【試し読み】契約結婚につき、溺愛はご遠慮いたします。
あらすじ
「驚くべきことだが、どうやら僕は君に恋をしているようなんだ」 伯爵令嬢のアンネは、事故で急逝した両親の遺した事業を成功させるため、どうしても『名ばかりの夫』が必要だった。そこで、見た目は貴公子で気ままな独身主義者、女性と上手に遊ぶ近衛騎士のセオドアに白羽の矢を立て契約結婚を願い出る。あまりに普通ではない条件に驚きつつ、アンネに強く興味をひかれたセオドアは引き受けた。合理的で倹約家、両親の想いを叶えようと努力するアンネがまぶしく、セオドアはもっと彼女を輝かせようとする。一方で『名ばかりの夫』でいいのに!とアンネはモヤモヤ。けれどご褒美のキスや甘い触れあいが増えていって──溺愛は契約違反です!?
登場人物
事故により両親が急逝。遺された事業を完成させるため、家督を継ぐ『名ばかりの夫』を探す。
近衛騎士。女好きの遊び人で独身主義者だったが、アンネに契約結婚を持ち掛けられる。
試し読み
第一章 思いがけないプロポーズ
舞踏会の雰囲気はいい。華やかで、きらびやかで、ただそこにいるだけで心がわくわくと浮き足立つ。
着飾った男女が広間を飾るのがなによりいいのだ。さまざまな色のドレスが空間を彩ってくれる。男はこういう場では黒の燕尾服と決まっているから、ドレスの鮮やかさを目にするのがセオドアはなにより好きだった。
もっと言えば、ドレスを纏う彼女たちが、自分に向けてほほ笑んだり、秋波を送ってくるのも大好きだった。
「あら、セオドア様。本日はおひとりですの?」
さっそく、美しい深紅のドレスを纏った女性が話しかけてくる。
「ええ。今日はあいにく誰も誘いに応じてくださらなくて」
セオドアが笑顔で応じると、女性はにっこりほほ笑んで手を差し出した。
「あなたの誘いを断るなんて、無粋なひともいるものね」
「皆様とてもお美しく、誰の目にも魅力的に映りますからね。僕が誘わずとも、楽しく過ごせるすべをお持ちなのでしょう」
女性の手を取り、セオドアはさっそくダンスフロアへ彼女をエスコートしていった。
ふたりが踊りはじめたのを見て、壁際に集う令嬢たちがほうっと熱いため息をつく。
「まぁ、ご覧になって。セオドア様のダンス、あいかわらずうっとりしてしまうわ」
「一緒に踊っているのはキャサリン様ね。今日もご主人ではなく愛人といらしたのかしら」
「その愛人もほったらかしてセオドア様と踊られるなんて……」
「でもしかたないわ。わたくしだってセオドア様に誘われたら、舞い上がってその手を取ってしまうもの」
確かにね、と扇の影でくすくす笑う声が聞こえてくる。ともに踊るキャサリンもその声が聞こえたらしく、軽く肩をすくめた。
「そう思うならご自分から声をかけにいけばいいのにね。あなたは基本的にくる者拒まず、去る者追わずのひとなのだから」
「そう言われると、なんだか僕がとんでもない薄情者に聞こえてきますね」
「あながち間違っていないでしょう? 人妻相手につかの間の恋愛を楽しむのが、あなたのスタイルですもの」
いたずらっぽい上目遣いで指摘されて、セオドアは「まいりました」と苦笑した。
キャサリンの言うとおり、セオドアの相手はいつだって人妻だ。舞踏会にふらりとやってくれば、退屈を持てあましたご婦人たちが勝手に群がってくれる。
遊び方を心得た既婚婦人との火遊びは、スリリングでありながらそれなりに安全なので、女性好きのセオドアにはもってこいだった。
ご婦人たちのほうも『気ままな独身主義』を公言しているセオドアとの逢瀬をそれなりに重宝している節がある。
なにせセオドアは公爵家の次男であり、近衛兵として働いており、それなりの財産を持っているのだ。
見た目も金髪碧眼で背がすらりと高く、自分で言うのもなんだが、まさに絵に描いたような貴公子だと自負している。自分を連れ歩くだけで、ご婦人方の自尊心は大いに満たされるようなのだ。
まさに、どちらから見ても利益がある、双方ともにいい思いができる関係だった。
これからも、少なくとも自分が二十代のうちは、この気楽な生活を続けていこう──
セオドアはそう考え、キャサリンと踊り終えたあとも、顔見知りの婦人たちと仲良くおしゃべりを楽しんでいたのだが……
突如、左腕をがしっと誰かに掴まれて、危うく手にしていたグラスから中身がこぼれてしまうところだった。
「っ? 誰だい──?」
思わず声をかけると、背筋がシャキッとするような凜とした声が返ってきた。
「まぁ、ひどいお言葉をおっしゃいますのね。今日はわたしにお付き合いしてくださると、約束していたではありませんか」
セオドアは青い瞳をまん丸に見開く。
自分にぎゅっと抱きつき、上目遣いに訴えてくるのは、どう見ても人妻ではない年若い令嬢だった。
たっぷりした濃いブラウンの髪は一部を結わえて、残りを無造作に垂らしてある。夜会用の襟元が開いたドレスは、数年前に流行していたデザインのものだ。化粧っ気はほとんどなく、どう見ても十代後半の垢抜けない令嬢に見えた。
約束どころか、顔を合わせたこともない。女性の顔と名前は一度知ったら忘れない自分がそう思うのだから、間違いなく初対面だ。
だがこちらを見つめる令嬢の瞳はギラギラと輝いていた。いいからわたしの言うことに合わせろと、言葉以上に強くはっきり訴えてくる。
どう見ても面倒そうな雰囲気だ。いつもの彼ならスマートに断りを入れ、さっさと離れることだろう。
──だがこの日はどんな感情が作用したのか……セオドアは少し考えてから、にっこりと令嬢に笑いかけていた。
「ああ、そうだったね。すっかり忘れていた僕をどうか許してほしい」
セオドアは令嬢の片手を取り、指先にちゅっと口づけた。
力強くこちらを見つめていた令嬢は、突然のことに「ひぇっ」と妙な声を上げて目を見開く。いきなり抱きついてきたわりには、どうやらかなりの初心らしい。
じわじわと赤くなる彼女を可愛く思いながら、セオドアはご婦人たちに「そういうことなので失礼」とほほ笑みかける。そして令嬢の肩を抱いて、颯爽とその場をあとにした。
しがみついてきたときの威勢はどこへやら。すっかりカチコチになった令嬢を、セオドアはテラスへ誘い出す。足下から天井まで伸びる窓をパタンと閉めてから、セオドアは彼女に向き直った。
「さて、お望みどおりふたりきりになったよ、お若いお嬢さん。いったい僕を捕まえてどうしたいのかな? もしやはじめてのキスを僕に捧げたいとか……?」
目を細め、令嬢の顎を指先でくいっと持ち上げながら言うと、彼女はうわずった声で叫んだ。
「そ、そ、そんなわけありませんから! 離してください!」
おまけにセオドアの手を叩き落としてくる。なんとも威勢のよいことだと、彼はついくすりとした。
「あいにく僕も、火遊びは既婚者だけと決めているんだ。気ままな独身主義を貫くと宣言しているからには、恋愛もリスクが少ないものを楽しみたいのでね」
だから未婚で年若い君は対象外だよと言外に言うが、令嬢は「ええ、存じております」と、なぜかしっかりうなずいた。
「あなたがどなたとも結婚しない、女性好きだと知った上で、お願いがあるのです」
「ふぅん?」
単純に興味が湧いて、バルコニーの手すりに寄りかかった彼は「話してごらん?」と視線だけで促した。
流行遅れのドレスを着た令嬢は深呼吸をして、はきはきした口調で話し出す。
「申し遅れました。わたし、フィシャード伯爵家の一人娘でアンネと申します」
「アンネ嬢か。はじめまして。知っていると思うけど、僕はセオドア・サイゼル。サイゼル公爵家の出で、近衛騎士をやっているよ。どうぞよろしく」
「ご丁寧にありがとうございます。で、あなたにお願いしたいことというのが、わたしと結婚して名ばかりの夫になってほしいということなのです」
「……」
さしものセオドアもすぐには返事ができなかった。
(想像以上に素っ頓狂な話になったぞ?)
そう思いながら、彼は「それは、また」とだけ答えて、ゆったり腕組みした。
「実はわたしの両親が、五ヶ月前に馬車の事故でふたりとも急死しまして」
「それは……お気の毒に」
「我が家に子供はわたしだけなので、家督はわたしの婿が継ぐのが順当なのですが、父の弟であるわたしの叔父が、正式な跡継ぎは自分だと主張してきまして」
「なるほど、厄介だね」
「おまけに叔父は、領民のことを常に考えていた両親とは真逆の、ひどい遊び人なんです。うちにやってくるたびお金の無心をしてくる感じで。領民からもきらわれています」
「そういう性格ではそうだろうね」
「あんな男が伯爵位を継いで、領地を継承したらどうなることか。両親が領民のためにコツコツ積み立てていたお金だって、すぐに使われて終わりです。わたしはどうしてもそれを阻止したい」
アンネ嬢の緑の瞳は決意とやる気に燃えていた。
「なるほど。叔父に家督が渡ることを阻止するために、君は早急に結婚する必要がある、ということか」
──この国では貴族の家の当主が亡くなった場合、爵位を含む諸々の継承は、故人が亡くなってから半年後に行うのが通例となっている。
そしてこの国では女子が爵位を継ぐことはできない。家に娘しかいない場合は養子を取るか、娘が婿を取って、婿に爵位を継がせるのが一般的だった。
彼女の両親が亡くなってからちょうど五ヶ月ということは、あと一ヶ月しか婿探しの猶予はない。
「理解が早くて助かります」
「ありがとう。ただ、どうして僕を婿に選ぼうと思ったんだい? 少し聞いただけでも、君がご両親と同じく領民思いで、真面目なご令嬢であることはよくわかる。それなら、僕のような女好きの遊び人ではなく、もっと堅実で実直な若者を婿にするべきだろう」
セオドアは心からそう告げる。しかしアンネ嬢は首を横に振った。
「堅実で実直なお相手を探す時間は一ヶ月では足りないでしょう。わたしはもともと社交期の最初と最後の、王宮舞踏会にしか足を運んだことがないので、知り合いもほとんどおりません。親戚も父方、母方の両方とも祖父母は亡くなっていますし、頻繁に顔を合わせていたのは叔父だけなんです」
「それでも頼れる人間はいるにはいるんじゃないのかい?」
「頼ったところで、逆に窮状につけ込まれて、叔父のように家の乗っ取りを計画される可能性もあります」
「……なるほど。その心配は確かにあるね」
ふむ、とセオドアは顎に手をやった。
「それに……妙にやる気を出して、両親が考えていたのと違う方向に領地の改革や運営を進められても困るのです。わたしは両親が希望していた事業を成功させたい。そのために、領地の経営にはむしろ向かない、あるいは興味がない人物を婿に迎えたいのです」
「ご両親が希望していた事業、か」
どんな内容かは知らないが、やろうとしていたことがあったにも関わらず、志半ばで亡くなったことは気の毒だ。だからこそ目の前の令嬢もこれほど必死になっているのかもしれない。
「ちなみに君が結婚後、その事業の運営とか領地の管理は誰がやることになるの?」
「わたしと、長年仕えてくれている執事でなんとかします。幸い、両親は亡くなる前に、わたしに事業計画や帳簿の付け方なども教えてくれました。なんとかなると思います」
たいそうな自信だ。こう言い切るからには、彼女自身それなりに優秀な人物なのだろう。
(とはいえ、事業と名のつく仕事を行う場合、女性……それも成人していない令嬢では、難しいことも多いだろうな)
──ああ、だからこそ名ばかりの夫を探しているのか、とセオドアは納得した。
叔父を退けるのはもちろん、自分が事業をするときに夫の名前で進められれば、いろいろと楽になることは明白だ。
(だが……やはり、僕が彼女の婿にふさわしいとは思えないな)
年の頃は釣り合いが取れているし、次男である自分がどこかの家に婿入りするのも不自然なことではない。
だが彼女はあまりにまっすぐで、とても生真面目だ。そんな彼女に対し、遊び人の自分ではやはり釣り合いが取れない。
「君の主張はわかった。でも、やはり僕は、僕より立派な若者を婿に迎えるべきだと思うよ。僕の知り合いの中から、よさそうな相手を紹介するのは駄目かな?」
すると、アンネ嬢は少し困った面持ちになった。
「ありがたいことですが、最初に申し上げたとおり、わたしがほしいのは『名ばかりの夫』なんです。つまり……結婚しても、本物の夫婦のように過ごすつもりはないんです」
「本物の夫婦のように過ごすつもりはない……」
それはつまり、だ。
「白い結婚をしたいということ?」
ズバリ尋ねると、アンネ嬢は年相応に真っ赤になったが、こくりと頷いた。
……さてさて、またまた驚かされた。
そんな芝居じみたせりふを思い浮かべつつ、セオドアはゆっくり顎をさする。
白い結婚とは、有り体に言えば、夜の営みがない夫婦のことを指す。
この国では離婚は基本的に認められないが、白い結婚だけは唯一の例外だ。修道女や医師などが花嫁の処女を確認できれば、正当で重大な理由として離婚を認められる。
だが神の前で愛を誓いながら、白い結婚が理由で離婚するなど、あまり外聞がいい話ではない。妻よりも夫が意気地なしのふがいなしとして非難される場合も多いのだ。
「なるほど……。白い結婚を希望するなら、確かに真面目で誠実な夫は、逆に障害になってしまうね」
「そうなのです」
「とはいえ、跡継ぎ問題があるだろう。君が子供を産まなければ、結局また遊び人の叔父上がしゃしゃり出てくる可能性が高い」
「その通りです。なので領内にある孤児院から優秀な子を引っぱってきて、養子にでもしようかと考えております」
きっぱり答えるアンネ嬢の表情に揺らぎはない。本気で夫婦生活を放棄するつもりのようだ。
「わたしが結婚したい理由は、叔父を追い払うためと、両親が遺した事業を完成させるためです。それに同意してくださるだけでもありがたいのに、その上で跡継ぎのことまで婿の方にお願いするのは、高望みしすぎに思えてしまって」
アンネ嬢は申し訳なさそうに視線を下げてそう告げる。
(むしろ普通の男にとっては、名ばかりの婿になれと言うほうが失礼だと思うけど……)
とりあえず婿になってくれ。ただそこにいて、たまに名前を貸してくれればそれでいい。夫婦生活もしなくていいから。
というのは……正直、男の目から見て、さほどいい条件ではない気がする。
「特に夫婦生活がないのは、健全で健康な男にとっては拷問だと思うな」
セオドアが忌憚ない意見をつぶやくと、アンネ嬢は「もちろん、男性側のそういった生理現象は理解しております」と、おおよそ若い娘が言うものではないせりふを口にした。
「婿の方に望むのは結婚という手続きをしていただき、事業などのときに名前を貸していただきたいというだけですもの。あとはもう、自由にしていただいていいんです」
「君が言う自由というのは、つまり、ええと、女性関係も含めてということ?」
「はい。むしろそういった欲求は外で発散していただいたほうが、わたしも都合がよいので!」
セオドアはちらりと会場につながる窓を見つめる。
(……うん、上から下までぴっちり閉まっているな。よしよし)
これまでの話が会場に筒抜けで、遊び人のセオドア・サイゼルが若い娘に妙なことを叫ばせていた、なんて噂が流れようものなら、さすがの彼も少々へこんでしまう。
そんなセオドアの微妙な心境には気づかず、アンネ嬢はなおも力説した。
「女性関係だけでなく、お仕事も続けていただいてかまいませんし、別居ももちろん受け入れます。離婚も、養子にした子がある程度育って、その子を跡継ぎにすると正式に書面にしていただければ、即日応じますので!」
仕事も別居も自由にしていいし、離婚もいいとは。こう聞くと確かに条件がよくなった気がする。
要は、家のことは全部自分がやるから、あなたは好き勝手に生きていいわよ、というわけだ。家や妻に縛られるのがいやだという男にはもってこいの話である。
(しかし……結婚後も自由に遊んでいいから、という求婚文句ははじめて聞くな)
独身主義を宣言する前の、社交会に出てきたばかりのセオドアには、交際の話も結婚の話もひっきりなしに舞い込んできた。
セオドア自身も華やかな社交の世界と、美しい女性たちとの恋が楽しくて、あちこちで浮名を流していたのだ。
おかげで本気になった令嬢に結婚を迫られ、断ったら刃傷騒ぎになったことも、セオドアに心奪われた婦人の夫が、決闘だと乗り込んできたこともままあった。
それなりに面倒な事態に発展することが少なくなかったから、どんな美辞麗句を並べて求婚されても、勘弁してくれとしか思わなかったのに。
(これまでどおり遊んでいていいから結婚してくれ、と言われるのも、それはそれで複雑な気持ちになるものだな)
とはいえ、目の前の彼女は本気のようだ。婿を迎える立場の令嬢と話したことも何度かあるが、ここまで家のため、領地のためにと割り切っている令嬢はいなかった。
(それだけご両親が遺した事業を大切に思っているのだろうが……)
もう少し、年頃の令嬢らしく、結婚生活に憧れを持ってもいいと思うのだが。
とはいえ、彼女がセオドアがいいと主張する理由もわかる。
セオドアは女好きの遊び人だが、彼女の叔父ほど堕落していない。恋愛相手は選んでいるし、近衛騎士という社会的地位も維持している。
近衛騎士は騎士の中でも、国王をはじめとする王族を守るために存在する。それなりの身分と品位が必要であるため、そうそう大きな問題も起こせない。
それだけに、名ばかりの婿にしておくには絶好の相手というわけだ。
セオドアはじっとこちらを見つめるアンネを見返して、ゆっくりした口調で問いかける。
「本当に僕でいいのか、今一度自分の胸に手を当てて考えて。僕は君が思うよりずっと不誠実な男だよ? 結婚式を挙げたその日から別居を希望して、君の領地に一度も足を運ばないまま、王都で気ままに遊び暮らすかもしれない」
「まったくかまいません。書類上の夫になってくだされば、あとはなにも望みません」
「僕のお遊びが過ぎることで、本気になったご令嬢が君に恨みを募らせて、妻の座を明け渡せー! と言って刃物を向けてくるかもよ?」
わりと真面目な面持ちで言うと、さすがの彼女も少しうろたえたらしい。
「そ、それは……さすがに困りますので、そうならない程度に遊んでいただければ」
それまで前のめりだった彼女が明らかにひるんだのを見て、セオドアはちょっと楽しくなった。
「遊びにはお金が必要だから、僕もそのうち君の叔父上のように金の無心に行くかもよ?」
「……それも、そうならない程度に抑えていただければと」
「ははは、冗談だよ。遊ぶ金は自分の懐から出すから安心して。こう見えて僕、それなりに財産家だから」
「そうだと助かります……。実際、わたしがあなたに目をつけたのは、ご自分で稼ぐ力があるという点も大きかったんです。領地の収益は事業に回したいので、あまり融通できませんから」
たとえそう考えていたとしても、馬鹿正直に本人に言うのはどうなんだと、セオドアは笑い出しそうになった。
「それに王都にお屋敷も構えていらっしゃるから、離婚してもお住まいに不自由はなさらないでしょう?」
「そうだね」
「それもわたしにとっては好都合でして。そういったことを総合して、あなたが婿として一番の優良物件だと判断したんです!」
(優良物件!)
とんでもないたとえに、セオドアは耐えきれずとうとう噴き出してしまった。
腹を抱えて大笑いする美貌の貴公子に、アンネ嬢がはじめてぽかんとした顔を見せる。
「いや、失礼。あまりにおもしろくて。アンネ嬢、あなたの考え方はどこまでも合理的ですばらしい。わたしが出会ってきた女性の中でも飛び抜けて興味深いよ」
「はぁ、どうも……」
褒められているのかけなされているのかいまいちわからないという面持ちながらも、アンネ嬢は素直にうなずいた。
「うん、よくわかった。じゃあアンネ嬢、結婚しよう」
「へあ?」
「僕も女性関係が華やかすぎるせいか、頭の固いお父上から、さっさと所帯を持って落ち着くように言われているんだよ。不思議だよね、結婚したからと言って真面目になる保証はどこにもないのに、なぜあの年代のひとはそういう言い方をするんだろう?」
「それは……どうしてでしょうね。ただ公爵様のご希望には沿えないことになるので、それは心苦しいですね……」
落ち着くどころか、妻公認でより女遊びに励む息子が誕生してしまうことをアンネ嬢は危惧したらしい。
「でもわたしとしては婿入りして伯爵位を継いでくださるだけで充分なので、その点はわたしから公爵様にご説明しましょう。そうすれば公爵様も奥様も、セオドア様が遊び歩いていてもなにも言わなくなるはずで──」
「いやいや、しなくていいよ、そんな話。どう考えても面倒なことになるじゃないか。僕の両親の前では単純に仲のいい夫婦を演じようよ」
ともすればひざまずいて許しを請いそうな雰囲気のアンネを、セオドアはあわてて止める。
どうやらこの令嬢、生真面目が過ぎるあまり暴走する可能性も高そうだ。そこは自分がしっかり手綱を握らなければと、セオドアは考える。
そして、そんなことを考えた自分に驚いた。
どうやらこれまでと毛色の違う令嬢に会ったおかげで、俄然興味が出てきたらしい。……まぁ、相手は結婚する相手なのだから、それなりに関心があったほうがいいだろう。
(そんなことを考える僕もそれなりに合理的だな)
そう思うとますます楽しくなってきた。
「まぁ、とにかく結婚するということで。よろしく頼むよ、アンネ嬢」
「……自分から申し込んでおいてアレですが、本当にわたしと結婚してくださいますね?」
「うん。名ばかりの夫として、君の領地経営や事業の成功を祈らせてもらうよ」
アンネ嬢はほっとした様子で口元をほころばせる。
セオドアは目を瞠った。これまで真面目な面持ちを崩さなかった彼女がはじめて見せた笑顔は、まるで固く閉ざされていたつぼみが一気に花開いたような変化だったのだ。
うっかり見とれてしまったセオドアは、彼女が続けた言葉に反応するのに少々遅れた。
「では、すぐに弁護士に頼んで契約書を書いてもらってきますね」
「……契約書?」
「だってこれはお互いに利のある契約結婚ですもの。契約書があったほうがより約束事を守ろうという気持ちにもなれますでしょう? 明日には用意しておきますので。それでは!」
アンネ嬢は生真面目に頭を下げると、ほうけているセオドアには目も向けずに、広間へと走り去って行ってしまった。
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