なのだ。
そこから、誰かに人生を振り回されるなど真っ平だと思うようになった。
アマーリエはいい人と出会って結婚して子供も産まれて家庭をつくったが、自分にはできそうにない。そんな未来すら思い描けなかった。
「ウッデン家自慢の美人さんだもの。この世の男性が放っておかないわよ」
「美人は姉さんもでしょ?」
系統は違うが、姉妹は自他ともに認める美人だ。母も美しかったが、アマーリエも柔らかく可愛らしい顔立ちをしていて、町では評判の美女だと言われている。
逆にフローレンスは可愛いというより綺麗と評されることが多く、アマーリエと並ぶと姉と思われがちだ。姉妹でも顔の雰囲気がまったく違うが、その価値観も違っていた。
いつか一緒に幸せになれると信じて出会った男性と結婚した彼女と、そんな未来など信じられないと諦めているフローレンス。
アマーリエの夫であるランドルフは少し頼りないもののとても優しい男性で、彼女を大切にしているのが分かる。けれども人間どこでどう道を踏み外すか分からないので、いつでも手助けできるようにと可能な限り顔を見せるようにしているのだ。
せめて姉だけは、幸せであってほしいといつでも願っている。
「アルベイン様とデートの話は一旦置いておいて」
「置いていいの? 悩んでいるんでしょう?」
「悩んではいるけど、些細なことよ。それよりハミルトンはどうなの? 元気に育ってるの?」
「ええ、それはもう。よく食べてよく寝てよく泣いているわ。最近はお座りとかできるようになったから、そのうちハイハイするかもしれないわね」
やって来た時間がちょうどお休みの時間だったようで、ずっとベッドの上で寝ている甥の顔を覗き込む。もう産まれて半年経とうとしているハミルトンは、頬がぷくぷくしていて見ているだけで癒される。この世に舞い降りた天使かと思うくらいに可愛らしいのだ。
そんな天使が生まれてから、ランドルフは家族が増えてお金をたくさん稼がねばと張り切っている。けれども、家では育児にも追われていて明らかに疲弊が見えていた。
アマーリエもそうだ。今日はどことなく顔色が優れないようだ。
「もしも大変だったら言ってね? お休みを貰って手伝いに来てもいいんだから。それにハミルトンの顔も見たいし」
ダメだと分かりながらも誘惑に負けてハミルトンの頬を指でツンツンと突っつく。嫌そうに顰めた顔を見て微笑ましくなった。結婚をするつもりはないが、こうやって子どもの面倒を見るのは嫌いじゃない。
「ありがとう。今のところ大丈夫だし、ハミルトンの顔はいつでも見に来て」
「そう言って、姉さんもランドルフも無茶するから心配。倒れる前に助けを求めてね」
頑張り屋さんなのはいいのだが、頑張りすぎるきらいがあるから心配は尽きないのだ。特にアマーリエは姉だからという思いがあるのか、なかなか弱音を吐かない。
「でも、アルベイン様とデートすることになったらそっちを優先させてね?」
「しないから、デートなんか。その前にあっちから断られて終わり」
誘うだけ無駄だろう。鼻で笑われてこちらが恥ずかしい思いをするだけだ。
「でもね、フローレンス。人間、深く付き合ってみないと分からないこともあるわ。驚きの一面をふとした瞬間に見れたりするの。私もいまだにランドルフの知られざる一面を発見しては驚かされるもの。それがいいものにしろ悪いものにしろ、貴女が私に相談するくらいには、アルベイン様のことを気にかけていることには変わりないと思うのだけれど」
そう指摘されて、フローレンスは言葉を詰まらせた。
何とも思っていなければ、捨て置けばいい話だ。どうしようもないご主人様の相手をする仕事だと割り切って、プライベートな時間まで話を持ち込む必要はなかった。
フローレンスの中でどこか割り切れないものがあるのを、アマーリエは見抜いているのだろう。
「案外、いろんな進展があるかもしれないわ。やってみて無駄ということはないって、私は絶対に思うの」
含みも何もない、純粋な笑顔でそう言われてしまうと何も反論できなかった。アマーリエは根っからの善人で、フローレンスを思って言ってくれているのだと分かるからだ。
結局フローレンスは曖昧な返事をして、ハミルトンの寝顔に目を向けた。
このくらい無垢なままでいられたら、もっと物事を単純に考えられただろうか。
大人になって父の横暴から解放されたが、いまだに囚われ続けている自分がいるのだ。それが酷く醜いものに思えて仕方がない。
こんな自分とアルベインが試しにデートをしてみて、得られるものなど本当にあるのか。むしろこの醜さを見破られて嫌悪されてしまうかもと思うと、躊躇いが拭えなかった。
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