【試し読み】推しは殿下じゃございません…!!~悪役令嬢、甘攻め溺愛ルートに突入しました!?~
あらすじ
婚約者である王太子クロヴィスと冷めた関係でいたアリーヌは、ある少女の姿を目にとめ、この世界が乙女ゲームの世界であることを悟る。そしてこの少女は…最推しの『ヒロインちゃん』だった!! ――クロヴィスに長年放置されていたのも当然。この世界でのアリーヌは悪役令嬢であり、推しであるヒロインちゃんと彼が結ばれ、婚約破棄される運命だ。ならばとアリーヌはその立場を駆使し、推しに生きようと意気込んだ……が!! アリーヌに興味ゼロだったはずのクロヴィスが、何かと目の前に現れては甘い言動で心を掻き乱し!? 「お前は、俺の未来の妃だろう」不意打ちの胸キュン……!? ちょっと、こんなのシナリオになかったじゃない!!
登場人物
乙女ゲーム世界の悪役令嬢。前世の記憶を思い出してからは、推しに近づくべく奔走する。
王国の王太子でゲームのメインヒーロー。婚約者のアリーヌには無関心だったはずが…
試し読み
プロローグ
アイデリッヒ王国、王都バルベラのポードウルグ宮殿。
バックハーツ侯爵家ご自慢の大庭園には、大勢の貴族たちが鑑賞を楽しむ姿があった。満開に咲き誇った花々、素晴らしい立食席──庭園通路も飾り付けられ、さながら誰かの誕生パーティーのようだ。
(特別な日でもなんでもないけれど)
そんな疑問を抱くのは、自分だけだろうかとアリーヌは溜息をこぼしながら思う。
今日は、国で定められている一般的な休日だ。
その日を使ってバックハーツ侯爵が、大勢の王侯貴族へ招待を出しての盛大な庭園鑑賞会を開いた。
美しい広々とした庭での、優雅なパーティーだ。
けれど九歳の公爵令嬢アリーヌ・ロイズガーデンは、それを一人冷淡に眺めていた。
(こうやって家に多くの人を招いては、自慢するのよね)
アリーヌは、昔から少々達観したところがあると言われていた。たとえ自分が主役の誕生日会だったとしても、ハメを外す気持ちはなかった。
背中に流れる長く美しい金髪に、大きなトパーズの瞳。
けれどその目に子供らしい熱意の輝きはなく、佇まいも大人顔負けだった。
子供らしくないとは、何度も言われた。けれど両親は、アリーヌのことを賢い子だと褒めたし、風変りさも魅力の一つだと兄たちも言った。
「……それもこれも、私が教育を受けているからだと思うけど」
アリーヌはぼそりと呟いた。
世間の評価は『そうでなくては』といった様子だった。風変りだと口にする大人たちも、優秀なのは良いことだと期待して賛同的だ。
なぜなら、それは──。
「殿下だ!」
その時、どこからか上がった声に、一場がざわっとなって一瞬で空気が変わる。
どうやら、戻って来たらしい。
アリーヌは、トパーズの目をそちらに流し向けた。
そこには、屋敷の方から大庭園へと戻ってくるバックハーツ侯爵たち。そして護衛騎士たちを引き連れ、毅然と歩いてくる美しい少年の姿があった。
この国の王太子、クロヴィス・アクアブロムウェルだ。
暗い色の髪、対照的な煌めきを持った澄んだブルーサファイアの瞳。十一歳にして、その美貌はすでに同性の目すら引くようになっていた。
そして彼は、アリーヌの婚約者である。
彼は、大人たちの中に交じっても堂々とできる実力があった。すでに高等学術や戦術科学を修得し、父王に同行し積極的に仕事に参加している。
(──とはいえ、私はそれを本人からは聞いていないけれど)
このように同伴出席がない限り、顔を合わせることもない婚約者。
クロヴィスは立派な少年だとは思う。
アリーヌが知る同年代の令息の中で、彼はもっとも堅実で勤勉だ。無知な言動はなく、落ち着いているところも評価している。
でも、それ以上の特別な感情も感想も、ない。
もっぱら、今は侯爵家の子犬の方がアリーヌの関心を引いた。
(ここが他人の家でなければ、もふもふ撫でくり回したいわ)
アリーヌは、その子犬に注目して真面目な顔で思う。
見ているのは足元の子犬だが、バックハーツ侯爵家の末息子に子犬の守りを任せられていた男性使用人が、密かに緊張していた。
「俺、さっきからじっと見られているけど、なんで……?」
アリーヌの美麗な顔はきつめなので、真剣な目をすると睨まれていると取られることもある。
そんなことは露知らず、アリーヌはまた子犬で癒されていた。こんな息が詰まる所に頑張って居るのだ。少しくらい息抜きしたい。
「アリーヌ公爵令嬢、あちらに殿下がお見えになられましたよ」
その時、見知った貴族が声を掛けてきた。
休まる暇がない。帰りたい……けれど公爵令嬢としてそんな態度は見せず、内心溜息を吐いて彼女は子犬から視線を外した。
「ええ、そのようですね。ありがとう」
そっと目で挨拶を返しながら、社交辞令でそう答えた。
とはいえ、アリーヌがそちらに向かうことはない。王太子クロヴィス・アクアブロムウェルが、別行動をしている婚約者を呼ぶこともないだろうから。
二人は生まれた時からの許嫁だった。
それは、仲のいい国王とアリーヌの父、ロイズガーデン公爵が話して決まったことだ。
物心付いた頃にそれを教えられた時、アリーヌは唖然とした。政略結婚なんて、この国では普通にあることだ。それなのに、当時の彼女は〝疑問〟を抱いた。
それもまた、おかしいのだけれど。
『お父様、生まれる前に結婚相手が決まるとか、どんな〝無理ゲー〟ですか』
『むりげー? それはなんだ?』
『え? ……さぁ、なんでしょうね』
公爵令嬢として当然であると受け入れながらも、アリーヌは心のどこかで納得できないでいた。
それがアリーヌ自身にも少し不思議だった。
自分がこうして冷静だの冷めているだの言われるのも、なんとなくこの世界が現実とは思えない気持ちがあるからというか──。
「あんなにも麗しい殿下が婚約者様なんて、羨ましいですわ」
アリーヌに気付いた令嬢たちが、内輪話を始めるのが聞こえた。
(そんなに羨ましいことかしら)
それ以上会話を拾ってしまいたくなくて、彼女は歩き出す。
婚約者がいることを知らされた時からずっと、どうしてかアリーヌは浮かばれない気持ちに包まれていた。
その憂鬱な気分は、それから一年、二年と経っても続いていた。周りから婚約者としての認識が強まり「さすがは殿下の」と賛辞されると一層増した。
そしてアリーヌは、十六歳の結婚可能年齢も超える。
それから更に数年を過ぎ、十八歳を迎えた。
その年の春、アリーヌは初めて一人王城バルベルム宮殿へと足を運ぶこととなった。
(今年に成人してからパーティーに出席したのも、一回だけだったわね)
このたび、王太子妃の教育が始まると通達があった。そこで本日、カリキュラムの事前説明のため登城した。
「見て、アリーヌ公爵令嬢よ」
「なんて美しいのかしら……」
表へ出ることも少ないからか、令嬢令息の姿もやけに目立つような気がした。
でも美しいと評されても、アリーヌの胸は水底にあるみたいに静まり返ったままだ。未来の王太子妃に、という期待さえ彼女の感情の琴線をすり抜けていく。
ただの社交辞令だ。何より、彼らが同時に抱いている自分への評価だって知っていた。
「でも……お近付き難いですよね」
「優秀なお方らしいが、確かに冷たい印象があるよな」
「殿下とご一緒に出席されると、睨まれるのではないかと令嬢たちも怯えているようですわよ」
ほらね、とアリーヌは聞こえてくる話に思う。
それなのに彼らは、今でもアリーヌと、二十歳になった王太子クロヴィス・アクアブロムウェルの婚約を支持していた。
アリーヌは、そこも甚だ疑問で仕方がない。
(放っておかれていると感じている者だっているはずなのに)
結婚ができる十六歳になっても、今に至るまでの二年間だって個人的に城へ招かれたことは一度もなかった。
それくらい彼もアリーヌに興味がないのだ。
(多忙を言い訳に、約三年も顔を合わせていないと知ったら、みんなどう思うかしらね)
生まれた時から婚約者だっただけだ。
これまでクロヴィスとは顔は合わせたが、あくまで義務的だった。王太子として彼は早々に多忙になった。本格的に教育が始まってからは、アリーヌの方からもお断りを入れて会わずにいられた。
そして気付けば、十五歳から十八歳まで彼と会うことはなかったのだ。
「手紙一つ寄越さないでいるのに、勝手によそで盛り上がって彼の評判だけずっと右肩上がりとか、ゲームのメインヒーロー並みね」
通行が制限された廊下に出たところで、まったくと思って呟いた。
王太子は〝自らは何もしていない〟。条件は同じだというのに、アリーヌの評判だけがいまいちうまくない部分があるだなんて──。
「ん?」
アリーヌは、自然と口から出た感想の言葉に違和感を覚えた。
『ゲームのメインヒーロー』
一瞬、この状況に対して、何か明確な回答が頭によぎった気がした。でも、それはすぐに霧散してしまう。
(なんだったかしら……。とてもよく知っているような)
胸のあたりがそわそわした。
この国の名前、自分の名前、そして王太子クロヴィス・アクアブロムウェル……思い浮かべるごとに、どんどん正解に近付いていく気がする。
絶対に知っているはず。
そんな感情が胸の内側から込み上げる。しかし思い出せないことに焦燥感が込み上げ、自然とアリーヌの足も速くなった。
「こんなことってあるはずがない。だって私、会社でも一番の記憶力で」
またしても口からポロッと不思議な言葉が出た。
でも、それもよく知っているものだと思えた。こうしてツカツカと歩いていれば、なんだか思い出せそうな気も──。
その時、アリーヌは廊下の向こうにふっと目を引かれた。
明るい栗色の髪の令嬢が、父親らしき人と歩いている。その姿が目に入った瞬間、これまでの違和感を吹き飛ばす〝膨大な記憶〟が押し寄せて来た。
(彼女は──ゲームのヒロイン)
あまりの情報量の多さにくらりとした。
しかし、さすがは自分だ。
アリーヌは〝会社の誰よりも優れていたと自負する〟情報整理能力で、意識を保つことができた。
(……なるほどね。道理で)
これまでの違和感の正体は、実に奇想天外だった。
王太子クロヴィス・アクアブロムウェルに、初めて引き合わされた時に抱いた気持ちを思い返すと、これまたなるほどと納得もできた。
(私は、愛されないと分かっていたから)
婚約者だと王太子の名前を出された際の、失望のような気持ち。
そして幼いあの日、その頃でさえ美しいという感想が浮かぶ彼と対面した時も、そして今に至るまでもずっと……。
アリーヌは、自分が彼に淡い期待の一つも抱かなかった理由を悟った。
シナリオで相思相愛になる、ヒロインとメインヒーロー。
そして〝悪役令嬢〟の公爵令嬢アリーヌ。
「わたくし──……いえ、私、普通の会社員だったんだわ」
一章 悪役令嬢に転生したので、推しを追いかけます
アリーヌは教育係が待つ部屋へ向かいながら、頭の中の情報を猛然と整理していく。
幼い頃から妙だと思っていたが、十八歳、ここへきて突然前世の記憶を思い出した。フル回転した思考回路の熱は〝キャリアウーマンだった頃に培った〟彼女の驚異的な情報処理能力で早急に冷め始める。
考えることは多くある。まず現状を明確に整理し直したい。
(時間を確保しなければならないわ)
思い出したアリーヌは、愛されないキャラに転生したことに絶望──ではなく、気を抜いたら鼻息を荒げそうなほど興奮していた。
騎士と合流し、案内を受け教育係に就任したモーリス夫人と対面した。一通り教育スケジュールと内容を聞いたところで、アリーヌは素早く立ち上がった。
「わたくしっ、急きょ腹痛が起こったので帰ります!」
「は……?」
アリーヌは挙手して毅然と言い放った。
モーリス夫人はぽかんとしていた。だが構わず「それでは」と軽く手を上げ、ドレスを持ち上げ廊下へと飛び出していった彼女を、護衛騎士たちも呆気に取られて見送る。
「……あれで『腹痛』だと思うか?」
「さぁ……めちゃくちゃ元気だったような」
「というかあの公爵令嬢、走るんだな」
そんなやりとりがされているなど知らず、アリーヌは猛ダッシュで宮殿内を駆け、来た道を戻り、馬車に飛び乗って帰宅した。
公爵邸へ戻ったのち、真っすぐ二階の自室を目指した。
部屋に入って鍵を閉め、予備のノートとペンを取り出した。それから叫べない思いの丈をぶちまけるように、すさまじい勢いで〝シナリオ〟と時系列を並べていく。
ここは乙女ゲーム【アイデリッヒ王国物語~古語学の乙女と運命の王太子~】だ。
転生したら、まさかの〝推しナンバーワンのヒロイン、レナ・シャポワがいる世界〟だった。
アリーヌは、先程見掛けた令嬢を思い出してまた興奮してきた。大好きすぎる彼女の姿にガツンッと衝撃を受け、前世の記憶を思い出したくらいだ。
これで喜ばないファンがいようか。
「いえっ、いないわ。生でリアルヒロインが見られるのよ!?」
ファン同士喋りまくりたいが、それができない。興奮のあまり、ノートに『レナ・シャポワ』とやたら多く書きまくってしまった。
ヒロインは男爵令嬢レナ・シャポワ。
そしてアリーヌは、この乙女ゲームの悪役令嬢であり、前世では日本で生きていた大企業勤めのキャリアウーマンだった。
二十代後半で、女性としてバリバリ働いていた。記憶はそこで途切れているので、恐らくはなんらかの理由で死んだのだろう。
日本人だった頃の名前も思い出せない。恋愛なんてほど遠かったのは確かだ。思い出せた前世の記憶の風景の一つは、社内できゃっきゃっとする可愛らしい女性社員。それを見ている自分が、全然違うなぁと抱いていたコンプレックスのような感情。
前世のアリーヌは、可愛がられるような性格ではなかった。
とはいえ男性社員から皮肉のように他の女性と比べられても、それが何? と仕事の能力で見返し、守られるタイプの女の子でもなかったのも確かだ。
「まぁ……だからこっそり恋愛ゲームにハマッちゃったんでしょうね」
ようやく現状をノートに書き込み終わり、アリーヌは椅子の背もたれに寄りかかって書き出した情報を眺めた。
当時のアリーヌにとって、このゲームのヒロイン『レナ・シャポワ』は、理想の女の子だった。
そして他のゲームみたいに、誰にでも好意の種を撒いてアピールしていくことがないシナリオ。彼女自身の謙虚で健気で愛らしい性格にも一目惚れした。
誰から、そういうゲームを紹介されたのかは覚えていない。
きっかけは社外の数少ない女友達、だった気がする。
(そっか、前世の私って、友達が極端に少なかったのね)
そのへんはよく思い出せもしないのに、なんとなくひきずられてしまった。
ずっと同じ会社で働いていたのに、会社の友人、というキーワードにピンとくるものを感じなかった。いつも肩で風を切るように会社内を歩き、仕事以外に話だなんて──。
でも、もう終わったことだったとハタと思い至った。
「今、前世の自分の経緯なんてどうでもいいわ」
両親が戻ってきたら本日の登城を報告しなければならない。時間は無駄にできないと、アリーヌは頭を振って目の前のノートに注目した。
分かることは、ここがそのゲームの世界そのままであることだ。
国名も登場人物も、何もかも一致している。
王太子とアリーヌが婚約者となった経緯、そしてヒロインが王都の別宅に長期滞在をスタートさせ、今日挨拶のため登城したことも時系列通りだった。
社畜のようだった前世で、二十代後半という若さで亡くなった。
しかしアリーヌは、素晴らしいことに推しの〝ヒロインちゃん〟をこの目で見られる世界に転生したのだ。
「問題は、私が『悪役令嬢』であることね」
それは障害ともなる〝ヒロインの敵キャラ〟だ。
ヒロインのレナは、教授である父と祖父の影響で古語学に優れていた。ゲームのシナリオだと近日中に王太子と出会い、古語学の教育係として就任。そこから交流が始まり、二人は早急に距離感を縮めて恋愛関係に発展していくのだ。
その障害となるのが、悪役令嬢アリーヌ・ロイズガーデンだ。
生まれた時からの婚約者に一目惚れし、強く憧れ人一倍執着する。けれどそのしつこさから王太子クロヴィスに距離を置かれ、何もないまま十八歳を迎える。
そして、王太子妃教育が始まってからレナが登場するのだ。
これまで女性を近づけないでいたクロヴィスが、初めて女性を近くに置いた。悪役令嬢アリーヌ・ロイズガーデンは強く嫉妬し、彼に近付いたレナを排除しようと動き出す。
しかしクロヴィスとレナは、そのおかげもあってより互いを思い、深く愛し合うようになる。最終的に二人の逢瀬の現場に遭遇し、公爵令嬢アリーヌは殺傷未遂を起こし、断罪されることになるのだ。
蝶よ花よと甘やかされてきた公爵令嬢アリーヌには、自分に指一本触れないでいた婚約者クロヴィスが、男爵令嬢レナの唇を夢中になって求めている光景は、かなり衝撃的だったに違いない。
「──悲劇ね」
アリーヌは、今の自分とは百八十度も違っている『ゲームの公爵令嬢アリーヌ・ロイズガーデン』の人生をなぞる。
その人の妻になるためだけに教育され、用意されたレールを疑うことを知らなかった。
この世界の令嬢教育や婚姻事情を考えれば、仕方がない。だから、一方的に彼女を悪くは言えない──とアリーヌは思うのだ。
「それに、それがこのゲームの〝シナリオ〟だったから」
たとえ彼女が嫉妬行動を抑えたとしても、『目を向けてもらえない』という過程と、そして『王太子に選ばれない』という結果は変わらなかった。
「──つまるところ、メインストーリーは変わらない」
用意されている結末は、どちらも婚約破棄だ。
アリーヌは、自分が書いたノートの時系列を指で叩いた。
ゲームの中の彼女にとって、断罪よりも、彼の妻になる未来がなくなることの方が絶望だったことを思えば、やはり悲劇だという感想を抱いた。
今のアリーヌは、ゲームの中の彼女とは感情の温度も逆だ。
だがノートに書き出してみれば、メインヒーローである王太子クロヴィスとの関係性についても、ほぼゲームの行動に沿っていると分かる。
たとえ嫌われない行動を取っていたとしても、見向きもされない現状は変わらない。
(それは私が〝悪役令嬢だったから〟か)
王太子の無関心さにあっさりと答えが出て、つい溜息がもれる。
道理で成人になっても、あの婚約者からうんともすんとも召喚されなかったはずだ。
早くに婚約した令嬢のほとんどは、十六では嫁いでいる。しかし二十歳になったクロヴィスとは、肩書き以上の進展は何一つない。
「なるほどね……はぁ、めんどくさい」
なんで悪役令嬢として生まれてしまったのか。前世の会社員時代も、面倒な役ばかり押し付けられていた日々だった気がする。
あの頃、心安らぐ時間というのはほんとに少なくて。
(確か、少しだけ砂糖を入れたコーヒーと、年に数冊しか読めない本。それから、隙間時間に進められるゲームと──)
アリーヌは、前世の一人暮らしだった自分の光景を思い返す。
何度も【アイデリッヒ王国物語~古語学の乙女と運命の王太子~】のルートとイベントを回収した。
その画面で見られる、大好きなレナを見るためだけに。
そしてネットやコミケでの、彼女のファンアート巡りが癒しだった。
「婚約する前に思い出してくれたら良かったんだけどなー」
そう、うまくはいかないものらしい。
せっかくヒロインのレナがいるゲームの世界に生まれたのに、モブでもなく、恋愛展開さえ用意されていない〝外れクジ〟を引いてしまった。
前世でも仕事尽くしだったが、今世でも恋愛事には縁がなさそうだ。
「ふふっ、まぁ前世でも期待なんてしなかったけどね」
アリーヌは強がったような声を出したものの、ふっと物憂げな目をして、椅子にもたれかかってしまった。
「……いつだって、自分のことだけはうまくいかない、か……」
前世の自分の人生でも、他に何もなかったのか。
思い出せた鮮明な記憶が、推しのゲームヒロインくらいだった──それが全ての答えのように思えた。
つまり死ぬ直前までに、それ以上に心を揺らすような〝幸せ〟はなかった。
「まぁ、いいわ。婚約破棄が平和的にされるのなら、悪役の配役である私にとってそれ以上のハッピーエンドはない」
アリーヌは気を取り直してノートへ目を戻した。この世界でも、少なからず女性の活躍の場はある。ゆくゆくのことはあとで考えればいい。
このゲームのメインヒーローは、アイデリッヒ王国の王太子クロヴィス・アクアブロムウェルだ。
彼は、数ある乙女ゲームの中でも素敵なメインヒーローだった。
レナを一途に愛し、恋愛に後退的な彼女の心の壁をあっという間に飛び越えていく。クールやら冷酷やらと思われていた彼の、意外にも情熱的で深い愛情は好印象だった。
(道理で、ゲームの主人公ぽいって思ったわ)
アリーヌは、自分の感覚が間違っていなかったことを、しみじみと思う。
乙女ゲーム【アイデリッヒ王国物語~古語学の乙女と運命の王太子~】には、他にも魅力的な攻略対象者は用意されていた。
しかし、ほぼモブと一緒なので心配はない。
他の攻略対象者たちは、王太子とのラブルートに行けなかった場合の救済措置策なのだ。
(このゲームかなり優しいというか。でも物足りない簡単ルートに対して、ヒロインちゃんがめっちゃ可愛いのよね)
古語学という風変りな属性を持ったヒロイン、レナ・シャポワ。
その紹介には興味が湧いたし、追い駆けていた絵師さんの新作だったこともあってイラスト目当てで手に取ってみたら、何もかも好みドンピシャだった。
悪役令嬢に転生してしまったが、悲観的に考えるのはやめる。
この世界で、レナとあわよくば仲良くなれれば最大の幸せだ。
※この続きは製品版でお楽しみください。