【試し読み】伯爵さまは家庭教師に夢中
あらすじ
アンネマリーは男性不信から結婚願望を持てず、仕事に生きようとのどかな田舎で教師をしている。ある日、父の取引先から都会に住むアードルング伯爵の娘カロリーネの家庭教師をしてほしいと依願され、引き受けることに。カロリーネはふさぎがちの少女だがアンネマリーはすぐに打ち解けることができた。が、雇い主であるオスヴァルトの対応に手を焼くことに!?彼はアンネマリーが男性不信になった理由に対して「どうやら君にも家庭教師が必要なようだからね」と告げる。そしてアンネマリーが返事に窮している間にキスをしてきて、さらに――?ちょっと勝ち気な家庭教師と家族思いの伯爵とのハートフルラブロマンス。
登場人物
男性不信のため結婚願望はない。教師という仕事に誇りを持っており、一生を捧げるつもり。
はっきりとした物言いをするアンネマリーを気に入り、家庭教師として恋の手ほどきをする。
試し読み
第一章 冷たい伯爵
アンネマリーは大きな欠伸をしながら、ぼんやりと窓の外を眺めていた。地方から都市までの長旅はとても退屈で、何度小さな口を開いてしまったことか。
村の駅を出発してから、どれくらい経っただろう。長い時間を汽車で過ごし、持ってきた本を読破してもまだ時間が余る。
それでも長閑な田園風景が続いていたのに、少しずつ建築物が多くなっていくところを見ると、目的地に近付いているのだなと感じられる。
「もうすぐかしら?」
終着駅に到着したら、再び都会での生活が始まる。用事がない限り訪れることはないと思っていたが、また住むことになろうとは予想していなかった。
「久しぶりだわ」
都会の女学院を卒業して以来だ。
教師の資格を得て、故郷の村に戻って子どもたちに勉強を教える日々を送っていた。生まれ育った土地から出て、都会に住むことはもうないだろうと思っていた。
だがある日、商売を営む父の取引先の男性から、さる貴族の家で家庭教師をしてくれないかと頼まれたのだ。
都会に住むアードルング伯爵家には、七歳になる令嬢がいるのだが、その女児の家庭教師を探しているのだという。
貴族令嬢の家庭教師ならば、知識や教養のみならず礼儀作法に至るまで、すべてを教え込まなければならない。女学院出身で、田舎で教師をしているアンネマリーより、大学を卒業したベテランのほうが相応しいはずだ。
ところが田舎教師のアンネマリーに話を持ってくるだけあって、実際は厄介な頼みごとだった。
この伯爵家令嬢のカロリーネは話せないわけではないのだが、無口で愛想がないらしい。そのため教師側も困ってしまい、すぐに辞めてしまうのだそうだ。
悩んだ伯爵が知人男性に相談したところ、「地方に住む取引先の商人の娘が教師をしております。まだ二十歳と若いですが、ベテランを雇うより、歳の離れた姉のような女性のほうがよいかもしれません」と、アンネマリーを紹介したのだという。
知人男性はさらに「都会の教師より、地方に住んでいる者のほうが活発な印象もございますし、内向的な生徒を良い方向へと導いてくれるのではないでしょうか」と付け加え、伯爵も賛同し、話が進められたとのことだった。
父からは大事な取引先からの紹介だし、とりあえず伯爵家へ行ってみてくれないかと頼まれた。
アンネマリーは当初どうしたものかと悩んだが、幸い村には他にも教師がいる。伯爵家側も困っているのだろうから、こんな遠くの地方に住む人間にまで、話を持ってきたのだ。
それに内向的な令嬢のことも気になった。
まだ若手の教師の自分だからこそできることがあるのであれば、ぜひとも力になりたい。
アンネマリーは快諾し、こうして都会に来ることとなった。
「さて、と」
汽車の速度が徐々に緩くなり、ようやく退屈な時間が終わろうとしている。
荷物の入ったトランクを棚から下ろし、汽車が駅に到着すると、他の乗客に続いて降りていく。
終着駅だけあって人の往来が激しく、降りる客もいれば、別のホームではこれから乗車する者もいる。また見送りに来ている人など様々だ。
こんな大勢の中から、迎えに来ている伯爵家の執事を捜さなければいけない。
すでに手紙で、伯爵家側にはアンネマリーの特徴は伝えてある。
身長は平均よりやや低めで、細身の体型。輪郭は丸く、海のような青い目は大きく、逆に鼻は小さい。そのせいか見かけより二、三歳若く見られることがある。
教師が童顔では生徒に舐められてしまうと考え、周囲には年相応の印象を与えようと、長い金髪は常に結い上げていた。
これで相手が気付いてくれるといいのだが、アンネマリーは執事の年齢や特徴は知らない。それらしき雰囲気のある人を見つけようと、左右を見渡していた。
「汽車は予定どおり到着したのだから、もう来ているはずよね?」
自問をしながら必死でそれらしき人を捜していると、白髪交じりの紳士が人混みの中から姿を現した。
「アンネマリー・バルツァーさまにございましょうか?」
自分の名前を知っているということは、きっとこの初老の紳士が伯爵家の執事だ。
「アードルング伯爵家の方でしょうか?」
「はい、私は執事のゴッツと申します。すぐに見つかってようございました」
アンネマリーも同じだ。もし捜すのに手間取ってしまったら、ひとりずつ尋ねて歩かなければいけないところだった。
汽車に数時間も乗っていたのだから、少し疲れている。アンネマリーは一秒でも早く伯爵家に行き、まずはゆっくりしたかった。
そして教え子になる令嬢と対面をし、明日からどう接していこうか考えたい。
「さあ、アンネマリーさま。馬車の用意ができておりますので、こちらへ」
アンネマリーは執事に案内をされると、駅の外で待っていた伯爵家の馬車に乗り込んだ。
御者が馬に鞭打つと、ゆっくりと走り出していく。
伯爵家に到着するまでの間、執事がアードルング伯爵家についての説明をしてくれた。
屋敷は王宮近くにあり、当主であるオスヴァルトは王家の侍従として出仕しているのだという。
「旦那さまは多忙で、普段からカロリーネお嬢さまはひとりで過ごされております。屋敷の者もそれぞれ仕事がありますから、あまりお嬢さまの相手をする暇がありません」
「まあ」
子どもが屋敷で誰からも相手にされず、ひとりで過ごしているなんて、これでは無口になっても仕方がない環境だ。
「お嬢さまの母君はどうされているのですか?」
「さあ? どこでなにをされているのやら」
どうやらカロリーネの母親は生きているが、夫である伯爵とは連絡が取れず、長い間別居状態のようだ。
夫婦仲が悪いのなら、なおさら良い環境で成長しているとは言い難い。
王家に出仕している貴族ということは、おそらく名門中の名門の家柄なのだろう。爵位があっても名ばかりであったり、王族の信頼を得ていず疎外されている者もいたりする。それならば相当な資産家であることは間違いではないし、使用人も多いはずだ。
せめて遊び相手になる人を雇ってもいいと思うのだが、男親ではそこまで気が付かないのだろう。
他の使用人らも自分の仕事で精いっぱいなのだろうが、幼いカロリーネからすれば、そんな理由は通用しないはずだ。周囲の大人から相手にされなければ、自然と自分は必要のない人間と思い込むようになってもおかしくない。
アンネマリーはあと三十分ほどで対面する予定のカロリーネに、様々なことを教えたいと考えた。彼女に一生懸命に接して、少しでも元気になる手助けができればと望んだ。
「もう間もなく伯爵家の屋敷に到着ですよ。ほら、あれがそうです」
顔を横に向け、外に視線を移すと、故郷にある農場よりも広大な敷地に、何部屋あるのか見当もつかないほどの館が建っていた。
もちろん王宮はこの何倍もあるわけなのだが、アンネマリーからすればアードルング伯爵家だけで、王族が住まう館のように映る。
噴水のある庭は、まるで街の人々が集う公園のようだ。塵ひとつ落ちていないところを見ると、毎日のように掃除をしているのだろう。
「ここがアードルング伯爵邸だったのね」
この屋敷なら知っている。実は何度か目にしたことがあった。
「当屋敷をご存知でしたか?」
「ええ。わたし、ヴェール女学院を卒業しているんです。学生時代、何度かこの附近を通ったことがあります」
あのころは貴族の館だろうという認識しかなく、自分には無縁の場所としか映ってなかった。
まさかこの屋敷で、家庭教師として住み込むことになろうとは、未来のことはわからないものだ。
「あの名門の学院をご卒業とは素晴らしいですな」
名門でも、アンネマリーの成績は中の上くらいだったから、素晴らしい卒業生と言えるかどうかは不明だ。
「あ、着きましたよ」
門を潜って、館の玄関前に馬車が止まると、気付いた屋敷のメイドらが並んで出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ」
「旦那さまはどちらに?」
「もうすぐ出仕の時間ですので、私室で着替えておられます」
馬車の中で聞いた執事の話によると、伯爵は出仕をすると、火急の用でない限りは数日間、王宮に留まるのだという。長いときは半月や一ヶ月は帰宅できないこともあるらしい。
あと十分ほど到着が遅れていたら、伯爵への挨拶はいつになるところだったのか。
「はあ」
思わず溜め息を吐いてしまった。
母親は行方不明で、父親は仕事に忙しいとは、ほんとうに家庭環境がよろしくない。資産はあるのかもしれないが、この伯爵家は子どもを育てるのに良い場所とは言い難い。
※この続きは製品版でお楽しみください。