【試し読み】不器用な副社長は恋しい秘書を独り占めしたい

作家:花音莉亜
イラスト:澤村鞠子
レーベル:夢中文庫セレナイト
発売日:2022/7/5
販売価格:600円
あらすじ

大手外資系証券会社の副社長秘書として働く立花理緒は、若くして有能さを評価され見た目も完璧で注目を浴びる副社長の矢藤隼斗に恋をしている。けれど彼は手の届かない存在で、まさに雲の上の人。きっとこの恋心を知られたら秘書としての信頼を失ってしまう。だからこの想いは胸に閉じ込めておこうと思っていたのに──「もう悶々と悩みたくない。きみが、欲しい」隼斗からの思いがけない愛の告白。副社長の顔と理緒にだけ見せる恋人の顔。その隼斗のギャップに心は甘く振り回されながら、溺愛ライフがスタート。一方、久しぶりに再会した幼なじみのお兄ちゃんからの猛アプローチに理緒は悩まされて……!?

登場人物
立花理緒(たちばなりお)
証券会社の秘書課に勤務。副社長の矢藤に片思い中だが、立場が違い過ぎる相手と諦めている。
矢藤隼斗(やとうはやと)
理緒が勤める会社の副社長。海外経験豊富なエリートイケメンで、女性社員の憧れの的。
試し読み

立花たちばなさん。このファイルは、ここにあるんだよ」
 スッと背後からディスプレイを指で差され、ドキッとしてしまった。しなやかな長い指は、矢藤やとう副社長のものだ。
「す、すみません。まだ慣れてなくて」
「システムが、変わったばかりだもんな。仕方ないよ。その要領で、この資料を作成しておいてくれるか?」
「かしこまりました」
 副社長から受け取ったメモリを握り締め、彼が執務室へ入っていったのを確認してパソコンに向き直った。
 ここは、大手外資系証券会社の副社長室。私は一年前から、矢藤隼斗はやと副社長の秘書をしている。
 彼が副社長に就任したのと同時に、総務部から秘書課へ異動となったのだった。
「失礼します」
 ドアがノックされ、入ってきたのは社長秘書を務めている安西あんざい美香みかだ。彼女は私の同期で、入社当時から社長秘書をしている。
「あ、美香。ごめん。約束の時間だったね」
 頼まれていた資料を引き出しから出すと、立ち上がって美香に渡す。すると彼女は、小さく口角を上げると執務室へ目をやった。
「ねえ、理緒りお。イケメン副社長は、いらっしゃるの?」
 美香は小声で話しているけれど、私は若干焦りを感じながら答えた。
「ちょっと、その言い方やめてよ。聞こえるかもしれないし」
「そう? さすがに、これくらいの声じゃ聞こえないでしょ?」
「そんなの分からないわよ。副社長、結構周りにアンテナ張ってるから」
 普段から秘書室には私しかいないし、来客がなければ静かな部屋だから話し声が目立つかもしれない。壁はけっして薄くはないけれど、意外と副社長はここの様子を把握しているのだ。
「大丈夫よ。だいたい、悪口じゃないし。副社長ってクールに見えるけど、実は優しかったりする?」
「優しいというか、思っていた以上に親身になってくださるよ?」
「そうなんだ。やっぱり、羨ましいわ。私も、副社長秘書になりたかった。理緒はラッキーね」
「ラッキーって……」
 呆れていると、美香は資料を手に副社長室をあとにした。彼女とのやり取りに緊張があったからか、思わずため息をつきながら席に着く。
 〝羨ましい〟という言葉は、美香に限らずこれまでにも言われたことは何度もあった。なにせ矢藤副社長は、私より七歳年上の三十三歳で、その若さで副社長職に就いているエリートだ。
 外資系という実力社会で、彼はその有能さを評価されて副社長となっている。それだけでも業界で話題になったのに、矢藤副社長は見た目も完璧で注目を浴びていた。
 スラっとした長身で、手足が長い。強い眼差しとは反対に、全体のルックスは甘く色っぽかった。
 知的な雰囲気で、性格はクールだから愛想があるタイプではない。それでも彼の凛とした立ち振舞いは、女性社員の憧れになっていた。
(あ、そういえば、午後から会議だっけ。今日は、当番だったよね)
 スケジュールを再確認しながら、今日の会議は美香と一緒に準備当番だったことを思い出す。
 副社長が出席する会議は、ほとんどが役員会議だ。社長以下の役員が集まるため、各々の秘書が会議室の準備をしたりお茶出しをしたりする。
 今日は、その当番に当たっていてドキッとした。業務中に私情を挟むのはいけないと分かっているけれど、会議中の副社長は本当に素敵だから思い出してしまう。
 外資系ということもあり、役員の中には外国の人もいる。会議は基本、英語で進められるから、それを見るだけでも惚れ惚れしてしまうのだ。
 今日も、流暢な英語で話す副社長を垣間見れるなんて楽しみ……。

「ありがとう」
 お茶を置くと、副社長が静かにお礼を言ってくれた。午後の会議は白熱しているようで、早口の英語が飛び交っている。
 彼のタブレットがちらっと見えたけれど、かなり難しい英文が書かれていて、英語が得意な私でも一瞬では理解できない。
 黙って会釈をして会議室を出ると、給湯室で美香が声をかけてきた。
「何度見ても、矢藤副社長が一番華があるわね。あの若さで、五十代の社長に引けを取らないんだもの」
 美香は電気ポットに水を足しながら、うっとりとしている。そんな彼女に、苦笑しながら答えた。
「そうね。お若いし、語学も堪能。かなり有能な方として、業界内でも一目置かれてるしね。美香は、副社長の大ファンだよね」
「大、大大ファンよ! それにしても、理緒ってば毎日一緒にいて、なんとも思わないの?」
「えっ!? それは……。尊敬する方だけど、住む世界が違うというか。美香は、本気なの?」
 動揺しつつも、美香の本心も知りたくて逆に聞き返す。なぜなら私は、密かに副社長に恋をしているからだ。といっても、彼が雲の上の人だと十分理解している。
 もちろん、副社長から特別な感情を持たれていないことは分かっている。それでも時折、垣間見せられる副社長の優しさに、気がついたら心を奪われていた。
「さすがに、それはないわ。いくらなんでも、恋できる相手じゃないもの。憧れよ」
「そうだよね。私たちとは、世界が違うもんね……」
 笑顔を取り繕いながら、チクっと胸が痛む。美香の言葉で、改めて自覚したからだ。副社長を好きになることが、身の程知らずだということに……。
「副社長って、クールな人だよね。誰かを好きになるってこと、あるのかな? 恋人は、いなさそうなの?」
 美香とカップを整理しながら、話題は彼のことばかりになる。そんなことを感じながら、彼女の質問に小さく頷いた。
「うん、たぶん。そういう雰囲気はないから。だからか、取引相手から言い寄られてるのを見たことあるよ」
「そうなの? さすがって感じね。で、副社長はどんな反応?」
「それが、本当に相手にしていないというか……」
 そう。矢藤副社長は、本当にそういうところが素っ気ないのだ。だからこそ、私は自分の恋心を胸に秘めておきたいと思っている……。

「矢藤副社長。週末、ディナーご一緒しましょうよ」
 そう言って、大胆にも副社長に身体を近づけたのは、取引相手の女性役員だ。社長と同じくらいの年齢で、とてもグラマラスな人だった。
 以前から副社長に気があるのか、何度も食事に誘っては断られている。それでも今日は、執務室を出てからやたらと彼に接近していた。
佐々木ささきさん、やめてもらえますか?」
 見ない振り、聞かない振りをしようと思うのに、副社長の低く威圧感のある声が気になってしまう。仕事をしながらも、ほんの僅かに視線を二人に向けた。
 副社長の表情は、とても仕事相手に対してとは思えないほど険しくなっている。
「矢藤副社長、そんなこと言っていいんですか? 御社にプラスになる投資家を、あなただけにご紹介しようと思ったのに」
 立ち止まる副社長の首元に、佐々木さんは手を回す。色っぽい厚みのある唇で、彼に顔を近づけた。
「まるで、僕にだけ特別に紹介する……、みたいに聞こえますが?」
「あたり前じゃないですか。矢藤副社長は、私にとって特別なんですから。あなたにしか、話しません」
 唇が触れるのではないかと思うくらい近づいた佐々木さんを、副社長は顔色ひとつ変えずに離した。
「佐々木さん。そう言う割には、うちの秘書にしっかり聞こえてますよ」
「えっ?」
 瞬間的に佐々木さんと目が合い、気まずさですぐにそらす。
「詰めが甘いですよ。それでは、僕は仕事があるので」
 素っ気ない副社長の態度と、私がいるいたたまれなさからか、佐々木さんは憤慨したような顔で部屋を出ていった。
 慌てて立ち上がり見送ったものの、彼女が私を見ることはない。勢いよくドアが閉められると、背後から副社長のため息が聞こえた。
「副社長、お疲れさまです……」
 そう声をかけるしかなく、おずおず彼を見ると疲れきった顔をしている。
「すまないな。仕事の邪魔をして」
「いえ……。今日の佐々木さんは、いつになく大胆でしたね。お茶をお持ちしましょうか?」
「ああ、頼むよ」
 そう言った副社長は、もう一度ため息をつき部屋へ入っていった。給湯室は秘書室の奥にあり、彼の好みのコーヒーや茶葉が置いてある。
 熱いお茶を入れると、執務室へ持っていった。それにしても、佐々木さんは本当にどうしたのだろう。私がいることすら、忘れていたかのようだった。
「副社長、どうぞ」
 デスクにいた副社長は、差し出されたコップを手に取る。よほどエネルギーを使ったのか、熱いのに勢いよくお茶を飲んでいた。
「ありがとう。前から思ってたんだけど、立花さんってお茶を入れるのが上手だな。この間のお客さんも、お茶が美味しいって褒めてたよ」
「ほ、本当ですか? ありがとうございます」
 思わぬところで褒めてもらい、嬉しくて心が弾んでしまう。きっと今、副社長はとても疲れているだろうに、こういう何気ない優しさを見せる人だから、私はいつの間にか心が惹かれていたのだ。ドキドキする気持ちを抑え、控えめな笑顔を向ける。
「立花さんからは、堅実な感じがするよ。仕事に一生懸命で、分からないことは時間を割いて調べてるし」
「でも、今朝は副社長に教えていただきましたよ。ファイルの場所を」
 そう答えると、彼はフッと笑った。副社長が笑うこと自体少ないから、その笑顔にドキッとする。
「あれは、ファイルの場所が変わっていたから。実は俺も、今朝探して見つけたものなんだよ」
「そうだったんですか? 副社長も?」
 自然と笑みがこぼれ、彼と話す僅かな時間を楽しんでいた。
「なあ、立花さん。今夜、予定ある?」
 お茶を飲み干した副社長が、おもむろに私を見上げる。質問の意図を、理解しきれないまま頷いた。
「はい。特に用事はありませんが」
「それなら、よかった。実は、立花さんに付き合ってもらいたいところがあるんだ」
「分かりました。どこに行かれるんですか?」
 金曜日の夜に頼むくらいだから、よほど大事な仕事関係のところだろう。クライアント先か、あれこれ考えていると、引き出しからスマホが取り出され差し出された。
「ここ。料亭でね。今度、懇意にしている投資家の人たちを招こうと思ってるんだ。新しくできた店で、行ったことがないから一度見ておきたくてね」
「そういうことなんですね。分かりました。お店の下調べってことですか?」
 画像を見ると、綺麗な日本庭園や、上品な和室が映されている。外観も日本家屋のようで、落ち着いた雰囲気が出ていた。
「そう。立花さんさえよければ、女性目線で見てもらいたいなと」
「ということは、女性の方も呼ばれるってことですよね?」
 そこまで踏み込んで聞く必要はないのに、つい質問してしまった。副社長は、佐々木さんに限らず、自分にアピールしてくる女性には素っ気ない。
 さらに、そういうシチュエーションが多いからか、あきらかに異性に対する警戒心がある。それは、この一年間で気がついたことだ。
 だから、一緒に食事をしようとする投資家の人の中に、女性がいるのか気になってしまった。
「ああ。当然、女性もいる。だから、立花さんの感想も聞きたいんだ。いいかな?」
「は、はい。もちろんです。お願いします」
 複雑な気持ちになるのは、私が勝手に彼に対してイメージを作っていたからだ。副社長は、業務とは関係のない態度を取られるのが嫌なだけで、女性嫌いというわけではない。だから、食事をするメンバーの中に、女性がいても不思議でないのだ。それを改めて自覚して、自分を律した。
 秘書である私が、副社長に恋をしていることが知られたら、それこそ信頼を失ってしまう。
 ようやく、仕事の面では認めてもらえたような気がするのに。密かな恋心を、知られてはいけない……。

「副社長のお車ですか!?」
 二十時、オフィスビルに併設されている機械式の駐車場で、思わず声を上げて目を丸くした。
 なぜなら、目の前には大きなセダン型の高級車があるからだ。シルバーのメタリック調で、ボディが艶めいている。
 普段、副社長には運転手が付いているはずだから、彼の車と聞いて余計に驚いてしまった。
「そうだよ。今日は、立花さんの都合が合えば店に行こうと思ってたから、自分の車で出勤したんだ。さあ、乗って」
 副社長は助手席のドアを開けると、自分は運転席へ回り込む。左ハンドルの車に乗るのは初めてだし、副社長と二人きりだと思うとより緊張してしまう。
(よく考えたら、車で二人きりって初めてじゃない!?)
 多くの秘書は運転も兼ねているけれど、私たちの会社は役員の運転手は別にいる。私や美香が、副社長や社長を乗せることはないのだ。
「シートベルト締めた? 出発するよ?」
「はい。お願いします……」
 視線を向けられて、ドキッとしながら頷く。革張りのシートは柔らかく、車内は品のいい甘い香りがした。
 ハンドルを握る副社長の横顔は、惚れ惚れしてしまうほどに綺麗だ。端正に整った顔立ちで、甘い雰囲気がある。
(運転も、上手なのね……)
 つい見惚れていると、一瞬だけ副社長の視線が重なった。すぐに戻されたけれど、それだけで過剰に意識してしまう。
「立花さん、どうかした?」
 どうやら副社長は、私の様子のおかしさに気づいたらしい。
「いえ、すみません。そういえば、副社長と車で二人きりって初めてだなと思いまして。いつもは、仕事での移動ばかりですもんね」
 ふふっと笑ってみたものの、これで副社長を誤魔化せただろうか。上司と一緒だから緊張している……、そう思われたらいいのだけど。
(私情を挟んでいることがバレたら、私も軽蔑されちゃうよね……)
 ただでさえ彼は、自分を異性として見られることを嫌っているのに……。
「たしかに、普段は会社の車しか乗らないもんな。なるべく早く、帰すから」
「いえ、お気を遣われなくて大丈夫です。私も、楽しみなので」
 咄嗟に否定したのは、きっと誤解をされていると感じたからだ。副社長は、私が迷惑していると思ったに違いない。
 でも、それはまったく違う。本当は、嬉しさでいっぱいだから。私の反応が、副社長にどう受け止められたのかは分からないけれど、彼の横顔はどこかホッとしているように見えた──。

※この続きは製品版でお楽しみください。

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