【試し読み】私たち、見せかけの夫婦です~御曹司との期限付き偽装婚は極秘に願います~
あらすじ
親同士のつながりで幼いころから許婚の関係にあった蒼平と蘭。父親の会社同士の業務提携も順調、正式な婚約者に。ふたりは何でも言い合える関係……だけど、恋愛感情を抱くことができないまま夫婦になってしまう。しばらく結婚生活を続け適当な理由をつけてお互い自由になろう──そんな期限付きの約束をした愛のない結婚ではあったけれど、『運命の赤い糸で結ばれた、相思相愛のお似合い夫婦』だと周りにも認められるよう努めてきた。そうして約束の期限がもうすぐとなったころ。蒼平が会社の後輩から言い寄られていることを知りなぜか動揺してしまう蘭。そして蒼平は蘭にこのまま結婚生活を続けたいと告げて独占欲をあらわにしはじめて……!?
登場人物
許婚の関係にあった蒼平と結婚。恋愛感情はないが相思相愛の夫婦を演じる。
有名な菓子メーカーの御曹司。期限付きの結婚生活を続けたいと蘭に告げるが…
試し読み
『あと一年の辛抱です』
いつからだろうか。偽りの関係を演じるのにも慣れて、あたかもお互い愛し合っている夫婦を装えるようになったのは。
都市開発が進むエリアにある超高層マンション。ふたりで暮らすには、十分すぎるほど広い4LDKの部屋。
明かりを灯すと、必要最低限の家具しか置かれていない殺風景なリビングに、苦笑いしてしまう。
ここに五年も住んでいるとは到底思えない。
ふかふかのソファに腰を下ろし、ふうと一息。今日は金曜日。やっと一週間が終わった。
仕事でクタクタなのに、これからご飯を作るのは面倒だ。向こうもそろそろ帰ってくるなら、外食で済ませられないだろうか。
その思いでバッグの中からスマホを取り出してタップすると、新着メッセージ一件ありの文字が。
【緊急業務連絡。急で悪い。同伴を頼みたい。ドレスアップして、送った住所のところまで来てくれ】
「嘘でしょ」
メッセージを見て、がっくり肩を落としてしまう。
だけど行かないわけにはいかない。これも妻の務めなのだから。
重い腰を上げて、リビングに飾られている結婚式の写真を眺めては深いため息をひとつ零し、急いで準備に取りかかった。
私、月宮蘭と同い年の夫、蒼平が結婚したのは今から五年前。大学を卒業してすぐの二十二歳の時だった。
学生時代の旧友の仲である母親らが、同じ年に生まれた私たちを結婚させて親戚になろうと企み、私と蒼平は幼い頃から許婚の関係にあった。
頻繁に会っていれば自然と仲良くなり、子供の頃は蒼平と遊ぶのが楽しくてたまらなかった。
そんな私たちの仲睦まじい姿を見て、最初は母親たちだけの思惑が、いつしか父親たちもそう望むように。それというのも、私の父親は飲料水の会社の社長。そして蒼平の父親もまた菓子メーカーの社長を務めている。
私たちの婚約を機に業務提携に乗り出し、共同で新商品を開発。それが爆発的大ヒット。
両家族が親戚関係となり、業界内に確固たる結びつきを示すこととなった。
「変じゃないかな」
シックな黒のアイラインシルエットのドレスに、淡いクリーム色のストール。ストラップ付きの黒のハイヒール。小ぶりのショルダーバッグを持ち、パールのネックレスに誕生石である、エメラルドのピアスを合わせてみた。
昔は四苦八苦していたヘアメイクのセットも、短い時間でできるようになるとは……。
最後に鏡の前に立ち、人差し指で両頬を押し上げる。
「よし、笑顔で頑張ってこよう」
気合いを入れて家を後にした。
蒼平から送られてきた住所は、国際的にも有名なホテル。タクシーで玄関口につけてもらい、支払いを済ませるとすぐにホテルマンがドアを開けてくれた。
「いらっしゃいませ」
エスコートされながら玄関を抜けると、豪華なロビーが広がっていた。右側にはラウンジがあり、ライトアップされた日本庭園が見える。
左側はエレベーターホール。そして真正面にはフロントがあり、大勢のスタッフが客の対応に当たっていた。
えっと、たしかロビーで待っているって言っていたはずだけど……。
キョロキョロしながら蒼平の姿を探していると、ラウンジにいた一際目立つ彼が立ち上がり、私を呼んだ。
「蘭、こっち」
一気に注目が集まり、居たたまれなくなる。昔からいつもそう。蒼平と一緒にいるとなにかと目立ち、その度に私は居心地が悪かった。
中学生の頃からグングン身長が伸び、百八十五センチもある。百五十五センチしかない私は常に彼を見上げてばかり。
羨ましくなるほどきめ細かな綺麗な肌をしていて、切れ長の瞳に筋の通った鼻。とても整った顔をしている。おまけに勉強もスポーツもできるとなれば、昔からとにかくモテる。
そんな蒼平の婚約者というだけで、数え切れないほど女子から嫉妬されてきた。それは現在進行形だ。
今も視線が痛い。蒼平の相手が『え、あの子なの?』って間違いなく思われているだろう。
社長令嬢といっても、私の容姿は至って普通。可もなく不可もなく。特に優れている特技などはないし、勉強もスポーツも人並みにできる程度だった。
そんな私が蒼平の婚約者となれば、『どうしてあの子が?』『親のおかげでしょ?』と散々言われてきた。
だからもう慣れっこだ。聞こえていないフリをしながら彼のほうへ向かう。その間、蒼平は支払いを済ませた。
「悪いな、蘭。急に呼んで」
「ううん。そんなことないよ」
えぇ、本当に。疲れているのに大迷惑だ。……と周囲に人がいる手前、心の中では正反対のことを呟きながら、笑顔を取り繕った。
肩を並べてエレベーターホールへ歩を進めていると、女性の視線を痛いほど感じる。まぁ……それも無理はない。
チラッと隣を歩く蒼平を盗み見る。
悔しいけれど、やっぱり傍から見たらカッコいいと思う。
エレベーターを待つ最後尾に並ぶと、蒼平は急に私の腰に腕を回した。びっくりして彼を見れば、眩しい笑顔を向ける。
「パーティー中は俺から離れるなよ? 蘭は本当に可愛いから、毎回心配になる」
歯が浮くような甘いセリフに、ゾワッと鳥肌が立つ。途端に蒼平は眉をピクッと動かした。
腰に回された腕に力を入れ、さらに私の身体を引き寄せると、周囲に聞こえないよう小声で囁いた。
「その顔、やめろ。忘れたのか? 俺たちはどんな夫婦だ?」
えっと……結婚五年目とは思えないほど仲睦まじい夫婦です。
そうだ、ここは家じゃない。だから蒼平は思ってもいないような甘い言葉を囁いたのだ。
そうわかってはいるけれど、言われるたびに鳥肌が立つ。だって普段の蒼平なら、絶対に言わない言葉だから。
しかし結婚して五年も経てば、ラブラブ夫婦を演じることにもすっかり慣れた。
負けないようにニッコリ微笑み、やけくそで自ら抱きついた。
「ありがとう。でも私のほうが心配だから。蒼平はカッコよくてモテるもの」
自分で言っておいて、ひー!! なにこのバカップルな会話は!! と突っ込みたくなる。
だけどそんな猿芝居に蒼平ものっかってきた。
「なに言ってるんだよ、こんな可愛い奥さんがいるっていうのに、よそ見なんてするわけがないだろ? 俺は蘭一筋だから」
相変わらずスラスラと、女子がキャーキャー言いそうなセリフが言えますこと。皮肉めいたことを思っていると、案の定、近くにいた女性たちはキャーキャー言っている。
ちょうど順番になり、エレベーターに乗り込む時も、蒼平の腕は私の腰に回されたまま。
「行こう、蘭」
紳士にエスコートする姿に、女性は皆うっとり顔。
生まれながらの婚約者で、煌びやかな世界に幼い頃から両親に連れられてきた。
自然とふたりでいたら、大人たちはなんて可愛いカップルかと騒ぎ立てた。
そこからこういう場に来たら、ふたりでいることが増え……。様々なことがあり、本当に結婚してしまった私たちは、社交の場で『運命の赤い糸で結ばれた、相思相愛のお似合い夫婦』と言われている。
お互いのことを一途に愛し、結婚後も変わらずラブラブなんて羨ましいとよく言われているけれど……本当の私たちは違う。
結婚しておきながら、お互いに恋愛感情を抱いたことは一度もない。
たしかに昔から仲が良いし、なんでも言い合える気兼ねない関係だ。だけどそれが恋愛感情に変化しなかった。
それなのに周りは勝手に盛り上がり、結婚せざるを得ない状況に私たちは追い込まれていったんだ。
最上階に到着すると、蒼平はパーティールームのドアの前で一度足を止めた。
「今夜はうちの会社の大口の取引先である、娘さんの誕生パーティーなんだ。本当は父さんたちが出席する予定だったが、急に母さんが体調を崩したようで」
「え、お義母さん大丈夫なの?」
心配になり聞くと、蒼平は困ったように眉尻を下げた。
「あぁ。軽い風邪だ。本来なら父さんひとりで出席すればいいのに、母さんが心配だってさ。……いつものことだけど、自分の両親ながらいつまでも新婚気分でいるのは勘弁してほしい」
事実だからここは笑うしかない。
うちの両親も仲が良いほうだけれど、蒼平の両親には敵わない。今もこっちが目を瞑りたくなるほどラブラブなのだ。でも結婚して何十年経っても、変わらず互いを強く想い合えている関係は羨ましくもある。それはきっと、蒼平も同じはず。
だから私たちは昔、ある約束を交わしたんだ。
「そんなわけで今夜も頼むよ。……奥さん」
「わかりました。……旦那様」
彼の腕に自分の腕を絡ませ、パーティー会場に足を踏み入れればすぐに声をかけられた。
そこからは次々とたくさんの人と挨拶を交わしていく。蒼平の妻として。
幼い頃からこういった場に連れられていた私たちは、自分の立場を早くに理解した。
そして、将来のために色々なことを我慢してきた。両親が決めた進学校に通い、習い事をさせられ、友達と遊ぶ時間も奪われてきた。
だからといって両親を恨んでなどいない。多くのことを学ばせてもらい、たくさんの知識を身につけることができたから。
私も蒼平も、自由に恋愛して結婚できる未来を描いてはいなかった。だったらせめて幼なじみで、気心知れた者同士結婚したほうがマシという結論に至ったのだ。
でも、結婚が間近に迫った大学三年生の頃、友達から彼氏との幸せな話を聞くたびに、やっぱり恋愛くらい自由にしたいと思うようになった。
蒼平もまた両親のように、本気で好きな相手と結婚したいと思っていたようで、お互い同じ思いだということを知った私たちは、結婚する前にある約束を交わしたんだ。
自分たちが結婚することによって、両家の繋がりは強くなり、仕事にも大きな影響が及ぶ。なにより両親たちが私と蒼平の結婚を強く望んでいる。今さら結婚をナシにすることはできない。
しかし好きでもないのに、一生添い遂げるのはお互いつらいだけ。結婚したら次に子供を求められるはず。私も蒼平も、そういう行為に及ぶことを想像することさえ無理だった。
だから大学を卒業して結婚後、しばらく結婚生活を続け、二十八歳になったら性格の不一致や、子供ができないなど適当に理由をつけて離婚しようとなった。それからお互い自由に恋愛をして、本当に好きになった相手と結婚しようと。
五年以上結婚生活を続ければ、両親たちも納得するだろうし、業務提携してからそれだけ時間が経てば、会社同士の結びつきも強くなっているだろうから影響も少ないはず。
なによりお互い再出発するにもギリギリの年齢。
そんなこんなで、私たちはこの五年間、見せかけの夫婦生活を送ってきた。
外ではラブラブな夫婦を演じているが、寝室は当然別。友達とルームシェアをしている感覚だ。
家事はきっちり分担し、お互いの生活に干渉していない。些細なことで喧嘩をしながらも支え合い、なんだかんだうまくやってこられたと思う。
今のところ、誰にも愛し合っていない夫婦だと悟られていないもの。私も蒼平もなかなかの演技力を持っている。
なんてバカげたことを考えながら挨拶をしていくこと一時間。やっと人の波も途切れた。さすがは次期社長だ。
「疲れたな、なにか飲もうか」
「賛成。喉がカラカラ」
立食スタイルのパーティーとなっており、それぞれがバーカウンターから自由に飲み物を受け取るようになっている。
相変わらず腕を組んだままバーカウンターに向かっていると、再び声をかけられ足を止めた。
「やぁ、蒼平君。久しぶりだね」
「ご無沙汰しております」
丁寧に頭を下げる蒼平に続いて、私もまた頭を下げる。ふたりの会話を聞いていると、お義父さんの旧友のようだ。
一歩下がって話が終わるのを待っていると、男性がチラッと私を見る。そしてにこやかに笑いながらサラッと聞いてきた。
「そういえば蒼平君、結婚してけっこう経つよね? お子さんはまだなのかい?」
あぁ、またこの質問か。色々な夫婦のかたちがあるご時世だというのに、こういう不躾なことを聞かれることが度々ある。
そりゃ結婚したら私たちには、後継ぎ問題が圧し掛かってきた。でも残念ながら私と蒼平は愛し合っていない。結婚式で渋々誓いのキスだけはしたけれど、当然プラトニックな関係だ。それなのに子供を授かれるわけがない。
結婚後すぐに同じ質問をされた時は返答に困ったけど、五年も経てばうまく対処できるようになった。
すかさず蒼平は私の肩に腕を回して引き寄せ、密着してきた。
「えぇ、まだ妻とふたりっきりの時間を楽しみたいので」
はっきりとそう言うと、さすがの男性も顔を引きつらせ、それ以上追及してくることはなかった。
「やっと喉を潤おせるな」
男性が去っていくと、蒼平は疲れ切った声で言う。
「そうだね。……だけど本当、毎回こういう場所に顔を出したら、必ず一回は子供のことを聞かれるよね」
「あぁ」
そのままふたりでバーカウンターへ向かい、それぞれワインを受け取ると端に寄って乾杯をした。
「一通り挨拶は済ませたし、もう少ししたら帰ろう」
「了解」
ワインを一口飲み、会場内に目を向けた。
社交の場で、蒼平と仲睦まじい夫婦を演じるのもあと一年。彼と離婚したら、私は自由に生きると決めている。
蒼平と一緒に暮らすのも、あと一年だけ。そう思うとちょっぴり寂しさに襲われる。
もう蒼平は、私にとって家族のような存在になっているのかもしれない。きっと離婚後しばらくは、寂しくなっちゃうんだろうな。
そう思うとあと一年のこの生活を、大切にしたい。
そんなことを考えながらその後も蒼平と挨拶をして回って談笑し、頃合いを見て家路に着いた。
※この続きは製品版でお楽しみください。