【試し読み】こじれた恋は独占欲に溢れてる

作家:水守真子
イラスト:西いちこ
レーベル:夢中文庫クリスタル
発売日:2021/2/26
販売価格:500円
あらすじ

「問題ないよな。俺たちは男同士みたいなものだし」──恋愛シャットアウト状態の小田島尚子。社内外の女性から人気の黒瀬逸人とは同期で、性別を超えた気の合う関係。ある日、後輩女子社員から逸人との仲を取り持ってほしいと懇願され、尚子は飲み会をセッティング。後日、二人がうまくいったようだと知った尚子が逸人に祝福の言葉を告げると、逸人はふたりきりでのお祝いを要求してきた。高級なお店で彼と向かい合う時間に緊張し、つい飲みすぎてしまった尚子は逸人に介抱されホテルの一室へ。そこで逸人の『男性』をあからさまに感じさせられる。でも彼にはもう恋人がいる──チクチクと痛みだす胸に逸人への想いを自覚させられて……

登場人物
小田島尚子(おだじまなおこ)
恋愛シャットアウト状態で、同期である逸人とも性別を超えた友人関係を維持している。
黒瀬逸人(くろせはやと)
端整な顔立ちで社内外の女性から人気。尚子とは共通の話題も多く仲が良いが…
試し読み

「ナニソレ……超怖いんですけど……」
 小田島おだじま尚子なおこは、抱いた腕をさすった。
 気の合う同期で集まっていた二、三カ月に一度の飲み会は、いつの間にか酒と話をするのが好きな社内の人が集う会となってしまっている。
 オリジナルメンバーだった小田島尚子にとってもこの会は、黒瀬くろせ逸人はやとと、趣味の話を楽しむものと変化していた。
 逸人は百八十五センチの高身長、贅肉の見当たらない身体でスーツをパリッと着こなすイケメンだ。もちろん、社内、取引先を問わず人気があって、その彼女の座を狙う女子は多い。
 尚子が嫉妬されないのは、冴えない風貌のせいだ。ひとつに結ぶだけの長くて黒い髪。化粧っ気の薄い顔に、オフィスカジュアルとはいえ、白シャツと黒スカートという制服のような私服。
 恋愛感情を持たれるわけがないと思われているが、尚子もその通りだと思っている。
 逸人とお近づきになりたくて勇気を振り絞ってこの会に参加する女子がいた。それなのに誰も近寄って来ないのは、我々ふたりの話す内容が『怖い話』だからだ。
 どうやら、悪趣味らしい。
 そういうわけなので、いつも通り小上がりの畳の個室にある長机の端っこで、ふたりでこの話に興じていた。
 逸人は自分が怖がったことに満足したようだ。
「まだ仕入れてるけど、聞く?」
「忙しいのに怖い話の収集も欠かさないとか素晴らしすぎるんですけど」
 逸人は顔をくしゃりとさせて笑う。クールに見られる端整な顔立ちが一気に少年のようになった。
 たまにしか見ることのできない、かっこいいからかわいいに変わるこの表情も、また人気のひとつだ。まったくもってイケメンは罪深い。
「また今度にしようかな。今日の話、超怖かったし、これ以上聞いて寝られなくなったら困るもん」
 怖い話にも許容量があって、それを超えると、楽しいからはみ出し怖いだけになってしまう。
「かわいいことをいうね」
「でしょう~。でもほんと、夜中の二時とかに目が覚めた時が最悪だよ、まじで」
 尚子は何のなしにひとつに纏めていた髪を解く。長い髪は結んでいるだけなのに乱れるのだ。
 笑ってビールを飲んでいた逸人がふと、尚子の髪に目を止めた。
「小田島、髪長いよね」
「ああ、うん。伸びたね」
 毛先だけを切り揃えながら伸ばしていたら、いつの間にか背中の真ん中くらいまでになっていた。
 邪魔なのでいつも何の色気もない黒いゴムでひとつに結んでいる。
「下ろしていた方が似合うよ」
「ええええ……。仕事しにくいもん」
「きれいな髪なのに勿体ない」
「染めてないから、傷んでないだけだよ」
 仕事中に髪が顔の横から下りてくるのがどうにも苦手だ。尚子が髪をまたひとつに結ぶと、逸人が微苦笑を浮かべる。
 そんな表情さえ絵になるイケメンなのに、喋る才能もあるのだから神は罪深い。
「やっぱり黒瀬は喋るのが上手だね。今日の話も怖かった」
「話じゃなくて、話し方の問題じゃないかな。擬音語と擬態語は効果的に使うように心がけているよ。小田島も意識してみたらどう」
 はなしは相手をどれだけ自分に集中させるかなのだから、それは技術なのだ。話し方を工夫するなんて、考えた事も無かった。
「……なるほど。気を付けてみる」
 的確過ぎるアドバイスを受けて、今日話した話を思い出してみる。擬音語が無駄に多かったり、擬態語の使い方が上手ではなかった。
 逸人は声を小さくしてみたり間を長く取ってみたり、引きこむ話し方をしていた。おまけにオチで嫌な余韻を残したのが素晴らしい。
 尚子は腕を組んで唸る。
「さすが、黒瀬。営業のかがみ。話し方を客観視していて素晴らしい」
「……こういったアドバイスは素直に受け入れるよね、小田島は」
 微笑みながらビールを飲む逸人の喉仏が上下に動いた。急に眼に入ってきた男の色気にどきっとしてしまう。
 逸人とは男同士みたいなものなのに、そんな感情を抱いた自分が恥ずかしい。
「黒瀬のアドバイスは全般的に的確だしありがたいもん。ほら、あの時のプレゼンソフトの使い方は勉強になった。お陰でちょっと仕事が早くなったんだよね。ありがたい」
「そういう細かいことは覚えてるのかよ……」
「ぜんっぜん、細かくないよ」
 尚子は眉間に思いっきり皺を寄せて、首を横に振った。
 ショートカットキーをいくつか使いこなせるようになるだけで、仕事の効率化が図れるのだから、とてもありがたい情報だった。
「超、超、超、助かったんだってば」
「ハイハイ」
 逸人が笑いながらビールをテーブルに置いたところで誰かの視線を感じた。
 逸人目当てで飲み会のメンバーにちゃっかり滑り込んだ後輩の滝川たきがわ美輪みわがこちらをちらちらと窺っている。
 茶色のセミロングの髪にゆるふわパーマ。エクステばっちりの睫毛に、愛らしい感じを最大限に引き出す桃色主体のメイク。低めの身長は、男の庇護欲をくすぐることこの上ない。
 会話に入ることのできるタイミングを見計らっているのだろう。こちらが気になって仕方がないという感じだ。
 可愛すぎる美輪に尚子はテーブルに肘をついて顔を覆ったので、逸人が驚いた顔をした。
「何、どうした」
「黒瀬の鈍感さが憎い」
 逸人を指の合間から覗く。あの熱視線に気づかないなんて、仕事に全精力を注ぎ過ぎだ。
 怖い話も終わったし、と尚子は腰を上げる。
「人気者の黒瀬を独り占めしすぎたみたいだから、私はあっちに戻るよ」
「あ、小田島、あの漫画の新刊買った?」
 タイトル名を聞いて尚子は再び座った。読む人を選ぶハードな表現も多い青年漫画で、逸人からおススメだと全巻を借りて、ドハマりしたものだ。
 尚子は自分の額を押さえる。
「新刊チェック、怠っていました……」
「面白すぎるから続きが読めないのがツライとか散々愚痴りながら、発売日とかまったく気にしていないよな」
 その通り過ぎて思わず尚子は耳を塞ぐ。
「貸してもらっているから、そこらへんが曖昧になっちゃっているのは認める。……いい機会だし大人買いしようかな」
 ひとり暮らしのワンルームでも電子書籍ならいくらでも買えることができる。
 ハマったものにはお財布の紐が緩くなりがちなので、カートに入れて一晩以上置くようにしていた。
「いや、俺が貸すし。いつも貸してるじゃないか」
「黒瀬がいくら良い友人だとしても甘えすぎたと思う。反省」
 尚子は毅然とした態度で頭を横に振った。生涯独り身を見据えて、自立心を大事にしている身としてはよろしくない。
「決めた! 大人買い!」
 来月のこの会をスキップすればお金的にはプラスマイナスゼロだろう。毎回、黒瀬を独り占めするのもどうかと思っていたのでちょうどいいと思った。
「貸すって言っているじゃないか……」
「男同士とはいえ、やっぱりここはケジメが大事」
「何が男同士だよ」
 逸人は頭を抱えた。いつもそう言い合っているのに、なぜ今日はそんな態度を取るのだろうと尚子は首を傾げる。
 そんな二人の間に、可愛い声が入ってきた。
「お話、終わりました?」
 髪を耳の後ろに掛けながら、美輪が尚子の隣にちょこんと座る。手には飲み物、ビールまで持参だ。
 尚子はウーロン茶を一気に飲み干してから立ち上がった。
「怖い話は終わったから、大丈夫だよ」
「良かった。怖い話って苦手で」
 目を潤ませながらほんのり顔を赤らめる姿は、絵に描いたような女子だ。
 怖い話もハードな漫画もエンターテイメント。恐怖という感情に呑み込まれて、それを遠ざける理由にはならない。
 そんな話を逸人としたことがあった。
「ほんと、滝川さんはかわいい。ね、黒瀬」
 ふんわりと漂ってくる甘い香りに癒されながら逸人に話を振れば、物憂げに微笑んだ彼に見据えられる。
「小田島もかわいいよ」
 美輪が息を呑んだのがわかった。尚子の心臓が信じられないくらいに跳ね上がる。
「神フォローすぎる。モテるだけあって優しいね。では、お邪魔虫は去りまーす」
 尚子は逸人にぐっと親指を立てて、皆がいる自分が最初座っていた席へと移動する。
 心臓はまだどきどきしていた。落ち着くために、取り皿に取ったけれど手を付けていなかった卵焼きを食べるが、味を感じる余裕もない。
 逸人は嫌味を言うような奴じゃないだけに、あのセリフは罪深い。
 尚子は自分のスペックを反芻はんすうする。
 黒髪をひとつに束ねただけの髪型。白いシャツに黒いスカート、靴も黒のハイヒール。化粧も薄くて、しているかいないか、わからないレベル。
 自分でもお洒落なんてものに気を使っていないのだから、容姿に関して褒められる要素はないことはわかっている。
 コンパなどでは昔から異性に存在を無視されてきた。
 あからさまな拒絶に傷ついてはきたけれど、今なら、着飾らない初対面の女を相手にしにくいのはなんとなくわかる。重そうという印象が、そのまま性格だと思われるのだ。
 親友に再三言われても、お洒落を学んでこなかった。これは自業自得だし、今更どうにかしようにも気恥ずかしくもあり腰が重い。
「黒瀬との趣味の悪い話は終わった感じ?」
 尚子を『お堅い学校の教員のようだ』と称した、先輩の池本いけもと慎司しんじが空いていた隣に座ってきた。
 表ではとびきり明るい、裏ではあまり空気を読まないと言われている、なのに黒瀬に次ぐ人気のある、元ラグビー部の男らしさを固めたみたいな先輩だ。
「趣味の良い話は終わりましたよ」
 にこりともせずに嫌味で言い返すと、慎司は大きな声で笑った。
「小田島のそういうとこ好きだわ。他と違って気を使わなくて済む」
「いやいや、気を使ってくださいよ」
「無理無理」
 慎司は尚子の取り皿の上にあった卵焼きの一切れを手で掴んで口に運ぶ。
「おっ行儀の悪い……!」
「お母さん、厳しい」
 また笑う慎司に、尚子は何を言っても無駄だと肩を落とした。
「池本さん、散々食べてたじゃないですか。食べ散らかしてたじゃないですか」
 恨みがましく慎司を睨むと、その向こう側にいた逸人と目が合った。その仄暗い表情に、何が起こったのかと驚く。
 逸人の向かいでは美輪が嬉しそうに話し続けていて、そのコントラストに心配になった。
 背を向けているせいで見えていない慎司は、尚子の取り皿に唐揚げを乗せてきた。
「卵焼きより唐揚げを食った方がいいぞ。小田島は痩せすぎなんだよ。特に胸が。鶏の唐揚げで胸がでかくなったって、グラビアアイドルがテレビで言ってたぞ。実証済だ。ほら、食え」
「セクハラァ……ッ」
 慎司はハラスメントに厳しい時代にスラスラとセクハラ発言をして、明るいキャラのせいか許されるのだ。
 許したくない尚子が抗議の視線を向けると、慎司は親身になっているといった表情を作る。
「小田島の女らしい部分を引き出そうとする老婆心だ」
「私が男みたいなのは認めますけどね、言い訳より謝罪が欲しいですよ、謝罪」
 気の置けない集まりとはこういうものだが、男扱いもここまでくるとなかなかだ。
「事実に謝罪って必要?」
「ハラスメントォッ……! ほんっとに、もう」
 慎司に憤慨はするがいつものやり取りだから、お互いに引き摺りはしない。
 唐揚げには罪は無いのだから、勧められたままぱくりと食べた。身が柔らかくて確かに美味しい。下味もしっかりついていて、生姜の風味が強めで尚子の好みだった。
「うん。おいしいです」
「だろうが。食え食え」
 改めて逸人の方を見ると、既に和やかに美輪と話している。尚子は一瞬考えて、見間違えだったのだと思った。
 クールで実は穏やかなイケメンなのだから、あの暗い感じはそぐわない。
 尚子は自分を納得させて、口の中の唐揚げの味をウーロン茶で喉に流し込んだ。

 翌日、飲みの疲れも残っていた尚子は定時で上がった。
 総務部で主に会議室などの管理をしているのだが、今日は利用が少なかったおかげで早く帰れる。
 更衣室からバッグを取り出していた所を、後ろから話しかけられた。
「小田島さん、ちょっといいですか」
 上体を起こしながら振り向くと、昨夜はそれなりに遅かったのにも関わらず、フェミニンでふんわりしたオフィスカジュアルに身を包んだ美輪が立っている。
 眩しい、と尚子は目を細めた。
「いいよ。どうかした?」
「……えっと」
 美輪のあまり見ない緊張した様子に尚子は慌てる。
「なになに。私、何かしたかな?」
「いえ、違います。帰ろうとしている時にごめんなさい。少し相談をしたいことがあるんです」
 どのみち家に帰っても、いくつかの動画をラジオ代わりに流しながら、部屋の掃除をするくらいだ。
 目の前の思いつめている後輩を置いて、急いで帰る理由もない。尚子は快諾する。
「用事もないし、いくらでも付き合うよ」
「ありがとうございます。……甘えてしまってすみません」
 美輪はペコリと頭を下げる。肩に掛かるほどの髪から、シャンプーの甘い香りが漂った。
 可愛いなぁと改めて思う。礼儀正しさや性格の良さまで加わるのだから美輪は無敵だ。
「ロッカーは誰かが入ってくるかもしれないから、どこか人が来ない所にしようか」
 まだ仕事が残っているという美輪を社外に連れて行くわけにはいかない。どこかいい場所はないかと考えて、廊下の突き当りにすることにした。
「何時間でも付き合うけど、で、どうしたの」
 場所を移動をしたところで尚子が単刀直入に切り出すと、美輪は身体の前で手を握って唇を引き結ぶ。
「えっと……」
 美輪が言い淀んでいるので、尚子は最近社内でトラブルがあったかどうかを思い返していた。
 ネットのニュースなどでは迷惑な上司や同僚の話がよく持ち上がるけれども、不思議と社内にはいない、気はする。
 良い感じで合理的というか、煩わしいことを避けて、皆で定時で帰る工夫をしようという協力の空気が流れていた。
 男性の育休取得率も高く、子育て中の社員が多いせいでもあるかもしれない。
 ただその分、売上やコスト削減にはシビアではある。そこらの悩みかな……と、話し出すのを待っていると、美輪がやっと口を開いた。
「黒瀬さんとの食事の席を、セッティングして頂けないでしょうか」
「──へ?」

※この続きは製品版でお楽しみください。

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