【試し読み】片恋センチメント クールな彼の甘い戯れ
あらすじ
大学四年の楓は就職活動中だが、内定がひとつも取れず焦りをおぼえる日々。そんな中、先に内定をもらった彼氏の浮気が発覚。おまけにアパートの上階のボヤが原因で部屋が水浸しになり、やむなく伯母が所有する単身者用マンションに引っ越した。そこで出会ったwebデザイナーの永江は優しげな雰囲気の草食系、楓は彼に好感を抱く。しかし実際の永江はクールでSっ気のある意地悪な性格の持ち主だった。外見と中身のギャップに翻弄されつつも、素の彼に心惹かれた楓は永江に告白するが、思わぬ断り方をされて──。素直だが猪突猛進な性格の女子大生が、見た目穏やかなのに中身はクールな大人の男性に翻弄させられるラブストーリー。
登場人物
就活中の大学四年生。彼氏の浮気発覚&部屋が水浸しになるという不運が重なり、引っ越すことに。
webデザイナー。優し気な外見とはうらはらに中身はSっ気があり、冷淡な言動をすることも。
試し読み
*プロローグ
テーブルの上に置いたスマートフォンを、一心に見つめる。
時刻はあと二分で、午後四時になろうとしていた。高梨楓はディスプレイを見つめ、強く念じる。
(鳴りますように……今回は絶対鳴るはず……!)
先日受けたのは、建設会社の総合事務職だ。エントリーシートの提出と書類選考、そして一次試験をクリアし、最終面接まで終えた楓は確かな手ごたえを感じていた。結果は採用者のみ、本日午後四時までに電話連絡となっている。
これ以上ないほどの念を込めていたそのとき、突然玄関のチャイムが鳴り響いた。ビクッと肩を揺らした楓は、立ち上がって玄関に向かう。
「はい」
「宅配便でーす」
数日前、ネット通販で頼んだコンタクトレンズが届いていた。箱を受け取り、伝票にサインをしてリビングに戻る。急いでスマートフォンを見ると、四時を一分ほど過ぎていた。画面に着信を示すメッセージはなく、楓はため息をつきながら床に倒れ込む。
(……また落ちちゃった)
本当はもう、結果はわかっていた。採用の場合、だいたい最終面接の三日後には連絡がくるものだという。要は「この日までに連絡します」という期日ギリギリにくるのは、ほぼありえないということだ。
それでも一縷の望みを抱き、待っていた結果がこれだった。
(あーあ、もう何回目だろ……)
大学四年生の楓は、現在就職活動の真っ只中だ。
大学の人文学部で文化人類学を学ぶ楓は、当初公務員を目指して勉強していて、ゆくゆくは社会教育主事の資格を取りたいと考えていた。運よく一次試験を突破し、楓は八月の上旬に二次試験を受けた。
周りの友人たちは精力的にいろいろな会社の面接を受けており、既に内定をもらっている者も何人もいる。そうした周りに流されるように、楓は公務員試験の勉強をしつつ民間企業を何社か受けたものの、やはり気合いが足りなかったせいか受けた会社はすべて落ちた。
そして八月中旬、公務員試験の最終合格発表の日、合格者の中に自分の受験番号がないのを知った楓は呆然とした。しばらく何も手に付かないほどショックだったが、どうにか頭を切り替え、秋採用の就活に力を入れて今に至る。
むくりと起き上がった楓は、テーブルの上に散らかる紙を見つめた。一体何社分、こうしてエントリーシートを書いただろう。金融系、食品系、ベンチャー系など、あらゆる分野の会社に片っ端からエントリーしたものの、そのいずれからも内定をもらえていない。
今回は最終面接までいって落ちた分、エントリーシートやWeb筆記試験で落とされるよりも、格段にダメージが大きかった。
(もう駄目。……心折れそう)
暦はもう、九月の末になっている。
卓上カレンダーには、びっしりとエントリーの締め切りや面接の予定などが書き込まれていた。「もしこのまま、どこからも内定がもらえなかったら」と考え、楓は暗澹たる気持ちになる。
(就職留年、とか……?)
チラリとそんな考えが頭をよぎるが、親が許すとはとても思えない。ならばこの秋採用、もしくは冬採用で、どこかしらに内定をもらわなくてはならないということだ。
最初こそ大手企業ばかりを選んでエントリーしていたが、落ち続けている現在は、分野を問わず中小企業なども受けている。おかげで志望の動機を考えるのも一苦労だった。
(あ、やばい。バイト行かなくちゃ)
四時半から居酒屋のアルバイトがあるのを思い出し、楓は急いで立ち上がって準備をする。
就活中の今は、コールセンター勤務と居酒屋のアルバイトを、週四回入れていた。居酒屋は賄いが出るため、食費を浮かせる意味で絶対にはずせない。
ふと見回すと、八畳のリビングは足の踏み場もないほど散らかっていた。「帰ってきたら片づけよう」と思いつつ、荒れた室内から目をそらし、楓は身支度をして部屋を出た。
平日の午前、大学の構内は私服姿の学部生の他、リクルートスーツの就活生もちらほら見える。
就職課で相談員との面談を終えた楓は、スマートフォンを手に廊下を歩いていた。
(祐樹から返事がないけど、まだ寝てるのかなー……)
杉森祐樹は、つきあって一年ほどになる楓の交際相手だ。彼は楓が公務員試験に落ちたのと同じ頃に国内自動車メーカーの内定をもらい、来週内定式に出席する予定だという。
就活を終えた祐樹はアルバイトや遊びに勤しみ、二月に行われる内定者研修までのあいだ、自由な時間を満喫するつもりらしい。
そんな祐樹と楓を取り巻く状況は、正反対といっていい。早々に内定をもらった彼に対し、楓はまだひとつももらえずに毎日就活に奔走している。
そうした立場の違いから、最近の二人の間には徐々に温度差が生まれつつあった。今朝送ったメッセージに既読がつかないのも、きっと家で寝ているせいだ──そう思うと、妬みに似た気持ちが湧いてモヤモヤする。
(あー、やだやだ。こういう卑屈な考え、持ちたくないのに……)
スマートフォンを閉じて顔を上げた瞬間、廊下の向こうから「楓ー」と呼ばれた。
「あ、さーちゃん、おはよう」
「おはようじゃないよ。あんた、そんな呑気な顔して」
声をかけてきたのは、友人の藤村早知子だ。彼女は大手下着メーカーの内定をもらい、今は卒業までのあいだのインターンシップ先を探している。
早知子は突然楓の腕をつかみ、少し声をひそめて言った。
「あんたさ、今日彼氏と何か話した?」
「えっ? 朝メッセージ送ったけど、まだ既読ついてない……」
「あいつ今、カフェテリアにいたよ。ちょっと私と一緒に行こ」
驚く楓を引っ張り、早知子は学内のカフェテリアに向かう。そこには派手な容姿の女の子と一緒にいる、祐樹の姿があった。
(何で……)
彼は四人掛けのテーブルに、女の子と並んで座っている。二人は肩を寄せ合い、何やら楽しそうに話し込んでいた。その距離感はただの友人ではありえないもので、楓は動揺して早知子を見る。
「さ、さーちゃん……あれ、どういうことだろ」
「どういうも何も、見たまんまでしょ。あんた、彼女らしくビシッと問い質してきな」
「えっ」
「早く」
早知子に急かされ、楓は二人の元に向かう。ひどく緊張しながらテーブルのそばまで行くと、気配に気づいた祐樹が顔を上げ、ギクッとした顔をした。
「か、楓、何でここに」
「何してるの……祐樹。メッセージ送っても既読つかないし」
「えっ、め、メッセージ? ──わ、充電切れてる」
慌ててバッグからスマートフォンを取り出した祐樹は、画面を見て赤くなったり青くなったりしている。どうやら充電が切れていてメッセージがきているのに気づかず、「どうせ楓は、就活で大学に来ないだろう」と高をくくり、女の子といちゃついていたらしい。
「ねえ、隣の子、誰?」
楓の問いかけに、祐樹が何か答えようとする。しかし隣にいた彼女が強い口調で「ゆうくん、私が話すから」と彼を遮り、勝気な眼差しで楓を見上げた。
「高梨先輩ですよね? 私、人文三年の上田陽菜っていいます。単刀直入に言いますけど、ゆうくんと別れてくれませんか」
「わ、別れるって」
それよりまず「ゆうくん」呼びについて突っ込みたい気がしたが、陽菜の言葉は止まらない。
「てゆーか最近、全然ゆうくんと会ってませんでしたよね? 先輩、就活で忙しくて自分のことばっかりで、彼を放置してるって聞きました。もうとっくに就職先が決まってるゆうくんと内定ゼロの先輩、まったく釣り合ってないと思うんですけど」
「……っ」
(何でこの子が……わたしが内定ゼロなのを知ってるの)
考えるまでもない。彼女に喋ったのは、祐樹だ。
楓がムッとして祐樹に目を向けると、彼は気まずそうな表情をする。そしてボソボソと言った。
「あー、何ていうか……まあ概ね、この子の言ったとおりだよ。楓、面接やらバイトばっかで、他はどうでもよさそうだったし」
「そんなことない。わたしは……っ」
カッと頭に血が上り、楓は咄嗟に言い返そうとする。しかしその瞬間、陽菜がこれ見よがしに祐樹の腕にぎゅっとしがみつくのが見え、言葉をのみ込んだ。
(何か……馬鹿みたい)
今さら自分が何を言っても、この二人は既に出来上がってしまっている。そう思うと、何ともいえない虚しさをおぼえた。
楓の脳裏に、これまでの祐樹との時間が去来する。大学三年のとき、たまたま単発のアルバイトが一緒になった祐樹は可愛い雰囲気の男子で、いつもニコニコしている愛想の良さとノリのいい性格が魅力的だった。些細な喧嘩は何度もしたものの、互いにのほほんとした楓と祐樹は基本的に仲が良く、これまで別れ話などに発展したことは一度もない。
そんな二人の間に少しずつ隙間風が吹き始めたのは、就職活動を始めてからだ。先に有名企業の内定をもらって以降、祐樹は何かと楓を見下すような態度を取ることが多くなった。
だから遅かれ早かれ、こうなるのは予測ができた。そう理解しつつも、やはり裏切りを目の当たりにすると怒りがこみ上げ、楓はぎゅっと強く拳を握る。
やがて顔を上げた楓は、祐樹を見つめて押し殺した声で言った。
「──勝手にしたら」
「…………」
「ちゃんと別れ話もせずに次にいくような人、こっちから願い下げだよ。当たり前みたいな顔してその子と一緒にいるけど、祐樹がやってるのって立派な浮気だよね。一体いつわたしと別れたつもり?」
「……それは」
「前は『浮気するくらいなら、ちゃんと別れてからにするべきだよな』とか偉そうに言ってたくせに。祐樹がそんな人間だとは思わなかったけど、今わかってラッキーだったって考えることにする。せいぜいその子と仲良くやれば?」
楓は泣きたい気持ちをぐっとこらえ、踵を返してカフェテリアを出る。入り口で待っていた早知子が楓と一緒に歩き出しながら、チラリと後ろを見て言った。
「よりによって、あんなにケバくてあんたと正反対の子を選ぶとはねー。あいつ、就職が決まってはっちゃけちゃったのかな?」
「……さーちゃん、わたし、毅然としてた……?」
「うんうん、立派だったよ」
じわじわと悔しさがこみ上げ、目に涙がにじむ。
確かに最近、祐樹とは温度差を感じていた。可愛い雰囲気で服装もおしゃれな彼が、それなりに異性にもてることも知っている。
(何でわたしと別れてからにしないの? 何で内定をもらってないのを、よりによって浮気相手なんかに馬鹿にされなきゃいけないの……?)
そのときバッグの中でスマートフォンが鳴り、楓は取り出してディスプレイを見る。表示されているのは知らない番号で、「誰だろう」と思いながら電話に出た。
「はい、高梨です。……そうですけど……えっ?」
立ち止まり、突然大きな声を出した楓を、早知子が不思議そうに見てくる。数分言葉を交わし、やがて通話を切った楓は、呆然としながらポツリと言った。
「さーちゃん、どうしよう……うちのアパートが燃えちゃったみたい」
「へっ?」
「今の電話、アパートの大家さんから。わたしの真上の部屋から火が出て、消防車が来たんだって。もう火は消し止められたんだけど、わたしの部屋……水浸しになってるって」
※この続きは製品版でお楽しみください。