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【9話】失恋おやゆび姫は溺愛紳士に翻弄されてます

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 トクントクンと胸が高鳴り出す。
 誰だろう、こんな風に言ってくれた人は。声からしてもちろん男性。
 どうしても一目見たくて中の様子を盗み見るも、死角になっていて誰の姿も捉えることができない。
 そうこうしているうちに、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り出した。
 うそ、もうそんな時間!?
 ギョッとしてしまう中、給湯室からも「やべ、そろそろ戻らないと」と慌てた声が聞こえてきて、逃げるように会議室へ駆けて戻った。
 どうにか給湯室にいた先輩たちに気づかれずに戻れたけれど、それからもずっと私は、自分を庇ってくれた彼のことが気になって仕方なかった。
 だってあんな風に言ってくれた人、初めてだったから。
 
 その後、私は希望通り第一販売促進部に配属され、そこで七瀬課長と出会った。七瀬課長の人柄を知れば知るほど、あの日の彼と重なって見えた。決して人を見た目で判断せず、しっかり評価してくれる七瀬課長だからこそ、私のことを庇ってくれたのは、彼なんじゃないかって。
 
* * *
 
「……ちゃん、リスちゃん!」
「わっ!?」
 コピーが終わるのを待っていたはずなのに、いつの間にかボーっとしてしまっていたようで、掛けられた声に驚き、色気のない声が出てしまった。
「どうしたの? ボーっとして」
 声を掛けてきたのは風見さんで、私の様子に少しびっくりした後、心配そうに眉を寄せ聞いてきた。
「あ、いいえ! すみません、ちょっと考え事をしてしまっていて……」
 慌ててとっくに終わっていたコピー用紙を手に取る。
「すぐにホチキスで留めますね」
「待って」
 デスクに戻ろうとした私の行く手を阻むように、風見さんは私の前に素早く回り込んだ。
 そしてなぜか彼は、真剣な面持ちで私の顔を覗き込んできた。
「あの、風見さん……?」
 真っ直ぐ見つめられると、ドギマギしてしまう。上擦った声で問いかけるも風見さんの表情は変わらず。
 そのまま周囲に聞こえないよう、小声でそっと尋ねてきた。
「もしかしてなにかあったの?」
「え?」
 そう言うと、風見さんは眉尻を下げた。
「リスちゃんが仕事中にボーっとしているの、初めて見たからさ。なにかあったらいつでも頼って。これでも俺、リスちゃんの教育係なんだから」
「……風見さん」
 ハニかむ彼に胸がキュッと締めつけられていく。
 なのに彼は「わかった?」なんて言いながら、ニッコリ微笑むものだから、ますますドキドキさせられてしまう。
 風見さんはズルイ人だ。いつも私のことを小動物扱いして、ところかまわず抱きしめてくるくせに、こうやって時々先輩として優しくしてくるのだから。
 複雑な感情に支配されてしまい、どんな顔をしたらいいのかわからなくなる。
「えっと……ありがとうございます」
 顔を伏せ、どうにかお礼を言うのがやっとだった。
 優しくされると、照れ臭くなる。風見さんって上司としては尊敬できるから余計に。
 仕事には真摯しんしに取り組んでいるし、こうして気にかけてもらえると、嬉しいから。
 デスクに戻るタイミングをすっかり逃がし、どうしたらいいのかと、ひたすら床ばかり見つめてしまっていると、いきなり抱き寄せられてしまった。
「どうしよう、照れるリスちゃんも可愛いんだけど」
 すっかり慣れてしまった彼のぬくもりと、香り。するといつものようにギューっと力いっぱい抱きしめてくる。
「ちょっ、ちょっと風見さんっ……!」
「あと十秒だけ抱きしめさせて。可愛さ噛みしめるから」
「なっ……!」
 そんな風見さんに、一部始終を見ていた先輩たちはクスクスと笑い出す。
 やっぱり前言撤回。上司としては尊敬できない! やっぱり風見さんは苦手だ。
 仕事中だというのに、毎回毎回ところかまわず抱きしめてくるのだから……!
 
 十秒だけと言っていたくせに、その後もなかなか離してもらえず、結局一分以上彼に抱きしめられたままだった。

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