【試し読み】太陽王と偽りの花嫁候補~初恋と贖罪は甘く淫らに~

作家:逢矢沙希
イラスト:森原八鹿
レーベル:夢中文庫プランセ
発売日:2022/7/29
販売価格:1000円
あらすじ

7年前、オールディンソン侯爵家次女マリージェの王太子エセルバートへの初恋は、彼自身に縁談を断られる形で幕を閉じた。「マリーでは駄目だったらしい」父の言葉に、では姉だったら良かったのだろうかと劣等感を募らせるマリージェ。時は経ち、エセルバートが王に即位した今、王妃には姉が最有力と噂されていた。そんな中、マリージェは姉と共に国王から「自ら相手を見つけるまでの間、王妃候補を演じてほしい」と頼まれる。釈然としない思いを抱きながら引き受けることになったマリージェだが彼に会う度、諦めたはずの想いは膨らんでいく。つれない言動をしてしまうマリージェに国王は優しい。しかしどうやら彼には他に真意があるようで……?

登場人物
マリージェ
侯爵家次女。素直で利発な令嬢だが、幼い頃から姉と比較され育ったため劣等感を抱えている。
エセルバート
若き国王。周りから結婚を急かされ、オールディンソン姉妹に王妃候補を演じてもらうことに。
試し読み

序章

「やはり、マリーでは駄目だったらしい」

 十一歳の誕生日を迎えてしばらく過ぎたある夜、父の書斎の前を通りがかった時、そんな声が聞こえてきた。
 その瞬間、どきんとマリージェの心臓が嫌な鼓動を打つ。
 駄目だった? 一体自分の何が駄目だったのだろう。
 勉強? 礼儀作法? 花嫁教育? それとも思いつく限りの全て?
 突然聞こえた自分を否定する父の言葉は、幼い少女に大きな衝撃を与えた。足が床に縫い付けられたように固まって、動けなくなってしまう。
 そんな娘の存在に気付かず、両親の会話はなおも続いた。残念そうな声で答えたのは母である。
「そんな……マリーをとても可愛がってくださっていたから、てっきりエセルバート殿下もそのおつもりなのだとばかり……」
「陛下もそのようにお考えになられたからこそのお話だったが、マリーを妃にとの打診をエセルバート殿下ご本人がお断りになったそうだ。陛下は殿下のご意思にお任せになると公言しておられる」
 ああ、そうかと納得した。
 少し前に王太子エセルバートと、オールディンソン侯爵家次女、マリージェ……つまり、自分との縁談が浮上していた。それが駄目になったのだと。
 しかしこの時マリージェの小さな胸を貫いたのは、縁談そのものが駄目になった事実よりも「マリーでは駄目だった」という父の言葉だ。
 自分では駄目だった……では、姉だったら良かったのだろうか。
 マリージェには上にカーラという名の姉がいる。
 姉妹しかいないこの家で、いずれは跡取り娘となる姉のカーラは両親の期待を一身に受けて育てられた。そしてその期待に応える自慢の娘でもある。
「マリーもよくできた子だが……やはりカーラには劣るな」
 それが父の無意識の口癖だ。
 いや、父だけではない。家庭教師達もだ。
 最初にカーラを、その後にマリージェを。二歳差の姉妹だからこそ、家庭教師達の記憶には何をさせても優秀なカーラの印象が強く残っていて、その後に続くマリージェと比較する。
「決して悪くはない。むしろ優秀だ。けれど、カーラ様に比べると残念だが見劣りする」
 というふうに。
 その言葉を聞く度に、いつも複雑な気分になる。
 実際自分が姉より劣るのは自覚している。父達が姉の方を高く評価するのも頭では判る。
 それでも幼い頃から姉と比較され劣等感を煽られ続けるマリージェが、その度にどんな気持ちになるのかを考えてくれる人は殆どいない。
 エセルバートはそんな数少ない、「マリーにはマリーの良いところが沢山あるよ」と自分を認めてくれる人だったのに……結局、エセルバートですらも、自分より姉の方が良かったと、そう言うのだろうか。
 カラカラと、心の中で積み上げていた何かが転げ落ちるような小さな音を聞いた気がした。
 その後書斎から離れたマリージェは、自分がどうやって自室に戻ったのか覚えていない。ただ戻るなりベッドに潜り込み、静かに泣いた。
 そんな彼女の頭の中に蘇るのは、今よりももっと幼い頃の記憶。
 初めて王太子エセルバートと出会った時の思い出だった。

第一章 こじれた初恋

「今日は王様と王妃様、そして王太子様にお目に掛かるのよ。失礼のないようにきちんとご挨拶できるわね? マリージェはもう立派なレディだものね?」
 そう言っておませに笑った二つ上の姉に、その年六つになったばかりのマリージェは真剣な顔で何度も肯いた。
 その頬が真っ赤に染まっているのは、緊張のせいだ。
 マリージェは少し感情が昂ぶるとすぐに頬が赤くなってしまう。
 家族はそれが可愛いと言うのだけれど、マリージェ本人はあまり嬉しくない。だって何かある度にすぐに顔が赤くなってしまうなんて小さな子どものようではないか。
 もう六歳なのだ、赤ちゃん扱いは困る。
「大丈夫、ちゃんとご挨拶できます、何度も練習したもの!」
 えへん、と得意げに胸を張るマリージェの仕草に、姉が笑いたいのを堪えるように唇を歪ませる。
 そんな姉妹の姿を、両親も同じく笑いを噛み殺しながら見守っていた。
 そうして挑んだ初めての王族へのご挨拶だったが、結果から言えばマリージェが望んだ通りの挨拶ができたかというと、そうではなかった。
 いつも外側から眺めるだけだった白亜の城に足を踏み入れた途端、幼い少女は美麗かつ壮麗な雰囲気に呑まれ、王と王妃、そして王太子の前に出た頃にはすっかり萎縮してしまったのだ。
 お陰で自分が挨拶する番になってもマリージェはなかなか声が出せなかった。
 怯えた小動物のように身を震わせ、今にも泣き出しそうな少女の様子に、国王夫妻も王太子も、家族以上にハラハラとした様子で見守っている。
 あんなに何度も練習したのに、頭が真っ白になってしまって覚えたはずの言葉がなかなか出てこない。姉に救いを求めるように視線を向ければ、マリージェの緊張を理解しながらも姉は『頑張れ』と言うように肯き返すだけだ。
 自分で自分を励ましながら、やっとの思いでぎこちなくお辞儀をした。
「は、はじ、初めてお目に、かかります。お、オールディしょん……」
 しまった、噛んだ。
 よりにもよって家名のところでと、うるっと視界が潤む。
 泣いては駄目だと懸命に唇を震わせながら堪えるも、どうしてもその後の言葉が出てこない。いよいよ本当に泣き出しそうになった時だ。
「うん。大丈夫、上手に言えているよ。君の名前を教えてくれるかな」
 そう言って笑いながら、壇上から降りてマリージェの前にひざまずく人がいた。つい先程まで国王夫妻の隣にいた、王太子だ。
 父親譲りのキラキラとした金髪と、母親譲りの明るい青の瞳が印象的な綺麗な顔立ちをした少年はこちらの視線の高さに合わせてにっこりと人懐こい笑みを浮かべながら、マリージェの言葉の続きを待ってくれる。
 その笑みに頬を真っ赤に染めながら、何とか言葉を押し出した。
「ま、マリージェ・オールディンソンに、ございます……!」
 お世辞にも上手とは言えない出来に怒られるかと内心びくびくしていたが、まだ幼い少女が覚え立てのマナーで必死にレディとして振る舞う姿は大人達の微笑を誘ったようだ。
 王も王妃も、何より目の前の王太子が目を細めて笑顔を浮かべている姿にホッとした。
 すると王太子は小さなマリージェの手を取って、その甲に唇を寄せると告げる。
「初めまして、レディ・マリージェ。私はこの国の王太子、エセルバート・フォン・ローダーデイルと申します」
 お会いできて光栄です、とそう言って彼はまた笑った。
 元々綺麗な顔立ちの少年だけれど、マリージェが一番目を惹き付けられたのは彼の優しく明るいお日様のような笑顔だ。
 その笑顔を前に、何だかとても恥ずかしくなって俯いてしまう。
 はは、と低い笑い声が上がったのは玉座の方からである。
「これはまた、何とも可愛らしいご令嬢だ。エセルバート、せっかくだから小さく可愛らしい令嬢達を庭に案内してあげなさい」
「はい、喜んで。マリー、手を繋ごう。カーラもおいで」
 この時の謁見にどんな意味があったのか。その理由に思い当たったのは、それから何年も後になってのことである。
 恐らく自分達は王太子の未来の妃候補として、相性を見るために引き合わされたのだろう。まだ王太子は結婚に焦る年齢ではないが、早めに相手が見つかるならそれに越したことはない。
 きっと他にも相応の身分と年齢の令嬢がいる家に声が掛かっているのだろう。
 候補達の中でオールディンソン家の優先順位はそう高くはなかったはずだ。
 爵位は充分でも、姉妹のどちらとも王太子とは少し年齢が離れている。また娘しかいないこともあって、どちらか一方は婿を取って家を継ぐ必要があったからだ。
 もっとも、まだ幼かったマリージェにはそんな大人の都合など判らなかったし、大人達もあえて意識させるような発言はしなかった。
 ただ、マリージェが覚えているのは、以来幾度か城に招待されて出向いたこと。
 そしてその度にエセルバートが、
「マリー」
 と親しげに名を呼び、迎え入れてくれたことだ。
 エセルバートは、マリージェとカーラを比較したりはしなかった。それどころか、皆が姉のカーラを優先することが多いのに、彼はどちらかといえばマリーの方をより可愛がってくれていたように思う。
 だからマリージェは無意識のうちに勘違いしてしまっていたのかもしれない。
 自分は王太子に可愛がられている特別な存在であり、将来は結婚できるのではないかと。
 王太子妃になりたかったわけではない。王妃になりたいと望んだわけでもない。
 ただ、あのお日様のような笑顔の少年の側にずっといたかっただけだ。
 また王太子とマリージェとの仲睦まじい姿に王の方から将来的に二人を夫婦にするのはどうかと縁談を持ちかけてきたこともマリージェの心を大きく期待で膨らませた。
 嬉しかった。夢が叶うかもしれないと本気でそう思っていた。
 そう舞い上がっていた中での、父と母の会話である。
『やはり、マリーでは駄目だったらしい』
 自分では駄目だった、ということは、姉だったら話は違っていたのだろうか。
 そうかもしれない。カーラが跡取り娘でなければ、エセルバートとの縁談に名が挙がったのはきっと姉の方だった。
 もしそうだったら、彼も肯いたのかもしれない。
 今までに何度も何度も姉に劣ると劣等感を刺激され続けてきた。でもその度にもっと頑張ろう。自分さえ頑張ればと、努力を重ねていたつもりだった。
 でもこの時ばかりは大好きな姉がひどく恨めしかった。
 何でもできて、美しくて優しくて……全てを持っている姉がズルい。どうして同じ姉妹なのにこんなにも違うのだろう。
 悔しくて、切なくて、そしてやっぱり悲しくて。
 家族に隠れるように泣いて泣いて泣き続けて、結局マリージェが選んだ気持ちの折り合いの付け方は、諦めること。
 どんなに姉がズルいと泣いて恨んでも、カーラが悪いわけではないことは判っている。マリージェが選んでもらえなかったのは、自分には魅力がなく、力不足だっただけのこと。
 大好きな姉のことも、両親のことも恨みたくない。
 全て、自分が諦めればそれで済む。
 分不相応な想いを抱いた、自分が悪いのだ、と。
 マリージェが初恋の終わりを自覚したこの時、彼女は十一歳。そしてそれ以降、エセルバートと会うことはなくなった。
 ちょうどエセルバートも成人し、王太子として正式な公務に携わるようになっていたから、彼も忙しかったのだろう。
 何度か断るうちに、それ以上誘われることはなくなった。
 それでも誕生日や季節の変わり目にはカードが届いた。
 自分のことを気に掛けてくれているのだと思うと、その気遣いが素直に嬉しい。
 それと同時に、激務が続いている彼の様子を父から聞くとそんな気遣いをさせることが申し訳なくなって、今後は辞退する旨の手紙を送ると、それ以来カードも途絶えた。
 そして、それっきりだ。
 これ以上余計な期待を抱くのが怖くて、こちらから関係を断ち切ったようなものなのに、実際に疎遠になるとひどく寂しい。
 けれど、仕方がない。
 初恋は叶わない場合が多いと聞く。
 きっと、自分の場合もそうだったのだろう。
「初恋の相手が王子様だなんて、まるで物語みたいね」
 消え入りそうに笑って、マリージェは未だ心の中に残る淡い想いを胸の奥にそっとしまい込む。
 大切に、心の宝箱の中に。けれど決して開かないように鍵を掛けて。

 ローダーデイル王国王太子エセルバートが、退位した父王に代わり玉座に着いたのは、彼が二十六歳の初春の頃だった。
 その即位からおよそ一ヶ月遅れて、オールディンソン侯爵家に王宮から新王の名で開かれる初めての大舞踏会の招待状が届いた。
 毎年恒例の社交シーズンの始まりを告げる、王宮主催の春の大舞踏会である。
 しかし今年の大舞踏会は例年とは少し違う意味を持つ。その舞踏会で新王のお妃選びが行われるのではないか、という噂が貴族達の間で大々的に広がっているためだ。
 王太子時代から、浮いた噂一つなく婚約者どころか特定の恋人すら持とうとしなかったエセルバートだ。
 その噂は年齢も身分も釣り合う令嬢達やその親に激震を起こした。
 未来の王妃という可能性もさることながら、若く美しい王の妃になれるかもしれないのだ。この国の令嬢で彼に憧れていない者の方が少ない。
 皆が浮き立つ中、オールディンソン侯爵家次女、マリージェにとっては聞こえてくるそれらの話は憂鬱なものでしかなかった。
 今まさに、その最初の王妃選定の場となるだろう王宮主催の大舞踏会会場へ向かう馬車に乗っていても、自分には関係のない話だとしか思えない。
 できることなら舞踏会へ参加するよりも家でのんびり過ごしていたいけれど、一応は侯爵令嬢という身分である。
 一度は顔を出さねば義理が立たないと父に命じられて出席することになったのだが、先程から何度も同乗している姉に知られぬよう、そっと溜息を噛み殺す始末だ。
 彼女がこんな反応をしてしまうのは自分が王妃として選ばれることはない、と承知しているからだ。何しろもう随分と昔に断られ、そして失恋している身である。
 失恋の経験は一度で充分だ。二度も三度も味わいたいものではない。
 それでなくても自分の方から疎遠にした後ろめたさがある。できればまだしばらくは近づきたくない、というのが本音である。
 対して姉のカーラはというとマリージェとは状況が全く違う。きっと今夜舞踏会に参加する令嬢達の中でも姉は王妃の最有力候補だろう。
 身分も、美貌も、教養も何一つ不足しているものはない。恐らく現在の年頃の娘達の中で最も際立つ存在となるに違いない。
 特に今夜のカーラの美しさに色を添えるのは、美しい色を出すのが非常に難しいと言われる、深い青が鮮やかなドレスだ。
 裾の端々にまでレースがあしらわれ、一流の職人が施した刺繍がこれでもかと入って、ふんだんなくちりばめた真珠によって優雅かつ華やかに仕上げられた絹のドレスは、姉の美しい金髪によく映えるだろう。
 それに対して妹であるマリージェの方はというと、清楚で年若い娘の可憐さが引き立つ美しいデザインのドレスだ。しかし、姉と並ぶとレースも刺繍も宝石も、いくらか控えめな印象を与えるのは否めない。
 多分それが、両親……とりわけ父の、姉妹に対する期待の差だと感じるのは自分だけではないはずだ。
 だからといってそのことをどうこう言うつもりはない。マリージェ自身、姉のように目立ちたいとは思ってない。侯爵令嬢として恥じることのない装いであれば、それで充分だ。
 しかし姉はというと、自分とマリージェの差が気になって仕方ない様子だ。
 何しろマリージェが社交界に参加するのは、デビューして以来二年ぶりのことである。本来、十六でデビューした令嬢はその時から貴族の結婚市場に名乗りを上げて、家と自分に都合の良い相手を探すものだが、マリージェにはその経験が殆どない。
 だからこそ色々と、本人以上に気を回してくれているのだろう。
「ねえ、マリー。本当にそのドレスで良いの? とても素敵なドレスであなたによく似合っているけれど、もう少しレースを足すとか宝石を縫い付けたりすれば、もっと華やかになったと思うのよ」
「姉様ったら、今更そんなことを言っても仕方ないでしょう? それにあまり目立っても逆に困ってしまうわ。久しぶりの社交界だし、まずは雰囲気に慣れることを優先したいの」
 ね、と笑いながら告げると、姉は何とも言えない表情でその口を閉ざした。
 目立ちたくないのは本当だ。
 上級貴族家の娘として舞踏会への参加は避けられないとしても、できればひっそり過ごして、ひっそり帰りたい。
 それに王妃選びなんて正直ただのパフォーマンスだと思う気持ちもある。
 きっと既に王妃候補は絞られていて、噂されるように王の目に留まれば誰にでも平等にチャンスがある、なんて思えるほど常識知らずではないつもりだ。
 何しろ王妃と言えば国の母。当然それ相応のものを求められる。
 恐らく婚約してから行われるだろう王妃教育についていける教養のある令嬢は限られている。並の令嬢では一ヶ月ともたず音を上げるだろう。
 その点、カーラの教養は他と比べても間違いなく高い。
 父であるオールディンソン侯爵が貴族では珍しく女子に対しても教育熱心であったこともそうだし、姉は元々跡取り娘として侯爵家を継いでいく予定だったため、通常の令嬢よりもいっそう高度な教育を受けているからだ。
 万が一の場合のためにとマリージェも同じ内容の教育を受けてきたが、だからこそカーラのレベルの高さが判る。
 そんな姉の状況が変わったのは三年前のことだった。
 両親の間に、男児が誕生したのだ。殆ど諦めかけていた、待望の男児の誕生にオールディンソン侯爵家は沸いた。
 と同時にカーラもマリージェも、家を継ぐ必要はなくなってしまった。
 いずれは自分が継ぐものと大きな責任感を抱いていた姉は少々肩すかしを食らったようだったが、男児と女児では前者が優先されることは自分達もよく理解している。
 最初こそ戸惑いを覚えはしたものの、今では弟が生まれた以上は、その弟が家を継ぐものだと考えている。
 それにどんな人生を歩むにしろ、学んだことが無駄になるわけではない。今後役に立つこともきっとあるだろうと、そう納得していた。
 しかし、優秀な姉の才能を誰より惜しんだのは父だった。
 考えられる限りの教育を施し、手塩に掛けて育てた娘を適当な家に嫁がせて、その能力を埋もれさせてしまうのでは宝の持ち腐れ。
 これほどの器量なら王太子妃、そしてゆくゆくは王妃の座も狙えるのではと考えたとしても自然な成り行きだろう。
 結果父はこれまで以上に長女に期待し、よりいっそう質の良い教育を受けさせると同時に、社交界でも完璧な令嬢として振る舞うことを望んだ。
 そして姉は今のところ、父のそんな期待に弱音を吐くことなく見事に応えている。
 社交界での評判も高く、後を絶たない求婚の全てを断って未だ特定の相手を持たずに身を慎んでいる姉の噂はエセルバートの耳にも届いているはずだ。
 それでなくても、関係を絶った自分とは違って姉とエセルバートの交流は今もまだ続いていると聞く。
 少なくとも国内の貴族の中でカーラほど一国の王妃に相応しい人は他にいないと、妹の目から見ても思う。
 その美貌や才能をおごることもなく、家族思いの心優しい姉を、マリージェも誇りに思っている。
 その一方で、自分のこととなるとその評価は低くならざるを得ない。
 別に卑屈なつもりはないし、容姿や教養だって特別他の令嬢より劣っていると思っているわけでもない。
 むしろ父のお陰で姉と同じく充分手厚い教育を受けてきているため、並の令嬢以上の教養はあると自負してもいる。
 でも、どうしてもあと一歩姉には及ばない。
 父はいつもこう言う。
「マリージェはどこに出しても恥ずかしくない。だがそれでもカーラには及ばない」
 と。
 父に悪気はない。
 ただ思ったことをそのまま口にしているだけだ。その幼い頃から繰り返される言葉が、どれほど下の娘の心を傷つけ萎縮させているかに気付かないで。
 そんな父を時折母や姉がやんわりとたしなめてくれてはいるけれど、何が悪いのか判っていない父には響いていないようだ。
 その上マリージェは、十六でデビューして以来二年もの間、社交界に参加していない。
 きっと人々の記憶から、オールディンソン家の次女という存在はすっかり消え去っていることだろう。
 貴族令嬢にとって最も大切なこの二年もの間、なぜ社交界から離れていたのか。それは弟を産んでから一年経ってもなかなか体調が戻らず静養する母を案じたためだ。
 シーズンになると家族が不在になってしまう領地に、母を一人残していくのは忍びなかった。かといって社交を務めるのも貴族の立派な役目の一つである。
 そのため、社交を父と姉に任せて、マリージェは母に付き添う選択をしたのである。
 そんなマリージェに、母はいつも申し訳なさそうにこう言った。
「ねえ、マリー。私のことは良いから、あなたも王都に行ってらっしゃい。きっと素敵な出会いがあるでしょうし、王都ではエセルバート殿下とお会いできる機会もあるわ。昔はあんなに親しくしていただいていたでしょう?」
 と。その度に首を横に振ったのは自分だ。
「親しくと言っても、もう何年も前の話よ。きっと殿下も、もう私のことなどお忘れになっているわ」
 そう、もう随分と昔の話だ。当時の記憶は既に朧気で、細かいやりとりは殆ど覚えていない。
 それでも自分に向かって手を差し伸べてくれた、八つ年上の少年の晴れやかな笑顔は彼女の記憶に強く残っている。
 城に行けば、いつだってエセルバートは笑顔で迎え入れてくれた。

※この続きは製品版でお楽しみください。

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