【試し読み】お嬢様は初恋の騎士を落としたい~既成事実をつくってみせますわ!~
あらすじ
「ルドルフ様と既成事実を狙うのよ!」──侯爵令嬢のフィーリアのもとに届く、嫌がらせめいた手紙の犯人を捕らえるため、騎士のルドルフはフィーリアと恋仲を演じるよう命じられる。ルドルフはあくまで任務としてフィーリアを守り犯人を突き止めようとするが、一方でフィーリアは密かに思いを寄せるルドルフが恋人役となったことに大喜び! 手紙のことなどそっちのけで、犯人が捕まるまでにどうにかルドルフを落とそうと、あの手この手で彼の心を射止めようとするのだが……「ルドルフ様のお部屋に今夜、しのびこむのよ!」──大好きなルドルフに振り向いてもらうため、斜め方向に奮闘するフィーリア。一心不乱に突き進む、その恋の結末は?
登場人物
儚げで美しい容姿とは裏腹に、大好きなルドルフを振り向かせるために大胆な行動をとることも…
真面目で寡黙な騎士。嫌がらせめいた手紙の犯人を捕らえるため、フィーリアの恋人役を命じられる。
試し読み
「ルドルフ。お前に一つ、頼みがある」
豪華な調度品に囲まれた広い部屋で、強面で知られている王宮騎士団長オルスターは重い口を開いた。
「はい」
オルスターの部下であるルドルフ・バートラムは頭を下げたあと、尊敬する騎士団長の言葉を聞き逃すまいと、顔を上げた。
「私の娘、フィーリアと恋仲の役を演じて欲しい」
「恋人役……ですか」
いきなり予想もしなかった申し出を聞き、日頃は冷静なルドルフもさすがにこの時ばかりは狼狽し、表情を変えた。
部下の反応を想定内だと言わんばかりに、オルスターは自身の立派な髭をひとなでするとうなずいた。そして部屋の隅に目で合図を送った。
ルドルフはその時初めて、部屋に自分とオルスター以外の人物がいたと知る。
本棚の陰から姿を現し、ゆっくりと近づいてきたのは一人の女性。
長くウェーブのかかった金の髪に、ぱっちりとした青い瞳。シミ一つない白く透明感のある肌、赤く色づいた小さな唇。華奢だが女性らしい丸みを帯びた体つき。
襟と袖口に繊細なレースがあしらわれた涼しげな印象を受ける淡い水色のドレスを着用し、立ち姿にも気品がある。
ルドルフはその美しい女性を前にして、驚きで目を見開いた。
(彼女は──)
フィーリア・オルダン。
彼女の父オルスターは王宮騎士団長として、騎士達の統括をしている。すべての騎士の頂点に立つ存在であり、剣の腕前はもちろんのこと、豪快な性格と人を惹きつける魅力を持つオルスターは部下達から慕われていた。無論、ルドルフとて例外ではない。
彼が大切にしている一人娘。それこそが、フィーリアだった。
その美しい姿は多くの男性を魅了し、『オルダン家の秘宝』とまで言われていた。
普段は屋敷の奥でひっそりと過ごしていると聞く。父親であるオルスターから、まるで宝物のように大切にしまわれているからか、いつしかそう呼ばれるようになった。
ルドルフは若手の中でも出世頭。長身で長めの黒髪、キリリとした涼しげな目元を持つルドルフは、騎士の中でも美形だった。だが、性格は極めて真面目で寡黙であり、余計なことは口にしない。街を歩けばすれ違う女性が頬を染めるほどの容姿であっても、女性関係の浮いた話はない。
普通、上司にあたるオルスターからこのような申し出があれば、並みの男なら舞い上がってしまうだろう。だが、ルドルフは努めて冷静だった。
王宮騎士団長オルスターは娘を溺愛していると、騎士達の誰もが知っている事実だ。それがなぜ、このようなことを言い出すのか。よほどの事情があるのだろうと悟ったルドルフは身を引き締めた。
ルドルフも貴族の端くれとはいえ、侯爵家にあたるオルダン家とは格が違う。
オルダン家の秘宝、もといフィーリアはルドルフに近づくと、ドレスの裾を持ち、そっと頭を垂れた。
「フィーリア・オルダンですわ」
「ルドルフ・バートラムです」
言葉を交わすと、彼女の可愛らしい声が若干硬く感じられた。だが、それも無理はない。
ルドルフは男社会で育ったので、あまり女性の扱いに慣れていない。加えて女性にどう接するべきか、得意ではなかった。街へ行けば女性から誘われることも少なくはなかったが、女性の相手をするよりも、男仲間と酒でも飲んでいる方が、ずっと気楽だった。それにルドルフの特技といえば、剣ぐらいなものだ。
「これよりしばらくの間、恋人として振る舞って欲しい。振る舞うだけだから、あくまでも世間を欺く『仮』という形だ」
険しいオルスターの声を聞き、ルドルフは勘付いた。
オルスターは娘の恋人役など、本当は認めてなどいない。だがなにか理由があって苦渋の決断を下したのだと。
ならばこれは業務の一環として、尊敬するオルスターに忠実に従うのみだ。
「はい。精一杯任務にあたります」
ルドルフは秘かに決意すると、静かに頭を下げる。
その様子をじっと見つめる熱い視線に、気づいてはいなかった。
***
「フィーリア。ルドルフと大事な話をするから、外へ行ってなさい」
日頃は部下達から恐れられるオルスターでも、娘にかける声は甘く優しい。目尻の皺を下げている様子は、よほど溺愛しているのだと感じられた。フィーリアは再びドレスの裾を掴むと、そっと礼をして退室する。扉が音を立てて閉まったのを確認すると、オルスターは咳払いをした。
「さて、本題に入るとしようではないか」
先ほど、娘にかけていた声の甘さの三分の一にも満たない厳しい声が部屋に響くと、ルドルフは背筋を正した。
フィーリア・オルダンは十八歳になる。
美しい容姿を持つ彼女は、どこへ行っても注目を浴び、異性からアプローチされることも多かった。
彼女を一目見た男達から、贈り物や手紙などが届くことも少なくはない。そんな彼女も年頃になり、いつまでも手元に置いておきたい気持ちもあるが、そんなわけにもいかない。それならば自分が選んだ最高の男と、良縁を結んでやろうとオルスターは考えていた。
そんな矢先、なんとも奇妙な出来事が続いた。
フィーリア宛てに届けられる贈り物の中に、嫌がらせとも思える手紙が混じるようになったのだ。
最初の方こそ、『ずっと君を見ているよ』など、憧れ的な内容だったのだが、徐々に変化を見せた。『昨日着ていた青いドレスより、黄色いドレスが君に似合うよ』『焼き菓子が好きなんだね』など、周囲の人間でしか知り得ないような内容。もちろん、差出人の名前はない。そしてしまいには『これ以上 近づいたら 呪います』と、なんともちぐはぐな内容で、いったいなにが言いたいのかわからない。
周囲の人間をそれとなく疑ってみるが、オルスターの職業柄、屋敷に来客が多い。疑えばきりがない。
そしてよくフィーリアの私物がなくなることに気づいた。最初はただの気のせいだと思っていた。
フィーリアが何時間もかけて刺繍して、完成させたハンカチーフ。オルスターが誕生日に贈ったパールのブローチに、書きやすくて愛用していた羽ペン。どれも愛着があり、日頃から使っていたものばかりだ。そして手紙の内容がエスカレートしていくことに、恐怖を感じ始めた。
そこでオルスターはフィーリアに恋人役をあてがうことを思いついた。
フィーリアに歪んだ好意を持つのなら、その矛先は恋人に向けられるだろう。それにより姿を現すかもしれない。そこを一気に叩き、潰すべきだと計画したのだ。
だが同時にこの任務は危険が伴う。
選ばれたルドルフは二十三歳の若さで、その実力は騎士団の中でも群を抜き、剣さばきには目を見張るものがある。加えて瞬発力も良く、頭も切れる。格式高いバートラム家といい、家柄も恋人役としての不満はない。
黒い髪と青い瞳を持つ美男子で、女性に言い寄られることも多いと聞くが、浮いた話は聞いたことがない。
それになにより真面目で実直な性格で知られている。ここが一番決め手となった。
これが任務だと言えば、ルドルフは最後まで貫き通すだろう。間違ってもフィーリアに手を出そうなどとは思わないはずだ。あくまでも仮の恋仲であり、フィーリアに粘着している相手を捕らえるためだ。
つまりはルドルフの日頃の態度と人間性が買われたのだ。
この計画がうまくいって無事犯人が捕まり、ほとぼりが冷めたら、フィーリアに相応しい相手を自分の目で選ぼうとオルスターは決めていた。
オルスターから事情を説明されたルドルフは、すべて納得したようだ。
「だが、これだけは肝に銘じておけ」
咳払いをしたオルスターはルドルフに鋭い視線を向けた。
「これは任務の一環だということを忘れるな。変な気など起こさぬようにな」
「はい」
「世間には恋仲だと発表するが、必要以上に近づかぬように。距離を保て」
「はい」
「例え二人っきりになっても、雰囲気に流されるのも駄目だからな」
「はい」
「仮にしたら、首をしめるぞ」
「はい」
いったい、いくつ禁止事項があるのだろう。
そこからも続くオルスターからの通達を、ルドルフはすべて黙って受け止めた。
やがてひと通り話したあとは納得したようで、オルスターは静かに息を吐き出した。
「面倒なことに巻き込んでしまってすまない。だが、この任務には危険が付きまとう。フィーリアの身を守るには、適任だと思ったからだ。期待をしている。頼んだぞ」
「はい」
「詳しい話はあとから詰めるとしよう」
今までにない任務を受け、ルドルフも多少なりとも緊張していた。
用件を聞き終え、このまま宿舎に戻り、剣の訓練に交じろうと思っていた時、オルスターが声をかけてきた。
「娘は今、庭園に行っている。二人で顔合わせをして帰るといい」
「はい」
「くれぐれも先程の禁止事項を忘れるな。ああ、あとから紙に書き記して渡そう」
オルスターはどうやら一覧にまとめてくれるようだ。色々と追加されそうだと思いながらも、ルドルフは律儀に返事をする。
「ありがとうございます。では、フィーリア様にご挨拶をしてから帰ります」
「ああ、忙しいのに、悪かったな」
オルスターは庭園までの道のりを、執事に案内するように言いつけた。
***
薔薇の香りに包まれた庭園を、ルドルフは進んだ。きちんと手入れがされた庭園は、粗野な自分とは無縁だと思いながらも、執事の案内のもと、フィーリアを探して歩く。
薔薇のアーチの近くにある噴水のたもとで、彼女を見つけた。隣に仕えているのは侍女だろうか。
フィーリアは手に薔薇を持ち、その花びらを一枚ずつ手に取り、噴水に浸している。その様子は、まるで乙女が花占いをしているかのようだった。
うつむいた小顔に影が落ちているが、長い睫、伏し目がちだが大きな瞳。高い鼻筋に、赤く色づいた頬は遠目でもわかる。
驚かせてはいけないと、ゆっくり近づくと、侍女が最初に気づいた。侍女はフィーリアにそっと耳打ちをすると、彼女が顔を上げた。
その瞳には驚きの色が浮かんでいた。
いきなり父の部下である男と仮初の恋人を演じろと言われて動揺するのは、無理もない。ルドルフとて、異性の扱いにたけているわけではない。だがこれは任務の一環だと、ルドルフは自分に言い聞かせた。
噴水のふちに腰かけるフィーリアの側に寄り、そっと片膝をついた。
胸に手を当て、忠誠のポーズを示せば、フィーリアは瞬きをした。彼女を怖がらせてはいけないと、ルドルフは静かな口調を試みる。
「改めてご挨拶をと思い、ここまで案内していただきました。フィーリア様の平穏な日々が一日でも早く戻ってきますよう、全力を尽くす所存であります」
静かに頭を下げたルドルフは、相手からの返事がないことが気になった。無礼な態度を取ったのだろうかと、いささか不安になり顔を上げた。
すると頬を真っ赤に染めあげたフィーリアが、こちらをじっと見つめていた。
「フィーリア様?」
もしや熱でもあるのではと、ルドルフは焦った。スッと立ち上がると彼女の肩がびくりと揺れた。
「だ、だ、大丈夫です」
若干の声の震えを感じ取ったルドルフは、怖がらせてしまったと思い、後悔した。
相手は高貴なる令嬢。自分のような剣の扱いしか知らぬ男が相手では、フィーリアも脅えるだろう。
細身なのに筋肉質なルドルフは身長も高いので、側に寄るだけで相手に威圧感を与える。だが、彼女を守る任務があるのだから、慣れて貰わねば困る。
「よろしければ、少し話をしませんか」
ルドルフはなるべく優しい声を出すように気遣うと同時に、そっと手を差し伸べた。
相手は弾かれたように顔を上げた。長い睫が瞬くのを見て、ルドルフは再度後悔した。いきなり話をしようなど、急すぎたと思ったのだ。
現に相手は手をそわそわと動かし、落ち着かない。頬は真っ赤になってうつむき、視線をさまよわせている。その一連の動作から嫌がっているのだと、奥手なルドルフでさえ察することができた。
側に仕えている侍女に視線を向けると、苦笑している。
ルドルフは差し出した手をどうすべきか迷った。だが、彼女は触れることに躊躇しているように見えた。
これ以上、彼女をわずらわせてはいけないと判断したルドルフは、手をサッと戻した。
「あっ……」
その時、驚いたような声が聞こえた。顔を向ければ、悲しげに顔を歪めたフィーリアが視界に入る。その様子は気落ちしているようにも見えて、ルドルフは困った。
たったこれだけなのに、ルドルフはどうすればいいのか、わからなかった。気の利く会話もできない、女性を楽しませる話題も知らない。
「フィーリア様」
その名を呼べば、瞳を逸らした彼女を見て、ルドルフは切り出した。
「この任務を他の者に代わりましょうか?」
もちろん、彼女を守り、粘着質な相手を見つけ出す自信はあるが、その前に彼女自身が自分を受け付けないのならば、この話は難しいだろう。他に腕の立つ人物は大勢いるし、彼女を不安にさせない会話ができる人間がいるはずだ。それならばルドルフは陰から見守ろうとさえ思ったのだ。
ルドルフなりの精一杯の気遣いのつもりだった。だがフィーリアは声を荒らげた。
「ダメ!! 絶対ダメ!!」
予想と違ったその剣幕に、呆気にとられた。
「あ、あなたじゃなければ、意味がないのです!」
言い切ったフィーリアに驚いて視線を向けた。
「だってお父様が、ルドルフ様が一番有能で、信頼できるって言っていましたし!!」
その言葉を嬉しく思いホッとして、小さく息を吐き出した。
「ありがとうございます。フィーリア様」
礼を口にすると、フィーリアは立ち上がった。
「そ、その『様』はいらないと思います!! あと敬語も。だ、だって私たちは、こ、こ……」
そこで言葉に詰まったフィーリアに、ルドルフは反応した。
「こ……?」
ルドルフが首を傾げれば、フィーリアはみるみるうちに顔が真っ赤になる。それも首までだ。
グッと息を飲み込んだあと、意を決したように口を開いたフィーリアは、言葉を吐き出した。
「恋人同士なのでしょう、私たちは!!」
つまり自分達はそういう設定になったのだから、名前で呼ばないのはおかしいと指摘してきたのだ。なるほど、確かに慣れておかなくては、周囲をごまかすことはできないと思いながら、ルドルフは静かにうなずいた。
「では、皆の前だけ、そう呼ぶことをお許しください」
「ダメ!!」
彼女からくらうダメ出しに、またもや驚きつつも、視線を向けた。
「ひ、日頃から、そう呼んでいないと、皆にばれてしまいます。それに誰かに勘付かれたらおしまいだわ」
「考えが浅はかでした。お許しください。フィーリア様」
「ほら、それです! フィーリア『様』じゃなくて、フィーリアです。それに敬語もダメです」
フィーリアが言い直せと主張していると悟り、ルドルフは大人しく従った。
「フィーリア」
「きゃあああ!!」
名を呼ぶと同時に、突如として奇声を発し、顔を伏せた彼女が心配になる。無礼を承知で背に手を当て、その顔をのぞき込んだ。
「どうかされましたか?」
もしや具合が悪いのだろうか。それとも名を呼んだことにより、気分を害したのだろうかと、ルドルフは不安になる。
「いっ、いえ、大丈夫……」
「だが、顔が赤い。熱でもあるのでは?」
さらに詰め寄ると、今までに見たことがないぐらい顔が赤い。それに瞳が潤んでいる。医師を呼ぶべきだと判断を下した時、それまで側で見守っていた侍女が、二人の間に割って入った。
「はいはい、すみませんねー。少し手を離してくださいね」
ルドルフの手を掴むと、ペッと引きはがした。そしてルドルフに顔を向ける。
「うちのお嬢様、今日はもうこれぐらいでキャパオーバーだと思われますので、そろそろお部屋に下がらせていただきます」
はきはきとそう言った侍女は、主人であるフィーリアに肩を貸して、立ち上がる。
「私はお嬢様専属侍女の、エマといいます。これからどうぞよろしくお願いします」
フィーリアよりも少し年上で、髪をお団子にひっつめた侍女は、挨拶と共にペこんと頭を下げた。
「お嬢様、ほら行きますよ。歩けますか?」
エマは引きずるように、フィーリアを部屋へと連行した。
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