【試し読み】癒やし系社長の無自覚な溺愛~目覚まし係、時々、抱き枕~
あらすじ
実家の飲食店経営を助けるため昼も夜も働いている朱里は、仕事終わりに軽く休もうと入った会社の仮眠室で、社長の桐士に寝ぼけたまま抱き締められる。いつも明るく、年齢問わず社員から慕われている彼には、実は寝起きが悪いという意外な素顔が。そのせいで眠れていないと限界を訴える桐士に「寝起きを管理してほしい」とお願いされ、彼の〝目覚まし係〟として同居することになる。それからの朱里は甘やかされたり、寝ぼけた彼に時々抱き枕にされたり、翻弄されていく。しかし桐士は、もどかしい距離感を保ち、決して一線を越えてくることはなくて……。
登場人物
派遣とアルバイトを兼業し、忙しい日々を送る。残業後にこっそり利用した仮眠室で社長が寝ている所に遭遇。
大人気のイケメン社長。秘書にもバレずにいた寝起きの悪さを朱里に知られ、自分の寝起き管理を依頼する。
試し読み
第一章 社長の弱点
午後だけで舟をこいだのは三回、ガクンと頭が落ちて驚いてしまったのは二回。
こっそりあくびは数えきれないほど。
榎本朱里は決して不真面目というわけではない。むしろ真面目な類で、仕事はきっちりするほうだ。
これほど眠いのにはワケがある。
朝の九時から七時まで働いたあと、夜の九時から十二時まで働いていることによる単純な疲労と寝不足だ。
どうしてそんなことをしているのかと言うと、田舎の実家が経営している和食店の近所に大きなショッピングモールができたせいだ。
和食店の売上はガタ落ちで倒産寸前。
東京にいる朱里には金銭的な支援をすることしかできず、毎月の給料から仕送りをしている。派遣社員なので給料はそこそこ。自分の生活もあるので普段の給料から仕送りと生活費を差し引くと、ほとんど残らない状態だ。
副業しようかとも考えたが、残業の多いこの会社では夜の時間を長く使うことはできない。深夜のファミリーレストランでバイトするので精一杯だ。だからといって転職をするには覚悟と貯金が必要だと踏ん切りがつかない。
なので派遣社員として働きながら、夜に短時間のバイトをしている。
残業後に会社の仮眠室でひと眠りしてからバイトに行くのが日課だった。
今日ももちろん例に洩れず、仕事を終えるとまっすぐ仮眠室へ向かう。
「……どこ行ったんですかっ!」
仮眠室へ向かう途中の通路で、ばたばたと走り回る人とすれ違った。
確かあれは社長秘書の男性だ。
何度か社長と一緒にいるのを見かけたことがあるが、いつも冷静であんなに取り乱しているのは見たことがない。何か問題でもあったのかと気になったが、どうせ朱里には関係のないことだ。それよりもはやく眠りたくて仕方がない。
仮眠室のある会社でよかった。
本当なら夜通し作業をする人のために用意された部屋だが、利用者は滅多にいないのでこっそり使わせてもらっていた。
全部で五つある部屋は小部屋になっていて、使用中の場合は鍵をかけるようになっていた。なので開いていれば誰もいないということだ。
朱里は適当な部屋のドアを開け、中に入る。
中は二畳ほどの広さでベッドと物を置くスペースしかない。この狭さがまた眠ることに集中できる。
中に入った瞬間、いつもと違う風景に違和感を覚えつつももっこりと膨らんだ布団を持ち上げたその時。
「っ!」
びくんと肩が震えた。
布団を剥ぐと、まるまって眠っている男性がいた。
「びっくりしたあ……」
使用する場合は鍵がかかっているはずなので油断していた。いつもよりも膨らんだ布団も、たまたまそうなっていただけだと不思議に思わなかった。眠気で思考がぼんやりしていたせいだ。
眠っている男性は布団を剥いでも起きる気配がない。少し安心しつつ、布団を戻そうとした時気持ちよさそうに眠っている寝顔に視線を向けると、見覚えのある顔をしていた。
──もしかして、社長?
失礼だと思いつつも眠っている男性の顔をじっくり見つめる。
やっぱり何度見ても、彼は朱里が働くこの会社の社長、東雲桐士だ。
社内でも大人気の明るいイケメン社長。社長という立場なのに誰にでもフランクで偉そうではない。憧れている女性は多いし、人柄のおかげで男性からも慕われている。
社内でもよく見かけるので、冷静な秘書と明るい社長との対比が目立っていた。社長は良い意味で社長らしくなくキラキラしていて疲れている顔なんか見たことがない。
そんな彼の寝顔を見ることができるなんて、めずらしいところに遭遇したみたいだ。
先ほど社長秘書が慌てていた理由がなんとなくわかった。もしかして社長を探していたんじゃないだろうか。けれど朱里に教える義理はない。
見なかったことにしてそっと布団を戻そうとした。
「ひゃぁっ!」
急に手首を掴まれ、引き寄せられる。あまりの勢いで彼の身体の上に倒れ込んでしまった。しかもそれだけではなく、朱里の身体をぎゅっと抱きしめてきた。
「んん……」
「あ、あの社長……」
どうやら寝ぼけているらしく、呼んでも目を開く気配がない。起き上がろうにも彼に抱きしめられてしまっているため身動きがとれない。こうなったら社長に目を覚ましてもらうしかない。
「社長っ」
通路にいる誰かに聞かれてしまったら困るのでなるべく小声で、けれど社長に向けて声を発する。
「んん~~」
でも彼はなかなか起きてくれない。
こんなことをしていいかわからなかったけれど、今のこの状態のほうがまずい。朱里は思い切って社長の頬をぺちぺちと叩いた。すると社長はようやく眉間に皺を寄せて反応を示した。
「社長、社長!」
これはチャンスだと、朱里は何度も彼を呼ぶ。
「うーん……ん?」
すると社長は唸ったあと眩しそうに目を開いた。
「……社長、起きてください」
社長は目を開けたし朱里と目が合っているのに、固まっている。しばらくしてから目を見開いた。
「うわっ!」
彼は驚きの声を上げ、朱里を解放した。
ほっとしてベッドから降りるが、社長があまりに驚いているので逃げるわけにはいかなかった。
「あ、あの鍵が閉まってなかったので入ったら社長がいらっしゃいまして、部屋を出ようとしたら身体を掴まれて……決して襲い掛かったわけではありません!」
「ああ……うん……」
彼は寝起きだからか、まだぼんやりとしていて理解ができないみたいだ。ふわふわの髪をくしゃりとしながらゆらゆらしている。
「ええと……君は?」
「……はい、経理部の榎本朱里と申します」
「……榎本さん……。俺は東雲桐士といいます……」
「ふ、もちろん存じ上げております」
自社の社長の顔を知らないわけがない。しかも桐士のような有名人を。朱里は思わず笑みをこぼす。
「ああ、そうか……ごめん、寝ぼけてて……って!」
「きゃっ」
桐士はがばっと起き上がり、今まで以上に驚いた表情を見せていた。
起き上がった彼の深い茶色の髪は寝ぐせがところどころついていてふわふわのパーマが少しへたっている。スーツのワイシャツも皺があり、いつもの彼の姿とは思えないほどの姿だった。だからといってショックを受けることもない。むしろいつもが完璧すぎて気の抜けた姿に好感を持ったくらいだ。
「っ!」
しばらく彼の様子を見守っていたが、桐士は突然朱里の両肩を掴んだ。真正面から真剣な瞳で見つめられ、不覚にもドキリと胸が鳴った。寝起きでもかっこいい人はかっこいいものなのだとまじまじと見つめ返してしまう。
「榎本さん、っていったっけ」
「は、はい」
桐士があまりに真剣な顔をするので、朱里も同じように真剣に頷く。
「榎本さん。このことは……どうか秘密にしてほしい」
あまりに真剣な顔をしているのでどれほど重大な話かと思っていたら、朱里にとっては大したことのない話だった。
「仮眠室を使ってることをですか?」
「いや、そうじゃなくて……その、俺の寝起きが悪い、っていう」
「そういうことですか……」
「秘書にも知られてなかったのに……やってしまった……」
朱里の肩から手を離すと、今度は彼は自分の頭を抱えた。それほどまでショックを受けることか朱里にはわからなかった。社長の威厳というやつだろうか。桐士が寝ているところに朱里が入ってきてしまった、というだけの話では済まないらしい。
「そんな、私が勝手に入ってきたのが悪いんです!」
「いや鍵をかけてなかった俺が悪い……大事な社員に失態を見せてしまった」
「そんなことないです!」
朱里は首を大きく横に振る。すると社長は困ったように笑った。彼の事情も知らず軽率な反応だったかと朱里は身を縮こませた。
「……ところで榎本さんは仮眠しなくていいの?」
「あっ、バイトの時間……!」
咄嗟に時間を確認すると、余裕はあって安堵した。仮眠室に来て三十分も経っていないので当然なのについ焦ってしまった。
「バイト?」
「あ」
あまり知られたくなかったことなので朱里は口を両手で隠した。副業は禁止ではないけれど、仮眠室の本来の使用用途ではない。よりにもよって社長にバレてしまうなんて。
「……バイトの前に仮眠?」
「…………はい」
誤魔化す余裕のない朱里は正直に頷いた。
「も、申し訳ありません。本来の用途ではないのですが、あの、お金がないので夜バイトをしてて、寝る時間があまりなくて……」
朱里は言い訳をつらつらと並べ立てる。自然と手を握りもじもじと動かす。
「お金がないってどうして?」
「……」
ここまでバレてしまったら嘘を吐く理由もない。むしろ正直に話してしまったほうが許してもらえる可能性もある。
朱里は家の事情を正直に話すしかなかった。
「……そういうことか、大変だね。派遣さんの待遇も考えないといけないな……」
「いえ! 私個人の問題ですので……申し訳ありません」
「いや謝る必要はないよ」
そう言いつつも桐士は険しい表情をしていた。なにか言われるのかビクビクしつつ待っていたが彼は唇に指の節を当てて深く考え込んでしまった。朱里の処分でも考えているのかとはやく逃げ出したくなった。
「あの、では私はこれで……」
この場を離れようとすると、桐士がハッとして朱里を見つめる。声をかけずに逃げればよかった、と後悔した。
「……ちょっとした提案があるんだけど」
彼は真剣な表情のまま朱里を上目遣いで見つめる。
「は、はい」
朱里は緊張気味に姿勢を正した。
「俺と一緒に暮らさない?」
「……え?」
突然何を言われたのか頭で理解できず聞き返した。すると真剣な顔をしていた桐士は自分の発言にようやく気づいたみたいだった。
「あ、いや変な意味じゃなくて!」
両手を大きく振り慌てている。朱里は呆気に取られたままだ。
「ごめん説明が先だ。えーと、よければ座って」
「は、はい……」
朱里は言われた通り、ベッドの端に腰を下ろした。先ほどよりも彼との距離が近くなって、あのキラキラした社長とこんなに近くで話しているのが不思議だった。
「俺の寝起きが悪いことは、君しか知らないんだ」
「……はい」
「だから、俺の寝起きを管理してほしい」
「と、言うと……?」
具体的には何をすればいいのか想像がつかない。
「特に朝、なかなか起きられなくてずっと困ってたんだ。朝は起きられないからあえて寝ずに会社に来て、たまにここで寝たりして。社長室で寝ると秘書にバレるし、ここでこっそりとさ。だけどまた今日みたいなことがあるかもしれないし、本当はちゃんとした睡眠生活を送りたいとは思ってたんだ」
真剣な表情と、切羽詰まったような苦しさも感じた。彼は本当に悩んでいるのだと同情心も芽生えてくる。そこまでの表情を見せる彼のことが気になった。
「でも、どうしてそんなに知られたくないんですか?」
「一応、社長としてっていうか……カッコ悪いだろ?」
「そんなことないと思いますけど……」
朱里からしたらそんなことで社長の評価が下がったりはしない。社員とのコミュニケーションを大事にして、社員のことをよく考えてくれる社長のことは尊敬している。そんな社長がいるこの会社にこそ貢献したいと、きっとたくさんの社員が思っているはずだ。
「だから、カッコ悪い俺を知ってしまった榎本さんには多少の責任があると思うんだ」
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