【試し読み】執愛をくすぶらせた軍人さまは、サキュバスを身も心も堕としたい
あらすじ
淫魔の正体を隠して参加した夜会で、ロニーの童貞を食い散らかしたマリア。ロニーは濃密な夜を過ごした彼女を探し続け――10年後にマリアの正体を知る。とある夜会で二人は再会したが、昔より若い彼女は今度はクロエと名乗り別人を装う。その様子からロニーは自分がただの『食事』だったのだとショックを受け、そんな彼をクロエは再び誘うが――「俺以外から食事をしないように、な」気づけばクロエは、プロポーズで外堀を埋められ、婚約を結ぶことに! おまけに『魅了』の力を封じられ、浮気も禁止された。強い執着、だけど普通の女の子みたいなエスコート。何百年も生きてきたのに初めての経験で、クロエは身も心も乱されていき……?
登場人物
サキュバス。相手を魅了する異能を持ち、夜会に潜り込み『食事』をしている。
軍人。士官学校時代に一夜を共にしたクロエが忘れられず、ずっと探し続けていた。
試し読み
夕闇の中、次々と馬車が止まっては、着飾った人々を吐き出していく。人々が吸い込まれる先は、コールドウェル伯の別邸である。庭にいくつも設置された上品な照明が邸を照らし上げ、その邸の中からも人々がさざめく声や、ステップを誘うワルツが漏れ聞こえている。
そんな中、慣れない場所に戸惑い、落ち着きなく周囲を窺う青年がいた。服装などが浮いているわけではないが、どうしても周囲が気になってしまうのだろう。年は成人になるかどうかというぐらいで、隣を歩く年上の青年が苦笑していた。
「そこまで警戒しなくてもいいだろ、ロニー」
「だって、コリン兄、そう言われてもさ。だって、この夜会って……なんだろ?」
ここにいる人全てがそれを知っているだろうに、その単語を小さな声でごまかす年下の従兄弟の初々しさに、コリンの顔がほころんだ。
「お前の言う通りだよ。みんな同じなのだから、そんな顔をするな」
「べ、別に俺は……」
うっすらと顔を赤らめるロニーを、コリンは宥めるように頭を撫でる。士官学校卒業間近のロニーのお祝いにと、この夜会への参加を決めたのはコリンだった。普通の夜会と違い、不定期にここコールドウェル伯の別邸で催されるのは、暇と金と──何より欲を持て余した者のための夜会だ。その目的は、道徳的とは言いがたい方の大人の出会い。あからさまに言えば、ワンナイトラブを目的とした社交場なのだ。
(さすがに刺激が強過ぎたかな……?)
この夜会に参加するためには、紹介者が必要ということで、上司の親戚というそこそこ遠いツテを頼ってみたが、さすがに張り切りすぎただろうか、とコリンは思う。
だが、男だらけの全寮制士官学校生活を禁欲的に過ごしてきた従兄弟が、このまま正式な軍人となり、せいぜい商売女しか知らないままに危険な任務に身を投じるかもしれない、そう思うと、不憫に思ったのも確かだ。せめて最初ぐらいは、肉体だけの割り切った関係とはいえ、娼館のように金銭前提ではなく、ちゃんと情を交わさせてあげたいという気遣いである。なお、ここに参加すると知られた時点で、自分の嫁にはそれはもう冷たい視線を向けられた。あとで機嫌を取らなければならない。正直懐は痛いが、可愛い従兄弟のため──と割り切ることにする。もちろん、ちゃんとコリンも楽しむ気満々だ。
「そんなに周りが気になるのなら、仮面を借りて来ようか? 受付で貸し出しもしていただろう?」
「べ、別にいい。だって、知り合いなんて来てるわけないし」
素性を隠したい者は、しっかりと仮面を持参するし、なんなら貸し出しだってしている。そんな至れり尽くせりの夜会に足を踏み入れたロニーは、ぐるりと会場を見渡した。
ロニーは確かに参加者の中では若い方だが、それでも彼と年がさほど変わらないように見える青年はちらほら見受けられる。それどころか、同じ年頃の女性の姿さえあるのだから、この国は性が乱れているのだろうか、と疑念さえ抱いた。
(うわ……っ)
すれ違いざまに胸の谷間を見せつけるような扇情的なドレスを着た女性を見てしまい、ロニーは慌てて視線を逸らした。
(あんなドレスで、おっぱいポロリしないのか? 大丈夫なのか?)
どぎまぎしながら、網膜に焼き付いた白い谷間を反芻していると、今度はリボンやフリルを多く使った可愛らしいドレスの少女が、父親ほどはあろうかという男性にべたべたひっついている姿が飛び込んできた。
(な、なんて破廉恥な……!)
狼狽えるロニーの視線の先を見たコリンは、「あぁ」と小さく声を上げた。
「女性の方はおそらく娼婦だろうね。華やぎを添えるために、懇意にしている店から呼ぶこともあると聞いたことがあるよ」
「だ、だからって、あんな……」
「はいはい、落ち着きなよ」
コリンは、ロニーの肩を軽く二、三回叩いた。
「さて、さっきも説明したけど、ここから先は別行動だからね。会場を適当に回って、良さげな人を見つけてみなよ」
「うぇ!?」
ロニーの顔には「一人で置いていくのか」と書かれていた。厳しい士官学校で揉まれて精悍な顔つきになったと思っていたが、やっぱりまだまだお年頃だな、とコリンは笑う。
「そんな声を出さない。────あのな、ロニー。男二人で居ても仕方がないだろ? 大丈夫、ロニーは若いし体つきもいいし顔も人並み以上なんだから、歩いてるだけで声掛けられるよ。そこは自信を持っていいから。相手が好みだったら了承すればいいだけだよ」
「いや、だって、そんなこと言っても」
「大丈夫。ロニーのように若いのに声を掛けるのは、ここの決まりを知ってるご婦人だろうから、あとは相手に任せればいいさ」
「いや、でも、女性に任せるなんて……」
「そういうのは二回目から頑張るんだね。さ、行った行った」
コリンは、ロニーの腰のあたりを強めに押して会場を回ってくるよう促した。普段は強気な従兄弟が、珍しく困ったような表情を浮かべながら、それでも歩き始めたのを見て、コリンは先程目が合ったご婦人の元へ急ぐ。
(どうせうちの奥さんには怒られること確定なんだし、ちょっとぐらい楽しんだって罰は当たらないでしょ)
お互いに割り切った関係なら、浮気にはカウントされないよね、などと清々しい程自分勝手なことを呟きながら、子守りから解放されたコリンは、口元にほくろを持つ熟女の方へと足を向けた。
────一方、送り出されたロニーは、どうしたって視界に入る刺激の強い触れ合いを、できるだけ意識しないよう努めながら、小楽団がワルツを奏でるホールを歩いていた。最初は気を紛らわすために軽食スペースへ、と思っていたが、付き合いたての恋人同士のように食べさせ合いをするカップルがあちらこちらにいるのを見て、進路を変えたのだ。
(ここにいるのは頭が春めいたヤツらばっかりなのか?)
ロニーとて、可愛い恋人ができたら、そんなことをやってみたい、と心のどこかで思っていたせいか、他人のそんな姿を見るのが苦痛だった。もちろん、そんなことは彼の矜持に懸けて死んでも口に出さないが。
「踊っている人もいるんだな……」
ワルツに合わせて踊るカップルを眺めながら、至極当然のことを口にする。
「よろしければ、ダンスに誘っていただけないかしら?」
この夜会ではセオリーを外して女性からダンスの誘いをすることもあるらしい。誘われたのはどんな美丈夫かはたまた金回りの良さそうな男か、とロニーは声のした方に顔を向けた。すると、微笑む美女と目が合った。
「……俺か?」
「えぇ、そうよ」
美女は嫣然と頷いた。艶のあるストロベリーブロンドをサイドの髪を残して結い上げた美女は、ロニーよりも十は年上に見える。だが、それでも熟女と言うにはまだ若く、こんな夜会にいるのが不思議な年齢に見えた。
「不可解と言いたげな顔をなさるのね。もしかして、こういう場は初めて?」
問いかけた美女が、胸元が強調されるような深い襟ぐりのドレスを纏っているのに気づき、ロニーは慌ててコルセットに押し上げられたふくよかな胸の谷間から視線を逸らした。
「……まぁ、な」
ロニーのぶっきらぼうな返事に、美女はターコイズブルーの瞳を丸くした。
「あら、それなら私はとても幸運なようね。ねぇ、素敵な方、私をダンスに誘っていただける? それとも断って恥をかかせてしまうの?」
挑発めいたその言葉に、ロニーは躊躇いつつも、薄い長手袋に包まれた彼女の手を取った。
「ダンスは苦手なんだ。うまくリードできる自信がない」
「ふふ……。大丈夫よ。ここではそんなことはだぁれも気にしないから」
ワルツの輪の中に入ると、ロニーはぎこちなく彼女の腰に手を回した。自然と距離が近くなり、彼女の纏う甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「もっと抱き寄せてくれる?」
甘えるような声に、ロニーは緊張で汗ばむ手に力を込めた。笑みを深くした彼女の唇は、ぽってりとしていて色っぽく見えた。
「苦手なら、私がカウントする? ワン・ツー・スリーって」
「いや、そこまでしてもらわなくても大丈夫だ」
ロニーは士官学校での授業を思い出しながら、ステップを踏み始める。男同士でペアを組むという、地獄のような授業だったが、あの地獄がこの時間に繋がっていると思えば、多少は報われるというものだ。
「えぇ、そうよ、上手ね」
幼子に向けるような柔らかい声で褒められると、なんだかくすぐったい。そうかと言って、子ども扱いするなと言える程の余裕もなかった。
曲の区切りで輪を抜けたロニーは、エスコートしたままの美女に向き直る。
「あー……、飲み物でも?」
「いいえ、結構よ。それよりも……ゆっくりお話ししたいわ」
士官学校に入ってからというもの、女性との関わりがなかったロニーでも、彼女の言葉の意図するところはしっかり理解できた。そもそもこの夜会はそういう場所だと聞いている。
「あ……りがたいが、俺はゆっくりできる部屋を知らないんだ」
「大丈夫よ、私が知っているから」
もう、何回もここへは来ているから、と告げた美女に導かれ、ロニーは会場の二階へと足を運ぶ。薄暗いながらも等間隔で灯火の設置された通路には、いくつもの扉がある。うっかりしていると迷ってしまいそうだ、とロニーは来た道を確認しながら進んだ。
「このフロアは全て『親密に会話』できるように開放されているの。素敵でしょ?」
彼女は一つの扉に近付くと、ためらいなく開けた。そのついでのように、扉の足元に立てられていた白い板をぱたりと倒す。
「こうしておくことで、空き室でないと分かるの。分かりやすいでしょう?」
それこそ足一つで出来ることなので、お相手を抱き上げたまま部屋に入ることだって可能なのだと、彼女は楽しそうに教えた。
室内は本当に休むためだけの部屋のようで、大きめのベッドとナイトテーブルに二人掛けのソファ、そして身支度を調えられるようにと鏡台があるだけだった。
「俺は、ロニー。ロニー・ウィトロックだ。貴女の名前を聞いてもいいだろうか?」
「あら、名乗ってくれるの? 嬉しいわ。こういうところに来る人は、一夜の夢として過ごそうという方ばかりなのだもの。私の名前はマリアよ。マリア・リアズ」
早速ベッドに腰掛けたマリアとは対照的に、ロニーはソファに腰掛け、じっと彼女を見つめた。
「マリアは……、あー、こういう所に来てる人の中じゃ、随分と若く見えるけど」
そこまで尋ねたところで、ロニーは困ったように言葉を切った。聞きたいことはあるのに、それをどういう言葉で表したら失礼にならないかと考えているようだ。
「そんなに気を遣わなくてもいいわ。貴方が……ロニーが思う程、私は若くはないのよ?」
マリアは肩をすくめて見せた後、自分の手を目の前に持ってきてしげしげと見つめた。どこか寂しげな視線の先にあるのは、何の装飾品もない薬指だ。
「単に夫に早く先立たれてしまっただけよ」
その表情に、ロニーの胸が騒ぐ。それまで、ずっと自分をリードするように動いていた彼女がふいに弱々しい表情を見せたのだ。年上の女性に対して向ける感情として正しいのかは分からないが、その感情に名前を付けるとしたら庇護欲、だろうか。
「すまない。俺が変なことを聞いてしまったばっかりに」
「いいのよ。よくある話だわ。夫との間に子がいないから、私は形ばかりの地位と僅かな年金を渡されて隠居生活。夫の跡は夫の弟が継いだから、気は楽だけれど……時間だけでなく色々と持て余してしまうのよ」
マリアはゆっくりと立ち上がると、ソファに座るロニーのすぐ前に立って、そっと彼の頬を撫でるように触れた。
「綺麗な瞳……。少し、夫に似ていると言ったら、気を悪くするかしら?」
「……いや、別に構わない」
マリアは囁くように「ありがとう、優しいのね」と感謝を告げる。そのまま彼の瞳を覗きこむように近付き、自然に唇が重なった。
「……っ!?」
驚きに目を瞠るロニーのガーネットの瞳に、僅かに細められたマリアの瞳が映る。一度唇を離したマリアだが、再び顔を寄せてロニーの薄い唇に吸い付いた。混乱するロニーの歯列を割り開き、舌先を擦り上げては官能の波を引き出していく。
「……っは、ぁ」
先に音を上げたのはロニーの方だった。マリアの両肩を掴んで離し、自分の唇を貪ったマリアを真っ赤に染まった顔で見上げる。
その初々しい様子に、マリアは顔を曇らせて俯いた。
「ごめんなさい……。でも、この寂しさを忘れさせて欲しいの、今だけでも」
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