【試し読み】傲慢CEOからセレブなお世話係に任命されました

作家:吉田行
イラスト:繭果あこ
レーベル:夢中文庫クリスタル
発売日:2017/11/14
販売価格:600円
あらすじ

お前みたいな女初めてだ、付き合ってくれ――都合のイイ妄想は〇・五秒で打ち砕かれた。そんなことあるわけないし、独り言を聞かれていたなんて恥ずかしい……。派遣社員の咲菜はCEOの明憲に憧れているが、成果を出せない自分では到底届かない人だと諦めてもいる。なのにまさか、彼の部屋の留守番を任されるなんて!頑張ろうと気合いを入れたのも束の間、恋人と旅行中の筈の彼が初日に帰宅するというハプニング。今しかチャンスがない咲菜は、思いきって素直な想いを明憲に告白する。初心な咲菜と経験豊富な明憲は恋愛観も生活パターンも違うが、いつしか明憲は献身的な咲菜の気持ちを心地良く感じ始め……咲菜の片想いは明憲に届くのか!?

登場人物
秋川咲菜(あきかわさな)
IT企業で派遣社員として勤務。密かに憧れを抱いていたCEOの明憲に留守番を頼まれる。
山路明憲(やまじあきのり)
甘いマスクをしているが傲慢で自信家。有名な読者モデルと付き合っているという噂も。
試し読み

1 CEOとインスタと私

 世間は甘くないと知った時にはもういい大人だった。
 秋川あきかわ咲菜さなは大学で英文学を学び、院まで行ったのにいざ仕事を探すとそんな経歴はまるで役に立たなかった。
 論文ばかり読んでいたのでリスニング力が弱く、TOEICの点数も低かった。英語関係の仕事に就きたかったが面接で落されまくって、咲菜は一旦就活をめた。
 しばらく勉強して英語力をブラッシュアップし、能力が生かせる仕事につきたい。
 しかし大学にも行かず家で勉強しているだけでは肩身が狭いし、もうお小遣いをもらう年でもない。目標点に到達するまで派遣で働くことにした。
 東武伊勢崎線の春日部に住んでいるので、通勤しやすい日比谷線で探したところ、六本木にあるIT企業に採用された。
(凄い、私が六本木に勤めるなんて)
 少し浮かれた気分で初出社した日、咲菜は周りの雰囲気に圧倒されてしまった。
 今急成長中の会社に勤める社員たちは男も女もキラキラしていた。特に女性の正社員は頭だけではなく顔も審査基準になっているのかと思うほど美人でお洒落だった。
 それに比べて派遣社員たちは平凡な制服を支給され、部屋の隅にあるオペレーションルームでひたすら入力する日々だった。
「なんであの人たちは毎日お洒落が出来るんでしょう?」
 同じ派遣で仲良くなった同僚に聞いてみた。
「そりゃあ、私たちよりお給料も高いし、親が金持ちなんじゃない?」
「あんな高いヒールで通勤出来るの凄いですね」
「皆近くに住んでるみたいよ」
「六本木に?!」
「そこまで近くないけど、代々木とか中目黒じゃない? 終電逃してタクシーで帰ることもあるようだから」
「はあ~」
 春日部から通っている自分からは夢のような話だった。
「六本木に住めたらいいですね」
 ぽつりとそんなことを漏らした咲菜に同僚がにやりとした。
「じゃあうちのCEOと付き合えばいいんじゃない?」
 とたんに咲菜の顔は赤くなる。
「馬鹿なこと言わないでください! そんなの無理に決まってるじゃないですか」
「だって秋川さんフリーなんでしょ? あたしは彼氏がいるから無理だけど。まあCEOなら乗り換えるけどね」
 今フリーどころか、実は彼氏いない歴=年齢の咲菜だったが、さすがにそんなことは告白出来ない。
「そもそもうちのCEO、恋人いるじゃないですか」
 咲菜はスマホを取り出し、インスタを開いた。フォローしているアカウントの中から一人を選び出す。
「ほら、昨日も会ってたみたい」
 それは有名な読者モデル、鳥山とりやまリリナのアカウントだった。若い華やかな女性向け雑誌に何度も載って、表紙を飾ったこともある。
 彼女のお洒落な私生活に憧れてインスタのフォロワーは何万人もいた。咲菜もその一人だ。
 だが、咲菜の目的はリリナのコーディネートやコスメ情報ではなかった。
 最新の更新は、薄暗いレストランで彼女が自撮りしている写真だった。片隅に男性の肩が映っている。ダークグレーのスーツだった。
 そこに映りこんでいる男性こそ咲菜の勤めるIT企業のトップ、山路やまじ明憲あきのりだった。
 彼は名門大学に通いながら会社を立ち上げ、卒業後二年で上場させたやり手だった。
 さらにその甘いマスクと百八十超えの身長で、一時期は様々なメディアに露出していた。
 最近は経営に集中するため露出は控えているが、鳥山リリナと付き合い始めたので彼女のインスタで動向を知ることが出来る。
(素敵だなあ)
 咲菜はリリナのインスタを上へスクロールした。古い記事に映っている二人の生活はまるでお伽噺だった。
 高級ブランドのパーティー、夜景を見下ろせるラウンジ、たまの海外はプライベートビーチでのリゾート。
 山路明憲ははっきり映ることはない、だがテーブル越しの大きな手や、窓に映りこんでいるシルエットで彼だと分かった。
 秋川咲菜は、密かに彼に憧れていた。
 もちろん身の程知らずだとは分かっている。だが派遣の初日、ビルの玄関ホールでコーヒーカップ片手に大股で歩く彼を見た途端、胸が痛くなってしまったのだ。
(なんて素敵な人なの)
 あんな人間が芸能人以外にいるなんて知らなかった。
 片思いですらなかった。だって、咲菜が一目ぼれした時にはすでにモデルの彼女がいたのだから。
 咲菜の願いはただ一つ、もう一度直に彼を見たい、出来れば直接話をしたかった。
(でも、無理だよね)
 最初友人三人で始めた会社は今や千人を超える企業に成長した。正社員ですら話したことのない人もいっぱいいるだろう。ましてや咲菜は派遣社員なのだ。
「派遣さん、ちょっとお願い」
 社員の一人に呼ばれて咲菜は慌てて駆け寄る。入れ替わりの多い派遣は名前で呼ばれない方が多かった。
(せめてもっとはっきり映ってくれないかなあ)
 咲菜はモデルのインスタを拡大した。どんなに画面を拡げても、あのハンサムな顔は出てこなかった。

「あーー疲れた」
 急な残業を命じられ、午後九時を過ぎても帰ることが出来ない。咲菜は制服姿に財布だけ持って六本木の街に出た。夜食を買うためである。
 コンビニでおにぎりを二つ買って帰る途中、ある店の前で足が止まった。
(綺麗だなあ)
 それは路面に店を構える大きな花屋だった。六本木という土地柄なのか蘭の鉢がずらりと並び、店の奥には大輪の薔薇が色とりどり揃っている。
(たった一つの花、か)
 咲菜は有名なアイドルの歌を思い浮かべた。あの歌詞ではどんな花にも価値はある、と言っていたけれど。
(そもそも花屋にいる時点で選ばれた存在なんだよね)
 表舞台で切磋琢磨するにも資格がいる、咲菜は今の会社に入ってようやくそれが分かった。
 自分みたいに六年間ただ自分の好きな勉強しかしてなかった人間とは違い、学生時代に必要な資格を取ったり留学して学位を取ったりしている人が大勢いた。
 花屋に並ぶのはそういう人だった。
 自分はいつの間にか畑から間引かれてしまったようだ。
(いけない、落ち込んじゃう)
 普段キラキラした女性社員を見ているとつい自分と比べてしまう。そんなことをしてもしょうがないのに。
(最近、TOEICの勉強もさぼっているなあ)
 落ち込んで俯いた爪先の前に、小さな鉢植えがいくつかあった。
 バーゲン品のミニバラだった。プラスチックの鉢は土で汚れ、もう花はあらかた散っている。
 咲菜はなんだか感傷的になった。
(こんな花でも、世話すればまた咲くよね)
 値段はワンコイン程度だった。普段ランチはお弁当で節約している咲菜にとって安いわけではなかったが、このくらいの気分転換は必要だ。黄色の花が一つだけついている鉢を手に取って咲菜は店の中に入った。

 残業している咲菜の隣に黄色の薔薇がある。それだけでなんだか嬉しかった。
「帰ったら庭に植えてあげるからね」
 春日部の駅から遠く、通勤には疲れる実家だったが庭だけはある程度の広さがあった。
 ようやく仕事が終わったのは十一時近くだ。着替えるためロッカーに行こうとしたが、鉢植えの土を見ると少し乾いている。
「お水上げようね」
 カフェルームで水道の水を掌に掬い、水滴を優しく土に落とした。水気を与えられた花や葉がなんだか喜んでいるよう。
「美味しい? アスファルトの上は熱かったでしょう。こんな小さな鉢なのに可哀想だね」
 いつの間にか咲菜はバラに向かって話しかけていた。
「あなたはどこから来たの? どうやって六本木まで来たの? この近くの人に買われればお洒落なマンションで花を咲かせたかもね。ごめんね、私が買ったばかりに春日部になっちゃって。でも春日部いいところだよ。お尻を出した幼稚園児マンガで有名だけど、それだけじゃないの」
 何故だか口が止まらない。普段会社では無口なほうなのに。
「庭に植え替えたらたっぷり肥料をあげる。きっと枝が伸びて沢山花が咲くね。どのくらい伸びるかな?」
 その時、不意に人の気配を感じて咲菜は慌てて振り返った。そして、信じられないものを見た。
 カフェルームの入り口に、あの山路明憲が立っていたのだ。
「ひぃえ……!」
 咲菜は声にならない声を出して後ずさりした。
 まさか、こんな時に憧れの彼と会うなんて!
(今の馬鹿な言葉、聞かれていた?!)
 顔の表面が焼けるように熱くなった。よりによって、憧れていた人にこんなところを目撃されるとは。
 咲菜の慌てっぷりとは裏腹に、山路明憲は落ち着き払ってカフェルームのコーヒーサーバーから自分のサーモマグにコーヒーを入れていた。
(信じられない、こんな近くで見られるなんて)
 間近で見る彼は想像よりもずっと格好良かった。足はびっくりするくらい長くて細く、それでいてスーツの肩はがっしりしている。
 なにより、その横顔の繊細さはどうだろう。まるで美人女優のような細い鼻筋だった。
(残業していてよかった、神様は見ていてくれたんだ)
 気持ちが落ち着いてくるとこんな嬉しいことはない。大恥をかいたことを差し引いても大ラッキーだ。
 山路明憲はマグの蓋を閉めると一口飲んで息をついた。その姿もまるで映画のよう。
(この世にこんな素敵な人がいる)
 咲菜は自分の気持ちを隠すことも忘れ、彼のことをうっとりと眺めていた。
 だが、それは不意に訪れた。
「ミニバラはそれほど枝は伸びない」
 その声は──信じられなかったが──まぎれもなく目の前の山路明憲が発していた。
「は、はっ?」
「ミニバラはもともと背が低い、地植えしても大きくならないし、枝を伸ばしっぱなしでは碌に花がつかないぞ」
(さっきの話、聞かれていたんだ!)
 ということを理解するのにしばらくかかった。彼は咲菜がさっきミニバラに話しかけた内容について話しているのだ。
「あ、あ、そう、なんですね……ミニバラはミニなんですね、ミニだから、大きくならないんですねっ」
 自分でもなにを言っているのか分からない、咲菜は汗をかきながら必死で答えた。
(私、あの山路明憲と話している!!)
 頭の九十パーセントはそのことで占められていた。
 その雰囲気が伝わったのか、彼は横目で咲菜を見るとほんの少し笑った。
(わ、笑った……!)
 そのことが死ぬほど嬉しかった。自分のドジを笑われても、それで彼の笑顔が見られるならなんでもない。全然おつりがくる。
(なんて素敵な人だろう)
 彼の笑顔につられて咲菜も思わず微笑んだ。山路明憲はマグを持ってこちらへ近づいてくる。
(え? え? なに?)
 まさか、今自分に一目ぼれした──ほんの〇・五秒の間にそんな妄想が脳内で繰り広げられた。
(お前みたいな女、初めてだよ、付き合ってくれ──)
「お前、うちの派遣社員か」
 だがもちろんCEOの口からはそんなロマンティックなセリフは出てこなかった。
「は、はい、そうです」
「春日部に住んでいるのか」
 やっぱりさっきのセリフは全部聞かれていた──咲菜は真っ赤になりながら頷いた。
「はい……」
「結婚しているのか?」
 頭をぶんぶん振って否定する。
「してません、実家です」
「恋人は?」
「いません!」
 山路明憲は自分をじっと見ている。いったいなにを考えているんだろう。
「じゃあ、暇か?」
 よく分からなかったが、とりあえず咲菜は首を上下に振った。TOEICの勉強はあるが、それ以外は自由の身だった。
「特に予定はありません、なにか……」
 思い切って山路明憲の顔を正面から見る。大きな瞳はまるでアイドルのようだ。とても千人の人を束ねるCEOには見えない。
「明日から一週間、留守番をしてくれないか」
 咲菜はその言葉の意味を一生懸命考えた。
「えーと、会社に泊まり込むということですか?」
 その返事に彼は思わず噴き出した。
「馬鹿、なんで会社の留守番が必要なんだよ。警備員もセキュリティも揃っているだろう」
 最新ビルに入っている会社は、確かに警備の面でも万全だった。咲菜はまた顔が赤くなった。
「じ、じゃあどこなんですか?」
「俺の部屋」
 その言葉に咲菜は頭が真っ白になった。
「は? は? な、なんで?」
「実は、来週の月曜から一週間、急に旅行に行くことになった」
「はあ」
 急な出張なのか、だがどうして自分が留守番を?
「実は最近家に植物を増やして、その面倒を頼める人間がいないんだ。お前、一週間泊まり込んで留守中世話をしてくれるか?」
「あ、あの、山路さんのお家って」
 普段から彼の動向に注目している咲菜は、もちろん彼の家を知っている。会社の入っている高層ビルの隣、六本木の高級レジデンスだった。
「どうだ? もちろん留守中部屋は自由に使っていいぞ。電気や水道を節約しろなんてけちなことは言わない。まあ友人を招いてパーティーはやめて欲しいが」
「そ、そんなことしません!」
 咲菜は思わずちょっと飛び上がった。
「やります! やらせてください、しっかりお世話します!」
 一度でいいから直接話したいと思っていた憧れの山路明憲から頼みごとをされるなんて、夢のようだった。
「よし、決まりだ。じゃあ行こうか」
「どこへですか?」
「俺の部屋だよ。世話の仕方を説明するから一度で覚えてくれよ」
「へえっ!」
 変な声を出してしまった。話すだけでも緊張するのに彼の部屋にいくなんて──咲菜は彼の後をよろよろしながらついていった。

※この続きは製品版でお楽しみください。

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