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【33話】氷姫を蕩かす熱愛~侯爵様の優しいキス~

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「ああ、うちの父が呼んでおりますわ。ではブランドン侯爵夫人、ごきげんよう」
「わたくしも婚約者が呼んでいますから。またお話しいたしましょうね」
「よい夜を」
 令嬢たちはにこやかに挨拶し、それぞれの家族や連れ合いのもとへ歩いて行った。
 なのにフィオーナは挨拶するどころか、その場から一歩も動けなかった。令嬢たちの言葉が頭の中で何度も鳴り響き、目を見開いたまま凍りついてしまっていた。

*      *

 ……果たして偶然なのだろうか。その翌日から、ウォルトの帰りは遅くなった。
「急な用事が入ってしまって、仕事のあともまた出かける日が増えると思う。下手をすると深夜を過ぎてしまうから、先に休んでいていいからね」
 申し訳なさそうにそう言う夫に、フィオーナは従順に頷いた。
 だが頭の中では相変わらず令嬢たちの言葉が響いていて、胸がざわざわと落ち着かない。
 彼は本当に用事で遅くなるのだろうか? それとも――
(用事を言い訳にして、他の女性のところへ行っているの……?)
 そんなことはないと思いたかったが、フィオーナが未だ妻としての務めを果たせていないのは事実だ。ウォルトの言葉にすっかり甘えて、愛撫を受けることはあれど、彼自身を受け入れることはしなかった。
 いつまでも覚悟を決められないフィオーナに焦れて、他の女性のもとへ行ってしまうのも、あり得ない話ではないのかも……
 そんな考えがどうしても拭いきれず、フィオーナは日に日に鬱々としていった。夜に広い寝台で一人で横になっていることが寂しくてたまらず、ふかふかの枕が涙で濡れて重くなるほどである。
 まるで生き生きと咲いていた花が一気にしおれたような変化に、周囲は当然気を揉んだ。
 特に側付きのメイドたちはあれこれと世話を焼き、なにがあったのかと聞いてくるが、フィオーナはなんでもないと答えるのが精一杯だ。
 そんな状態に痺れを切らしたのだろう。ある日、メイドの一人がやや厳しい口調で詰め寄ってきた。
「なんでもないわけがございません! この頃は奥様もすっかり明るくなったと、使用人一同大変喜んでおりましたのに……その矢先にこれでは、なにがあったのかと心配します。よもや、わたくしどもがなにか粗相をしたのでしょうか?」
「ま、まさか! みんなとてもよくしてくれるわ……」
「では、なにが原因なのですか?」
 言いよどむフィオーナに、メイドはずずいっと顔を寄せてくる。
「もしなにかお悩みのことがあるのでしたら、どうぞわたくしどもにお話しください。たとえ解決法がわからなくても、胸の裡につかえている感情を吐き出すだけで、心は軽くなるものですわ。奥様が悲しそうでいらっしゃると、わたくしどもも悲しいのです。どうぞ何なりとおっしゃってください」
 いつも親身に世話してくれるメイドの懇願に、フィオーナは少し押されつつも、唇を大きく震わせる。
 言うべきではないと思いながらも、自分一人の胸に抱えているのも限界で、彼女はとうとう苦しみを吐露した。
 先日の夜会で令嬢たちに囲まれ、あれこれと言われたこと。ウォルトに限ってそんなことはないと思いながら、この頃帰りが遅いので、もしかしたら他の女性のところへ行っているのではないかと不安になったこと――気づけばフィオーナはすべてを話していて、ついでに涙までぽろぽろこぼしていた。
 情けないやら恥ずかしいやら、こんなことを話して軽蔑されやしないかと不安になって、さめざめと泣き続けるフィオーナに、メイドたちは顔を見合わせる。
 最初は神妙に話を聞いていた彼女たちの顔には、いつの間にか静かな怒りが満ちていた。
「……まったく、性根の腐った女ってどこの世界にもいるのね。曲がりなりにも貴族のご令嬢が、未婚のうちに男と寝たとか普通言う?」
「言ったところで、あんたの尻軽さが暴露されるだけだって、わっかんないのかしらね。そう考えると貴族のお嬢様っていうのも案外馬鹿よね」
 フィオーナには聞こえない小声でブツブツ呟いたメイドたちは、一転キリッとした面持ちで女主人に向き直った。
「奥様、どうぞ涙をお拭きください。大丈夫です。それなら簡単に解決できる方法がございます」
 フィオーナの手にハンカチーフを握らせて、メイドたちはしっかり請け負った。
「旦那様が浮気するかどうかは別として、こうなれば奥様も、今以上に旦那様をメロメロにしてしまえばよろしいのです!」
「……め、めろめろ?」
 ぐしぐしと目元を拭ったフィオーナは、不可解な単語を聞いて思わず首を傾げる。
 一方のメイドたちはそれしかないとばかりに頷き合った。その目は闘志に燃えている。
「その通り! よろしいですか、奥様に足りないものがあるとすれば、それは旦那様に愛されているという絶対的自信です!」
 フィオーナの肩をがしっと掴んで、メイドたちは目をギラギラさせながら訴えた。
「旦那様はあの通り、女性受けが大変よろしい外見でいらっしゃるので、残念ながらそのご令嬢方のような勘違い女……失礼、夢見がちな女性は、今後もおそらく絶えることはないでしょう」
「だからこそ、妻である奥様には、どーんと構えていただかなくてはなりません!」
「どーん、と……」
「そうです、どーんとです! さっそく準備をいたしましょう! 今日はなにがなんでも早く帰ってきていただけるように、旦那様にもご連絡しておきますので!」
「えっ、いえ、でも、本当にご用事でお忙しいのかもしれないのに――」
「愛する妻が泣き濡れている中、よくわからない用事を理由に家に帰らない夫など、思い切り困らせてやればいいのです!」
 メイドたちの主張は、あの令嬢たちが言っていたこととまるで真逆だ。
 フィオーナは大いに混乱しつつ、メイドたちが促すまま立ち上がる。
「気を強くお持ちくださいませ、奥様! 奥様の美しさにわたくしたちの手が加われば、旦那様を骨抜きにすることなど、赤子の手をひねるようなものですわ!」
 さぁさぁ! と背を押されて、フィオーナはあれよあれよと浴室に押し込められる。
 なにがなんだかわからないが、自分一人で悩んだところで打開策がないのだから、ここは従っておいたほうがいいのだろう……たぶん。
 すぐさま湯が溜められたバスタブに肩までつかって、メイドたちがバタバタと支度する傍ら、フィオーナは困惑にただただ小さくなっていた。

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