【試し読み】恋人(偽)は潔癖上司~なんちゃって同棲始めます~

作家:百瀬実吏
イラスト:期田
レーベル:夢中文庫セレナイト
発売日:2018/8/17
販売価格:500円
あらすじ

「なんで私、服を着てないの……!?」──彼氏の浮気現場に遭遇しその場で破局を迎えヤケ酒していた夏川麻美は、目覚めるとホテルのように綺麗な見知らぬ部屋のベッドの上。隣で同じように裸で眠っていたのは、毎日会社で顔を突き合わせている上司・一ノ宮翼。そしてそこは彼の部屋だった。会社で見せる顔とは違い、翼の潔癖気味な言動に麻美が戸惑っているところ、翼の父が現れる。咄嗟に恋人として麻美を紹介してしまった翼。すると、翼の父から今日から一緒に暮らすよう命令され、逆らえない翼は、断れず……。真逆なふたりがウソの恋人関係で同棲を続けるなか、少しずつ距離が縮まっていくのだが──愛は潔癖を超えられる!?

登場人物
夏川麻美(なつかわあさみ)
彼氏の浮気現場に遭遇し記憶を失くすほどヤケ酒した。外見に反して少々だらしない一面も。
一ノ宮翼(いちのみやつばさ)
イケメンで頭も良いが、潔癖のため恋愛ができないのではないかと不安を抱えている。
試し読み

1話:一晩の過ちじゃありません!

「どこ……ここ……?」
 目をさますと、知らない場所にいた。
 知らない、ベッドの上。
 しかも。
「え……?」
 知らない、男の、隣。
「だ、誰……!?」
 真っ白なシーツからは全く知らない柔軟剤の匂いがするし、というか、こんな手触りの柔らかいシーツなんて触ったこともないし、絶対に私の部屋じゃない。ホコリひとつない床や、生活感を感じない室内を見渡しても答えは変わらない。少し離れたところにあるガラス製のテーブルには、赤ワインの瓶と、グラスが二人分置かれていた。
 私の部屋じゃ、ない。それに。
(な、なんで私、服きてないの……!?)
 なんで、なんて、この状況で行き着く答えはひとつしかないんだけど。
 たぶん、ここはホテルで。
 たぶん、私は一晩の過ちってやつを犯してしまった。
「やぁってしまったぁ~……」
 柔らかなシーツに頭を埋めて、唸る。それから、そもそもどうしてこうなったんだっけ、と昨晩の記憶を手繰り寄せた。
「昨日は、仕事が予定より早く終わったからヒロを驚かせようと思ってこっそり帰宅して……」
 そうだ。それで。
「それで、浮気現場に遭遇して、別れる! って家を飛び出して……」
 あろうことかヒロは、同棲している部屋に他の女を連れ込んでいた。私が扉を開けると、真っ最中の二人がそこにいて──
「それから……どうしたんだっけ」
 別れる! と叫んで家を飛び出してから、妹を呼び出して愚痴ろうと思ったのにデート中で断られて。お姉ちゃんは結婚してるから当然無理で。同棲を反対していた両親の元には帰りたくなくて。友達にはまだ仕事が残ってるって言われて。仕方なく駅前のお店に入って、一人で飲んで。
「……だめだぁ、そこから全然思い出せない」
 どれくらい飲んだのかもわからないくらいお酒を注文しまくったのはおぼろげに覚えているけど。
「うぅ、お酒のこと思い出したらなんか頭も痛くなってきた……」
 そこから先は結局思い出せなくて、そっと起き上がる。シーツで身体を隠しながらベッドを下りて、そこに眠っている男性の顔を覗き込んでみた。
「えっ、この人……」
 見覚えのあるその顔に、私の思考は停止する。
(いやいやいやいや、まさかそんな、いやいやいやいや)
 まさか。そんなわけない。他人の空似だ。
 私はぎゅっと目を瞑って、それから、もう一度その男性の顔をまじまじと覗き込んだ。
 ふわり、と私の髪の毛が肩から落ちて、その男性の頬に触れる。その、瞬間。
「は?」
 その男性はパチリと勢いよく目をさまし、開口一番そう言った。
「……何を、しているんだ、夏川なつかわ麻美あさみ
「い、いい、一ノ宮いちのみや、課長……!」
 やっぱり。
 私の隣で、しかも、あろうことか私と同じように裸で眠っていたのは、毎日会社で顔を突き合わせている上司の、一ノ宮つばさだった。
(あ、頭が……っていうかもう、めまいが……)
 意味のわからない事態に、頭が混乱する。たっぷりと私を睨んだ課長も、
「なっ……え、おま……どういうことだ!」
 状況を理解した様子で、見る見るうちに表情が変わっていく。
「ち、違います! 違いますよ! わ、私じゃないです、たぶん」
「たぶんってなんだ!」
「お、覚えてないんです、すみません~……」
「謝罪の語尾を伸ばすな!」
「は、はいっ」
 まさかホテルで男性と朝を迎えて、裸で直立してお説教を受ける日が来るなんて。ブツブツと小言を言っている課長を見ながら、小さくため息をつく。
 課長は、突然何かを思い出した様子で「そういえば」と言って私を見た。じっとりとした視線に、思わずシーツをぎゅっと握りなおす。
「お前、風呂に入った記憶はあるか」
「お、お風呂、ですか?」
「入ったのか、入っていないのか聞いているんだ」
「いや、あの、私、本当に記憶がなくって……」
「……」
 課長の顔が、一気に真っ青になった。
「あ、あの、課長?」
 大丈夫ですか、と声をかけようとしたところで、課長が私に向かって、スプレーのようなものを吹きかけた。
「きゃ!?」
「近寄るな! そこから一歩も動くんじゃない!」
 私に向けられていたのは、除菌スプレーだった。
「え? ちょ、課長、それは人に向けるものじゃ」
「今のお前は人じゃない、細菌の塊だ!」
「ちょ、ちょっと、やめてください!」
 私に、というか私が身体を隠すために抱きしめているシーツに、スプレーが何度も噴射される。
「脱げ」
「え!?」
「そのシーツを脱いで寄越せ」
「い、いやですよ! 裸なんですから!」
「知ったことか!」
「セ、セクハラです!」
「この状況でセクハラも何もあるか!」
「で、でもいやです!」
 頑としてシーツを渡さない私を見かねて、課長は立ち上がると下着だけを身につけて、私のそばへ寄る。
「な、なんですか。無理やり剥ぎ取ったりなんかしたら、叫びますよ! ホテルの人、来ちゃいますよ!」
「何をバカな」
 課長は心底呆れた様子でそう言って、私を軽々と持ち上げた。
「ひゃっ」
「ここは俺の家だ。この俺が、そこらへんのホテルなんかに行くわけがないだろう」
 いきなり抱きあげられて変な声を出してしまった私を無視して、課長は私をバスルームへ放り投げるように運び入れて、シーツだけを奪って扉を閉めた。
「さ、さむっ」
「シャワーを浴びろ。さもなくば、そこからは出さないからな」
 扉越しにそう言われる。扉の向こうへ耳を立てていてもそれ以上は何の言葉も聞こえなくって、なんだかガタガタと音がし始めた。
「シャワーを浴びろって……」
 言われて、周りを見渡す。どう見てもホテルのバスルームにしか見えない。真っ白なタオルはアイロンでもかけたように折り目正しく、洗顔やハンドソープの容器も全て白の陶器で統一されている。極め付きは、歯ブラシ。
「どこの世界に自分の家の歯ブラシを袋に入れて置いてる奴がいるのよ……」
 そもそも、部屋にこんなバスルームがついてるなんて、ないでしょ。
 シャワーを浴びようと浴室へ足を踏み入れる。
「あっ」
 さっきまでは気がつかなかったけど、私の身体には昨日の夜の残り香がたっぷりとしみ込んでいた。浴室の鏡に映った私の体は、赤くほてり、よく見るとところどころに赤い刻印が残されている。
「こ、これって」
 キスマーク。
 かぁっ、と顔が赤くなる。鏡から目を背けて、できるだけそちらへ視線をやらないよう気をつけながら、頭からシャワーをかぶった。
 冷静になれ、冷静に。
 そう思えば思うほど、身体の変化に敏感になる。
 髪の毛から、知らない匂いがする。
 肌に、触れられた感触がある。
 ぷっくりと膨らんだ胸の先は、まだ敏感で、触れると身体の奥が疼いた。
「……」
 確認したいような、したくないような。私は一瞬だけ迷って、それから自分の下肢に指を伸ばす。そっと指先で触れると、その蕾はふっくらと膨らみ、いつもより大きくその存在を感じられた。花ビラをめくるように、そっと指を奥へ滑り込ませる。
「んっ……」
 中はぐっちょりと濡れそぼっていて、頭からかぶっているシャワーのお湯とは違う、ねっとりとした感触。
「っ……」
 もう間違いなく、自分の身体が、誰かの身体を受け入れていたことを思い知らされる。
 しかも、なんで。
「よりによって、一ノ宮課長……」
 自分の愚かさを呪っても、もう過去に戻ることはできない。ヒロの浮気を見なかったことにはできないし、もうあの部屋に戻るつもりもない。
 別れる! って叫んで出てきたんだし、浮気したのは向こうが先だし。それでも、なんとなく後ろめたくって。身体に残る一ノ宮さんの痕を消すように身体を洗った。

「えっと……?」
 シャワーを浴びて部屋へ戻る。綺麗に畳んで置いてあったバスローブをしっかりと羽織って、一応、髪の毛も乾かして。部屋では一ノ宮課長が、真っ白な割烹着と三角巾、マスク、それから黒のゴム手袋を身につけて掃除をしていた。
「な、何をしているんですか」
「見ればわかるだろう。掃除だ」
 マスクと三角巾の間から見て取れる課長の表情は、仕事をしている時と同じ、ちょっと怖いくらいに真剣そのもので。格好はちょっと、いや、全然違うけど。
「ぷっ」
「……何がおかしい」
 思わず吹き出してしまった私を、課長がジロリと睨みつける。睨まれると余計に、その格好とのギャップがおかしい。
「な、なんでもない、です」
「……」
 なんとか笑いを堪えながら答える。課長は不服そうにこちらを見た。
「おい」
「は、はい」
「髪の毛をきちんと乾かせ」
「え、乾かしましたけど……」
 指摘された髪の毛に視線を落とす。
 確かに毛先はしっとりと水に濡れているのがわかるけど、タオルドライして、ドライヤーもあてた。
「別に、これくらいで湯冷めしたりしませんよ」
「そんなことはどうでもいい」
 言いながら、課長は私がさっきまでいた浴室へと向かう。
「な、夏川麻美! なんだこれは!」
「え、なんですか?」
 課長の声に呼ばれて浴室へ向かうと、そこにはすっかり顔が青ざめている課長が立っていた。
「す……す……」
「酢?」
「水滴だらけじゃないか!」
 洗面台や浴室の床を指差しながら、課長が叫ぶ。
「髪の毛も! ドライヤーのコードも! なんなんだこれは!」
「え、そんなに散らかってますか? 一応、使った後に片付けたんですけど……」
「片付けた!? これでか!?」
 課長の怒鳴る声が響いて、私は思わず顔をしかめる。耳が痛い、なんかいろんな意味で。
「そもそも! 髪の毛が全然乾いていないだろう!」
「えー、これくらい放っておけばそのうち乾きますよ」
「だめだ! こっちへ来い!」
 浴室の扉のところで立っていた私の腕を引いて、課長が私を鏡の前に立たせる。ゴム手袋の感触がなんだか気持ち悪い。
「髪を乾かさないと頭に雑菌が繁殖する!」
 課長はゴム手袋をしたまま私の髪の毛を乾かそうとドライヤーをつかんだ。
「ちょ、ちょっと待ってください! 手袋は外してください!」
「知ったことか!」
「じゃ、じゃあ乾かしません!」
「はぁ!? ……なんなんだ、お前は!」
 課長は嫌そうに顔を歪めながら、ゴム手袋を外す。綺麗に切り整えられた爪が、骨ばった、けれど長くて品のある指先で光っている。課長の手が私の髪に伸びるのを鏡越しに眺める。
「自然乾燥した頭皮は、必要以上に水分が飛ばされ、それを補うために皮脂が量産される。そうすると、皮脂に雑菌が繁殖し、頭皮が荒れてフケの原因となるんだ。同じ部署にいるんだ、そんなものを撒き散らされたら困る」
 ブツブツとつぶやいている課長の言葉は、ドライヤーの風の音で全然聞こえなくて。課長の手が毛先をふわふわと撫でる感触に、頬が緩んでしまいそうになるのを堪える。
(あの課長が、私の髪の毛を乾かすなんて)
 いつもの姿からは想像もつかなくて、おかしくって。それに、こうしてるとまるで、課長と恋人同士になったみたいに思えて。それも、普段の関係からは想像すらできないものだから、やっぱりなんだかくすぐったい気持ちになる。
(……課長がこんな格好をしていなければ完璧なんだけど)
 白い三角巾、マスク、割烹着姿の課長を改めて見てみる。
「……ぷっ」
 ドライヤーの風に隠れて小さく笑う。課長はそんなことに気がつかず、まだ何かをブツブツと言いながら私の髪の毛を乾かしていた。
「……よし」
「あ、終わりましたか?」
 髪の毛を乾かし終わると、課長は持っていたドライヤーを綺麗に片付ける。コードを片付けるだけじゃなくて、持ち手の部分に、割烹着のポケットから取り出した除菌スプレーをかけていた。
「……あの、一ノ宮課長」
「なんだ」
「課長って、潔癖症なんですか?」
「……」
 課長の動きがピタリと止まった。
「……課長?」
「まるで自分が普通だって言い方だな」
「え?」
「俺が潔癖症なんじゃない。夏川、お前がだらしなく不潔なんだ」
「……はぁ!?」
 思わず、上司相手にそう言ってしまう。
「いやいや、何言ってるんですか。ご自身の格好を鏡で見てくださいよ」
「掃除をするときには服が汚れないようにエプロンをするものだろう」
「こんな完全防備にはしません! せいぜい普通のエプロンをするくらいです」
「だからそれは……」
「私が不潔だからじゃありませんから!」
 課長の言葉を遮って反論する。不服そうに私を見た課長が三角巾やマスクを外す。割烹着を脱いだと思ったら、そのまま、下に来ていた洋服も脱ぎ始めた。
「え!? えっ、なっ、何してるんですか」
「シャワーを浴びるんだ。そこをどけ」
「わ、私が出てから服を脱いでくださいよっ」
 私が慌ててバスルームを出ようと扉を開けると、そこには、
「おや、邪魔してしまいましたかね」
「えっ」
 仕立てのいいスーツを着た男性が立っていた。
「……父さん、どうしてここに」
「お、お父、さん!?」
 バスローブしか着ていないのを思い出して、ぎゅっと襟口を掴む。
 課長に父さんと呼ばれたその男性は、バスローブ姿の私と、上半身裸の課長を順に見て、それからニッコリと深い笑みを浮かべた。
「翼、こちらのお嬢さんはどなたかな。まさか、行きずりとか、一晩の過ちとか、そういうことじゃないでしょう」
「……部下の、夏川麻美さんです」
「ほう、社内恋愛でしたか」
 人の良さそうな男性の笑みに比べて、対峙している課長の表情はさっきよりも少し、こわばっているように見える。「社内恋愛」なんて言われても否定しないし。課長の方を見ても、目が合わない。
(何、この状況……)
 私は、バスローブをぎゅっと掴み直して、課長のお父さんの方を向く。
「あ、あの、私たち付き合ってるわけじゃ──」
 そう言いかけたところで、課長が私の方へ近寄り、グッと強く肩を抱いた。
「一晩の過ちなんかではありません。……恋人の、夏川麻美さんです」
 お父さんは相変わらずニコニコと笑っていて、わけもわからず見上げた課長の表情は、やっぱり少しだけこわばっていた。

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