【試し読み】溺愛御曹司の極上な独占欲
あらすじ
大手電機メーカーの営業事務の未華子。自社製品を熟知している彼女は、厳しいと評判のイケメン副社長・湯浅の専属秘書に突然抜擢される。実際は思いやりもユーモアもある魅力的な上司だった湯浅。いつの間にか惹かれてしまった未華子は、彼が政略結婚をすると聞き、勢いに任せて最初で最後の夜を懇願する――。今だけは私を愛してほしい。そんな願いを胸に、一度きりの夜、いつもなら言えないお願いを口にしてあこがれの湯浅を強く求める未華子。「冷静にならないと、未華子を壊してしまいそうだ」彼女に煽られ甘美な熱をまとった湯浅に、甘く蕩かされて……。
登場人物
大手電機メーカーの営業事務。自社製品への深い知識を買われ副社長の専属秘書に抜擢される。
長身のイケメン副社長。自社を思うがゆえに厳しい発言が多く、冷酷だと噂されることも。
試し読み
副社長は機械オタクでした
大手電機メーカー『ユアサエンジニア』の御曹司で副社長の湯浅征士さんと初めて会話を交わしたのは、大学を卒業して三年、営業事務として働いていた春先のことだった。
ユアサエンジニアは家電を得意とするメーカーで家電量販店との取引が大半を占めるが、最近では産業用ロボットの分野にも進出しており業績を大きく伸ばしている。
営業マンに忘れ物の書類を会社の玄関まで持ってくるように頼まれて届けると、スーッと横付けされた黒い高級車から降りてきたのが彼だった。
この本社ビルは、徳永という著名な建築家が手がけている。まるでホテルのようなエントランスは、シンプルなのにどこかホッとするような温かい雰囲気もあって、私のお気に入りの場所だ。
秘書となにやら真剣に話しながらそのエントランスに入ってきた副社長の湯浅さんはたしか三十一歳で、背が高くしかも整った容姿を持っていることから、女子社員の噂の的になっている。
彼は軽く頭を下げた私の横を、颯爽と通り抜けていく。
「で、SG─55とSG─55Sの違いってなんだっけ?」
湯浅さんが秘書に質問しているのを小耳に挟んだ。
家電は毎年のように新商品を発表し、しかも同じ商品でも仕様の違いでいくつも種類が存在する。家電量販店で一般的によく出るものから、数は出ないが必要な人がいる商品までそろえてある。
湯浅さんが口にしたのは、炊飯器の商品番号のはず。
「えーっと、すみません、すぐに調べます」
秘書はわからなかったようで答えられず焦った様子だ。
「あの……」
おせっかいかもしれないとも思ったが、私はふたりを呼び止めた。
「そのふたつは、一般家庭向けの炊飯器ですね。SG─55は先月発売になったばかりの五・五合炊きの新商品で、売れ筋です。それでふたつの違いなんですが、見た目はほぼ同じです。でも釜が違うんです」
「どう違うの?」
早口で話し始めると、湯浅さんは切れ長の目を丸くしながら質問してくる。
「はい。SG─55は鉄の釜。熱伝導率が高いので、栄養を逃さず早く炊けます。一方SG─55Sの最後のSは炭のS。手造りの炭釜が特徴で、遠赤効果で米の芯までじっくり熱を通しますので、むらがなくふっくらとしたご飯が炊けます」
「へぇ、釜か。今、量販店に視察に行ってきたんだけど、値段の違いに驚いてね。自社商品なのになにが違うのか知らないなんて副社長失格だ」
そのふたつは四万ほど差があるのが普通だが、たとえ高価でもこだわりのある人には炭釜が受けていて、それなりの数が出る。
「いえっ。副社長はそんな細かい仕様まで把握される必要はないかと」
毎年のように新商品が出ていて、営業ですら商品番号だけではピンとこない人もいる。私は書類を作成する機会が多いのと、ユアサエンジニアの商品が大好きで、新しいものが出るたびに個人的な趣味でパンフレットを隅々までチェックするからくわしいだけだ。
それに副社長の仕事は、会社間の取引が円滑にいくようにとか、新たな部品メーカーとの折衝とか、もっと会社の根幹にかかわる部分だろうため、炊飯器の違いを知る必要はない。
「いや、本来は知っておくべきだ。勉強不足だったよ」
副社長という会社のトップに近い人なのに、腰が低くて少し驚いた。
こんな下っ端の私にも反省の姿勢を見せるなんて意外すぎる。
「とんでもないです。突然余計なことを。失礼しました」
会釈をしてその場を離れようとすると「待って」と腕をつかんで止められた。
「森下未華子さん、ね。所属は営業部」
彼は私の首から下がる社員証を見てチェックしている。
「事務を担当しています」
「そう。優秀な社員がいてうれしいよ。これからもよろしく」
「はい」
今度こそ離れたものの、副社長に褒められるというなかなかない機会に遭遇して気分が上がる。
優しい人なんだ……。
会議では厳しい意見をぶつけるという噂を耳にしたことがあるので、クールで他人を寄せつけないような人物だと勝手に思い込んでいたけれど、まったく違って好印象だった。
それから一カ月。
ゴールデンウィーク明けに出社すると、部署がざわついていて首を傾げた。
「来た来た。森下さん!」
私よりふたつ先輩の男性営業マンがなぜか興奮気味に私を呼んでいる。
「急ぎのお仕事ですか?」
「違うよ。これ、ほんと?」
「……は?」
彼が自分のパソコンの画面を指さすので覗き込むと、私の辞令が発表されている。
新人の初期研修が終わり各部署に配属になる頃なのでそれに伴い異動は発生するが、寝耳に水だった。
「あれ、知らなかった?」
「はい。そんな打診いただいてません」
とはいえ、雇われの身である以上突然の異動も珍しくはないのだけれど。
でも、異動先が秘書室となっていたので驚きが倍増したのだ。事務仕事はそれなりにできるようになってきたため他部署の事務に移るのならわかるけど、どうして秘書室?
「そうなの? だけどすごいじゃないか。秘書室って希望してもなかなか配置されないんだよ。実は英会話ができるとか?」
「いえ、まったく」
高校生英語から進化していないどころか、多分退化している。
「そっか。まあ、森下さんきれいだし、会社の顔として表に出る上層部のサポート役にピッタリかもね」
「とんでもない!」
私は表舞台が好きじゃないのに。
それに会社の顔なんて言われても、ピンとこない。化粧も最低限しかしていないし、胸のあたりまであるストレートの髪をいつもハーフアップにしているがパーマをかけた経験すらなく、華があるとはとても言い難い。服装もこの部の女子社員の中では地味なほうだと思う。
私のどこが秘書向きなの?
「森下さん、秘書室だって?」
別の五つ年上の男性社員も話しかけてくる。
「そうみたいです」
「こんなことならアタックしておけばよかったなぁ。って、俺じゃあ無理だな」
自嘲気味に笑う彼が、「頑張ってね」と声をかけてくれたのであいまいにうなずいておいた。
俺じゃあ無理って……。大学卒業と同時に当時の彼とは別れてしまい、それから誰とも付き合っていないどころか、告白すらされていない。
それなのに、なぜか彼氏をとっかえひっかえしているなんて噂されたこともある。
合コン三昧という同僚もいるが、私は知らない人と盛り上がるスキルを持ち合わせてはいないので、たとえ誘われても断っているし。
あっ、そうか。断るから彼氏がいると思われているのか……。
今さらながらに気がついてハッとした。
部長の顔がまだ見えないので、異動についての確認をしようがない。とりあえず自分のデスクにバッグを置き、コーヒーを淹れようと給湯室に向かうとひそひそ話が聞こえてきた。
「……あの人、派手さはないけど清楚な感じを醸し出してるもんね」
「そうそう。秘書室勤務を狙って猫被ってたんじゃない? したたかよね。まあ、秘書なんて役員のうしろでにっこり愛想笑いしてるだけのお飾りでしょ? 別にすごいスキルがあるわけじゃないし」
あ、私の話だ……。
すぐに気がついて足が止まった。
普通に生活しているだけなのに、したたかと言われても困る。
仕事はたしかになんでもそこそここなせるようにはなったけど、特に秀でている能力があるわけではない。秘書室に抜擢された私が一番驚いているのだし。
でも、これでも一生懸命仕事をこなしてきたつもりだ。ほかの事務職の人たちは定時ぴったりに席を立つが、営業が得意先の都合でそうもいかないのを知っているので、一応すべての営業の人たちから連絡が入るまでは会社に残っているようにしている。
待っている間、別の人の仕事になるはずの書類を片づけたりもしたんだけどな。
「役員の誰かに媚び売ったんじゃないの? 枕営業じゃないけどさ」
腹立たしい勘違いに、きつく拳を握る。
そんなことは断じてしてない。役員で話した経験があるのは、偶然すれ違った副社長くらいだし。
お飾りなんかにはならないんだから!
私は心の中で反発しながらそっとその場を離れた。
異動は間違いではなく、仕事の引継ぎを簡単に済ませて、翌日の午後には秘書室に顔を出すという急展開。
室長は五十代半ばの太田さんという男性で、主に社長をサポートしているらしい。ほかの秘書は出払っているようで姿がない。
「森下さんだね。待ってたよ」
営業事務の同僚女性からさんざん悪口を叩かれたので、笑顔で迎えられてホッとした。
「初めまして。森下未華子です。どうぞよろしくお願いします」
「こちらこそ。とても優秀な人だと聞いているから、楽しみにしているよ」
えっ、誰に?
「いえ、どうして秘書室に呼ばれたのかわかっていなくて……」
正直に話すと、ドアが開いて副社長の湯浅さんが顔を出した。
「おっ、来た来た」
彼は人懐こい笑顔で近づいてくる。やはり冷酷な人だというのは単なる噂だ。
「森下です。秘書室勤務を命じられました。どうぞよろしくお願いします」
深々と腰を折る。
「うん、よろしく。早速だけど、ちょっと書類の整理を手伝ってくれる?」
いきなり?
秘書の業務がどんなものなのかも理解していないのに。でも、室長と私しかいないのだからやるしかないのかと「はい」と答えた。
「森下さんには副社長の専属秘書を務めてもらうので、まずは慣れて。しばらくはほかの者にもサポートさせるから」
太田さんに微笑まれたが、私は目が飛び出しそうだった。
しばらくはということは、その期間を終えたら私ひとりで担当するの?
「私が副社長の秘書ですか?」
それはさすがに荷が重いのでは?
「俺が希望したんだ。なんか問題ある?」
「えっ、いえっ」
社内で上から数えて二番目の地位にいる湯浅さんにそう言われて、問題あります! なんて返せるわけがない。
冷や汗をかきながらも答えると「こっち」と誘導されてついていかざるを得なくなった。
長い脚をスタスタと動かして重役フロアの廊下を颯爽と歩く湯浅さんの姿は、とても三十一歳には見えないほど堂々としている。玄関で偶然会話を交わしていなければ、緊張で委縮していたに違いない。
「ここ。どうぞ」
彼は副社長室のドアを開けて入っていく。私も続くと、大きな窓のある広い部屋には彼のデスク。そしてソファとローテーブルが置かれていた。
ここまでは想定内なのだが……。
私の目がくぎづけになったのは、片隅にあるテーブルの上にごちゃごちゃと山積みされている部品の数々。……あれはなに?
「さっき書類ケースをひっくり返してしまって。決裁済みとそうでないものを分けて──」
湯浅さんは話している途中で私が彼のほうを見ていないのに気づいたらしく、歩み寄ってきた。
「それ、触らないようにしてくれる?」
「なんですか、これ」
「これから組み立てるためのパソコンのパーツ。ひとつ足りないものがあって取り寄せ中なんだ」
「組み立てる?」
ユアサエンジニアは家電を得意としているが、一部パソコンも製造している。だから自分で組み立てなくても、いくらでも最上級の機種が手に入るはずだ。
「そう。俺、機械好きで、幼い頃に家中の家電を分解しては母さんに叱られてた」
「え!」
そりゃあ、叱られるのも無理はない。使おうと思った炊飯器が分解されていたらすごく困るもの。
「大学時代は、ぼろぼろの中古車を買って、エンジンルームの部品を全部新しくして乗ってたな」
彼は楽しそうに頬を緩める。
ユアサエンジニアの御曹司ならば、高級車の一台や二台持っていてもおかしくないのに、ぼろぼろの中古車とは。よほどエンジンルームをいじりたかったに違いない。
「すごいんですね。私は最近の家電の進化に目を丸くしていますけど、自分で組み立てようとか分解してみようとか考えたこともありません」
「普通だよ、それが」
彼はおかしそうに白い歯を見せる。
「すみません、仕事ですね」
「あぁ、そう。ここの書類お願い」
私は逸れた話を元に戻し、早速仕事を始めた。
それから十五分。すべての書類の分類を終えると、湯浅さんは難しい顔をしてデスクの上のパソコンの画面を覗き込んでいた。
「どうかされましたか?」
「さっき、外出していたから出席できなかった会議があって。その資料をチェックしてたんだけど」
私も画面を見つめる。
「CV12LH。自動車メーカーから開発を依頼された産業用ロボットですね」
「さすがだ。品番、全部頭に入ってるの?」
湯浅さんに目を丸くされた。
「大体は。得意先から電話を取ったときにすぐにわかったほうが便利ですし」
「でも、事務職の人全員、知ってるわけじゃないよね」
「まあ……」
主力商品や新商品はよく使うので覚えている人もいるが、それ以外は検索するか私に尋ねてくるケースが多かった。
「それで、こちらがどうかされたのですか?」
「納品まであと一カ月なんだけど、順調に開発が進んでいたのに、ここに来てとあるメーカーのネジに不良があってそれ以上の品質のものができないらしい。それで代替品を探しているんだが、急すぎてどこの下請けからも製造を断られていると」
たしかにたったネジひとつだと侮れない。数ミリの切削の差でその機械がダメになる例すらあるという。
「納品を遅らせることが決定したって。なんの会議だよ、これ。こんな会議をしている暇があったら、ギリギリまで走り回って工場を探せよ」
彼は怒りをあらわにする。
湯浅さんの言葉は間違っていない。仕事を遅らせる会議なんて必要ない。どうするか知恵を絞るべきなのに。
※この続きは製品版でお楽しみください。