【試し読み】騎士様と今宵甘美なおしおきを
あらすじ
この瞬間から君を私のものにする──酒癖の悪い父、それに言いなりの母、という不遇な環境で育ったミランダ。ある夜の仕事帰り、酔った男たちに乱暴されかかったところを騎馬隊隊長のテオドアたちに助けられた。身体の傷から虐待をさとられ、そのままミランダはテオドア邸に保護されることに。寡黙だが心を尽くしてミランダを世話してくれるテオドア。ふたりは不器用に惹かれあい、触れ合ってしまえば止まらず、毎晩のように求め合い快楽の虜になっていく。「君は私だけのものだ」 テオドアの溢れる独占欲はミランダを優しく甘く激しく支配していって……
登場人物
家計を支える為に昼夜問わず働く。酔っ払いに絡まれているところをテオドアに助けられる。
寡黙で正義感が強い近衛隊隊長。酔っ払いからミランダを助け、そのまま自邸で保護する。
試し読み
第一話
今夜も、居酒屋のテーブルを囲む男たちは豪快に酒をあおり、内輪で勝手に盛り上がっている。
カウンターにたむろする男たちは、何人かの中心人物の周りに群がって、誰かが卑猥な冗談を言うたびに、カウンターを叩いて大袈裟に騒いでいた。
ミラは、樽からピッチャーにビールを注ぎながら、額に薄く滲んだ汗を手で拭った。
体が火照って頭がぼうっとする。
お代わり用のビールがなみなみと入ったピッチャーが、いつもよりもずっしりと腕にくる。
「ミラは今日も可愛いねえ。このあと暇か? たまには一緒に飲んでくれよ」
ミラが、ピッチャーをテーブルの中央に置くと、常連客がすかさず腰に手を回してきた。
それをいつものように笑顔でかわすのも、今夜はことさら億劫だ。昨日、帰りに雨に降られて、濡れた髪のまま寝たのがいけなかった。
昨夜の酒場は遅くまで客が引かず、疲れ果てて帰宅したミラは、ベッドに腰掛けて靴を脱ぎ終わった途端、崩れる様にしてそのまま眠ってしまったのだ。
(風邪をひいている場合じゃない。お金を稼がないと、お母さんばかりが……)
ミラは、テーブルからまとめて回収した空のピッチャーを、カウンター裏の流し場で軽く流すと、疲労と後悔の混じった重いため息をついた。
(あんなこと言うつもりはなかったのに……)
家を出掛けに、母親とブラウス一枚で喧嘩した。
手持ちの三着のうち一着が、何度も洗っているせいでかなりくたびれてしまったので、先日、新しいものを見に行った。
普段は安くて丈夫なものを選ぶのだが、店で肩の膨らんだ可愛いブラウスを手に取ると、どうしても欲しくなり、少し高いそれを買ってしまった。
今日、それを見つけた母が、『うちにはお金がないのに』と呟いた声音に、ミラの中で何かが切れた。
『お父さんがずっと働かないからでしょ! お母さんがそれを許し続けるなら私、家を出るわ!』
そう言い放ったミラを見つめた、母の恨むような、怯えるような表情がはっきりと脳裏に蘇る。
(どうしてあんなことを言ってしまったのかしら)
母だって暗いうちからパン屋で働き、午後は仕立て屋を手伝っている。
母は幼いミラを連れて仕立て屋の仕事をし、少しずつ針仕事の仕事を覚えさせた。
そしてミラは、十四歳になると針仕事をしつつ、宿屋の食堂で接客の仕事も始めた。だが、一年勤めたところで、居酒屋の主人に働きぶりを気に入られ、給料も良いことから転職したのだった。
最初は、思ったよりも肉体労働でヘトヘトになったし、酔った客が自分をからかうのが怖かったが、一年も働くと、それらにもだいぶ慣れてきた。
──私たちは、母娘で頑張っていたのに。疲れていたのかな。
「おい、ミラ。これ、あの入り口のテーブル客だ」
呼びかけられて我に返ったミラに、主人が腸詰めとピクルスが山になった皿を、ぬっと差し出す。
「顔、青いけど大丈夫か?」
髭でモジャモジャの強面が心配そうに曇る。ミラは慌ててかぶりを振った。
「大丈夫です。昨日から異国のお客さんがいっぱいなんで、少し手間取っちゃって。注文取るにも……」
「流石にカルドレ国王の外遊だと、護衛兵の数も違うな。俺も奴さんたちが何言ってるかさっぱりわからん。ま、酒出せば出すだけ飲むし、金落としてくれるから、こっちは儲けられるがな」
主人に頷き、ミラは客の群れを縫って腸詰めをテーブルに運んだ。すっかり出来上がった隣国の兵士たちは、酒臭い息を吐きながら、異国の言葉でミラに話しかけ、腕を掴んできた。
ミラは強張った笑顔で誤魔化しながら、なんとか腕を振り切って逃げるようにテーブルを離れる。
その時、通りすがりに「イライザ嬢を!? 無理だ!」と高い声がして、思わず振り向いた。
立ち飲み客の肩越しに、帽子をまぶかに被った客が、口元を押さえて不安げに周りを見回していた。顔は帽子でやや影になっていたが、若い男性だとわかる。着ている上着からは上流階級の気品が漂っていた。一瞬目があった時、上品な面立ちがミラの目に焼き付いた。
ミラは今までその客を気に掛ける余裕がなかったが、この居酒屋では初めて見る顔で、身なりもかなり浮いている。
さらに、向かいに座っている連れらしき男は、店内だというのに、マントのフードをすっぽり被っているのが気になった。
(この二人、どういう関係なのかしら)
そう思った矢先、「おうい、ビール!」と客の声がして、一瞬立ち止まったミラを再びカウンターへと急き立てた。
結局、今夜も帰りがずっと遅くなってしまった。
泥酔したカルドレ国の兵士たちが、いつまでも居残っていたからだ。
酒場の主人が彼らをなんとか帰したあと、急いで片付けて、やっと上がれたのだった。
(さすがに疲れたわ……)
働いている時は微熱程度だったのだが、今は熱だけではなく、体中の関節もズキズキ痛む。
ただ、カルドレ兵のチップの払いはかなり良かったので、その達成感がなんとか足を家に向かわせているようなものだった。
(これを渡して、お母さんに謝ろう)
ミラは、硬貨で普段より重い手提げを掛けた手で、ショールの前を合わせた。
外は秋の夜更けともあり、風がだいぶ涼しい。
三日月に照らされてぼんやりと輪郭を現している街は、すっかり寝静まっていて、石畳を踏むミラの革靴の音だけが頼りなく辺りに響いている。
ミラの住む地区は貧困区の近くで、寂しい路地が多い。
ランプのオイルを節約するためか、仕事を探すために街を出たのか、立ち並ぶ家々の玄関からは灯りも、人の気配すら漏れてこない。
(お母さんに、なんて謝ろう……)
今はきっと寝ている。父は、今日も明け方まで飲み歩いているか、早く家に帰っていれば、母の隣で高鼾をかいているだろう。
(お父さんは、昔はああじゃなかったのに)
今日何度目かのため息をついた時、後ろで男の声がした。足を止めて恐々と振り返ると、信じられないことに、男二人が通りを早足で近づいてきていた。
冷や汗がどっと出る。
ミラは素早くあたりを見回した。どの店も夜間は厳重に戸締りされている。
遠くで馬車の走る音が聞こえたが、もし叫んだとして自分に気づくだろうか。
ミラはさらに早足で歩いたが、彼らはすぐに追いつき、纏わりついた。
声をかけられるが、歩みを緩めるほど、ミラは馬鹿じゃない。
そして、それが異国の言葉で、二人があの酒場の泥酔兵士たちだとすぐに気がついた。
一人が笑いながら彼女の前に立ちはだかり、いく手を邪魔した。
「やめて。通して。声を出すわよ」
ミラは震える声で言ったが、男たちはニヤニヤ笑いながらさらに詰め寄って来る。
大きい方の男が、手を伸ばして髪に触った。
避けようと体を右に寄せると、そこにもう一人が待ち構えていた。肩を掴まれ、心臓が激しく動悸を打ち始めた。
叫ぼうと開いた口を、分厚い手で素早く塞がれる。
さらに体に腕を回し、そのまま物陰に引きずっていこうとする男の、汗と酒の匂いがむっと鼻腔に入った。すぐそばで、相棒の甲高い笑い声が聞こえた。彼らは、路地に引っ張り込もうとしている。
ミラは、相手を蹴って激しく抵抗した。
蹴られた男に罵倒を浴びせられると同時に、思い切り頬を叩かれ、目がチカチカした。なおも身を捩って抵抗し続けたが、それでも男の力には敵わなかった。
男は、路地の奥で彼女の背中をレンガの壁に押し付けつつ、動けないように両手首を頭のところで片手で捕まえた。
縮み上がったミラの目が、涙で滲んだ。一人が何か言い、相棒が笑う。暗闇の中でも男の目が情欲にギラギラと血走っているのがわかった。
ミラの手首と口を押さえている男の代わりに、もう一人が横からベストのボタンを外し、ブラウスの前を乱暴に開いた。粗末な薄いシュミーズが裂かれ、乳房がむき出しになると、男たちは一瞬動きを止めて、食い入るようにそれを見つめた。その瞬間、口を塞ぐ手が緩まり、ミラは悲鳴を上げた。すぐに力一杯平手打ちをくらい、その痛みにミラは抵抗するのを諦めた。
一人が息を荒げながらほとんど体を密着させ、太い指で胸を鷲掴んだ。
ミラは痛みと嫌悪感に、息を詰める。
乳房を揉み始めた男の反対側から、もう一人が脚を撫でさすっている。ミラはこれから降りかかる絶望に身を震わせながら、目を瞑った。
その時──。
「何をしている! 近衛隊だ。大人しくしろ!」
凛とした声が響き、力強い足音が近づいて来た。ミラがうっすらと目を開けると、二人の人影が視界の先にぼんやりと見えた。
乳房を揉んでいた男が手を離し、近衛兵に何か叫んだ。
だが、相手が言い終わらないうちに、あっという間に距離を詰めた近衛兵の一人が、暴漢に襲いかかった。
ミラの体から男の手が離れたと思うと、大きな人影が彼女を拘束していた男を殴り倒していた。
不意打ちを受けてよろけた体を軽々と持ち上げ、そのまま壁に叩きつける。
男は「グッ」と息を詰まらせて地面に崩れ落ちた。暴漢の相棒が、すかさず剣を構え、近衛兵に逆襲をかける。だが、その一撃をひらりと躱し、兵士も剣を抜いた。すぐに金属の打ち合う音が闇に響く。
膝の力が抜け、くず折れそうになったミラを横から誰かが抱きとめた。
一瞬、また暴漢に捕まったのかと身を凍らせたが、すぐに「安心して。あなたはもう安全だ」と優しい囁きがし、ミラの肩にショールをかけてくれた。
腕をさすられ、次第に恐怖が和らいでくると、ミラは自分が震えているのがわかった。
剣の打ち合う硬質な音が何度か響いた後、短い唸り声とともに、逃げていく男たちの足音が聞こえた。
「流石ですね、大佐」
ミラを捕獲した兵士が相手に声をかけた。大佐と呼ばれた方は、闇に紛れてまだ影のままだったが、小さく頷いたようだった。
「相手は酔っていたからな。隣国の兵とて、羽目を外すのにも程がある。で、彼女は無事か?」
「ええ、かわいそうに、まだ震えていますが。さあ、もう、大丈夫だ。あいつらは逃げていったから」
その言葉に、ミラの緊張がみるみる解けていく。
大佐と呼ばれた男がゆっくりと近づいてきた。
「怖かっただろう。もう安心だ」
彼の、低い声が耳に優しい。
逆光にその影が大きく見えるのか。目の前に立つ長身の恩人に、ミラは礼を言おうと仰ぎ見たその瞬間、恐怖から解放された安堵から、彼女は意識を手放した。
**
ミラが目を瞬かせると、霞んだ視界でゆっくりと焦点が合い、ぼんやりと顔が見えた。
次第にその輪郭がはっきりしてくるにつれ、心配そうにミラを覗き込んでいる相手が、黒髪を結い上げた若い女性だとわかる。
視界の端では、ナイトテーブル上の美しい燭台で蝋燭の炎が、細かく揺れていた。
どうやら、自分はベッドに寝かされているらしい。
だが、自分の家ではない。自分のベッドは、こんなにふかふかで柔らかくはない。
ここがどこか尋ねようと口を開きかけると、女性が目元を綻ばせた。
「気がついたようだね。安心して気を失ったんだ。ああ、まだ起きない方がいい。かなり熱がある」
彼女は身を起こしかけたミラを優しく制して、掛布を整える。ふわりとローズマリー石鹸の香りがした。
「私は、王宮近衛隊第一部所属のアデル・エルナンドだ。カルドレ国王の滞在中は警備隊と共に街の警備強化をしていてね。パトロールの途中だった。あなたを助けてくれたのは、王宮近衛隊隊長、テオドア・グレンデス大佐。この屋敷の主人だ」
(王宮近衛兵……国王お付きの近衛兵……)
なるほど、アデルのその凛とした美しさや、意志の強そうな口調なのはそのせいかと、ミラは納得した。確かに、彼女が着ているのは、街で見かける近衛兵の制服だ。
「助けてくださって、ありがとうございました。私は、ミランダ・ロハンと申します」
「もしかして、鍛冶屋ロハンの?」
ミランダは頷いた。すると、アデルの青い瞳に同情の色が射した気がした。
「父を、ご存知ですか?」
「ああ、この間、馬の蹄鉄を作るのに第二部隊の厩舎に来ていた。ついでに私の馬のも頼んだからね。さっきも偶然、見かけたところだ」
言ってから、アデルはハッとして口を結んだ。
「さっき?」
気まずそうに「パトロールに立ち寄った酒場で」と、彼女は短く言う。
なるほど、娘が悪漢に襲われた夜、その父親を酒場で見ていれば女性ならば同情もするだろう。ミラの心情を汲んだように、アデルは椅子から立つと、暖炉に新しい薪をくべた。
そのとき、部屋のドアが静かにノックされ、アデルが「どうぞ」と応えた。
ミラが顔をドアの方へ向けると、背の高い大きな男性が入ってくるところだった。
「大佐、ご自身の屋敷でしょう。遠慮せずに入ってください」
アデルがベッド脇に戻ってくる。自分の座っていた椅子を上司に勧めたが、彼はアデルを座らせた。
「だが女性が休んでいるのだから、ズカズカと入れないだろう」
低く魅力的な声だ。視線が自然に彼に引き寄せられる。
彼は腕を組み、リラックスするようにベッドの支柱に寄りかかった。
ミラは長身の彼をよく見ようと頭を少し動かし、すぐ横に立つ男性のブーツから上へ視線でたどり始めた。
白いズボンに包まれた筋肉質の引き締まった長い脚、濃緑の制服は分厚い胸と広い肩をピッタリと包んでいる。体型から察するに、この男性は普段から体を相当鍛えているのだろう。
ミラの目と、彼の明るい緑色の目が合う。澄んでいて、煌めきを放つ宝石のようだ。やや灰色がかっていて、少し寂しげな雰囲気が滲んでいる。もちろんその瞳に力強さはあるが、不思議なことに優しさも感じられた。
それにしても、なんと美しくて魅力的な男性だろう。
濃い栗色の髪に彫りの深い顔立ち。顔は絵画の天使のように美しい。それが彼への最初の印象だった。
「怖かっただろうね。でも、もう大丈夫だ。ゆっくり休むといい。私はテオドア・グレンデスだ」
低く、優しい声音がやはり耳に心地よい。
ミラは突然現れた美丈夫をぼうっと見上げていたが、我に返って慌てて身を起こした。
「あ、ミランダ・ロハンです。あの、助けてくださってありがとうございました……。その上、ご迷惑をおかけして、ごめんなさい」
急に起きたのがいけなかったのか、眩暈がし、ミラの体が大きく傾く。それを、すぐに彼の大きな手が受け止めた。
硬い胸に抱かれ、ミラの鼓動が大きく跳ねた。
「何も問題はない。寝ていなさい」
そう言いながら、テオドアはヘッドボードに寄りかかれるように、枕を整えてくれた。
「それから、これは熱さましだ。飲めるかな?」
彼は水差しからグラスに水を入れると、薬と一緒に手渡した。受け取り、冷たい水で薬を喉に流し込む。
「あ、このシャツ……」
ミラは、グラスを返すときに初めて、今着ているのは自分の服ではなく、男物のシャツだと気がついた。
「怪我はないか、私が調べさせてもらった。顔、殴られたんだろう? 唇が切れていたから。もっとひどい打撲でもあれば手当てをしようと思って。そのシャツは大佐のものだよ」
アデルに言われ、ミラは唇にそっと触れた。鋭い痛みに顔をしかめると、アデルはややミラの方へ身を乗り出した。
「新しい傷はなかったが……いくつか体に古い痣があったのが気になったんだけれど……」
ハッと目を上げた先に、アデルの険しい顔があった。
「さっき、襲われた時にできたものではないよね?」
その確認するような口調に、ミラは一瞬でアデルの胸中を読んだ。
父親の名前と、酒場で見かけた父親の姿、おそらく、第二部隊の隊員から聞いただろう父の噂──酔って道で寝ているところを家に運ばれたことが何度かある──。
そしてミラの体の、洋服で隠れる場所にある痣。
おそらく、彼女の中でそれらの情報が一つにつながったに違いない。
ミラは、諦めたように頷いた。アデルは確信したようで、長いため息をついた。一方、テオドアは何も問いただすことはなく、微動だにせず立っている。
ミラは居た堪れず、彼の方を見ることすらできない。ただ、彼の視線は痛いほど感じていた。
「これが、近くに落ちていた。あなたのだね」
アデルに手提げ袋を差し出され、ミラは慌てて中身を確認する。櫛と、ハンカチと銀貨が一枚、銅貨が数枚。そしてさらに小さな黒の巾着袋。そこから古い首飾りを出し、ホッとため息をついた。
「よかった……」
首飾りは立派な真珠が連なり、留め具は大振りの赤い宝石で装飾されていた。
その煌めきから一眼で高価なものだとわかる。
「大切なんだね」
アデルも感心したように目を細めている。
「祖母の形見なんです」
こんな高価なものが、なぜロハン家にあるのか不審に思ったのではないか、そんな不安が一瞬よぎったが、二人がミラを問いただすことはなかった。
ミラが宝石を手提げに戻していると、アデルは不意に立ち上がり、テオドアに何か耳打ちした。
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