【試し読み】年下の求婚者は無垢な淑女を淫らに愛したい
あらすじ
伯爵家の長女であるフィオナは十年前に両親を亡くして以来、六人の弟妹をひとりで養い、家のためだけに生きてきた。そんなフィオナにある日、公爵家の三男・ジェラルドとの結婚の話が舞い込む。しかしフィオナは二十六歳。対するジェラルドは二十三歳で、三歳も年下だ。それに身分だって違いすぎている。フィオナはこの縁談を断ろうとするのだが、ジェラルドから直接プロポーズをされ思わず頷いてしまう。結婚が決まってからも、フィオナはジェラルドの妻になることに引け目を感じるのだが、一方でジェラルドもフィオナに相応しい男になりたいと願っていた。そして迎えた初夜。ジェラルドの熱い想いが溢れ……もう、我慢が、できません──
登場人物
亡き両親に代わって家を守り、六人の弟妹をひとりで養う。突然舞い込んだ縁談に困惑するが…
美しい金髪と碧い瞳を持つ公爵家の三男。フィオナを見初め、プロポーズする。
試し読み
プロローグ レディと呼ばれて
煌びやかなシャンデリアの灯り、緩やかなワルツの調べ、並べられた見事な料理。
今夜のアーデン侯爵主宰のパーティーに招かれた参列者達は、その輝かしさに見とれている。
だが亡き伯爵の長女フィオナ・コネリーは、それらに何一つ目もくれなかった。
父の友人という縁で末妹とともに招待されたフィオナには、役目があったのだ。
若々しいピンク色のドレスをまとった十六歳の末妹は、今、アーデン侯爵の甥である同年代の青年とダンスを楽しんでいる。
アーデン侯爵の一族は、王族や公爵家にも娘を嫁がせて縁を持っている。正式に婚約がまとまれば、この上ない良縁だ。
フィオナはそれを、壁際で満足げに見守っていた。身にまとっているのは、オフホワイトを基調にした、マーメイドを思わせるラインで詰め襟のドレスだ。決して粗悪な品ではないが、もう五年以上着続けたため、流行遅れだ。
(よかった。これで安心した)
侯爵の甥はいたく末妹を気に入った様子だった。ダンスを踊る前に、アーデン侯爵からも宜しくと言われた。
引っ込み思案の末妹も、相手にダンスでリードしてもらうことで打ち解けた様子だった。
二人の婚約は成立する。すでに四人の妹を無事嫁がせたフィオナは、経験則から確信していた。
ほうっと、フィオナは胸を撫で下ろした。
(お父様、お母様。あとはギルバートの成人を待つだけです)
手を組んで、故人である両親に心の中で告げる。
二人が王都で事故死して十年。
フィオナは今年で、二十六歳になった。
五人の妹と、跡継ぎとして養子に迎えた義弟のギルバートを抱えて、唯一成人だった十六歳のフィオナは、家のために生きる決意をした。
領地経営に、資産の売却。使用人の雇用調整。特技を活かして、代筆や裁縫で収入を得ることも忘れない。
そしてまだ五歳のギルバートを十六歳まで育て、妹達を全員良家に嫁がせる。
これらを、たった一人で担ってきた。
「ほら、あの方がそうよ」
「流行遅れどころか、もはやレトロ趣味ね」
「今夜も妹の付き人なのでしょう」
自分よりも若い令嬢達が、くすくすと笑っている。囁き声だが、明らかにこちらの耳に入るように言っている。
だが、フィオナはもう慣れてしまった。涼しい顔で、無視をする。
若い彼女達には化石でも、一定の年齢以上、例えば主宰のアーデン侯爵夫妻のような人達には好評なのだ。
末妹はダンスを踊り終えると、フィオナのいる壁際と反対側へ、侯爵の甥に導かれていった。
人が集まって熱気がこもった室内が息苦しくて、フィオナは夜風に当たろうと思った。二人の近くには侯爵夫妻もいる。少しだけ、離れても問題ないだろう。
ゆっくりと身体の向きを変えて、バルコニーへ行こうとした時だった。
「きゃっ!」
小さな悲鳴があがった。フィオナではない。
同時にパシャッと水が跳ねる音がした。
フィオナは、胸元に冷たさを感じた。
「まぁまぁ、これは……ごめんあそばせ」
気を付けて振り向いたが、相手はシャンパングラスを持ったまま別の方向を見ていたらしく、中身をフィオナのドレスに目掛けてこぼしてしまったのだ。
最初は焦った様子だったが、相手がフィオナと知って、シャンパンをこぼした令嬢は、すうっと意地悪げに眼を細めた。
シャンパンの色はサーモンピンクで、はっきりとした色合いの生地ならあまり目立たないが、オフホワイトのドレスではくっきりと模様がついてしまう。
「わざとではございませんのよ」
令嬢はくすっと、婀娜っぽく笑った。
見事なブロンドを、丁寧に巻いてシルクのリボンで整えている。年の頃は末の妹と同じ十六か七。露出した首からデコルテが、輝くように白い。ドレスも流行のグリーンで、それがよく似合っている。まさに美少女だ。
初めて見る顔だった。
もっとも、向こうはこちらを知っているようだ。フィオナはある意味、社交界では有名な存在だった。
妹達を嫁がせるために、親の代わりに奔走している。その姿はもはや付き人のようだ、と。
シャンパンをかけたのは、故意ではないだろう。フィオナも注意を怠ったと言われても仕方ない。
「存じております。貴女も、その素敵なドレスにかかりませんでしたか?」
フィオナは、にっこりと努めて穏やかに微笑んだ。
「は……? ええ」
微笑んで返されたのが意外だったのか、令嬢は眉を顰めてたじろいだ。
「ようございました。こちらこそ、驚かせてしまって申し訳ありません」
「え……あの」
「こちらは、早く処置をすれば、染みになりませんからお気になさらず。それでは失礼を」
軽く一礼をして、フィオナは悠然と、かつ足早にその場を去ろうとした。ああは言ったが、早くレストルームで落とさなくては、このままでは跡が残ってしまう。
まだまだ、このドレスは現役だ。妹五人のうち四人が家庭を持ったとはいえ、これから末妹の結婚と義弟の成人でまだまだ金がかかる。
強気に出れば弁償はしてもらえるだろうが、妹のためにもこの場で揉め事は起こしたくない。
軽く周りに声をかけて、道を譲ってもらい、レストルームへと急ぐ。
もうすぐ、ホールの出口というところまで来た時だった。
「レディ、お待ちを」
後ろから声をかけられた。
「え……?」
ドキ、と心臓が高鳴ったのがわかった。
若く通る、男の声だった。
だが、フィオナは構っていられなかった。一刻でも早く染みを抜かなくては、もうこのドレスは着られない。
「申し訳ありません、失礼を」
足を止めず、フィオナは一瞬だけ振り向き、にこりと微笑んですぐにまた前を向いた。
(レディだなんて)
声からして、自分より年若に違いなかった。だが顔ははっきりと見ていない。
しかしあの声──柔らかくて品があった。耳にスッと入り込みながらも、パシッと目が覚めるように力強い。
あんな声で「レディ」と呼ばれて、ときめかない方が難しい──フィオナも、両親が死ぬまではごくごく普通の令嬢だったのだ。
恋とは何なのだろうか、と、憧れながらも懊悩するぐらいには。
(我ながら、未練がましいわね)
自分はもう、両親の代わりとして生きることにしたのだ。
大事な弟妹達を安定した未来に導くのが、自分の役割なのだから。
(それにしても、どなただったのかしら。ちゃんと顔だけでも見ていれば……失礼なことをしてしまったし……)
視界が捉えたのは、青色のフロックコートだけだった。同じ色の衣装を着た男性はたくさんいる。
とはいえ、そろそろ帰る時間だ。ホールに戻っても彼を探している暇はない。
近いうちに侯爵夫妻と甥を自宅に招き、改めて話を進める必要がある。その段取りのために、無駄に長くパーティーに残ってはいられない。
これからのことで頭がいっぱいだったフィオナは、気づいていなかった。
「…………はあ……」
自分に声をかけてきた青年が、ハンカチを手にしていたこと。
「なんて……綺麗な人なんだ……」
フィオナの後ろ姿を見つめて、熱を孕んだため息をついたことを。
第一章 求婚者は年下の公爵令息
「ノースブルック公爵様が、お姉様に会いたがっておいでなんです」
フィオナは、久方ぶりに帰ってきたすぐ下の妹・ハリエットの言葉に、思わずティーカップを落としそうになった。
「なんですって?」
ちょうど茶の時間で、フィオナが作った焼き菓子を一緒に食していた時だ。
世間話をするかのようなトーンで言う言葉ではない。ティーカップは無事だが、揺らしたせいで紅茶がわずかにソーサーに散ってしまった。
(ノースブルック公が私に何を……?)
ハリエットは姉妹の中で最も器量が良く、フィオナがたいした世話をせずとも、王家の血を引くエヴァンス侯爵家の当主に嫁いだ。
彼女の婚家は、そのノースブルック公爵家とも縁続きで、何かと交流が多い。フィオナも三度ほど顔を合わす機会があった。
ノースブルック家は王家に次ぐ地位にある。
単に歴史が長いだけではない。
鷲の意匠が王家の証であるアクイラ王国において、唯一、王族以外で同じモチーフを用いることが許された家だ。
妹達の嫁ぎ先を世話する中で物怖じしなくなったフィオナでさえ、対面するとなると緊張してしまう。
──その公爵から名指しされている。
知らないうちにとんでもない粗相をしてしまったのだろうか。
(いえ、でも最後にお会いしたのはもう一年以上前だわ。ハリエットを通してだから、何かをしたならとっくに……)
悶々としていると、ハリエットが「いえね」と優雅な手つきでティーカップを置いた。
「公爵様に三人のご子息がいらっしゃるのは、お姉様もご存じよね」
「え、ええ……」
公爵と妻の間には、子が三人。いずれも男で、一番上は公爵位を継ぐことが決まっている。
残り二人も、公爵が持っている下位の爵位と領地を継いでいる。
次男は侯爵、末弟は伯爵。
コネリー家は末弟と同じ位ではあるが、父が生きていたとしても地盤や資産が圧倒的に違う。
それぐらい、貴族の中でもっとも高位の一族なのだ。
「最近、第二公子の侯爵様がご結婚なさったわね」
第二公子はフィオナと同じ歳だ。その弟は、確か三つ下で、もうすぐ二十三歳だ。
「そう。私も婚家の付き合いで、夫とともにご挨拶に伺ったのですけど……その時に、公爵様がいらしてお姉様にお会いしたいと……」
ハリエットも、先ほどはさらりと言ったかのようにみせて、実は緊張しているようだ。
「用件は?」
フィオナは心臓がドクドクと鳴るのを抑えながら、冷静に訊ねた。
「あのですね」
するとハリエットが、ぱぁっと顔を明るくした。
(えっ、どういうこと?)
少なくとも悪い話ではなさそうだ。
もしフィオナの不始末があったとするなら、縁続きかつ伝言まで頼まれたハリエットにも累は及ぶ。
「お姉様、ご結婚なさいませんか」
「……え?」
「ですから。公爵様から、直々のお話なんです!」
「……公爵夫人はご健在よ?」
公爵は亡き父が生きていれば、およそ同じ年頃。つまりフィオナとは親子ほど違う。いや、それほど年上の男性に嫁ぐケースは少なくない。
だが公爵は愛妻家で有名だ。
若くして結婚しながら、一度も浮名を流したことがない。夫人は公爵と同じ年齢だと聞いている。
二人は今でも、結婚した日を挟んで一週間、別荘へ行き夫婦だけで過ごすほど仲が良い。
「わかってます! 違いますの、第三公子のジェラルド様とです!」
「へぇ、ジェラルド様と私が……ええっ!」
今度こそ、フィオナは持ち直したティーカップをかちゃん! と乱暴に置いてしまった。
※この続きは製品版でお楽しみください。