【試し読み】竜の専属紅茶師1

あらすじ

「どこか遠くに行って、紅茶に囲まれて生きてやる!」――紅茶留学までしてしまうほど大の紅茶好きである茉莉花は、とある事情でイライラMAX! すると突然、車のヘッドライトに照らされて……気が付いたら魔法世界!? 勘違いで召喚されたとわかったものの、元の世界に戻るには三ヶ月かかるらしい。と説明する黒ずくめのイケメンのセルファはなんだか感じが悪い。態度も悪いし、三白眼で睨んでくる彼に苦手意識を持つ茉莉花だが――竜? まさか。どこからどう見ても完璧なイケメンなのに。こんな状態で三ヶ月も無事に過ごせるの? ※本作品は、過去に出版されていた同タイトルの作品に加筆・修正&書き下ろし番外編を加えたものです。

登場人物
辻茉莉花(つじまりか)
大の紅茶好きで、紅茶専門喫茶で働く。事故がきっかけで魔法世界に召喚される。
セルファ
褐色の肌と艶やかな黒髪を持つイケメンだが、生真面目で無愛想。実体は竜。
試し読み

◇私の、紅茶を追求する理由

 第一志望の高校の不合格が分かったとき、私は泣くことも憤ることもできなかった。
 全身の力が抜けちゃって、部屋にこもってベッドの縁に背中を預けてボンヤリとしていた。
 初めての大きな挫折に、幼い私の精神は耐えきれなかった。何もする気力もなくなって食事も取らなかったし、第二志望の高校の受験手続きをする気も失せていた。
 そんな私を見兼ねたのは、隣に住むお姉ちゃん。
 トレイに載せて私の前に出してきたのは、甘いお菓子とティーコゼーに被せられた白くて丸い陶器。温められたカップに注がれたのは、柔らかな琥珀色に輝く液体。
 笑顔で差し出された紅茶の入ったカップを戸惑いながら受け取ると、芳醇な香りが一瞬にして私を包んだ。
 私は、その紅茶から溢れる香りに引き寄せられるようにカップに口をつける。
 渋味なんてない、どこまでも優しい味。鼻腔へ豊かな芳香がすっと抜けて喉を通っていく。胸の中で淀んでいたモヤモヤが目に移動して、ポタポタと落ちていく。
 私の感情が感動と共に復活した。
 感動は、大きな事を成せばそれだけ大きくなるというけれど。
 生活の中で日常的に行う動作の小さな一つでも、ちょっぴり努力することで人を感動させて幸せにしてくれる──生きていくには、そんな小さな幸せがとても大事なんだと知った。

 紅茶は私の平凡な日常に、いつも幸せと感動をくれるメッセンジャーとなった。

 そして自分の周囲の人たちにも、小さいけれど温かな幸せを感じることができるように、私は心を込めて紅茶をいれる。

◇どうやら私が浮気相手らしいです

「もう! 最低だ! さいってい! 信じられない!」
 日が傾いて闇に変わりつつある街中を、私は泣き喚きながら全力疾走する。周りなんて気にしていられない。
「マスターからもらった、アッサムCTC缶をぶん投げて!」
 あの女、許せない! ううん、一番許せないのは悠人ゆうとだ!
 投げられた方向に走って必死に紅茶の葉が入った缶を探す姿は、我ながらドン引きものだと思う。
 大泣きしながら髪を振り乱して、下を見ながら呪いの言葉を吐き続けてる女が近付いてきたら、普通に考えれば尋常じゃない、怖い。怯えて見えなかった振りをして、そっと逃げるレベルだ。きっと。
 けれど、そんな周囲の評価なんて気にしている場合じゃない。
 本当に私は今、尋常じゃない出来事によって、尋常じゃない心理状態にあるんだから。

 初めてできた彼氏に二股をされて──しかも、私が浮気相手。
 それだけじゃない──ストーカー扱いされたのだ。

 藤井ふじい悠人は、私が働いている紅茶専門喫茶『アンバー』に、やって来た客だった。
 紅茶を上手くいれることができたら、思わずやってしまうポーズ『ハアト』。
 両手の人差し指と親指を合わせてハート型。
 我ながら、いい歳してやることかと思うんだけど、十五歳の頃からやっているので癖がなかなか抜けない。まあ、迷惑かけているわけじゃないから……と、そのまま早七年。
 店内でそれをやっている私を見た悠人が、
『可愛いことするんだね』
 と、話しかけてきたのがきっかけだった。
 それから一気に親しくなり、お付き合いを初めて四ヶ月。
 優しい態度に、笑うと幼い表情になる悠人。甘い顔立ちの青年で、しかも『紅茶一筋』を通り越して『紅茶馬鹿』な私を理解して、応援してくれていた。
 将来は茶園を拓き、自分の紅茶ブランドを作りたい! なんて夢物語だって馬鹿にしないでウンウン、と楽しそうに聞いてくれた。
 嬉しかった。ティーインストラクターの資格まで取って「一日三回は紅茶を飲まないと干からびちゃう!」と断言するほど紅茶ラブで、紅茶の産地にまで留学しちゃう私。
 周囲の男たちには「ついていけない」と呆れられて、付き合う対象になったことは一度もなかった。
 自分で言うのもなんだけど、顔は悪くないと思う。うん、中の中くらい。
 ヘアスタイルはセミロング。毛先パーマを当てて軽く見せている。
 ファッションにはお金をかけてないけれど、清潔感を心掛けている。
 けれど、彼氏なんてできたことない。
 同級生からは「彼氏より紅茶選びそうだからだよ」と言われていた。まあ、分かる。私もそう思っていた。
 だけど悠人は特別!
 格好良くて優しくて、私の趣味を理解して応援してくれる彼氏・悠人に、紅茶と同じくらい夢中になった。
 なのに。
 よりによって、どうして今日にこんな惨事!

『彼氏と二人で飲んだら?』と、マスターからもらったアッサムCTC。
 Crush(押しつぶす)、Tear(引き裂く)、Curl(丸める)という揉捻じゅうねん処理を行った茶葉で頭文字をとってCTCと言うの。
 見た目、挽いた珈琲豆にも似てる。
 別にアッサム茶じゃなくてもいい。けれどこれはまさしく『ティーウィズミルク』、所謂ミルクティーに最適な茶葉なのだ。
 そして本日は『紅茶の日』。
 一七九一年に大黒屋だいこくや光太夫こうだゆうという人が、当時のロシアの女帝だったエカテリーナ二世の茶会に招かれて、日本人で初めて本格的な紅茶を飲んだ日なんだそう。
 その史実をとって日本紅茶協会が、十一月一日を紅茶の日と定めたってわけで。
 この日にイベントを行う紅茶専門店は多くて、私の勤める『アンバー』もロシアンティー・セットを、この日限定で提供していた。土曜日だったこともあって、一時間待ちができるほどの盛況ぶりだったお店も、ようやく夕飯時には落ち着いた。
 後一時間もしたら閉店だ。なんて肩を回していたら、「おいで」とマスターにキッチンで手招きされた。
 渡されたのは、高級ブランドの茶葉の缶。
『ティーウィズミルクには最適な茶葉だよ。今日はもう上がっていいから、早く彼に美味しいのいれてあげなよ』
『いいんですか?』
『いつも頑張ってる茉莉花まりかちゃんにご褒美! うちの看板娘にようやく彼氏ができたんだ。逃げられないようにしっかり胃袋掴んどかなくちゃな!』
 く~! マスター、いい人だ! ……ちょっと言いすぎ感あるセリフを吐いたけど。

 お言葉に甘えた私は悠人のアパートに向かう途中で、高めの食材が売っているストアーに寄り、牛乳を購入。濃厚と謳っている物か、低温殺菌物か悩んだけど低温殺菌の方を選んだ。
 それからチーズとハム、卵と胡瓜の二種類のサンドを作って、店長からついでにもらったスコーンを出して。悠人には足りないかな? サンドイッチをたくさん作ろう!
 買い物袋を片手に、紅茶缶の入った紙袋をもう片手に、私はスキップ状態でアパートに向かった。
 両手が塞がってしまってるけど、いつもリュックなので私の手荷物が邪魔になる心配はない。
 そのときに、悠人からしつっこく言われていた、ある約束を忘れていた。
『うちに来るときには連絡をくれ』という約束を。
 そりゃ突然行ったら、不在にしていることもあるだろうけど。まだ合い鍵をもらっていないし。
 普通のリーマンの悠人は土日は休みだ。今の時間はきっといる! と変な確信を持っていた。悠人の部屋の明かりもついているし。
 土日は閉店まで仕事してるから、悠人驚くだろうな。
 私のような接客業は大抵、土日は休めない。だから会うのは、いつも平日の悠人の仕事帰りだった。
 そういえば、土日に会うの初めてだなぁ。スーツ姿以外の悠人はどうなんだろう? て、ドキドキしていた。
 部屋の取っ手に手をかける。あ、開いた。鍵をかけてないなんて不用心だ。危ないよって言っとかないと、そう思いながらドアを開けた。
 嬉しさにぶっ飛んでいた私は、事前に連絡をするという約束を忘れていたのだ。

 そこには、女の人とコーヒー片手にじゃれ合ってる悠人の姿があった。

 悠人を挟んでの三人のやり取りは、もう修羅場だった。悠人は、私の存在を無いものにしたいのが、見え見えだった。
「こんな奴、知らない」
「帰宅する時間を見計らって、いつも付きまとわれていた」
「紅茶いれたら帰るからとしつこいから、仕方ないから一度、部屋に上げた」
 思い出すのは気まずい顔から、どんどん拗ねた顔に変化をした悠人が言ったセリフ。
「俺は本当は珈琲派なんだ! 毎回しつこく寄ってきて紅茶いれて! 迷惑なんだよ!」
「やだ! ストーカー? 貴女、最低ね!」
 私、唖然。
 付き合わない? って言ったの悠人だよね? 珈琲派? 今日、初めて聞いたよ?
「紅茶……美味しいって……」
 聞きたいことは山程あるのに、初めての修羅場に私は気が動転して情けないことに、こんなことしか聞けなかった。
 女の人は怒りを露わにして、私の荷物を奪って床に叩きつけた。グシャ、と卵の割れる音を耳で聞き取りながら、私を睨み付けている女の人を見る。綺麗な顔が台無しだなぁ、なんて間抜けなことを思いながら。
 だって本当に綺麗な人なんだもの。スラリとした身体つきながらも、胸はツンと盛り上がっていて、私と違って真っ直ぐ肩に流れる艶のある髪。着ているものもブランド物っぽい。ちょっとキツそうな、お嬢様って感じだ。
「私と悠人はね、来年結婚するの。こ・ん・や・くしてるの! これ以上付きまとうなら、警察呼ぶわよ!」
 婚約? 聞いてない。聞いてないよ。
 悠人に目を向けると、彼は膨れっ面で視線を逸らしたままだ。私が黙って部屋を訪れたことに怒っているように見える。
 だから、あんなに事前に電話くれって言ったのか。
 ようやく合点がいく。
 悠人の婚約者は、私が握り締めていた紅茶缶を奪うと、
「こんなもの!」
 と、窓から外へぶん投げてしまった!
「キャアアアアアアアアア!」
 大事な紅茶缶を投げられて私、ようやく覚醒。
「紅茶に罪はない!」
 ふん! と鼻息荒く笑う婚約者と、隠れるようにその後ろにいる悠人に叫ぶ。
「悠人から付き合おうって言ってきたくせに! ふざけるな!」
 私の叫んだ内容に「えっ?」と婚約者も身体ごと向けて悠人を見る──瞬間に、私はグーで彼の顔を殴った。
 不意打ちを食らった悠人は、よろけてそのまま倒れたようだ。ガタンと重たい大きな音がしたから。ふん、柔弱な体め。
 どうせ婚約者に介抱されるのだろう。私は翻り、悠人の部屋を出た。
「紅茶~! 私のCTC缶!」
 と叫びながら。

 紅茶缶が落ちたと思われる場所を、しらみつぶしに探した。後から後から目から出ては落ちる汗を拭いながら。
 泣いてなんかいないからね! 走って掻いた汗だからね! 自分に強がってみせながら、屈みこみ紅茶缶を探す。
 紅茶缶を投げられてショックなのか、どう考えても浮気相手は自分なのがショックなのか、分からない。止まらない目からの汗が、どちらもショックで傷つきましたと訴えている。
 ざわつく心を、紅茶缶を探すことによって誤魔化そうとしているのは重々、承知だった。
「初めて付き合った彼でこんな修羅場……初心者にはハードル高いよぉ」
 来年、結婚するって言ってた。
 私はそれまでの遊びだったんだ。そう考えれば、平日の夜しか会わないのも、土日に会おうとしないのも、アパートに来るときには連絡を入れてとしつこく言われたのも納得がいく。
『茉莉花のいれた紅茶は美味いね』って、いつも褒めてくれたのも嘘。
「珈琲派だと早く言ってよ、馬鹿! だったらお付き合いにOKしないわよ!」
 付き合うなら紅茶派の彼が良いんだから!
 そうやって切り替えをしようとしても、簡単にはできない。
 拗ねたような悠人の態度と、冷たい視線を思い出すと、どうにかなってしまいそうだ。

 もう私は紅茶があればいい! 紅茶一筋に生きる! どこか遠くに行って、紅茶に囲まれて生きてやる!

 そう心に誓った時、カラカラ、という高い缶の音が聞こえて顔を上げた。その先は交通の激しい道路で、ヘッドライトを点けた車が帰宅に走らせている。
 車線の真ん中に転がっているのは……
「紅茶!」
 私は、ガードレールを乗り越えて、走る車の車間が空くのを待つ。紅茶缶は小さく弧を描きながら回転していたけど、また転がりだした。
「──あっ!」
 私は弾けるように飛び出し、茶缶を拾い上げた。
 乗用車の急ブレーキの音が響くと同時に、ヘッドライトの眩しい白い光に、体が包まれたような錯覚に陥った。私は足が竦んでその場から動けないまま紅茶缶だけをしっかりと握り締めて、目を瞑った。
 ああ、轢かれたなと思いながら。

◇あやかしと間違えられて召喚されました

 体が……
 体が重力の法則に従っている。つまり落ちているのね。
 車に跳ねられて宙を飛んでるのかな?
 でも、ぶつかった衝撃も痛みもないし。それに下降時間が、えらく長い。ゴォオオオオ……と、激しく風を切る音が私の周囲から聞こえるのは、空耳ではないみたい。
 バタバタバタ! と喧しくはばたいているのは、私のスカートらしい。
「……まさかね?」
 意を決して、それでもその「まさか」の想像が現実なのかもしれないと、恐怖にかられながらも目を開けた。
 入ってきた景色は清々しい青空。
 そして、かなりの標高から落ち続けている自分。
「ギャアアアアアアアアアアアア!」
 本日、二度目の雄叫び。しかも可愛くない方。
「どうしてどうして───!!」
 確か私がいた場所は、悠人のアパートの近くを走る交通の激しい道路だったはず。そして夜だったはず。
 この状況を飲み込めず、ただジタバタと手足を動かす──けど、どうにもならず急速に落下し続ける。その間、私の身体は上下したり、風でグラグラしたりして不安定なまま。
 パニックに陥っていた私は紅茶缶を両手で握り締めて、ひたすら叫び声を上げる。
 死ぬの? 死んじゃうの? 私。
 このまま地上に落ちたら確実に死ぬ。痛いかな? 痛いだろうな。
 即死ならいいな。先に気絶するかな?
 短かったな、私の人生。たった二十二年七ヶ月だった。瞑った瞳から涙が溢れる。
 次の人生は茶畑のオーナーの子供に生まれて、紅茶飲み放題の人生を送れますように……
 覚悟を決めたその時、下から吹き上げる風に身体がフワッと浮いた。
「……えっ?」
 今まで急速に落ち続けていた体が、宙でいったん停止をする。
 恐る恐る目を開けた私が見たものは、
「文字……?」
 蒼く光る記号みたいな文字が、紐のように羅列して身体を取り囲んでいた。それがクルクルと私を軸にして回っている。
 そして、ゆっくりと地上目指して落ちていった。

 下からどよめきが聞こえる。その声からして大勢いるようだ。
 助かる? そう安堵した瞬間、ポスンと誰かの腕の中に落ちた。
 助かった……らしい。
 腕の温もりにホッとし、助かったことを確信すると私は気が抜けてしまった。
 そうして呆けたままに受け止めてくれた男性を見て、壮絶な美形っぷりにビックリする。
 中東系を連想させる顔立ちだけど、濃くはない。顎まで流れる顔の輪郭は滑らか。顎も出っ張ることなく、上にある唇は薄くもなく厚くもなく、理想的な形を保っている。
 鼻筋もスッと通り、影ができる。ああ、鼻が高いんだなあ、羨ましい。
 艶やかな黒髪はどうやら硬めらしい。わずかに顔を動かしたときの前髪の動きで分かった。
 何よりも私の目に引いたのは、長めの前髪から覗く瞳の色だ。虹彩が小さめだけどその鮮やかな琥珀色に私は魅入った。
「ファーストフラッシュみたいな色……」
 そう、初摘みの茶葉を発酵させて、いれた紅茶のような綺麗な色。
 向こうもジッと私を見つめている。
 ていうか、こうもはっきりと瞳の色が分かるっていうことは、顔の距離も近いというわけで。
「近い! 顔ちかっ!」
 キスまで数センチといった位置にいたことに改めて気づき、慌てて彼の腕から降りた。
 彼は喪に服してるのかと思うような、カッチリとした黒ずくめの服を身に纏っている。胸まで覆うマントまで真っ黒だ。
 とにかくまず、真っ先にと、私は彼に頭を下げた。
「助けていただいて、ありがとうございます!」
 自分を取り囲むように回っていた文字の螺旋も、いつの間にか消えている。
 なんとなくだけど、彼が助けてくれたのかな? って思った。考えに無理はあるけど、空から受け止めてくれたのはこの人なんだし。
 彼は無表情で私を見つめている。
 ……何か、怖い。
 こんな美形に見つめられて困っちゃう! 恋に落ちる予感? ──なんて、胸躍る展開ではないらしい。だって、美形の彼は眉間に皺を寄せて険しい表情を見せたかと思いきや、瞬時に眉尻をつり上げて怒りを露わにしたからだ。
 彼はギョッと後ろに下がった私を無視して、
「☆*%¥∞●」
 と、いきなり横にいた女の子に怒鳴りだした。
 高校生くらいの青銀色の変わった髪の色をしたミディアムショートヘアの女の子は、彼の怒りにすっかり萎縮したらしく、半泣きになって震えながら、
「△§@%#£!」
 と、話している。
 って、言葉がさっぱり理解できないんですけど……
 困惑した私は紅茶缶を持ったまま、
「あの! その! すみません! 一体何がなんだか! これって!」
 と、思い切って二人のやり取りの間に入った。
 二人は、今気づいたといった様子で顔を見合わせる。
 彼はすい、と再び私に近付くと何かを口ずさみながら、人差し指を私の額に当てた。当てられた指先からポワンと温かい感覚が流れてくる。それが、あっという間に全身に伝わって消えた。
「大変失礼しました。普通の人だというのに、こんな乱暴な召喚方法をとってしまいまして。愚弟子に代わってお詫びします」
 うわぁ……美形はお顔だけじゃなくて、声も美しいんだ。男の色気溢れるバリトンボイス。こんな男の人って、本当に世の中に存在するんだ。
 ポーッとして、すぐに我に返った。
「あ、あれ? 言葉理解できる! さっきまで分からなかったのに!」
「先程、言語理解を可能にし、意思疎通ができるように『魔法』をかけました」
 魔法?
「今、魔法って言いませんでしたか?」
「ええ、こちらの言葉を貴女の近い言語に変換して意味が通じるようにしました。逆にこちらも貴女の言語を変換して、貴女の口から発せられる言葉が理解できるようにしておきましたので」
 淡々と説明をしてくれる全身黒ずくめの彼は、この説明に慣れているような印象を受ける。
 反して私は再び襲ってきたパニックに頭を抱え込んだ。拍子に手にしていた紅茶缶で頭を叩いてしまい、カン! と高い音が響く。
「い、痛い……」
 頭に響くこの痛みは、この場が夢ではないということの証明だ。
 痛む頭を押さえながら周囲を見渡す。集まっている人たちは若い男女で、皆一様に緊迫した表情で私を見ている。
 全員、変わった服を着ているわ。
 言い合っていた黒ずくめの彼とミディアムショートの女の子も、変わった服装をしているとは思ったけど。
『変わった服装』を表現するとしたらファンタジーに出てくるようなイメージ、と言ったら近いだろうか?
 自分のすぐ上の姉がアニメおたくで、今、特にはまっているのが近未来をイメージした学園物。その服装とよく似ている。
 ヒーローヒロインたち登場人物が、騎士が着ているような服を近未来的にデザインした学生服とか軍服を着ていた。
 もしかしたら。
「あ! もしかしたらコスプレのイベント中ですか?」
「コスプレ?」
 黒ずくめの彼が首を傾げた。
 この人、あまり表情がない。先程の怒りはどこへ消えたのか? というほど無表情かつ平坦な口調で疑問を投げ掛けてくる。
「コスプレっていうのはですね、人気のアニメとか漫画のキャラクターを模倣するために、そのキャラクターの服を作って着込んで、成りきるという遊びでして……」
「遊びではありませんね。これは我々の通常服ですし、今は実習試験の最中だったのです」
「実習?」
 今度は私が首を傾げた。「そうです」と黒ずくめの彼。
「貴女は明らかに異世界から召喚された方ですから説明しますが、この世界は『ウィリセリア』と呼ばれています。そして貴女がこうして立っている場所は『シャリアン』という行政機関がある建物です。ちょうど異世界から、あやかしを召喚する試験の最中だったのです」
 はっ? あやかし?
「あやかしいい! あやかしってあれですよね? 所謂『妖怪』ですよね?」
「貴女の世界の言葉では、多分そうです」
 悪びれもせず、あっさりと彼は答えてくれた。
 妖怪に間違えられて、異世界に召喚?
 なにそれ? 本当ですか? そんな酷い顔ですか? 私?
 クラクラしてきた。この状況に私の常識がついていけない。
 悠人の件からずっと常識の範囲を超え続けていて、頭の中がオーバーヒートしてるみたい。

※この続きは製品版でお楽しみください。

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