【試し読み】純情姫の初恋レッスン~憧れ上司の甘い誘惑~
あらすじ
「俺が怖いか……? でも、おまえがかわいすぎるから止まらなくなった」上司である遼介に片思いをしている茉莉花は、社長から直々に息子との見合いを持ちかけられる。悩む茉莉花。ある日、ふたりきりの残業中、遼介から見合いを勧められた茉莉花は、遼介への気持ちを打ち明けられなるわけもなく、「恋愛をしたこともないのにお見合いなんて考えられない」と答えると――「恋愛をしたことがなくてためらっているのなら、俺がすべてを教えてやる」憧れの上司から教えられる甘い初恋レッスンはどんどんエスカレートして……。はじめはドキドキしつつも、女性らしく花開いていく茉莉花。そんな中、社長の息子が社内にいるという噂が立ち……。
登場人物
上司である遼介に密かに恋心を抱いている。突然持ち掛けられた社長の息子とのお見合いに困惑。
眉目秀麗で仕事もできるため部下からの信頼も厚い。なぜか茉莉花にお見合いを勧めるが…
試し読み
1
昼休みが終わったオフィス内で、三谷茉莉花はパソコンから目を離し、クリーム色の壁をちらりと見る。
そこで時計の針が二時四十分を指していることに気づき、茉莉花は隣の席にいる渡部深雪に声を掛けた。
「深雪ちゃん、もうすぐ三時になるから早く行かないと」
「えっ? もうそんな時間なの?」
「うん、早くしないとお茶の時間になっちゃうよ」
「もう! しょうがないな」
そんなことを言いつつも、深雪は素早くパソコン画面を保存し席を立つと、茉莉花に向かって微笑む。
深雪の素早い行動に茫然としながら、茉莉花は彼女と同じように席を立った。
「もうすぐ会議から帰ってくるもんね。愛しの課長さまが」
「……っ、そっ、そんなんじゃないよ」
「顔を真っ赤にして、そんなことを言っても説得力がないわよ」
からかうようにそんなことをいう深雪に頬を突かれた茉莉花は、とっさにうつむく。
いくら隠そうとしても、すぐに顔に出てしまう自分が嫌になってしまう。
「おい、深雪。また三谷さんをいじめてるのかよ」
「あのね、どこをどうしたら私が茉莉花をいじめてるように見えるのよ」
「おまえとは全然ちがって純真だからな。三谷さんは」
前の机にいた横田祐司がそんなことを言い出すと、とたんに深雪と口げんかになる。
現在三ヶ月の恋人同士のふたりだが、付き合う前からこんな感じだった。
「横田に愛想を尽かしたら俺と付き合おうよ。深雪ちゃん」
「女の子が少ないシステム事業部は、男が選び放題だからな」
周囲からそんな声が聞こえると、とたんに周りの社員たちが笑い出す。
深雪がサバサバしている性格なので、男性が圧倒的に多いこの部署でも溶け込んでいる。
そんな性格の彼女だからこそ、奥手な茉莉花とも部署に配属されてすぐに仲良くなった。
いまでこそ一番の親友。それを部署の誰もが認めていた。
そこで茉莉花は肩を叩かれて振り向くと、目鼻立ちの整った眉目秀麗な男性が人さし指を自分の唇に当てていた。
茉莉花は彼のしぐさにトクンと胸が高鳴って、いまにも心臓が壊れてしまいそうになる。
「小澤課長、帰って来てたんですか?」
社員のひとりが彼に気づき、声を上げると、先ほどまで騒がしかった空間が静かになる。
小澤遼介、三十五歳。このシステム事業部を束ねている課長だった。
「おまえらは俺が目を離すと本当に騒がしいな。おとなしいのは三谷だけか」
「課長。それを言うなら、私だって大人しくて可憐な女子です」
「おまえは十分、猿山に馴染んでるから安心しろ」
遼介はまるでずっとその場にいたかのように部下たちを和ませると、彼らを仕事に集中させる。
部下を思いやれる上司。
それでいて仕事のできる男性なのだから、部下に慕われているのも当然だ。
「ほら、女子ふたりはお茶を入れてこい。猿どもが首を長くして待ってるぞ」
遼介はそう言いながら、茉莉花の頭を撫でて笑みをこぼす。と、茉莉花の鼓動が跳ね上がる。
そんなささいなスキンシップでさえ、ドキドキさせる要素でしかない。
「給湯室に行くよ。茉莉花」
「うっ、うん……」
そこで遼介の手が自分の頭から離れてしまうと、ほんの少しだけ寂しさを感じる。
だけど深雪を追いかけなければならず、茉莉花は遼介に頭を下げた。
茉莉花と深雪が給湯室につくと、ふたりは十三人分のお茶の準備をはじめる。
この部署に配属されて一年も経てば、その作業も手慣れたものだ。
「まったく、ウチの部署は課長からして私で遊んでるのよね」
「いいじゃない。私は深雪ちゃんみたいな性格に憧れるけどな」
「なっ、なにを言い出すのよ、この天然娘ちゃんは。私は女子扱いされてないんだよ?」
「そんなことないよ。深雪ちゃんには彼氏がいるじゃない」
人数分のマグカップを取り出しながら、深雪のほうこそ羨ましいと内心で思う。
「で、そんなことを言っている茉莉花は、小澤課長に告白しないのかな?」
「……告白なんてできるはずがないじゃない。年が離れすぎてるもん」
「いまどき、年の差カップルなんて普通だと思うけどな」
「そもそも、私なんかが相手にされるわけがないよ」
自分で言っていて悲しくなるけれど、茉莉花が十五歳も年の離れた遼介に恋をしていても相手にされないのが現実だ。
告白してそばにいられなくなるのなら、この恋が叶わなくてもこのままでいい。
茉莉花は心の中に遼介への恋心を隠し、深雪に微笑んでみせた。
「どうして相手にされないとか思うのかね、この子は。課長は明らかに茉莉花狙いなのに」
「そんなことないし、深雪ちゃんの思い過ごしだよ」
「まったく、これだから見てる周りがじれじれするんじゃない」
そこで深雪がいつものように肩を竦めてため息をつくが、茉莉花はそうとは思えない。
それどころか、どうしてそんなふうに思えるのかが不思議でならなかった。
都心に自社ビルを持つ高遠コーポレーションでは、主にソフトウエアの開発を手がけている。
七階にあるシステム事業部は、窓が一面に広がり、内装もモダンな空間だった。
そんなシステム事業部内で、茉莉花と深雪は手分けして机にコーヒーを配っていく。
「課長、お茶が入りました」
「ご苦労だったな、三谷。おまえたちふたりがこの部署に配属されてよかったよ」
「そうでしょうか?」
茉莉花は遼介の机の上にマグカップを置くと、空になったトレーを右腕で抱える。
本来なら上司から先に置いていくのだが、遼介が先に部下たちをねぎらってくれと希望したのだ。
「男勝りな渡部と小動物のような三谷、いいコンビじゃないか」
「……ありがとうございます」
「もっとも、俺はおまえみたいなかわいい女が好みだけどな」
そう言いながらコーヒーに口をつける遼介は、ときどき茉莉花にそんなことを言う。
からかわれているだけだとわかっていても、恋愛初心者の茉莉花は胸がドキリと高鳴る。
(課長にとっては何でもないのに、恥ずかしい)
たったこれだけでドキドキする自分が遼介に釣り合うはずもなく、うつむいてしまう。
「そんなに恥ずかしがることはねえだろう。三谷」
そこで笑ってるような遼介の声が聞こえると、また頭の上に手が置かれる。
彼は茉莉花の頭をよく撫でてくれるのだが、どういうわけか茉莉花にしかしたことがない。
それが特別に思えるから、告白をすることでいまの関係を壊したくない。
誰にも言えないけれど、それが茉莉花が遼介に告白できない本当の理由だった。
午後の休憩時間が終わり、茉莉花が自分の机に戻ると、遼介がこちらに向かい手招きをしていることに気づいた。
どうやら自分に手招きをしているらしく、不思議な気持ちで遼介に近づいた。
「課長、お呼びでしょうか?」
もしかしたら自分を呼んだのではないのかもしれないと思いつつ、茉莉花は恐る恐る尋ねる。
すると遼介は小さく笑い、書類の入った封筒を茉莉花の前に差し出した。
「この書類を社長に届けてくれないか?」
「……えっ!? わっ、私がですか?」
「むしろ三谷に届けさせろって駄々をこねてるよ。あのタヌキジジイは」
いくら本人がいないからとはいえ、社長をそんなふうに言ってしまえる遼介がすごい。
茉莉花は内心そんなことを思うが、ちょっとだけ社長の姿を思い浮かべて小さく微笑む。
「俺がそんなこと言ってたことは、社長には内緒な」
「はいっ」
「なら、行ってこい」
内緒と言う言葉がくすぐったくて、それだけでもうれしくて胸がぎゅっと締めつけられる。
(小澤課長が好きです……)
決して口に出せるはずのない思いが、胸の中にあふれるだけでせつなくなる。
そんな気持ちを心の中に秘め、茉莉花は遼介に頭を下げた。
(それにしても課長は、どうして私に社長に書類を届けろなんて言うのかな?)
茉莉花は内心でそんなことを考えがら、社長室の前で立ち止まる。
遼介がなにを意図しているのかがわからずに、ため息をつく。
まったく面識がないと言うわけでもないし、社長が優しい人だと知っている。
だけど社長室に行くとなると、緊張して脚が竦んでしまいそうだ。
それでも遼介に頼まれてここに来たのだから、引き返すことができない。
茉莉花は意を決して社長室のドアをノックし、入室をする。
「社長、これをシステム管理部の小澤から頼まれて、お届けに参りました」
「ご苦労だったね、三谷さん。やっぱりかわいい子に持ってくるように頼んで正解だったよ」
少々ふくよかな体型をしている、人のよさそうな高遠社長はそう言いながら微笑む。
──社員ひとりひとりを大事にしているところは小澤課長と似ている。
そんなことを考えていると、社長がこちらを真剣な表情で見ていることに気がついた。
「三谷くんは、付き合っている男性はいるのかね」
「……い、いませんけれど」
「もしよかったら、ウチの息子と見合いをしてもらえないだろうか?」
突然の社長の話に茉莉花は意味がわからず茫然とし、頭の中が混乱する。
(みっ、見合いってお見合いのことだよね? しかも、私と社長の息子さんが……?)
社長の息子については、ほかの部署の女性社員が噂をしているのは聞いたことがある。
だが、そんな程度の情報しか知らないし、彼がどんな男性かもまったくわからない。
「この会社を継ぐことを真剣に考えさせたくて、お見合いをさせようと思っているんだ」
「えっ!?」
「君のような純真でかわいらしいお嬢さんなら、息子もこの会社の次期社長としての自覚が出てくるだろう」
──私が社長の息子さんとお見合いをして、彼が次期社長になる……の?)
あまりにも気が遠くなるような話に困惑し、茉莉花はわけがわからなくなってしまう。
そもそもどうして社長がそんな話を自分にするのかが理解できない。
「お言葉ですが、社長の息子さんには、もっとふさわしい方がいらっしゃると思います」
「私は君のような女性が、息子と結婚してくれたらと思っているんだ」
お見合いと言われたところで現実味はなく、正直、なにも考えられない。
だが、社長の必死な様子が窺え、茉莉花はそれ以上何も言えずに黙り込んだ。
「お見合いと言ってもそんなに堅苦しいものではないし、考えてみてくれないか」
本当は好きな人がいると素直に自分の気持ちを話すべきだとわかっている。
けれど、真剣な表情の社長を目の前にして、茉莉花は何も言えなくなってしまう。
なにより社長が息子を大切に思う気持ちが伝わり、どうしても答えられなかった。
(……課長はこの話を知ってて、私に書類を届けさせたの?)
ふと、遼介がこの話を知っているのかが気になり、胸がちくりと痛む。
片思いだとわかっているけれど、もしも遼介がお見合いの話を知っていて、社長室に行かせたのならせつなすぎる。
突然すぎて何も考えられないことと遼介のことが気になって、茉莉花は結局、返事をすることができなかった。
それから何日かが過ぎ、茉莉花はいまだに答えを出せずにいた。
もやもやとする気持ちの中で、遼介とふたりきりの残業はあまりにもせつなかった。
「そう言えば、三谷とふたりきりの残業なんて初めてだな」
「……はい」
ふと、そういえば遼介とふたりきりの残業が初めてだと気づき、急に胸の鼓動が激しく高鳴る。
ときめきとせつなさが同居して、茉莉花は胸の中が揺れてしまう。
「なぁ、社長の息子と見合いするのか?」
「……えっ?」
突然、遼介から切り出された話に、茉莉花は息が苦しくなりうまく呼吸ができない。
もしかしたら知っているかもしれないとは思ったけれど、本人から直接言われるのではまさに失恋したようなものだった。
「もし、おまえが迷ってるなら見合いをしてみろよ」
「……えっ!? でも……」
好きな人が目の前にいる状況でそんなことを言えるはずがない。
なのに、遼介の瞳があまりにも真剣で息を飲んだ。
(どうして課長はそんな顔をして、私を見つめるの?)
遼介のせつなげな顔を見たら、やっぱりお見合いなんかしたくないと強く思った。
「私、恋愛もしたことがなくて……そんな状態でお見合いなんてしたくなくて……」
「好きな男でもいるのか?」
「そういうことじゃないんです。ただ、恋愛をしたこともないのにお見合いなんて考えられなくて……」
「だったら、俺が茉莉花に教えてやる」
(──課長はいま、私を茉莉花って呼んだの……?)
三谷としか呼ばれたことがないのに、突然、自分の名前を呼ばれて心臓が早鐘を打ちはじめる。
そこで、遼介が茉莉花を囲むように机に手をついていた。
彼の顔が至近距離にあることに気づき、茉莉花はとっさに目を閉じる。
そこで唇に温かい感触がし、なにかが触れていることに気づいた。
(なっ、なに……これ?)
なにが起こってるのかよくわからない状況で、そのなにかが角度を変えて茉莉花の唇をこじ開けようとする。
怖くて唇をぎゅっと閉じると、今度は額になにかが触れた。
「キスも初めてだったのか?」
「きっ……きす?」
「本当に純情でかわいい女なんだな、茉莉花は」
もう一度名前を呼ばれた上に、かわいいと言われたような気がして、何が何だかわからなくなる。
あまりの動揺に茉莉花が目を開けると、そこで遼介の唇が自分の唇を塞いでいることに気づいた。
(私、課長にキス……されているの?)
突然のことに頭が混乱しながら、ただ、茫然とする。
ずっと好きだった人とキスをしているこの状況が、夢の中のできごとのように思えた。
「俺が茉莉花に恋愛を教えてやるよ」
「……えっ!?」
「恋愛をしたことがなくてためらっているのなら、俺がすべてを教えてやる」
その一言に胸がドキリとするが、すぐに遼介が社長の息子とお見合いをさせるために言い出したのだと気づく。
「考えてくれないか? 茉莉花」
「…………」
考えるも何も、どんな事情でも遼介のそばにいられるチャンスが目の前にある。
だけど、茉莉花は胸が苦しくて返事ができなかった。
2
名前を呼ばれただけでも頭の中が混乱する。
なのに、遼介からキスをされた上に、恋愛を教えてやると言われ、茉莉花はその場で返事ができなかった。
遼介にキスをされたことは嬉しかった。
だけど、あくまでも社長の息子とお見合いをさせるためのものでしかなく、茉莉花は落胆するしかない。
「茉莉花、この書類を大至急コピーしてくれないか?」
「はっ、はい──」
昨夜のことは都合のいい夢かもしれないと内心で思いながら、ため息をつく。
だが、それを打ち消すかのように名前を呼ばれ、茉莉花は慌てふためきながら遼介の机に向かう。
そこで遼介から書類が手渡され、彼の手が茉莉花の指先を包み込んだ。
ほんの一瞬のことなのに、鼓動が激しく高鳴る。
「これだけのことで顔をこんなに真っ赤にするなんて、本当におまえはかわいいな」
「……っ!」
指が触れているだけでも胸がドキドキしているのに、追い打ちをかけられるようにささやかれる。
茹で蛸のように顔が真っ赤になっていると思うと、茉莉花は恥ずかしくてうつむくことしかできない。
そんな自分を隠すようにお辞儀をし、コピー室に移動した。
「茉莉花ちゃんは、課長との残業でなにがあったのかな?」
そこで背後から深雪のからかうような声が聞こえ、茉莉花は背筋をびくりと震わせる。
ドキドキしすぎて心臓に悪い──。内心、そんなことを思いながら振り向いた。
「そっ、そんなことないよ。いつも通りだよ」
「課長はあからさまに名前呼びになってるし、茉莉花がいつも以上にパニックっていればわかるよ」
「……本当になにもないから」
まるで名探偵のように推理しながら頷く深雪に、茉莉花はいたたまれなくなる。
事情を知らなければそう思われてもしかたないと思うが、内心、複雑だった。
「事情はよくわからないけど、何かがあったのは事実でしょ?」
「……えっ?」
「だてに親友をやっていないから、そんなことは茉莉花の顔を見ていればわかるわよ」
自分では何もなかったように振る舞っていたつもりなのに、深雪にはお見通しだったらしい。
彼女には隠し事ができないとわかっているだけに、茉莉花は事情を話しはじめた。
「それじゃ、恋愛初心者の茉莉花には、すごい展開になってるわ」
「……うん。でもそれは社長の息子さんとのお見合いの件もあって……」
「それでも、課長が恋愛を教えてやるって言い出したんでしょ?」
コピーした書類を整理しながら、自分でも改めてすごい展開になっていると思う。
そこで深雪が眉間にしわを寄せて、なにやら考えこんでる様子だった。
「そういえば、社長の息子ってこの会社の社員らしいよ」
「……えっ? そ、そうなの?」
「あくまでも噂だけど、その正体は誰も知らないんだよね」
社長の息子について何も知らない茉莉花は、深雪の話を聞きながら考えこんでしまう。
どうして自分がそんな人とのお見合いを持ちかけられたのか不思議だった。
「まぁ、その噂自体があやふやだから、あまり気にしなくてもいいと思うよ」
「……うん」
「それより、課長のそばにいることを選べばいいじゃない」
深雪はそう言いながら、茉莉花の背中を叩いて励ましてくれる。
お見合いをしなければならないのに、遼介のそばにいることを選んでいいのだろうか。
茉莉花にはどうしてもその答えが見つけられなかった。
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