【試し読み】お腹がオーブンの黒竜さんを愛の力で救いたいと思います!
あらすじ
マリーは多産の家柄というだけで跡継ぎに恵まれない王の側妃に選ばれた。だが輿入れの日に王妃の懐妊が判明。以後、一度も王に会うことなく『触らずの森』近くの離宮に幽閉されてしまう。月日は流れ、王妃が二人目を懐妊すると今度は用なしとして暗殺対象に。危険を察して森へ逃げれば、そこでお菓子の家と遭遇する。中へ入ると、なんとお腹がオーブンになっている黒龍が! 彼は自らをセーザンと名乗り、魔女の魔法によってこんな姿に変えられたのだと説明する。お菓子を食べたら焼き時間分だけ人型になれるとかなんとか。行くあてのないマリーはお菓子作りを条件に彼と暮らすことを決めるが、どうしても魔法の解き方がわからなくて――
登場人物
多産の家柄のため王の側妃に選ばれたが、王妃の懐妊により曰く付きの離宮へと幽閉される。
魔女の魔法によってお腹がオーブンに変えられた黒竜。『触らずの森』のお菓子の家で出会う。
試し読み
プロローグ こんなところで死ぬわけにはいかない
マリーゴールド・レパンは、小さな農領地を治める男爵家の長女として生まれた。レパン男爵家と名前を出すと、「ああ、あのレパン男爵家」と言われるほど名前が知れ渡っているのは、自家が子だくさんで有名だからだ。
マリーにも兄弟姉妹が六人いるし、父親も七人兄弟だ。貴族位も低い上にあまりにも王都から離れているので、ほぼ平民同然の親戚も多い。レパン領は家族経営だと貴族に揶揄されることも多いが、まれに見る安産多産ということで、子どもが生まれにくい他の貴族たちの結婚相手や愛妾として求められることも多々あった。
それでもレパン男爵家のモットーは『家族みんなで幸せ』だったので、本人が強く望まない限り誰かの愛人として差し出すことはなかった。
ただ、それは同じくらいか少し上くらいの貴族にだけ通じることであって、この国の一番偉い人──つまり国王から側妃として求められれば、レパン男爵家としては差し出さざるを得なかった。
マリーの住むカンダリル王国では、一夫一妻制度を取っている。それは国王とて例外ではなく、今代の国王は王妃と恋愛結婚だったせいもあってか、たいそう仲睦まじく、その噂は国の端にあるレパン領にも届くほどだった。
しかし、王妃が二十代後半になっても、国王夫妻には次代に恵まれず、また国王には兄弟もいなかったため、後継者問題が深刻であった。
国王は王妃のすすめもあって、やむを得ず側妃を娶ることにした。
貴族であり、なおかつ子を孕みやすい女性を──と、女性相手にずいぶん遠慮のない選考をもってして白羽の矢が立ったのが、マリーだった。
十八歳という年頃の年齢、家柄の低さは逆に言えば国王夫妻の政敵とはなり得ない。
また王妃には似ても似つかない平凡顔だが王妃と似た金色の髪だったこともあり、マリーが選ばれた。と言っても、マリーの金色の髪は太陽に当たりまくって茶色が薄くなったかのような淡い金茶色で、その瞳に至ってはエメラルドの宝石と見まごうような王妃の瞳にはほど遠い、春の草原のような若草色だった。王妃の廉価版のようなものだと誰かがこっそり陰口を叩いたこともマリーは知っている。
とにかく家格やら容姿やらいろいろすべて調査した結果、マリーが『ちょうどいい』として、国王の側妃に選ばれた。
しかし、マリーにとっては幸いだったのか不幸だったのか──
彼女が国王に嫁いだまさにその日、なんの運命の悪戯か、王妃が懐妊した。
国王は愛妻の懐妊に諸手を挙げて喜び、ひっそりと嫁いできたマリーのことなどすっかり忘れてしまった。
マリーもマリーで、一回りも年の離れた王の寵愛を受けることはとても恐ろしく思っていたので、そのときは安堵したのだが、それから彼女の人生はおかしな方向へと傾いていく。
まず側妃という存在自体が城では異例で認められず、また、懐妊した王妃の心を煩わせてはならないと、城とは別にある離宮へ即座の移動を命じられた。
元は王族を幽閉するためのものだったという曰く付きの不気味な場所だ。
しかも、侍女らしい侍女はつかず、警備もほとんどない。その上、王が一度も訪れないとなれば、離宮の存在は禁忌のような扱いとなっていく。
マリーはその離宮で十ヶ月ほど静かに過ごし、王妃が無事に皇太子である男児を出産したことを知る。国を挙げての祝祭ムードにマリーも喜びはしたが、さて、自分はどうなるのだろうか、と思った。
このままレパン男爵家に戻してくれればよかったのだが、マリーは王の子どもを産むために、特別に王籍を賜り、名前が系譜に載ってしまった。なにもなかったからと言って、その事実は抹消できない。
王はマリーの存在を忘れていたが、宰相以下国の重鎮たちは彼女の存在をどうすべきか悩み始めていた。
そして彼女がひっそりと嫁いでから一年半後──
王妃が再度、懐妊したという知らせが国中に届いた。
出産してすぐではあったが、後継は多い方がいい。
国王夫妻はたいそう喜んだ。
そして、国の重鎮たちは決意した。
マリーゴールドという娘の存在は、今後の王家の繁栄には邪魔であると。
(このまま死ぬわけにはいかないんですけど!)
マリーは今、離宮の裏にあった『触らずの森』と呼ばれる禁忌の森に足を踏み込んでいた。
服装は侍女姿。
贅沢なドレスなど、結婚してからずっと着たことはなかったが、今日はそれ以上に偽装していた。
理由は簡単だ。
殺されそうだから。
(わざわざ嫁いできたうら若き乙女に、なんでこんなに容赦ないかなあ!)
無言でザクザクと森の中を歩いているが、本当はおっかなびっくりだ。王城から少し離れた離宮は、『触らずの森』を警備するためにもともと存在していた場所だった。
『触らずの森』はその名前の通り、触れてはいけない恐ろしいなにかがいると言われている森だ。マリーも国の端にはいたが、その森が禁忌の森であることは、昔話のように言い聞かされていたので、絶対入ることはないだろうと自分でも思っていた。
しかし、背に腹はかえられない。
離宮の警備兵の人数が数日前に異様に増えた。しかも、あまりいい形相の者ではない。
仲がよかった侍女も替えられ、無表情で不気味な侍女になったとき、マリーは自分の行く末を察したのだ。
蝶よ花よと育てられていたわけではなかったし、兄弟がたくさんいたので周囲の様子を窺うことに長けていたことが幸いした。
異変を感じてすぐに、こっそりと兵の休憩所にのぞきに行って、そこで世間話のように語られた話を聞いてしまう。
「ここの側妃さん、毒殺するらしいぞ」
マリーは冗談じゃないと思ったが、一方でそうなるような予感もしていたのだ。
ただ、自分には国のために死んであげる覚悟はまったくなかったが。
(結局一度も王様と会わなかったな)
会わなくてよかったと今なら思う。おじさん趣味ではないので一目惚れする可能性はなかったが、万が一にでも好きになっていたら、まったく顧みられないことをつらいと思っただろう。
けれど、一度も会ったことがないから、見限ることができた。
国のためだからという、理不尽な要求を受け入れる気にならなくて済んだ。
たとえ森の中で獣に食い殺されて一生を終えようが、その方がまだマシだと思えたのだ。
(私の命の行き先は私が決めるんだから! 農業娘舐めんなよ!)
うっそうとしたこの森の奥になにがあるのかはわからない。
恐ろしいと思うが、不思議と怖くはなかった。
(森の奥にせめて小屋とかあればいいんだけど)
誰も入らない森では、そんなものがあるわけがないとわかってはいたが、それでも一縷の望みを託して獣道を歩く。
すると、ありえないことに小さな看板が立っていた。
「え、誰か住んでいるの?」
誰も入らないはずの森だ。いったい誰がこんな看板をと思いながらそこに書かれている文字を読む。
『汝、幸せを与えられる者か』
それは不思議な問いかけだった。
「幸せを与える?」
ずいぶん抽象的な言葉だ。幸せなど人それぞれだろう。
マリーはうーんと考えてから、きっぱりと言う。
「私が欲しいものと同じなら、与えることはできるわ!」
マリーの幸せは、父と母のような貧しくとも楽しい家族を作ることだ。たくさんの子どもたちに囲まれ、大好きな人と仲良く暮らすことだ。
誰もいない離宮で、来やしない誰かの愛人でいることではない。
そう思ったときだった。
「え」
不思議なことに、ぽうっと灯りが看板の先に連なり始める。次いで獣道が舗装された土の道へと変えていく。
「な、なにこれ?」
誰もいないはずなのに、まるで呼ばれるかのように道ができていく様を、マリーは目を丸くして見ていた。
「私の答えがあっていたってこと……?」
だが、それならば幸せとは『誰』に与えるべきものなのか。
次にそのことが疑問に浮かんだが、マリーはとりあえず舗装された道を歩くことにした。
どうせ自分には帰り道などない。
進むしかないのなら、この先になにがあろうと行くしかないのだ。
月のない暗い夜。
逃げてきた一人の娘が選んだ道の先は、果たして幸せか、それともさらなる災いの始まりだったのか──
「ええええ?」
マリーがたどり着いた先にあったのは、柔らかい明かりを灯した『お菓子の家』だった。
1 お腹の中にはシンプルクッキー
「こんばんはー、お邪魔しまーす!」
マリーは数回のノックのあと、甘い匂いが立ちこめる家の中に遠慮なく入った。鍵も閉まっていなかった部屋の中は、外とは打って変わって暖かい。
人が一人暮らすために作られたような家だった。
クッキーでできた食卓に対の椅子。綿菓子の布団がかぶさったベッドに、灯りはキャンディーだ。ともすればベタベタと溶けてしまいそうだが、不思議とどれも溶けたりカビたりしていない。
かといって誰かがさっきまで住んでいたかと言えば、それは違うと思った。
人の気配がまったくなかったからだ。
それにもかかわらず煌々と灯りのついた部屋の奥には、見事なキッチンがあり、その中央にはたいそう大きなオーブンがあった。
オーブンだとわかったのは、扉が開いて焼き場の部分が丸見えだったからだ。
驚くほど大きなオーブンは、部屋奥の壁の半分を占拠している。しかも普通のオーブンではない。
それは座した黒い竜の形を模していた。こちらに向けて開いた竜の腹に、扉がついている。その中に料理を入れて焼いたり温めたりするのだろうが、なぜか薪をくべるべき竈の部分がない。世の中には魔法で動くオーブンもあるというので、もしかするとそういう類いなのかもしれない、とマリーは思う。
「これ、鉄でできているの?」
ペタリと顔に触れると、ひんやりと冷たかった。
「すみませーん、どなたかいらっしゃいませんか?」
他に部屋がないか確認してみると、風呂とトイレが一緒になった小部屋が一つ、倉庫が一つの計三部屋だったが、人がいる様子はまったくない。
「お出かけしてるのかしら?」
こんな夜更けに灯りをつけたまま出かけた誰かがいるのだろうか。
訳もわからず考え込んでいると、ぐうっと小さくお腹が鳴った。
そういえば今日は朝からなにも食べていないことを思い出す。
メイドも食事を出してこなかったのだ。きっともうすぐ死ぬ相手に食事さえ与えることも面倒だと感じたのだろうが、そこまであからさまにやればマリーとてわかるということにどうして気づかなかったのだろうか。
(まあ、一度も王様とお目通りしてない側妃なんて、いないも同然なんだろうけど)
だからといって、そのままあの離宮で殺されるのを待つほどマリーは愚かではない。
ましていなくなったからと言って、大々的に王家から実家へ通達がいくとも思えなかった。邪魔になったから側妃を殺すなど、あまりにも外聞が悪すぎるからだ。
きっとマリーはひっそりと病死扱いされるのだろう。
国からなかった者として抹消されることに思うところがないわけでもなかったが、今はそれよりも食事を優先することにした。
「とりあえず、なにか食べるもの……すみませんけど先に拝借させてください……」
申し訳ないと思いつつも、空腹に耐えかねて倉庫を漁ると小麦粉と砂糖、そしてバターがあった。
「これ、大丈夫かな……」
倉庫の中には大きな戸棚が一つあり、そこに食料がすべて保管されていた。戸棚から出した感じでは腐っている様子はない。そもそも溶けやすいはずのバターもそのまま保管されているにもかかわらず変色などもまったくないところが不思議だった。
お菓子でできている室内の家具といい、ここは普通の家ではなさそうだ。
「これでなにか作れるかな?」
考えていると、突然、動物の鳴き声がした。
「コケー!」
「へ?」
キッチンからつながる裏口のあたりになにかいる。扉を開けるとなんと鶏が数羽、裏庭にいた。そして、その奥では「モー」と牛小屋から牛の鳴く声までした。
「え、え、え?」
先ほどまで家畜の気配などしなかったのだが、気づかなかっただけなのだろうか。首をかしげながらも鶏の巣らしき藁床から卵を数個頂戴した。
「これならパンケーキが作れるのでは!」
マリーはいそいそと家の中に戻った。
そして愕然とする。
「竈がない!」
水場はある。食器棚もある。なのに肝心の火をおこす場所がなかった。
あるのは部屋の真ん中に大きく座した竜の形のオーブンだけだ。
「えー、これしかないってこと……?」
天板はオーブンの中に入っているので作れないことはないが、果たしてパンケーキをオーブンで焼けるのだろうか。
困っていると、
「クッキーを作ればいいだろうが」
と言われた。
「あ、なるほど。クッキー!」
それは名案だ! とマリーはボウルなどを用意しようとして、気がついた。
今、声をかけてくれたのは誰なのかと。
「おい、お前」
「はい?」
また、誰かの声がした。
マリーは後ろを振り返ったが誰もいない。
「馬鹿か。前を見ろ」
言われた通りに前を見た。
前にはこの変わったオーブンしかない。
「こんばんは、お邪魔しています」
とりあえず誰かいるのだろうと挨拶すると、
「図々しい奴だな」
と、オーブンがしゃべった。
「やだ、これ、話せる機能がついているの? すごーい!」
「お前、驚くところはそこか?」
今度こそ確実にオーブンがしゃべった。口のあたりが動いたから確かだ。そして鉄でできていると思った竜の目がギロリとこちらを見た。
「お前は誰だ? どうやってこの家にやってきた」
「……」
「この家は魔女の力で封印されているはずだ。女、お前も魔女なのか?」
マリーは返事をしない。
「おい、返事をしろ!」
オーブンの黒竜はマリーを怒鳴りつけたが、マリーはなにも言わずにフラリと身体を倒していく。
「あ、おい!」
慌てて黒竜は部屋の端に横たえていた長い尻尾でマリーを受け止める。
そしてそこでマリーがなぜ黙っていたのかに気づいた。
さすがに子だくさん男爵家の長女といえども、オーブンだと思ったものが黒竜で、しかもしゃべるとは思わず、気絶していたのだ。
※この続きは製品版でお楽しみください。