【4話】氷姫を蕩かす熱愛~侯爵様の優しいキス~

作品詳細

 窓が大きく取られた居間から出て、階段を最上階の三階まで上がっていく。そこからさらに使用人が使う寂れた通路を通って、屋根裏部屋へと連れて行かれた。
 天窓が一つあるだけの陰気な部屋だ。斜めになった屋根のせいで、身をかがめずに立てるところは扉のすぐそばだけ。室内にあるのは固く古い寝台のみだ。
 その寝台の前に、使用人たちはフィオーナを放り出す。まだ痛みが残るフィオーナは為す術もなく、ところどころ穴が空いたり、木肌が飛び出している冷たい床へと倒れ込んだ。
「あとで湯と傷薬を持ってきます。それまでおとなしくしていてください」
 使用人は冷たい声で言って、扉を固く閉める。外からガチャンと施錠される音が聞こえて、フィオーナはぼんやりと天窓を見上げた。
 小さな天窓から見える空は、春らしく霞がかかってぼんやりしている。
 フィオーナの心も、同じくらいぼんやりしていた。
 これだけひどい扱いを受けているのに、もうそれを嘆いたり悲しんだりすることすらできないほど、彼女の心は凍てついた冬のままなのだ。自分はどうやら『氷姫』と呼ばれているらしいけれど、本当に凍っているのは痛みすら感じないこの心――
 サンドラが言うには、結婚相手は好色な六十歳の老人らしい。
 結婚により継母のもとを離れられれば、少なくても身体的な痛みとは無縁の生活を送れるかしらと、密かに期待していたけれど――
(きっと、それも叶わない……)
 サンドラがあれほど喜ぶくらいだ。相手は好色なだけでなく、きっと継母と同じく、どこかしら嗜虐的な嗜好を持つ人間なのだろう。
 早々に悟ったフィオーナは、静かに目を伏せ、蹴られた痛みが去るのをじっと待つ。
 どこに行かせられようと、彼女がすることはおそらく変わらない。
 ――心を閉ざし、嵐をやり過ごす。
 ただ、それだけなのだ。きっと。

*      *

 結婚式は大賑わいだった。
 結婚する男女は、本来なら何週間も前から婚姻する予定を公示しておく必要があるが、特別許可証を入手すれば、手に入れたその日にでも結婚式を挙げることができる。
 招待客を呼んだり、ウェディングドレスを仕立てるために、さすがにその日に挙式とはならなかったが、婚約から一週間で結婚というのは異例の早さだ。
 それでも、教会の前はもちろん、そこへ続く道までも大勢のひとで埋まっているのは、噂の『氷姫』を一目でも見たいと野次馬が押しかけたせいだろう。
 あまりの人混みに、馬車が教会に近づけないほどである。
「まったく、品のない奴らだねぇ……。ほら、さっさと馬車を進めな! 一人二人轢いたところで、邪魔をするほうが悪いんだからね!」
 まったく進まないことにいらだったサンドラが、婦人用の杖で馬車の天井をどんどん叩く。急かされた御者は、大声を上げて野次馬たちを蹴散らし始めた。
 向かいの席に座るサンドラが舌打ちするのにも、馬のいななきが聞こえるのにも、フィオーナは気が気ではない。いつ継母のいらだちがこちらに向かうのかと思って、長手袋の中で汗ばむ手をぎゅっと握りしめていた。
 無理やり突き進む馬車に、野次馬たちが悲鳴を上げたり罵ったりしたが、なんとか人混みを掻き分け教会の前までたどり着く。建物へ続く階段の前に停車すると、御者が転げるように扉の前へやってきた。
 扉が開くと、サンドラは小声で「遅いよ、このグズ!」と御者を叱りつける。サンドラが怒りを向ける相手は、なにもフィオーナだけではないのだ。
 恐縮する御者に我が身を重ねて震え上がりながら、フィオーナはサンドラに続き、伯爵家の馬車から静かに降り立つ。
 露わになった花嫁の姿に、首を長くして待っていた野次馬たちは、一瞬しんと静まりかえった。
 大急ぎで作らせたウェディングドレスは、飾りらしい飾りもない、ごくシンプルなデザインだ。
 詰め襟のノースリーブのドレスは、腹部までが身体にピタリと沿っており、腰から下は大きく膨らんでいる。肘までを覆う長手袋をつけているため、露わになっている肌は肩と顔のみだ。
 装飾品は首に提げた真珠のネックレスと、そろいのイヤリングのみ。腰までの長さの銀髪は頭の低い位置できつくまとめられ、いかにも禁欲的な装いになっていた。
 頭からすっぽりと胸まであるヴェールを被っているが、薄いレースでできているため、燦々と降り注ぐ日差しにフィオーナの面が透けて見える。
 装いもさることながら、ヴェールの下に潜む美しいそのかんばせに、居並ぶ人々は一目で心を射貫かれてしまったのだ。
 だが、いざフィオーナが教会へ続く階段を上り始めると、蜂の巣をつついたような騒ぎになる。興奮のあまりフィオーナに向かってこようとする者もいて、サンドラが目をつり上げて杖を振り回した。
「うるさい野次馬どもめ。花嫁に道を空けるんだ! フィオーナ、おまえもグズグズしないで、さっさと教会にお入り!」
 教会の中には招待客はもちろん、結婚相手である老人も待機しているのだろう。
 そう考えるとこのまま逃げ出したくなってくるが、どのみち野次馬の数がすごすぎて、鼠一匹逃げ出すことは不可能だ。
 とどまったところでもみくちゃにされてしまうだけに、絶望感に胃を痛くしながらも、フィオーナは早足で階段を上りきった。
 開け放たれていた教会の扉が、フィオーナたちが入ってきた途端にそっと閉められる。
 途端に外の喧噪が遠ざかり、教会特有の静謐な空気がフィオーナの身を貫いた。
 奥のオルガンが厳かな曲を奏で始め、それまでざわついていた招待客たちも、ピタリと歓談をやめる。全員が全員、入場してきたフィオーナに目を向けてきて、彼女は緊張にゴクリと生唾を呑み込んだ。
 百合の花が集められたブーケを持ち、しずしずとヴァージンロードを歩いたフィオーナだが、祭壇の前に待っていた人物を見て、軽く混乱してしまう。
 花婿が待つはずのその位置に立っていたのは、結婚相手として報されていた六十歳の老人ではない。
 分厚いレンズの眼鏡をかけた、冴えない風貌の青年だったのだ。
 ぼさっとした髪型に野暮ったい上着を着込んだ彼は、フィオーナの視線を受けると、レンズ越しに微笑んでくる。
「申し訳ありませんが、ブランドン侯爵閣下は式には出られません。なので、わたしが代理人として、結婚誓書に署名をしたいと思います」
 青年はさほど声を張り上げたわけではなかった。だが少しの物音でもよく響く構造の教会の中だ。一番遠いところにいた招待客の耳にも、その言葉は正しく届いたらしい。

作品詳細

関連記事

  1. 【28話】クールな鬼上司の恋人モードは、甘々溺愛が止まりません

  2. 【5話】堕ちて幸せ!?~復讐に燃える完璧令嬢は魔王の花嫁になりました~

  3. 【2話】氷姫を蕩かす熱愛~侯爵様の優しいキス~

  4. 【5話】氷姫を蕩かす熱愛~侯爵様の優しいキス~

  5. 【2話】堕ちて幸せ!?~復讐に燃える完璧令嬢は魔王の花嫁になりました~

  6. 【26話】堅物夫(仮)を恋に落とす方法

  7. 【26話】クールな鬼上司の恋人モードは、甘々溺愛が止まりません

  8. 【29話】犬猿同期ふたりの恋愛攻防戦!?

  9. 【29話】クールな鬼上司の恋人モードは、甘々溺愛が止まりません

Bookstore

dブックロゴ

bookliveロゴ

PAGE TOP
テキストのコピーはできません。