【試し読み】ふきげんなご主人様と死にたがり聖女の幸せな結末
あらすじ
「純潔を散らし、処女を失えば、お前の力は格段に弱まるはずだ」確かにあの時、私は力を失いたいと言いました。でも、まさかこんな方法だなんて思わないじゃない? ──ある女のコピーとして生み出された18歳のホムンクルス、マリア。ある時、自身が持つ強大な魔力を都市が吹き飛ぶ寸前まで暴走させてしまう。そのことがきっかけとなり、マリアは魔導士・アガットの下で魔力の制御を教わることになったのだが、なぜか突然押し倒され唇を塞がれてしまい──……どうしよう。わけがわからないくらい、きもちいい。しかし、マリアとアガットの前には残酷な現実が待ち受けていて──「一ヵ月後、予定通り俺は死ぬ」二人が迎える幸せな結末とは……
登場人物
強大な魔力を持つホムンクルス。力を制御する方法をアガットから教わることになったが…
魔導士。アイスブルーの瞳を持ち、美しい顔をしているが無愛想できつい物言いをする。
試し読み
一 死にそびれたので死にたい
朝起きて、まずやる事と言えば見慣れた天井を眺める事。
湿気を吸ってじっとり重い毛布の中から抜け出す事が億劫でなくなるまで、十数分。ベッドの上でゴロゴロする。ノロノロと起き出すと、窓を塞がれた暗い部屋の中で、小さな本棚にある本を読む。
どの本も何百回(何千回?)読んだものだから、正直読み飽きているし、目を瞑ってもスラスラ内容を言う事ができる。お気に入りは「死んでレイラ」。色々な人に疎まれ「死んで」と言われ続けたレイラが幸せになる話。
パパにもらった寓話集。基本的にどれも大好きなのだけど、一冊、あまり好きじゃない……どちらかと言えば嫌いな一冊がある。
タイトルは「しあわせの国」。その本の中で、王様が「君たちは煉瓦だ。煉瓦ひとつ欠けても城壁は成り立たない。王国もそういうもので、誰かが一人欠けても成り立たない」と話すシーンがある。
その本を読む度、私はとても胸がムカムカする。
そんなの嘘だ。煉瓦がひとつ欠けた所で城壁は崩れない。城壁どころか、街の花壇ですら崩れない。──誰か一人死んだ所で、何ら問題なく社会も、世界も、回っていく。
あの手の綺麗事は、自分の事を特別な人間だと思いたい人間や、自分の生に何かしらの意味を見出したい人間には効果的なのかもしれない。もしくは私のように死にたいけれど、死ねない人間に対するマニュアルか何か。
──死にたい。
死にたいと思う。割と毎日。ふとした瞬間。思い出したように。唐突に。
しかし世の中には、生まれてからただの一度もそんな事を考えた事がない幸せな人達がいるらしい。きっとそんな人達だけで構成されるのが、あの絵本の「しあわせの国」なのだろう。みんな幸せで、困った事があってもみんなで助け合い、神に感謝して生きている。みんな笑顔。笑顔。笑顔。笑顔。辺り一面笑顔。そんな国。
そんな国あるわけないと思うのだけど、この国──アドビス神聖国が目指しているのが、恐らくそういう所なのだろう。あの本、ここの教会が配っている奴だから。
でも、もしかしたら? この国で生きている私以外の人達はそうなのかもしれない。みんな幸せで……いや、そんなまさか。そんな事あるわけがない。人が人である以上、生きているだけで何かしらの痛みや苦しみ、悲しみは生まれる。誰もが無痛で生きられるわけがない。
私は物心ついた頃から死にたかった。……詳しい話はここでは割愛させていただくけれど、理由はほんの些細な事で、誰にでもあるような理由。負の積み重ねが、ある日、限界点を突破したとでもいうのか。何度か挫折した後、希望を失った。もう夢なんて見れない。頑張れない。努力なんてしたくない、息をするのも億劫だ。すべてが面倒くさい。
そんな私は神に救いを求めるようになり、〈青の炎〉に焦がれるようになった。〈青の炎〉とは人の肉体どころか魂までをも一瞬で燃やしつくす炎である。しかしこの炎を生み出す事ができるのは、この世界でただ一人──唯一神しか存在しない。
されど、私はここで教会に行き、忠実なる神の信徒となる事はなかった。私は物理的に教会に歩いて行けないというのもある。
そもそも教会に行くのは、基本的に死にたい人達ではなく、生きたい人達だ。懺悔して許されたい人達だ。もしくは建物の補修費などを献金する事により、今生で徳を積んでおいて、来世、その恩恵を受けようと願う人達だ。私のように魂ごと消滅したいと願う者は稀である。
でも、私は今まで生きてきた経験則から知っている。どんなに祈ったって、願ったって、神様は私の事なんか助けてくれない。もしこれが神が私に与える試練だというのなら、きっと天上にいるのは私にとって神様なんかじゃない。悪魔だ。
空ばかり見上げても忌々しい気分になるばかりなので、私はなるべく下を見るようにした。家の床板や、地面。地の底には魔界があるという。そこに神はない。──下ばかり見ていると、そこにはポツポツと黒い穴がある事に気付いた。
(なんだろう……?)
私の住処である屋根裏部屋には、窓がない。
正確にはあるにはあるのだが、板に釘を打たれてガラス部分は塞がれている。塞がれた木目の穴から、街の人達を見るのが私の数少ない娯楽だった。
街を行き交う人達は、誰も往来の中央にある穴に気付いていないように見える。
その穴からは瘴気のように黒い靄が噴き出していた。噴き出す瘴気が止まれば、今度は穴の底に引き摺り込むように、人を引き寄せるようになる。
穴に引き寄せられた人々は、穴の付近で不幸に遭う。荷馬車事故やスリ、何度か殺人事件もあった。建築中の木材が落下した事もあった。
逆にその瘴気に直にあてられた人々は、狂いだす。──私のパパのように。
穴からは、定期的に瘴気と供に黒い影──人型の不気味な影が這い上がってくる。みんな、影に気付いていない。その影は、人のように──いや、人と紛れて往来を歩いている。蝋燭の炎のように、ゆらゆらと。ゆらゆらと。
(魔界の入口? いや、まさか)
あの影が何なのか私には分からない。お化けなのかな? と思ったが、それも何やら違う気がする。幽霊とか吸血鬼とか、その手のものって夜に元気に徘徊しているイメージがあるから。なんとなくだけど。
あの影は、二十四時間四六時中いつだって存在した。むしろ夜よりも明るい時間──人が多い時間帯の方が活発だ。どうやら影は、人が多い場所が好きらしい。
壁や人をすり抜けて、物凄いスピードで走っている影がいる。不幸にも影と衝突した人間は、不幸に襲われる。影に気に入られて、付きまとわれた人も同様に不幸に襲われるようだった。
面白いのは、不幸の出方が二通りある事だった。
体に出る人と出ない人がいる。体に出る人は、熱を出して寝込んだり──生命力が弱い人間だと、そのまま死んでしまう。体に出ない人達(恐らく持病がなく、健康で、生命力に溢れる人達)は、不慮の事故に襲われる。
うちの壁は薄いので、耳を澄ませば噂話は聞こえてくる。どこの誰が亡くなったとか、病気になったとか。毎朝、同じ時間に同じ道を通る人間が消えた事で、察する事もできた。
(一体、何なんだろう……?)
一度、パパにも聞いた事があるが、何を言っているのか分からないという顔をされた。
しつこく言うと頭の病気を疑われたので、これは誰にも言わない方が良い事なのだと悟った。
あの影が人間に有害な物だという事は分かるが、私以外の誰にも視えていない。──警告しようにもしようがないし、私にはどうにもならないというのが正直な所だった。
私にできる事は、ただただ影に気付かないふりをして生活する事だけだ。
(それに、私が狂っているだけかもしれない)
両足首を縛める鎖を見て、自嘲気味に笑う。
この屋根裏部屋で暮らすようになって、もう何年経っただろう。
自分が本当に正常なのか。あの影が幻覚でないと言い切る事は、私にはできなかった。
時折、影は部屋の中に入ってくる事がある。
奴等は壁をすり抜けるので、普通に家の中にも入ってくる。
一度、影を注視してしまったら、視えている事が分かったのか、影に付きまとわれた事があった。
それからすぐに私は熱を出した。熱を出す私の上──布団の上で影は踊っていた。影が私の顔を覗き込んだ瞬間、私は意識を失った。
あの時は何故助かったのか分からないけれど……一度死にかけてから、私は徹底的に影を無視してきた。
──しかし、私のそんな長年の苦労はある日、唐突に終わった。
夜霧がアスファルトまで降りる、眠れない午前三時。
華やかな街明かりが消えて、夜の空気が部屋を、肺を、満たしていく。
冷えた肌とは対照的に、焼けつくように熱い胃液が喉を焼く。
切れた唇の端を舐めると、胃液と血の味がした。さっき唇の皮を剥いたからだ。丁寧に剥いたから大丈夫だと思っていたのに、血が出てしまったらしい。
「いた、い……」
唇よりも、さっき斧で叩き切られた腕が痛かった。
床の上を這い、床の上で転がっている己の腕に手を伸ばす。
近付ければしゅるしゅると音を立てて腕の血管が、筋が、筋肉が繋がっていく。
(最近、再生能力が落ちている)
昔は手足が千切れても、すぐにくっついたのに。
あの研究室を逃げ出してから、何年目だろう。九年? ううん、十年だったかもしれない。恐らくあそこで定期的に打たれていた注射や点滴に、私の体の再生能力を高める薬の類が含まれていたのだと思う。再生能力が落ちている理由は、もうずっとその薬を使っていないから。
(私、死ぬのかな……)
漠然とそんな事を思った。
このままだといずれ私は死ぬだろう。
──私は人間じゃない。
私は月に二、三度のペースで、パパに斧で体を切り刻まれている。その度、生身の人間なら致命傷を負っているが、私は生きている。
この九年? 十年? 私が死ななかったのは、その特別な再生能力があったからだ。
人間じゃないとは言っても、床板にしみこんでいる血は赤だし、目は二つあるし、鼻と口も一個ずつある。耳も人間と同じ形で、エルフのように先端がとがっていない。手足も二本ずつあるが、人には出ない色の髪の毛と、瞳の色をしていた。
「あの女が! あの女のせいで! 俺の人生が滅茶苦茶だ!」
下ではまた、パパが何やら叫んでいる。
ああ、そうだ。確か今日は国からお金が支給される日だ。
そのお金で葡萄酒を飲んで、それで屋根裏部屋に来たんだ。あの様子では、どうやらまだアルコールが抜けていないらしい。
パパは毎月国から支給されるお金をもらっており、そのお金で私達は生活している。
最初の一週間でお金はほぼ使い果たされてしまうので、月末は食事なしの生活が続く。骨の浮いた自分の手足を眺めながら、ここに鏡がなくて良かったなとつくづく思う。きっと今の私は、とても酷い姿をしているだろうから。
「みんな、みんな俺を馬鹿にする!」
下でガシャン! と何かが割れる音がした。
(ああ、死にたいな)
──今日もまた、死にたいと思った。
何度か脱走に失敗して、もう逃げる事は諦めている。
私の両足首には足枷がはめられており、頑丈な鎖で拘束されている。問題は首にはめられた頑丈な鉄の枷だ。
足首だけなら、以前の私なら再生できた。──でも、今はもうできない。そして首は一度切られれば再生できない。
この屋根裏部屋から逃げ出すには、酔ったパパに上手い具合に足首を切らせて、足を再生させながら、頭を守って逃げなければならない。
しかし何度か失敗した後に、私は逃げ出す気力を失った。
もう、以前のような再生能力もない。何より痛いものは痛い。自分からむざむざ痛い思いをしたいとは思わない。そもそも、逃げてどうなるんだ? と思う。私には家族もいなければ身寄りもない。学もなければ職もなく、お金もない。そんな私がここから逃げ出した所で、どうやって生きていくのだろう。
──結論。死にたい。
同時に、こんな世界滅べばいいのに。……みんな、死んじゃえばいいのにと思う。
誰も私を助けない。
今までも。きっとこれからも。
自分でどうにかするしかないけれど、どうする事もできない。……そんな無力な自分が大嫌いだから、死にたい。
(「しあわせの国」なんてない)
それともここが「しあわせの国」だとしたら──私以外は、みんな幸せな世界なのだとしたら、こんな世界いらない。壊れてほしい。天災でも起きて、跡形もなく、綺麗さっぱり消えてなくなってしまってほしい。──それこそ、さっき観た夢みたいに。
意識を失っていた時、全てが消えていく夢を観た。
あの夢に焦がれている……ような気がする。
(なんで、何度もあの夢を観るんだろう)
──私は物心ついた頃から、繰り返し何度も観ている夢がある。
起きてしまうと全て忘れる夢。
でも、ひとつだけとても印象深く、起きても覚えている夢がある。それが、あの夢──世界が滅びる夢だった。
(あれが現実になればいいのに)
ベッドまで行こうと、床板の上を這う。何だか肌寒い。大分出血したからかもしれない。
真夜中の屋根裏部屋は、不思議と広く感じる。大通りのざわめきが消えるこの時間の静寂の中でしか、私は上手に呼吸ができない。
朝なんて来なければいい。朝鳥の鳴き声が、窓の外から聞こえる行き交う街の人々の笑い声が耳障りだ。
このまま目を瞑って、眠るように静かに、穏やかに死にたい。
希死念慮のような物は常にあったが、今夜はやけに酷かった。耳鳴りも酷い。
血まみれのシャツが肌にこびり付いて気持ち悪いと思ったその時、違和感──いや、悪寒を感じ、横に視線をやり、絶句する。
(うそ……)
──穴が、床にできていた。
あの穴だ。
黒い影が出てくる穴。穴からは黒い瘴気が噴き上がっている。
──終わったと思った。
私はきっと、あの瘴気を吸ってしまったのだろう。
だから今、こんなにも死にたいのかもしれない。
(いいえ。もしかしたら私は、とっくの昔にあの穴から噴き出る瘴気を吸っていたのかもしれない)
今更だが、窓から目視できる場所に穴があるのだ。
風に乗って流れてきた瘴気が、家の中に入ってきて、私が吸っていたとしても何らおかしくない。
理由は分かったが、分かったからと言ってどうにかなる物ではなかった。
私が暮らしている屋根裏部屋は狭い。私が普段寝ているベッドと、簡易トイレ。玩具箱。この三つが所せましと並んでいて、床板はほとんど見えない。わずかに覗いている床板のその部分に穴があった。
私はもうここから動けない。ベッドにも行けない。動こうとした瞬間、穴に落ちる。
この穴は一度できたら、しばらくそこにある。窓の外にある穴も、私が物心ついた時からずっとあった。
(どうしよう)
穴の底を覗いてみると、そこには闇が広がっていた。
顔を近付けた瞬間、肌が総毛立ち、脂汗のような物が噴き出した。
感覚的に分かった。──この穴に落ちたら、私は死ぬ。
「みんな、俺を馬鹿にしているんだ! お前もか! お前もだろう! 殺してやる!」
ドスドスと階段を昇ってくる音に、口元に笑みが浮かんだ。
未だ押さえている腕はくっつききれていない。
再生能力が、またガクンと落ちた。
──感覚的に、今、致命傷を与えられたら、もう再生できないのであろう事は自分でも分かっていた。
(私は今夜、パパに殺される)
どの道、死ぬのなら──今、ここで。
(とても嫌な感じがするけれど、……でも、きっとここにいるよりずっとマシだわ)
かがり火の炎に吸い寄せられる夏の夜の虫のように、私は闇に近付いていき──そして、そこで意識は途絶えた。
※この続きは製品版でお楽しみください。