【試し読み】玉砕覚悟の告白旅行のはずが、なぜだか彼を豹変させまして
あらすじ
仲良しの同期四人。千紘は祥太郎に片思い中。その祥太郎は春香に想いを寄せている模様。切なくてつらいが、そばにいたい一心で今日もいつもの居酒屋で飲んでいる。そんなとき、慎也が夏休みに旅行しようと言い出した。サクサクと予定が決まっていく中、千紘は旅行中に告白しようと決意する。玉砕して、あきらめよう。この旅行は祥太郎への想いを吹っ切るのにいい機会ではないか、と。ところが、いよいよ明日出発という段階にきて、春香と慎也が体調不良で離脱してしまった! 祥太郎と二人きりで旅行に行くことになってしまい焦る千紘だったが、なぜか祥太郎の態度が豹変。千紘のことを好きだと言い出して――
登場人物
同期の祥太郎に片思い中。見込みのない恋にケリをつけるため、告白を決意するが…
千紘の同期で飲料メーカーの商品開発部所属。千紘と二人きりで旅行に行くことになる。
試し読み
第一章
「私、やっぱり異動願だそうかなって思ってるんだ」
同期三人といつものように夕食を共にしながら、坂下千紘はそう切りだした。
話すタイミングを窺っていたため、グラスに入った氷はすでに溶けてなくなってしまっている。薄まったウーロン茶を飲む気にもなれず、千紘はグラスについた水滴を指先で拭った。
千紘がイイヅカに就職し二年目になる。イイヅカは、ビールやその他酒類の製造、販売をしている企業だ。酒類だけではなく清涼飲料水も同様に扱っていて、街中でイイヅカの自動販売機が置かれ、コンビニやスーパーなどでも多くの棚に商品が卸されている。
「異動願?」
研修中に仲良くなった同期の一人、飯塚祥太郎が驚いた様子で口を開いた。商品開発部に所属する彼は、現在ノンアルコール飲料の開発に携わっているという。
「うん」
「どうして?」
「なにかあった?」
千紘が頷くと、隣に座る春香と慎也が口々に聞いてくる。春香は総務部、慎也は企画営業部に所属している。
決定的ななにかがあったわけではない。異動の件はずっと前から考えていたのだ。
千紘が所属しているのは外食営業部。居酒屋やレストランにビールや酒類などを企画、提案、販売するのが主な仕事だ。
イイヅカの主力商品はビールで、売上全体の半数以上を占めている。けれど千紘はビールが飲めない。それどころか酒類全般がだめだった。飲むと顔が真っ赤になり、頭痛がしてくる。ビールに至っては味も苦手で、頑張って一口飲んだだけでも思わず顔を顰めてしまうほどだ。
下戸を誤魔化しながら営業先に商品を勧めていたものの、ほかのメーカーと味がどう違うのかなどと商品の説明を求められ、言葉に詰まる。その都度頭に浮かぶのは「わからない、苦い、美味しくない」だった。
商品知識をマニュアル通りに話してはいたが、感情のこもっていない営業はやはり気づかれてしまうものらしい。
営業先の担当者に「酒を飲めるのか?」と聞かれ、素直に飲めないと答えると、呆れたように言われたのだ。「酒も飲めない営業にビールを勧められてもね」と。千紘もまったく同じ意見だった。
自分で自信を持って勧められないのに、相手に伝わるはずもない。
一年考えたが、今の部署が自分に向いているとは思えなかった。今回、同期に相談したのは、ほかの人の意見も聞いてみたかったからだ。そうしたらなにか活路が見いだせるかもしれないと思った。
「まさか人間関係?」
慎也に聞かれて「そうじゃなくて、私の問題」と千紘は答える。
先輩はいい人ばかりだし、営業とはいえ厳しいノルマは決められていないから、気持ちは楽だ。けれど、入ってきたばかりの新入社員にたった数ヶ月で営業成績を抜かれたのは、正直こたえた。
千紘が異動で抜ければ、もっと結果を出せる人材が配属されるかもしれない。ここにいない方がいいのではないか。卑屈な考えしか浮かばず、自分が役立たずにしか思えなくなる。
「私、お酒飲めないでしょ? 頑張って飲めるようになろうって練習してみたんだけど……身体が受けつけないのか、すぐ気持ち悪くなっちゃって」
「無理して飲むのは止めた方がいい。千紘は体質的に合わないんだろ」
祥太郎が心配そうな顔で言った。自分でもわかっているので頷き返す。もう今は無理に飲もうとは思っていない。練習はしたが、結局、許容量は増えなかった。毎回、具合が悪くなってしまうのだ。
「うん、わかってるの。でも、自分が美味しいと思わないのに、うちのビールは美味しいですって紹介するの、けっこう辛くて。他社との味の違いなんて、営業用に作られた資料以上のことはわからないし」
一応、自社のビールの特徴、その他酒類の特徴は頭にインプットしてある。頭にある知識を駆使して、たとえば「製法がこうだから弊社のビールはきめ細かい泡ができるんです」と伝えることは難しくない。
千紘は一年、そのスタンスでやってきた。それが自分の言葉ではないからか、いつも違和感を覚えていたのだ。
飲食店側だって、営業のうわべだけの言葉は聞き慣れている。営業を重ねると、千紘が自社製品を好んでいないと見破られることも多かった。
「たしかに、お酒飲めないと外食営業部はきついよねぇ。うちの主力商品ビールだし、付きあいで飲むことも多いしさ」
慎也が同情するような視線を向けてくる。
千紘はもともと、飲料部門への配属を希望していた。入社時の希望が一〇〇パーセント通るのは稀だという話は聞いていたが、まさか下戸の自分が外食営業部になるとは考えてもみなかった。むしろそこだけはないだろうと思っていたくらいだ。
「私、食べるのは好きだから、営業先で料理たくさん注文すると、それだけは喜んでくれるんだけどね。祥太郎は、どう思う?」
千紘は向かいに座った祥太郎にも話を向けた。
彼は酒にめっぽう強く、一杯、二杯飲んだくらいではまったく酔わないらしく、今日はすでに三杯目だ。祥太郎は千紘をじっと見つめて、一頻り考えたあとに口を開いた。
「千紘がそうしたいなら仕方ないと思うけど……時期尚早じゃないか?」
「そう、かな……」
自分の結論を否定されたように感じて、気が塞ぐ。千紘としては考えに考え抜いた上での異動だったのだが、それでも一年しか働いていないのに諦めるなんて甘いと、祥太郎は思ったのかもしれない。
「ちょうどいいや。なぁ千紘、今度、俺の開発の手伝いしてくれないか?」
「開発の手伝い?」
祥太郎の言葉に首を傾げる。
異動の話をしていたのに、どうして突然開発の話になるのだろう。
「今、ノンアルコールカクテルの開発に携わってるって言ったよな?」
「そういえばそうだったね」
「試飲に協力してほしいんだ。千紘は、ノンアルなら飲めるんだろ?」
「うん、それなら平気だけど……」
訝しげな表情をしていた千紘に気がついたのか、祥太郎は種明かしをするように言葉を続けた。
「もったいないって思ったんだよ」
「もったいない? どういうこと?」
「たしかにうちの主力商品はビールだけど、千紘が営業先に提案するのは、なにもビールやほかの酒類だけじゃないよな?」
「それは……もちろんそうだけど」
イイヅカは業務用の清涼飲料水の扱いもあるため、酒類と一緒に営業先から注文を取る頻度はそこそこ高い。だが、祥太郎が言うように、あくまで主力商品はビールである。
「イイヅカの主力商品がビールなのはわかってるよ。でも、飲めない千紘にしかできない提案だってあるはずだ」
「飲めない私にしかできない提案?」
祥太郎にそう言われて、記憶の片隅になにかが引っかかった。
(そういえば……会社の飲み会の時……)
歓迎会や送別会で行く店は、ほとんど大衆居酒屋だ。
そして千紘が担当している新宿エリアの営業先も、一部高級レストランはあるものの、居酒屋やカラオケ店が大半を占めている。
そういった店はソフトドリンクの種類が少ない場合が多い。そのため飲み会で千紘が選ぶのは、ほとんどウーロン茶だ。ジュース類はカロリーが高過ぎるし、食事を楽しみたい千紘に腹が膨れる炭酸という選択肢はない。
ウーロン茶が嫌いなわけではなくとも、もう少し選ばせてほしいと思うのは、酒類に関してはかなりの種類があるからだ。
どうしてソフトドリンクは種類が少ないのだろう、と思いながらも、居酒屋ならそんなものかと諦めていたが。
(そう思ってるの、私だけじゃないかも……)
友人の中にも飲めない人はいた。
もしかしたら、千紘と同じように思っているかもしれない。
祥太郎の言う通り、下戸の自分にしかできない提案だってあるのではないか。
(だから、開発に協力してなんて言ったの?)
彼が今携わっているのは、ノンアルコール飲料。ノンアルコールならば、千紘でも飲めるのだ。もしかしたら祥太郎は、千紘が美味しいと思えるような商品を作るから、試飲に協力してほしいと言ってくれたのかもしれない。
「そうだね……うん。ありがとう、なんか目が覚めた」
「いつも千紘がウーロン茶飲んでるの見て、ずっと気になってたんだ。実はそこまで好きじゃないだろ?」
「嫌いってわけじゃないけど、一杯でいいかも」
ほかに選ぶものがなかったからウーロン茶を飲んでいただけだ。
「だからこそ、千紘の意見が聞きたいんだよ。酒を飲めない人にも、美味しく飲んでもらえるようなものを作りたい。それに、酒好きな大人にもノンアルはただのジュースって思われたくない」
「そっか。すごいね、祥太郎の開発した商品が、いつかスーパーやコンビニに並ぶのかな」
「俺一人で考えるわけじゃないけどな。企画を出すのも、決定を出すのも上だし」
祥太郎は照れたように笑った。
そして「いつかは自分から企画開発の提案をしてみたい」と祥太郎は自分の夢を語った。未来に思いを馳せる姿は、思わずときめいてしまうほどかっこいい。
千紘もいつか彼のように仕事を好きになれるだろうか。そうしたら、自分の仕事に少しは自信を持てるようになるだろうか。
もう少しだけ頑張ってみよう、そんな気にさせられた。
「祥太郎なら、ほんとにやっちゃいそうだよな」
「ね? 商品開発ばっかりで、最近、祥太郎の家の冷蔵庫、飲み物しか入ってないらしいから」
慎也と春香が相槌を打ちながら笑った。
初耳だった千紘は目を丸くして祥太郎を見つめる。
「そうなの? 祥太郎、ご飯ちゃんと食べてる?」
「食べて……るときもある」
千紘が聞くと、祥太郎は目を逸らし恥ずかしそうに耳を赤くする。
ときもある──それは食べていないときもあるということでは?
どうやら祥太郎は、のめり込むと抜けだせないタイプのようで、ノンアル研究を始めてからは一食がジュースで終わりなんてこともしばしばだと言った。
言われてみれば、いつもそこまで食べていない気がする。今だって酒は飲んでいるが、食事は多少摘まむ程度だ。身長を考えると、食事の量はもっと多くてもおかしくないのに。
「もっと食べて。身体壊しちゃうよ?」
千紘は、テーブルに並べられた料理を皿に取り分けて、祥太郎に差しだした。彼はそれを受け取りながら相好を崩す。
「千紘は優しいよな。慎也と春香なんて、部屋で倒れてる俺を発見するのは御免だって言うんだぞ」
「優しいっていうか、私、食べるの好きだから、食事を抜くとか考えられないだけだよ」
「千紘はたくさん食べたいけど太りたくないからって、カロリーの少ないがっつりメニュー自分で作ってるもんね。気にするほど太ってないのに」
「私、食べたら食べた分だけお腹周りにつくの」
ため息混じりに自分の腹部に視線を向ける。
千紘はもともと太りやすいタイプで、気を抜くと一キロ、二キロとすぐに体重が増加する。太っているとは思わないが、美人でスレンダーな春香の横には立ちたくない。
胸と尻だけはそれなりに大きいものの、なんとなくぽっちゃりの象徴のような気がしていて、嬉しいかと言われると微妙なところだった。
それでも食べることは止められない。食事制限のダイエットなんて絶対に無理である。
「えぇ~そう? ベビーフェースなのにグラマーってところが、ギャップがあっていいと思うけど」
春香はそう言ってくれるけれど、ただ童顔なだけだ。くせ毛のせいで横に広がるふわふわとした髪が幼顔に拍車をかけているような気もする。千紘はできれば、春香のような彫りの深い美人顔になりたかった。化粧映えはするし、それなりに可愛いと言ってくれた男の人もいたから、そこまで悪くはないと思いたいが。
「俺、千紘が食べてるところ見るのけっこう好きなんだよな。本当に美味そうな顔してるから」
そう言って慰めてくれる祥太郎もまたダイエットとは無縁だ。
祥太郎は、千紘よりも三〇センチ近く背の高い一八〇を超えた長身で、周囲からの視線を一身に集めるくらいの美形である。長いまつげに縁取られたアーモンド型の目に、くっきりと線の入った二重まぶた。すっと通った鼻筋に厚めの唇。艶のある真っ直ぐな黒髪。
近づきがたいほど秀でた容姿なのに、それを鼻にかけるような性格ではないため誰からも好かれている。もちろん千紘も同期として彼を信頼し、好意を寄せていた。
それに、細身ではあるものの、食事をジュースで済ませるとは思えないほど体躯がいい。思案に耽る顔は色っぽくも見えて、女性受けするのは間違いない。
「なんかあれだよね、千紘って齧歯類っぽくて可愛い」
そう言う慎也は、面長で生真面目そうな外見をしているのに、中身はお調子者である。
「慎也、それ褒めてるの?」
目を細めながら口を開いた春香に、慎也は「褒めてるに決まってるじゃん」と返した。
「だってリスとか可愛くない? 一生懸命もぐもぐしてるとことか。口小さいのに、いっぱい頬張っちゃうとことか、ほら! 見てよ!」
三人の視線が一斉に千紘の頬に向けられる。
そんなにがっついて食事をしているつもりはなかったのだが。千紘は口の中に入れていた唐揚げを咀嚼し、慌てて飲み込んだ。すると、ごきゅっと音が立ち恥ずかしさに頬が熱くなる。
「わ、私の話はいいから……っ」
胸の前で両手をぱたぱた振り仰ぐ仕草をしていると、祥太郎がすかさず話を変えてくれた。
「それでさっきの話はどうする? 俺としてはすぐにでも千紘に協力してほしいんだけど」
「いいよ。でも私、けっこう食べ物、飲み物にうるさいよ?」
「上等」
祥太郎はピースサインを作りニカッと歯を見せて口角を上げた。その笑顔が少し子どもっぽくて、千紘は声を立てて笑ってしまう。
詳細はあとで連絡すると言われ待っていると、後日、祥太郎から土曜日か日曜日の空いている日はあるかと連絡が入った。スケジュールを見てメッセージを返すと、住所が送られてくる。
(あれ、試飲って、祥太郎の家でやるの?)
てっきり商品開発部にお邪魔するとばかり思っていた。だが考えてもみれば、土曜日に出勤する場合は、上司の許可を取らなければならない。
仕事での協力であれば商品開発部から依頼があるだろう。今回のことは、あくまで祥太郎の個人的な頼みなのだ。
千紘はふと、祥太郎の家の冷蔵庫に飲み物しか入っていないという話を思い出した。弁当でも持っていけば喜んでくれるかもしれない。
(土日も仕事してるから、食事抜いちゃうのかもね)
仕事にそこまでの情熱を傾けられるのは尊敬に値する。が、身体には悪そうだ。
同期のよしみでなにか作っていこう。千紘の相談に乗ってくれた礼もあるし。祥太郎はなにが好きだろうか。考えると、先の予定が楽しみになってきた。
千紘は料理を作るのも、食べるのも好きだ。特に誰かのために作る料理は楽しい。
祥太郎に了解のメッセージを送り、メニューはなににしようかと心を躍らせた。
数週間後の土曜日。
千紘は両手に大きいトートバッグを持ち、家を出た。
バッグの中には、密閉容器がいくつか入っているためかなり重い。今日の夜に食べてもらうおにぎりとおかず、ほかにも日持ちする料理を作ってきた。冷蔵庫に入れておけば、数日は食べられるだろう。
電車では運良く座れたため人心地をつく。
千紘の家から三十分程度で目的の駅へと到着した。
初めて降りるこの駅は、古着屋や個人経営の店が軒を連ねる若者の街というイメージ通り、駅周辺は非常に混雑していた。だが少し駅から離れると景色は一変し、アパートや民家が建ち並ぶ閑静な住宅街となる。
千紘は駅から十分ほど歩いたところで、スマートフォンの地図を確認する。小綺麗なマンションの前で足を止め、マンション名と祥太郎から送られてきた住所を見比べた。
(ここ、だよね)
十階建ての真新しいマンションの自動ドアを通ると、オートロックの入り口があった。ガラスのドアから見えるエントランスは、白を基調とした丸いフォルムの壁がなだらかにカーブしていて、何枚かの絵が飾られている。
ロックを解除してもらい中に入ると、エントランスを進んだその奥は広々としたエレベーターホールになっていた。
一人暮らしと聞いていたが、自分が住んでいるところと同じような小さめのマンションを想像していた千紘は驚きを隠せない。ちなみに千紘の部屋は六畳二間の1LDKである。
エレベーターを降りると、横には五つほどの扉が並んでいた。マンションの規模のわりには部屋数はそこまで多くない。
八階の角部屋が彼の部屋のようで、千紘がインターホンを鳴らすと、応答なしにすぐさまドアが開けられる。
「よ。わざわざ来てもらって悪い。あがって」
「うん、お邪魔します」
玄関で靴を揃えて脱ぎ、部屋に入った。あまりじろじろ見るのも失礼だとは思ったが、初めての部屋はどうしてもきょろきょろと視線が動いてしまう。
玄関から廊下を通り、正面にあるガラスドアがリビングらしい。部屋数はわからないが、廊下のいくつかのドアはトイレや風呂だろう。
十二畳ほどのリビングダイニングは落ち着いた色合いで統一されていた。リビングの中央に敷いてある毛の短い茶色のラグの上に、重厚そうな真四角の黒いテーブルがどんと置かれているだけの部屋だ。リビングの奥はパーティションのような白い仕切りがあり中は見えない。おそらく寝室だろう。
システムキッチンはカウンターのある対面式で、使用されているように見えるが調味料の類いは置かれていなかった。二面ある窓は大きく、近くに採光を遮る建物がないため非常に明るい。
「部屋、綺麗に片付けてるんだね」
普段の彼の生活を聞いた限りだと、もっと雑多な室内を想像していたのに、部屋は整然と片付けられていた。物がないだけかもしれないが。
「そりゃあ千紘が来るから片付けたんだよ。向こうの寝室はぐちゃぐちゃだから見たらだめだぞ」
「見ないってば」
祥太郎は奥の部屋を指して言った。やはり白いパーティションで仕切られた向こうが寝室らしい。1LDKのようだが、千紘が住んでいる部屋の倍くらいの広さはありそうだ。
キッチンカウンターには、フルーツのシロップと思われる瓶と炭酸が大量に置かれている。その数、数十種類程度だろうか。ミネラルウォーターや瓶に入った果肉かジャムのようなものまであり、それだけで彼の仕事にかける熱量がわかるような気がした。
「そこ座って。そういえば、それなに?」
部屋を眺めていると、祥太郎がテーブル前に置かれたクッションを指差しながらトートバッグに視線を走らせる。
「あ、うん……いらなかったら捨てちゃっていいんだけど」
両手に持っていたトートバッグを差しだすと、祥太郎が首を傾げた。
「なに?」
「お弁当、作ってきたの。飲み物で一食済ませるってこの間言ってたでしょ? 数日に分けて食べられるかなって思ったら、いろいろ作り過ぎちゃった。あ、おにぎりは今日の分だよ」
「うわ、サンキュー。嬉しい」
祥太郎は相好を崩し、トートバッグの中を覗き込んだ。
よけいなお世話かもしれないと不安はあったが、彼の喜んでいる表情を見てほっとする。
「また作ってくるから、あまり食事抜かないでね」
「わかってるんだけど、ついな。これあとでもらっていい? まだ昼食ってないんだ」
「冷蔵庫入れておこうか?」
「頼む。たぶんガラガラだから入るはず」
千紘は立ち上がって、キッチンの冷蔵庫を開けさせてもらう。
冷蔵庫の中は、一段が瓶で埋め尽くされていた。飲み物なのかも判断がつかない。果物の果肉のようなものもあるが、普通の食材は一つも入っていなかった。冷蔵庫の下は冷凍庫と野菜室だ。けれどこの分では、野菜室はガラガラに違いない。
(持ってきて良かったかも)
密閉容器を重ねて入れていく。冷蔵庫が埋め尽くされていくのを見ると笑みが浮かぶ。千紘はやはり、様々な食材が大量に入った冷蔵庫が好きである。
リビングでは、祥太郎がタブレットを操作しながら、キッチンカウンターに置いてある瓶をいくつかテーブルに並べていた。
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