【試し読み】隻眼の用心棒と癒し姫の秘めたる願い~切なくあたたかな逃避行の果てに~

作家:椎名さえら
イラスト:ウエハラ蜂
レーベル:夢中文庫プランセ
発売日:2022/3/11
販売価格:700円
あらすじ

不思議な力を持つライラは、母の死後、家に帰らなくなった父が引き入れた女と、その娘たちに虐げられながら一人孤独に生きていた。だがある日、町のろくでなし男との縁談をまとめられそうになった彼女は、逃亡を決意する。そしてその夜、幼馴染のサイラスと偶然街で再会を果たすことに。屈強な体に眼帯を着け、用心棒をしているらしい彼は、事情を聞くとライラの護衛を買って出たのだった。渋るライラに彼は「朝晩二回のキスと、ライラを抱きしめて寝ること」を報酬として提案し……? 条件を受け入れ、二人は逃亡の旅に出る。――報酬という名のあたたかで甘いひと時。身を寄せ、抱き合って眠る逃避行の果てに二人が見つけたものは?

登場人物
ライラ
育ての親に虐げられ孤独な日々を送る。ある日身売り同然の縁談を強要され、逃亡を決意。
サイラス
ライラの幼馴染。酔っ払いに絡まれているライラを助け、護衛として逃亡を手助けする。
試し読み

「もう一度、言っていただけませんか」
 部屋に、か細い少女の声が響いた。
 この部屋の主人はソファーにだらしなく腰かけていた。
 アミラはつり上がった淡い茶色の瞳を更に細めて、少女を睨みつけるように見上げた。
 少女は、かつてこの国随一の美貌とうたわれた母から受け継いだ、淡い金髪の髪と宝石のように煌めく碧色の瞳を持っている。しかし少女は今、顔面蒼白で身体を震わせていた。
「お前の縁談を決めてやったわ、ライラ=ジョーンズ」
「ッ……縁談、ですか?」
 アミラがライラの微かに震える声を聞いて、ほくそ笑んだ。彼女は綺麗に研がれた爪をつつっと目の前のウイスキーのボトルに這わせて、そうよ、と猫なで声で告げた。
「この町の西に住んでいる、男やもめのロバートのところへ行くんだよ」
「えっ!?」
 アミラの顔に浮かぶ笑みがますます広がった。
 男やもめのロバートは、酒浸りのろくでなしだ。前妻も酔っている最中に暴力をふるって殺したという噂で、しかも、歳は少女より三十は上。ただし酒が抜けているときは狡猾な質屋の主人であるので、財産だけはふんだんにあり大概のことは金銭で解決するような、要するに人間のクズである。前の妻が死んだときも、明らかに殺人の証拠が残っていたのを握りつぶし、正当防衛にしたと専らの噂だ。そんな噂を、ほとんど外に出してもらえないライラですら知っているほどの悪名高き人物なのである。
(どうしてこんなことになっているの……?)
 ライラはどうしても震えが止まらない足になんとか力を入れて、育ての親を見つめていた。
 病弱だった母は彼女がまだ幼いときに亡くなってしまった。母を心から愛していた父は絶望し、そこからあまり家に寄り付かなくなってしまったのである。父は貿易商で、一年のほとんど各地を飛び回って暮らしている。
 いつからかこの家のことを仕切っていたのは、アミラと、その娘たちであった。
 父とアミラは昔からの顔馴染みと聞いている。アミラはぱっと見は整った容姿の持ち主だが、眦はつり上がり、気の強さを感じさせる。父の最愛の女性であった母はおっとりした性格だったので、アミラのような女性を父が求めるとは到底思えなかった。
 母が亡くなってしばらくしたある日、父がアミラを連れてきて、これから彼女がお前の世話をしてくれる、と告げたのだ。最初は通いのはずだったのに、いつの間にか彼女専用の部屋が用意され、いつからかこの家の女主人の座に収まっていた。父とアミラの間に婚姻関係があるのかは父からは聞いたことがないが、明らかにそうであるようにアミラは振る舞っている。彼女の口からは、父の後妻であると聞かされた。
 母が存命中の頃を知る使用人たちは全てアミラによって追い出されてしまった。ここ数年、ライラはアミラによって「お義母様」と呼ぶように強要されている。アミラとの再婚について、父に尋ねたくても、その父が家に帰ってこないのだから、どうにもならない。真実は闇の奥に葬られたままだ。それでもさすがの父も、赤の他人にここまでの横暴を許すとは思えず、もしかしたら本当に再婚をしたのかもとライラは考えている。
 アミラには離婚歴があり、二人の娘がいて、どちらも性格が悪く、いつもライラを目の敵にしている。リリーとホリーというその娘たちは、ライラと同じくらいの歳であるというのに、贅沢に慣れ、ぶくぶくと太っていた。一方で、ライラは常にみすぼらしい衣服を着せられ、朝から晩まで働かされているため痩せぎすである。
 リリーとホリーの身の回りの世話をさせられては、気に入らないとそこらへんにある物を投げつけられるのは日常茶飯事で、ただただ気に食わないという理由で水やお茶をかけられることもあった。着ているドレスがちょっとでもほつれたら、他に何をしていてもライラを呼びつけ、すぐさま繕い直させる。少しでも思い通りにならないと、八つ当たりをされ、ライラの髪の毛を引っ張り、嘲笑する。
 それでもリリーとホリーはアミラに比べると、これでもまだ良い方だと言える。何しろアミラはライラがすれ違うときの挨拶の首の角度が気に入らない、という理由だけで頬を張り飛ばすこともある位だ。そんな風に暴力に晒されている間、ライラは歯を食いしばり、手を握りしめて耐えるしかない。そして耐え忍ぶ顔が生意気だとアミラが激高し、更に何発か殴られることすらあった。
 普通の使用人にはある週二回の休みも、ライラは正当な理由もなしに取り上げられた。アミラたちに、些細なことをあげつらわれ、異常なまでに叱責される日々を過ごしながらも、彼女は必死に前を向いて生きていた。
 死ぬ間際に母が彼女に遺した言葉を胸に──『何があっても命だけは絶たずに、必ず生き延びてね』と。『いつか〝ちから〟に目覚めることがあっても、誰にも言ってはいけないわよ』と。
 そう、ライラは、誰にも言えない《ちから》を持って生まれた特別な少女だった。いつか発現するかもしれない、ライラに眠っている特殊な力のことを母は知っていたのだ。

 ライラは弱々しい声で反論をした。
「お義母様……私はまだ嫁入りをするには若すぎるかと……」
「お前に選択権なんかない、お金の代わりだからね。せめて最後には役に立ってもらうよ」
 アミラは忌々しいとばかりにフンッと鼻で笑いながら、吐き捨てるように言う。
「お、お金?」
 弱々しく聞き返すライラの姿に満足したのか、アミラがロバートとの取引を説明しだした。
 半月前、この屋敷にやってきたロバートが廊下でたまたま見かけたライラの美しさの虜になったのだという。好色なロバートから輿入れの申し入れがあり、アミラは渡りに船とばかりに飛びついた。彼はライラを嫁に寄越すのであれば自分はいくら払っても良い、と舌なめずりをしながら告げたのである。要はライラと引き換えに、ロバートはジョーンズ家に多大なる富をもたらせてくれる、というわけだ。
 あまりの内容に唖然とするライラを前に、満足気なアミラは再びコップにブランデーを注ぎ、口に運んだ。
「もともと、ロバートがうちに来たのは、家で何か質入れ出来るものがないかってことだったんだけどねえ、たまたまあんたを見かけたらしくてね。何が幸いするかわからないものだねぇ」
 質屋が家を訪れるのは驚くべきことではない。ライラの父親は滅多にこの家に寄り付かない上、日がな一日お酒を飲み、享楽的に過ごしているアミラにまともな資金繰りなど出来るはずがないだろう。
「いくらでも言い値であんたを買い取るって言ってくださってるんだ。せいぜい、それくらい役に立っておくれ。お前のお陰でまたしばらく美味しい酒が飲めるわ」
 アミラは、ますます青ざめたライラに向かって鼻を鳴らした。
「本当に苛々する子だね、ルイーゼを思い出すわ。顔だけが取り柄のルイーゼ=クラフトマン。私を差し置いて、ハワード様と結婚してお前を産んで、死んでしまったのが運の尽き。私はルイーゼの娘を、くくっ、この町一番のろくでなしの元に嫁がせてやるんだよ!」
 ライラは俯いた。父ことハワード=ジョーンズは若い頃からその美丈夫ぶりで有名だったのだが、ライラの母であるルイーゼ一筋だったと聞いている。大恋愛の末、結婚し、妻が産んだライラをそれはもう可愛がってくれた。しかしルイーゼが命を落とすとあまりの気鬱ぶりから、仕事にしか興味がなくなってしまった。
 今では数年に一回家に帰ってくればいいだけの暮らしをしている。その時だけはアミラはライラを着飾らせ、大事に扱っていると見せかけている。父は帰ってくる度にライラだけにたくさんのお土産を買ってきてくれるのだが、それは父が家から去り次第、強欲な義家族に全て奪われてしまう。
 アミラはずっとハワードに恋をしていたのだが、彼が彼女には見向きもせずさっさとルイーゼと結婚してしまったことを恨めしく思っていたらしい。そして運良くこの家に入り込むようになったあとも、彼がルイーゼとの子供であるライラばかりを可愛がること、結局アミラとその子供たちを厭って家に帰ってこない鬱憤を全てライラ一人にぶつけている。
「ハワード様が次に帰ってきたら驚くだろうね、お前がロバートのところに嫁入りしていたら。くくっ。楽しみだよ反応を見るのが……可愛がっていた娘があんなろくでなしの嫁になっていたら、さすがにハワード様もお前のことを諦めるに違いない」
(この人は……憎しみで狂っている……)
 ライラはただただ呆然と床を見つめたまま立ち尽くしていた。やがてアミラは何も言わない少女に焦れ、ぎろっと睨みつけると、殴られたくなかったらさっさと部屋を出ておいき、と叫び、ブランデーを一気に飲み干した。

 使用人部屋に戻ったライラは、ベッドの下から麻の袋を取り出した。いつかこういう日がくるかもしれないと思って、洗濯物を入れる丈夫な麻の袋を使用人仲間からこっそり貰っておいたのである。
(なんてひどい……。愛情がないのは分かっていたけれど、まさかお金と引き換えに売り払うつもりだなんて)
 ほとんど何も与えられていないから、たいした私物はないが──数日分の着替えと、両親と幼い頃の自分の姿絵、父から以前貰い、部屋の隅にこっそり隠しておいたお金を幾ばくか。
 それからアミラたちに見つからないようにずっと肌身離さず隠し持っていた、生まれた時に母親がライラのために選んでくれたダイヤモンド一粒のネックレスを身につけた。これ以外の装飾品は全て彼女たちに容赦なく取り上げられてしまったがこれだけはと死守したのである。
(お母様、見守っていて。死ぬならせめて、あの人の手の届かないところで)
 今まで伸ばしてきた長い髪は邪魔になるだろうからとはさみで肩より短く切ってしまい、無造作に一つに縛る。そして、麻の袋をもう一度ベッドの下に仕舞うと深夜にこの家から逃げ出すことを決意した。

 ☆

 その夜、サイラス=ディケンズは流れの荒くれ者たちが集う酒場の端で黙って酒を飲んでいた。普段は禁欲的な生活を自分に強いているのだが、今夜はちょうど一つ仕事を終えたところで、久しぶりに一杯飲みたくなったのだ。左目に眼帯をつけている隻眼の大柄な男は酒場でも目立っていたが、こういう場でのルールとして、静かに酒を飲んでいる男には誰も注意を向けてはこない。みんな訳あり者ばかりだから出来る限り干渉し合わないのだ。
 自分に許した一杯の酒を飲み終わると、カウンターに代金を置いて彼は酒場を後にした。街外れの自宅に向けて歩いていると、人通りのあまりなくなった道の真ん中で、明らかに泥酔している男が嫌がっている少女の手を引っ張っていこうとしている場面に出くわした。痴話喧嘩には思えず、どうやら男が女を手篭めにしようとしているようだ。
(くだらねぇな)
 少女が逃げる隙を作るために、男の足でも蹴っ飛ばしてやるかと近づくと、二人の会話が聞こえた。
「お願いです、離してください!」
「ああん? どうせ娼婦だろ? いくら払えばいいんだよ?」
 少女の声を聞いてサイラスは顔色をさっと変えた。何故ならそれは彼がよく知っている娘を彷彿ほうふつとさせたからだ。彼は数歩でもみ合っている二人のところへ到着すると、冷静に男の右腕を捻り上げた。
「いってぇなぁ! て、てめぇなんだよ」
「お前こそ、その無粋な手を離せ」
 男はサイラスの容貌を見てぎょっとした顔をした。泥酔した頭でも勝ち目がないとすぐに悟ったらしく、少女から手を離すとほうほうの体で逃げていった。
「サイラス……、ありがとう」
 蒼白な顔をしたライラ=ジョーンズがサイラスにお礼を言った。彼女が自分を見間違えなかったことには驚かなかった。自分はあの頃より随分身体が大きくなったが当時から眼帯をしていたので、ライラが見間違えることはないだろう。
 サイラスはライラより三歳年上で、庭師であるサイラスの父がライラの屋敷に出入りをしていた頃からの知り合いで、要は幼馴染である。父が存命の頃はサイラスも屋敷に連れて行ってもらえたのでライラと良く遊んだ。七年前にサイラスの父が急逝してからは、屋敷を訪れる機会が失われてしまい、彼女にも会えなくなってしまった。そして稼ぎ頭であった父が急逝したことで自分たちの生活が突然困窮し、去年母が再婚して新しい家庭を持つまでは、母と弟を養うため、サイラスは生きるのに必死であった。彼が出来る仕事はいとわずそれこそなんでもやった。
 今のサイラスは街外れの小さな家に一人で暮らし、自分の食い扶持だけ稼げばいいので随分と生活が楽になった。ライラのことは時折思い出すものの、いわゆる《良いところのお嬢さん》である彼女と、底辺の生活をしているサイラスたちとは別世界の人間であり、会いに行ったら迷惑だろうと無理やり自分を納得させていた。後から思えば彼女はサイラスの初恋の人であり、決して忘れることはなかったが。
 改めてサイラスは七年ぶりに再会したライラを見下ろした。幼い頃から飛び抜けて可愛い少女だったが、今はすっかり女性らしい体つきになり、ますます美しさに磨きがかかっている。しかしその瞳は憂いを帯びていて、かつ、《良いところのお嬢さん》にしては、あまりにも質素な洋服を着ているのがサイラスの勘に触った。それから……彼女が大事に抱えているこのズタボロの袋はなんだ?
「久しぶりだな、ライラ。夜遊びか?」
 ズボンのポケットに両方の親指をひっかけながら、なるべく軽い口調に聞こえるようにサイラスは問うた。その言葉にライラはぐっと奥歯を噛み締めたように見えたが、すぐに笑みを浮かべた。サイラスは彼女の少しだけ無理をしているような笑顔を、右目を眇めて観察した。
「そうなの。迷惑かけて、ごめんね」
 ライラはそのまま踵を返そうとするが、明らかに彼女の屋敷とは違う方向なので、サイラスはか細い手首を掴んだ。
「何処に行こうとしている?」
 ぶるっと彼女が身体を震わせたのを感じ、ますます逃さないとばかりに、痛くない程度に彼女の手首を掴む腕に力をいれた。やがてライラが囁いた言葉に、サイラスは自分の予感が正しいことを知った。
「サイラス、お願い、見逃して……私、行かなくちゃいけないの」
「だから、何処に?」
「此処でなかったら何処でもいい」
「は?」
 ライラが何を言っているのか皆目見当もつかないが、その時、側を通りかかった男女のカップルがじろじろと自分たちを見ていることに気づいた。知っている顔ではないから身元がバレることはないだろうが、自分のあまりの人相の悪さから、か弱い少女に迫る下衆な男と他人の目には映るかもしれないと思い至った。とはいえ、ライラを離す気は一切ないから、ぐっと彼女を近くへ引き寄せた。ライラは諦めているのか、素直にそれに従った。
 カップルが、ライラが抵抗もせずにサイラスに引き寄せられたのを見て納得したのか、立ち去っていったのを見計らって、彼女の両肩に手を置いた。見下ろして、静かに質問をする。
「どういうことだ?」

 まさか知り合いに会うとは……。
 ライラは絶望していた。
 しかもよりにもよって、サイラス=ディケンズだなんて。
 アミラたちの目を盗んで、庭師の息子であるサイラスと遊んだのは数少ない幼少期の良い思い出の一つである。サイラスは当時から身体が大きく、眼帯をしていたため一見取っつきにくい気がして、最初は話しかけるのに躊躇するくらいであった。しかし一度親しくなると粗暴でも意地悪でもなく、彼女は知性と優しさを感じさせる彼のことが大好きだった。
 彼の父親が急逝されたと聞いた時、本当は葬式に参列したかったが、アミラに外出を厳しく禁じられ、果たせなかったのは心残りだった。
 サイラスの父ことロンは、口数は多くなかったが仕事ぶりはとても丁寧で、実直な性格の持ち主だった。ロンはライラにも常に親切にしてくれた。
 ロンが亡くなった辺りから、年頃を迎えたライラは少女らしくなり、アミラの束縛と躾と称した虐待は酷くなっていた。なので、もしサイラスがその後も屋敷を訪れていても彼に会えたかは分からないが。
 七年経って再会したサイラスはすっかり鍛え上げられた身体を持つ大人の男性になっていた。厳しい顔立ちは相変わらずだが、彼の本質は優しさであることをライラは知っている。知性が宿る亜麻色の瞳も、短く切り込まれている黒っぽい髪の毛も全てが記憶のままだ。
 ライラにとってサイラスは信頼できる数少ない人間であることは確かだった。だからライラはすぐに心を決めた。
「は、話すわ。けれど、どこか人目につかないところがいい……ここは目立ちすぎる」
 彼女が小声で囁くと、サイラスはじっと彼女を見つめた後、軽く頷いた。そしてそのまま、彼の大きな手はライラの手を引いて、何処かへ向かって歩きだした。とりあえず屋敷の方面ではないので、彼についていくことにした。
(サイラスにある程度事情を話したら、頼みこんで見逃してもらわなきゃ)
 彼も面倒には巻き込まれたくないだろうからきっと大丈夫なはずだ、と自分に言い聞かせる。
 自分が自室にいないことが露見するであろう明日の朝までに、出来る限り遠くまで逃げる必要がある。けれど、ここでサイラスに少々事情を説明する時間くらいは残されているはずだ。ライラはサイラスの大きな背中を見ながら機械的に足を動かしていた。
 そしてしばらくして、サイラスに連れてこられたのは、町外れの見知らぬ家だった。彼がズボンのポケットから鍵を出して、ドアノブの錠を外したので、彼の家だと知れた。不意にライラは彼が妻帯さいたいしているかもしれない可能性に思い当った。
「お、奥さんとかいらっしゃったりしないの? 手短に済ませるから、このまま外で全然構わないのだけど」
「妻などいない。俺みたいな男とは誰も付き合わないからな」
 サイラスはあっさり彼女の疑問を封じ込めるとそのまま彼女を家にいれて、しっかりと鍵を閉めた。
 彼が電気をつけると、そこはもうリビングルームと思しき部屋だった。彼がライラをソファーに座らせ、自分は立ったまま彼女を見下ろした。絶対に逃さない、という気迫を彼から感じてライラは身を縮こませた。
「で? 事情とやらを話してもらおうか?」
 ライラは自分の膝に置いた麻の袋をぎゅっと握りしめた。
 正直なところ、夜明けまであとどれくらい時間が残されているか分からない。だから、簡潔に話して、その後は闇に紛れて出来るだけ遠くへ逃げなくてはならない。
 サイラスに同情されないように、かいつまんで事実だけを話したものの、彼の機嫌は徐々に悪化していった。今朝方アミラの部屋で言い渡された無理やりな婚姻話に差し掛かると、彼の口からアミラへの罵りが次々に飛び出した。よくもまぁこんなにスラングを知っているなと逆に感心するくらい、罵りの言葉が流暢に続く。

※この続きは製品版でお楽しみください。

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