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【45話】氷姫を蕩かす熱愛~侯爵様の優しいキス~

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「気に入ってもらえてよかったよ。その、僕は仕事とかで遅くなるときも多いから、飼い犬がいれば寂しくないかなと思ったんだ」
「ええ、もちろんそうです。――あ、でも」
「でも?」
「……やっぱり、ウォルト様にも早く帰ってきてほしいです。一緒に、いたいから……」
 頬を赤らめ、手をもじもじさせながら告げるフィオーナに、ウォルトのみならず使用人たちまでノックアウトされそうになる。
(――奥様の無邪気な笑顔と可愛らしいおねだりは、危険……!)
 あの美貌で、あの無邪気さで言われたら、老若男女関わらず、たいていの人間は「全力で希望を叶えます!」と答えたくなるだろう。それが実現可能か不可能か関わらずに。
 実際、真正面から上目遣いで見つめられたウォルトは、一気に首筋まで真っ赤になっていた。大勢の使用人の手前、やに下がった顔になるのは、すんでのところでこらえたが。
「……善処するよ。とにかく、食事にしようか。子犬もそばにいさせていていいよ。今日は初日だから特別にね」
「わぁ、嬉しいです! よかったわね、ワンちゃん」
「キャフン!」
 舌を見せながら尻尾をぶんぶん振りたくる犬に、フィオーナは可愛いと連呼して頬ずりする。その姿があまりに輝いていて、晩餐のあいだ、使用人たちは見とれるあまり手元を狂わせないか気が気ではなかった。
 ウォルトも似たようなものだったが、時間が経つにつれだんだん口数が少なくなっていき、最終的には執事相手に愚痴をこぼす始末である。
「まさか犬相手に嫉妬する日がくるとは思ってもみなかった……」
 おかげでその後、犬は使用人のもとへ預けられ、朝まで絶対に部屋に入れるなと厳命が下された。ついでに人払いもされてしまう。
 使用人たちは遅くまで抱き潰されるであろうフィオーナと、そうでもしないと気が収まらないであろうウォルトを思い、どちらにも等しく同情したという話だった。

 ……と、まぁ、そんな笑い話はともかく。
 子犬がフィオーナに与えた効果は絶大だった。
 ウォルトが贈ったトイ・プードルは、このところ貴族のあいだで流行している犬種らしい。成犬になってもさほど大きくならず、室内で飼うのにもってこいというふれこみで、大人気となったようだ。
 ふわふわの茶色い毛並みと愛くるしい表情がとにかく可愛くて、フィオーナは日があるうちはいつも子犬と一緒にいた。
 そろそろ躾を始める頃合いだと聞いて、餌を勝手に食べないように仕込んだり、用を足す場所を教えたりと、使用人顔負けの甲斐甲斐しさで自ら世話を始めるほどだ。
 一方で晴れた日は子犬を積極的に庭に連れ出し、ときにはドレスの裾をからげて、本気で追いかけっこをしたりした。
 基本的にフィオーナのやりたいようにやらせろ、と命令を受けている使用人たちだが、子犬と一緒に芝生に倒れ込んで、ゴロゴロ転がり始めた女主人を見れば、さすがにそういうわけにもいかない。
「お、奥様っ、さすがに自由にやり過ぎです――!」
 側仕えのメイドが真っ青になりながら駆けつけると、フィオーナは声を立てて笑いながらも、「ごめんなさい」と素直に謝った。
「駄目ね。この子と遊んでいると、つい夢中になってしまって」
「は、はぁ……」
「さすがにこんな格好ではいけないわ。おまえも一緒にシャワーを浴びなきゃ駄目よ、フィル」
「キャウン!」
 フィルと名付けられた子犬は、返事だけは威勢がいい。実際にシャワーを浴びると情けない声を上げて逃げ出すのに、だ。
「しかし……奥様は犬がたいそうお好きなのですねぇ」
「ええ、動物が好きなの。子供の頃は猫も飼っていたのよ。みんな元気にしているといいけれど……」
 シャワーを浴び、用意されたドレスに着替えながら、フィオーナはふと陰りのある微笑みを見せた。
「犬のうち何頭かは、まだ躾を始めたばかりの頃だったの。動物の世話係に教わりながら、わたしも彼らの躾を頑張っていたのよ。でも……父が亡くなってからは、二度とあの子たちに会うことは許されなかった。その後どうなったかもわからない。いい人にもらわれていったならいいけれど、そうじゃなかったら……」
「フィ、フィオーナ様……」
「――だから、というわけではないけれど、フィルのことはきちんと世話して、うんと大切にしてあげたいの。自己満足みたいなものだけど、それでも……」
 話しているうち、かつて飼っていた動物たちのことが頭に浮かんで、フィオーナの瞳に一気に涙が盛り上がる。
 宝石よりも透明な涙を前に、メイドたちは心臓が止まる思いだ。
 弾けるような笑顔を見せるようになったフィオーナだが、おかげで感情のたがが外れてしまったのか、不意に涙を見せることもあった。
 絶世の美女たるフィオーナは、泣き顔すら美しい。ともすれば笑顔より胸を打つ表情だけに、メイドたちは焦って一斉に慰めにかかった。
「じ、自己満足なんてとんでもない! それこそ奥様の優しさですわ!」
「そ、そうです、そうです! わたくしたちもフィルのことをたくさん可愛がります!」
「奥様がかつて世話されていた動物たちのぶんまで、それはもう大切に……!」
 するとフィオーナは泣き笑いの顔になりながら「ありがとう」と告げてくる。
 純真無垢を絵に描いたような微笑みに、メイドたちはまた今日も心臓を撃ち抜かれた。
(奥様の涙と笑顔に、勝てるわけがないわ……!)
 メイドたちがそんな言葉とともに内心で身悶えているとは露知らず、無事に着替え終えたフィオーナは、軽い足取りで部屋を出る。
 自室で着替えたフィオーナと違い、フィルは庭に備えつけられたシャワーで身体を綺麗にされているはずだ。迎えに行って、今度は自室で一緒に過ごそうと考えたのだ。
 ――だが、ちょうど庭に出てきたときだ。息せき切って玄関のほうから走ってくる執事が見えて、なにがあったのだろうと立ち止まる。
「――あっ、奥様!」
「まぁ、そんなに急いでどうしたの?」
 侯爵家の使用人はよく躾けられているので、よっぽどの理由がなければ敷地内を走ることなど決してない。使用人を束ねる立場の執事であればなおさらだ。
 ――だからこそ、その『よっぽどの理由』が起きたのだろうと、フィオーナは少し身構える。
 案の定、執事は一瞬言葉に詰まったものの、意を決した様子で告げてきた。

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